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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第6部 碧空の覇者 
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聖女の答え 6

 リデル王国シュトラウス男爵家の子息であるユーディンは、セフィア城前魔道士団長ロザリンド・カウマーと旧知の仲だった。互いの領地が隣り合わせで、幼い頃から関わりのある、いわば幼なじみという関係だった。


 ロザリンドの方がひとつ年上だったため、彼女の方が早くセフィア城に入学した。ユーディンは早く彼女に追いつこうと、一年を首を長くして待っていた。


 そうしてセフィア城で再会したロザリンドは、少しだけ雰囲気が違っていた。彼女は昔から本が好きで、時間があれば一人、図書館で本を読むことが多かった。

 だがセフィア城で、彼女は二人の知人を見つけたそうだ。


 一人は、ティルヴァン・ディエ・エリア。次期大司教の地位が確定していた、若き実力者。オレンジ色の髪を持つハンサムな彼は本繋がりでロザリンドと知り合い、今は本の勧め合いをしたり勉強を教え合ったりという間柄になっていた。

 ユーディンは大司教家の子息であるティルヴァンを崇拝していたし、そのティルヴァンと幼なじみのロザリンドの仲がよいと知って、心から嬉しかった。そしてあわよくば、二人の間に自分も入りたいと思っていた。


 ただ、ロザリンドにはもう一人知人がいた。それが、波打つ金髪を持つ美少女――マリーシャ・ハティだった。

 彼女は絶世の美少女で、通り過ぎ様に男性が思わず振り返ってしまうような美貌を持っていた。愛らしい顔立ちと、鈴を転がしたような可憐な声。上品で、仕草や言動も可愛らしい人形のような少女。彼女の外見だけで言えば、まさに深窓の令嬢といった表現がぴったりだったろう。


 だが、ユーディンが見た彼女はお世辞にも、「才色兼備な伯爵家の令嬢」とはほど遠かった。優れているのは見た目だけ。頭の中は空っぽで、魔法の腕も微妙の一言に尽きる。宿題は全く出さない。出さないというよりは、宿題が出たことに気付かない。気付いても、何をすればいいのか分からない。授業の内容も、ほとんど理解できていない。本人に危機感はなく、ただただふわふわ浮いて笑顔で全てを丸め込んでいるだけ。


 そんな彼女が、ロザリンドに縋り付いた。入学当初から才女として有名だったロザリンドに近付き、勉強を教わり、宿題を手伝ってもらった。

 ロザリンド自身は、マリーシャの相手をするのをそれほど苦には思っていなかったそうだ。世の中にはいろいろな人がいることが分かった、とロザリンドもユーディンに教えてくれた。


 ユーディンは、マリーシャには興味がなかった。ロザリンドがいいと思っているならそれ以上突っ込む権利はないし、ユーディンとしては今後もロザリンドがティルヴァンと仲よくしてくれれば結構だった。


 ロザリンドがティルヴァンに対して深い愛情を抱いていることに最初に気付いたのも、ユーディンだった。










「……どうしても分かってしまうんだよね。かく言う私も、ロザリンドのことをずっと想っていたから」


 ユーディンは遠い眼差しになって呟いた。甘くて苦い過去を懐かしむかのように、目を細めて天井を見つめている。


 レティシアはそんなユーディンを、意外な思いで見つめていた。今の段階でも、レティシアにとっては寝耳に水な情報がバンバン飛び出してきたのだ。ユーディンがロザリンドのことを好いていたとか、実母が実は落ち零れだったとか、ロザリンドと実母が知り合いだったとか。

 とりわけ、実母の経歴に関しては思わず口を挟みたくなってしまった。だがその度に杖が制止を掛けるのだ。黙って聞いていろ、と。

 選定の杖がこう言うのだから、つまりユーディンは嘘偽りのないことを語っているのだ。それがまた、複雑だった。


(でも、勉強はできなくてもマリーシャ様は大司教になれたんだよね)


