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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第1部 黄昏の魔女
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差し伸べられた手 6

 急いでセレナの部屋へ向かう。

 約束の時間はとうに過ぎていた、のだが。


「あら、ごめんなさい、レティシア。ちょっと散らかっているわ」


 突進するようにセレナの部屋に転がり込んだレティシアは、セレナのまったりとした声に迎えられた。


 見慣れたセレナの部屋。いつもレティシアがお邪魔する時には既にテーブルに二人分のお茶セットが並んでおり、セレナ自作の茶菓子が香ばしい匂いを漂わせているのだが。


 今日も、菓子のいい匂いはする。だがテーブルの上にあるのは食べ滓のみ残る空っぽの皿と、やたら大量にあるティーセットだった。

 目を瞬かせてもの問いたげな視線を送るレティシアを見て、銀のトレイを手にしたセレナが微笑む。


「さっきまで、ここでディレン隊の打ち合わせをしていたのよ。といっても、お茶を飲んだりお菓子を摘んだりしてお話しする程度のものだけど」


 セレナはそう言うが、あのレイドが優雅に茶を啜ったり焼き菓子を摘んだりする光景が思い浮かばない。ましてやここは、熊のぬいぐるみや可愛らしい調度品があるセレナの部屋だ。彼がいるだけで、茶会の気温が数度低下するのではないだろうか。


「……変な顔してるわよ、レティシア。まあ、専ら喋るのは私たち魔道士。騎士様たちは聞く専門ね。レイド様なんて、始終しかめっ面でお茶しか飲まれないけど」

「……それって嫌々参加してるんじゃないの?」

「そうかもね。でも、本当に嫌ならレイド様はきっぱり断られるはずだから」

「さっすがセレナ。レイド隊長について詳しいね」

「そう? ありがとう」


 微かなからかいもさっくり受け流し、セレナはテーブルに広がった皿やカップをてきぱきとシンクに運ぶ。小さな洗い場はあっという間に山積みの皿に覆われ、流し台が重そうに軋み声を上げていた。


「……すごい量だね。手伝うよ」


 言いながら、レティシアはシンクに近付いて食器用ブラシを手に取る。使い古されているのか、ブラシは所々綿が飛び出しており、手触りもほっこりと柔らかい。


「これでも洗い物は得意だから」

「そう? じゃあ、お願いするわ。食器洗剤はそこの棚にあるから」


 そう言い、セレナは布巾を手に取る。


 二人が並んでシンクに立ち、しばし、レティシアが皿を洗う音とセレナが食器を積み重ねる微かな音のみが部屋に響いた。


「……ねえ、レティシア。今だから言えるんだけど」


 洗った紅茶カップに丸めた布巾を突っ込みながら、セレナはどこかぼんやりとした口調で切り出す。


「私ね……前に、あなたに一つだけ嘘をついたの」

「嘘……?」

「遠征で。水浴びのときに言ったじゃない。偶然ね、って」

「……あー、そうだっけ?」

「あれは嘘。私は最初から――あなたが皆とは離れて水浴びに来るだろうって予測していて。あなたと話をするために、わざと入浴時間をずらしていたの」


 レティシアははっとして、セレナの顔を見上げる。

 セレナはそんなレティシアに向かって申し訳なさそうに目を細め、布巾を固く絞って次の皿に取りかかりながら言葉を続ける。


「行軍中の様子からも分かっていたけれど――レティシアは他の魔道士と馬が合わないようで、よく一人で行動していたわ。うまく集団に馴染めない人は自分から皆と距離を置こうとするから、きっと水浴びでも時間をずらして入るだろうって――レイド様たちの許可を得た上で、あんな時間に水浴びしていたの」


 セレナはレティシアのことを思ってかなり遠回しな言い方をしてくれたが、要は外れ者を見出すため。仲間から弾かれた者を探し出し、接触を試みるため。


 偶然ではなく、必然。

 計画通りの出会い。


 セレナはレティシアを問題児扱いしたことが後ろめたいのか、レティシアの抉るような視線を受けてふいっと顔を背けてしまった。それでも彼女の手はきちんと仕事をこなしており、律儀に次の器をレティシアから受け取っている。


 ばつが悪そうにそっぽを向くセレナを見つめること少々。

 水しぶきが上がるほど派手にシンクに腕を突っ込み、レティシアはこらえきれずに笑い出してしまう。


「セレナったら……別に、そんなこと暴露しなくってもよかったのに! 私は今の今まで、セレナとの出会いを偶然だと信じていたんだよ?」

「そう、なの? だけど……」


 セレナは羞恥で頬を赤く染め、俯いたまま心ここにあらずといった感じで、目線を彷徨わせながら皿を拭いている。


 ふと意地悪を思いつき、レティシアはセレナの背後のテーブル――セレナが拭き終えた食器がサイズに合わせて積み重なっている――に手を伸ばし、乾燥済みの皿を掴んだ。そしてそれを何食わぬ顔でセレナに渡すと、彼女は何の疑いもなくその皿を受け取って拭き始めた。

 セレナの意識は遥か北方バルバラ山脈の彼方まで吹っ飛んでおり、無駄な二度拭きをしていることにも気付かないようだ。


「……どうしても、レティシアを裏切ったようで。レティシアにとって酷なことをしてしまったかと――そう思うと、申し訳なくて……」


 まっすぐで正直者なセレナゆえの悩みだろう。レティシアならば過去の些細な出来事などきれいさっぱり忘れてしまうだろうが、セレナは自分が許せなかったということだ。


 んー、と小さく唸り、レティシアは再び水の中に手を突っ込んだ。もうだいぶ食器の数は減っているのでフォークを一気に五本掴み取り、まとめてブラシで擦る。


「そんなに気にしなくていいよ。仮にセレナがついた嘘が悪いことだとしても……私はその後、十分セレナの世話になってるんだし。畑に埋まったイモを掘り出すしか能のない私を鍛えてくれたのは、セレナなんだから」


 それに、とレティシアはフォークをセレナに差し出し、茶色の目を細めてニッと笑う。


「私はどういう出会い方であろうと、セレナに会えてよかったと思うよ。これからもよろしく、セレナ」


 セレナは茶色の目――レティシアのそれより若干濃い色合いをしている――を丸くし、少し躊躇いの空白を置いてレティシアが差し出したフォークを受け取った。

 その目が嬉しそうに細められ、肉付きのよい唇も三日月を描く。


「……うん。私も。ありがとう、レティシア……」






 一人ではない。

 手を引いて、共に隣を歩いてくれる者がいる。

 前に立って、道を示してくれる者がいる。


 それが今、何よりも嬉しかった。

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