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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第1部 黄昏の魔女
20/188

差し伸べられた手 5

 十二歳クラスを晴れて卒業し、レティシアは魔道士としての第一歩を歩み始めた。


 同じ日の午後にあった作法の授業。

 ここでもナイフとフォークの扱い方や椅子の引き方演習で及第点をもらい、レティシアは足取りも軽く教室を出た。


 同じクラスに属するミシェルら生粋の貴族には到底適いそうにないが、「食事会の隅っこに出すなら大丈夫かも」と作法の先生からもお褒めの言葉をいただき――何より、数週間前とは見違えるように腕を上げたレティシアをあっけにとられて見つめてくるミシェルらの顔が見られたから、それだけで大満足だった。


 魔道の授業もようやくミシェルのクラスに追いつき、同級生らが疑念深そうな面持ちで見守る中、レティシアは教師が放り投げた木製ボールを見事空中で爆破してみせた。

 といっても一発で成功したのではなく、三度目の正直でようやく魔法が発動したに過ぎないのだが、ずっと落ち零れだと思われていたレティシアが正確に魔法を放ったため、魔道士見習たちは一様に息をのんだ。その中でもミシェルは目玉が飛び出して落下しそうなくらい瞠目し、声を失った小鳥のようにぱくぱく口を開閉させていた。


 初めて、ミシェルに勝てた。

 実力ではまだ追いつけなくても、精神的な面で。


 魔道の授業が終わり、レティシアは窓辺に体を預けて悠々と鼻歌を歌っていた。前を通り過ぎていったミシェルは何とも言えない、怒りのような疑惑のような眼差しを送ってきたが、すっかりご機嫌なレティシアには何の効果も来さない。


 教師を始めとした全員が退出し、レティシアは窓辺の桟に尻を据えてぶらぶらと足を揺らせた。背後の窓が全開で、冬の冷たい風が背中に当たる。だが先ほどの練習で火照った体にはちょうどよかったし、閉め切っていたせいで酸欠一歩手前になっていた教室に新鮮な風を送り込むため、大変心地よかった。


 廊下では教室移動を急ぐ年下の魔道士たちが右往左往していた。この時間は最も階段が込むので、先輩に押しのけられた哀れな少年少女は教科書を抱えたまま、じっと待つしかできないのだ。

 次の時間に授業は入っていないが、セレナとの約束がある。少し早いがそろそろ部屋に向かおうか、と桟から着地すると。


「あ、ちょっと待って!」


 背後から声が掛かり、そのままの姿勢でとどまる。

 振り返ると、グラウンドの方から駆けてくる少年の姿が。寒風に晒されたためか豊かな金髪はぐしゃぐしゃに乱れ、鼻先がほんのり赤く染まっていた。


「クラート様?」

「見たよ、君の魔法! 練習中だったけど思わず手が止まってしまったよ」


 そう破顔して言うクラートの左頬には、丸い青痣が浮いている。きっと、こちらに気を取られた隙に練習相手からきつい一撃を見舞われたのだろう。


 グラウンドでは先ほどまで模擬試合をしていた騎士見習たちがそれぞれ、練習用の武器を手に座り込んだり、芝生の上に大の字になって寝転んだりしている。こちらも休憩時間のようだ。

 クラートは鞘に収まる古びた練習剣を肩に担ぎ、自分のことのように誇らしげに胸を張った。


「セレナから指導を受けているとは聞いていたけど、すごい上達じゃないか」

「あ、ありがとうございます」


 自国の公子から裏のない賞賛を送られ、レティシアの頬が熱を持つ。

 教室の外には壁を囲むように浅い溝が掘られており、その一歩手前で止まってクラートは微笑んだ。


「努力をもって実力を伸ばす――いちから始めるのは本当に大変だよね。僕もよく分かるよ」

「でも、クラート様は騎士団に入る前から剣技を心得てらっしゃったのでは……」

「――いや、実は僕も君のような感じだったんだ。剣術はてんでダメだったんだよ」

「そうなのですか?」


 小首を傾げるレティシア。

 クラートは頷き、壁に剣を立てかけ自分も身を寄り掛からせた。


「……僕、ここに来るまではろくに剣なんて握ったことなくて。オルドラントでは別の武器を専攻していたから、剣術の心得は皆無だったんだ。でも、セフィア城の騎士見習は剣を使えるのが当たり前で、僕はまともに構えることすらできないから指導官にもあれこれ言われたよ。その度にレイドが庇ってくれたけどね」