 それこそ、この杖の力を借りて。

 だが、杖はしんと静かになってしまった。振動をやめ、押し黙ってしまう。何となく、杖は「恥じている」ようだ、とレティシアは感じた。なぜかは分からないが、手の平を通してそう思った。











 ロザリンドがティルヴァンを愛している。そのことをロザリンド本人に確認した後、ユーディンは自分の胸に秘めておくことにした。

 本当は、薄々感付いていた。ティルヴァンの方も、ロザリンドを好いていることに。優等生のティルヴァンが、ロザリンドを見る時だけとても優しく、甘い眼差しになることに。


 ユーディンは自分の恋心を押し隠し、ひたすら二人を応援した。いつか二人が必ず結ばれ、ロザリンドがクインエリアに向かうだろうと信じていた。

 だが、聖都はそれをよしとはしなかった。後に分かったことだが、聖都の神官には大司教を籠絡し、傀儡政治を企てようとする者がいたのだという。形だけの大司教を立て、自分たちで聖都を治める。そして都合のいいように物事を動かし、聖都の権限を盛り返そうと画作していた。


 彼らにとって、ロザリンドは非常に邪魔な存在だったようだ。彼女は必要以上に賢く、頭が切れる。彼女がティルヴァンの妻となったならば、神官たちの魔の手全て敏感に気付き、夫を守り通すだろう。ロザリンドはそういう女性だったし、それが神官たちにとって非常に都合が悪い結果になるのだった。


 だから彼らは、ティルヴァンからロザリンドを引き離した。そして「都合のよい」存在として、マリーシャに白羽の矢を立てたのだ。自己決定力に低く、あっさりと周囲に流される少女。身分と生まれには問題なく、ティルヴァンともある程度の関わりがある。しかもロザリンドと知己の仲で、彼女を退ける手段にもなる。


 聖都の動きは速かった。聖都はロザリンドを長期遠征に向かわせ、その隙にティルヴァンに結婚を強制することにした。そしてマリーシャにも近付いて、甘い言葉で拐かしたのだ。

 おまえはティルヴァンの妻になる権利がある、と。


 だがさしもの鈍感なマリーシャも、ロザリンドのことを気に掛けていた。だから神官は言ったそうだ。

 「出発前のロザリンドに、ティルヴァンのことが好きかどうか聞いてみろ」と。










 レティシアははっとした。手の中の杖も、ブンと不快そうに唸る。

 何となく、話の筋が見えてきたのだ。単純なマリーシャがその後、どう行動するかも。それを受けたロザリンドが、どう反応するかも。


「……ロザリンドは、好きじゃないと言った?」


 ユーディンはレティシアの言葉に満足そうに頷いた。


「そう。ロザリーは昔からそういう性格だった。恋愛事には奥手だし、恥ずかしがり屋。それに、マリーシャのことを心からは信頼していなかったことにも一因はあるだろうね。何にしても、君の察しの通りロザリンドの返事は――ノーだった」










 ロザリンドは言ったそうだ。自分がティルヴァンのことを好きだなんてあり得ない。そんなはずはないと、真っ赤な顔で。

 その言葉を、ユーディンが――いや、ユーディンでなくてもいい。少しでも知性があり、「天の邪鬼」「照れ隠し」という言葉を知っている者であれば、ロザリンドの本意に気付いただろう。


 だがマリーシャは、文字通りロザリンドの言葉を受け取った。そしてあらかじめ神官から持たされていた録音効果魔具を持って、ティルヴァンと神官の元へ行ったのだ。「ほら、ロザリンドはティルヴァン様のことをちっとも好きじゃありませんよ」と笑顔で言って。

 音だけを拾う録音魔具では、ロザリンドの心の機微や表情を伝えることはできない。ここぞとばかりに神官はティルヴァンを言葉巧みに言い募り、ロザリンドを諦めさせ、そしてその場にいたマリーシャとの婚姻を取り付けたのだ。