「レイド隊長とお知り合いなのですか?」

「知り合いというか、腐れ縁かな。あいつもオルドラント出身なんだよ。小さい頃からレイドがお守り役になってくれて、一緒に遊んだり遠乗りしたりしたんだ。で、レイドの方が年上だし一足早く騎士団に入って。僕も遅れて入学して、今はあいつに指導される立場になっちゃったけどね。それにほら、レイドはいろいろ強烈で僕は目立たないというか。僕はよく、影が薄いって言われるんだよね」


 あはは、と陽気に笑うクラート。

 肌寒い風吹くグラウンドで、クラートの周りだけ一足早く春が訪れたかのような、暖かい笑顔だった。


「僕が父上の跡を継ぐ頃になったら、レイドも連れてオルドラントに帰るつもりなんだ。嫡子は僕しかいないからね。でも今の僕は見習の身分。まだまだ修行が足らない。せめて――そうだね、ディレン隊に入れるだけの実力は持たないと、故郷へ帰れないな」

「それでは、レイド隊長の隊に入るのですね」

「うん、まずはレイドに認められないと。追いつくことはできないにしろ、ね」


 そこでクラートは一つ息をつき、首だけを捻ってレティシアを見つめた。


「レティシアはどうするんだい? スティールマージになったら、どこかの騎士に仕えるんだろう?」

「え? ……あー、まあ、そうですね……」


 クラートと違い、自分は将来なんて全く描けていない。とりあえず努力し、ロザリンドに舌打ちされない程度には実力を付ける。騎士に仕えるなんてまだまだ遠い話だろう。

 眉根を寄せ、レティシアは正直に答える。


「私はまだ、その辺は考えられていません。今を乗り切るのに精一杯で……」

「そっか……でも、何も焦ることはないよ。時間はまだあるんだし」


 窓の桟に投げ出されたレティシアの腕を軽く叩き、クラートは励ますように言う。


「ねえ、僕たち歳も近いようだし――これから共に頑張ろうよ。騎士と魔道士じゃあ比較にはならないだろうけど、お互いを高められたらすごくいい刺激になると思うよ」


 思いがけないクラートの申し出にレティシアは桟に投げ出していた腕を引っ込め、驚きで目を丸くする。


「し、しかし! 私はその、えーっと……クラート様に見合うような身分では……」

「そうかもしれない。でもそれは城外での話。セフィア城で友好を結ぶのに身分も何もない。気の合う者同士で連めばいいんじゃないかな」


 おおよそ貴公子とは思えぬ気軽さでクラートは言い返し、まだ子どもっぽさの残る顔を綻ばせる。


「僕、同世代の女の子の友人はいなくて。これから一緒に頑張ろうよ、レティシア」


 そう言って差し出された手。今回は手袋をつけておらず、切り傷やマメのできた皮膚が露わになっている。

 レティシアのそれと何ら変わりのない手を見、一気に好感が持てた。


「……はい。よろしくお願いします、クラート様」


 手を握り返すと、タコが手の平に当たって少しだけ痛かった。










 遠くで始業のベルが鳴る。

 見れば、グラウンドに散っていた騎士見習たちは既に列を組んで集合しており、姿勢を正して教官の到着を待っていた。

 クラートは慌てて体を起こし、脇に立てかけていた剣を拾い上げる。


「まずい、もう時間か……それじゃあね、レティシア。またこうして話をしよう」

「あ、はい、ありがとうございます」


 遅刻遅刻、と口ずさみながら、しかし軽い足取りでクラートはグラウンドへと駆け戻っていく。彼は既に整列していた見習仲間に向かって軽く手を挙げ、クラートの姿を認めた少年も手を振り返した。


 クラートが列に入り、教官らしき壮年の男性騎士が登場したのを見届け、レティシアは窓枠から身を起こした。鞄を肩に掛け、誰もいない講堂を闊歩して教室を歩み去っていく。


 その足取りは先ほどのクラート公子に負けず劣らず、軽快だった。

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