 ユーディンはセフィア城にいたため、この一件を誰よりも早く掴んでいた。だが、長期遠征に出ているロザリンドにこのことを伝える手段はなかった。聖都の絶妙な手回しで、「遠征中の生徒との個人的接触を禁止する」と注意書きを添えられていたのだ。


 ユーディンは血を吐く思いで、ロザリンドの帰りを待った。そしてようやっとロザリンドが城に帰ってきた頃には、全て決着が付いていた。ロザリンドが不満を申し立てる前にと、聖都は迅速に行動を取って既に、二人の婚約が確定していたのだ。


 もう、どうしようもなかった。既に二人は卒業してクインエリアに向かっており、話すこともできなかった。二人の結婚を待つしか、ロザリンドにはできなかったのだ。


 そしてその年の冬。ロザリンドは実家との絶縁を申し出て、ひっそりとセフィア城を去っていった。

 彼女が向かったのは、聖都クインエリア。彼女は大司教の妻になったマリーシャに請われ、女官になるべく城を発ったのだ。











「まったく、おかしい話だね。マリーシャは操り人形になるわ自分の勝手気ままに振る舞うわで、さんざんロザリーを苦しめて、その夢も奪ったというのに。ティルヴァン様の妻となってもまだ、甘ったれてくるんだよ。聖都は知り合いがいなくて寂しいから、ロザリーに女官になって側にいてほしい、って」


 ふん、とマリーシャを見下ろすユーディンの目は、見ているレティシアの方がゾッとするほど冷たい。

 ユーディンは本当に、マリーシャのことを嫌っている――むしろ、憎んでいるのだ。

 大切な幼なじみを傷つけ、我が儘に振り回した女のことを。


「ロザリーもロザリーだ。こんな愚図女、放っておけばいいのにハイハイと付いていって――私は止めたんだよ。何度も止めた。だが、ロザリーは行ってしまった。ロザリーは気付いていたんだよ。神官の企みと、なぜマリーシャが妻に選ばれたのか。だから聖都とティルヴァン様――そしていずれ生まれてくるティルヴァン様の御子を守るために、行ったんだよ」


 どきっとした。ここに来て漸く、レティシアの存在が浮かび上がってきた。

 レティシアは、ティルヴァンとマリーシャの間に生まれた次女。ユーディンからすれば、尊敬する男性と心から憎む女性との間に生まれた娘なのだ。


「……あなたは、私のことが憎くないのですか?」


 そっと、問う。口の中はカラカラに乾いている。

 ユーディンはそんなレティシアを見つめ、緩く首を振った。


「どちらなのか、と聞かれればノーだな。君は確かにマリーシャに似ているが、それ以上にティルヴァン様にそっくりだ。それに、マリーシャのように頭が空っぽではなく、自分で行動する知性と勇気、そしてよき友人を味方に付ける才能も持っている。もし、君が第二のマリーシャとなるようであれば――その場で、私の手で始末するつもりだった。だから君が私の願った通りの姿で育っていて、とても嬉しかった。この手でティルヴァン様のお子を殺めずに済んで、本当によかった」


 言葉の端々に狂気を感じ、レティシアの背中にぞっと悪寒が走った。口調こそは穏やかだが、目は笑っていない。

 レティシアの性格次第では、今言った通りユーディンに「始末」されていたのだ。











 クインエリアに行っても、ロザリンドはマリーシャに振り回された。やれ、自分にふさわしいドレスを選んでくれだの、ティルヴァンとの夫婦喧嘩の相談に乗ってくれだの、挙げ句の果てには、自分の次女であるレティシアを預けたのだ。この子を思うままに育ててくれ、と。


 ロザリンドは全ての命令に従った。レティシアのことも、セフィア城時代に知り合ったルフト村の村長に預け、来たるべき日が来るまで育ててやってほしい、と申し出たのだ。本当なら、ロザリンドがレティシアを育ててもよかったのだ。だが、それはロザリンド自身が許さなかったのだという。

 そして明くる年。ティルヴァンは病に倒れ、そのまま帰らぬ人となった。病名は分かっていない。ユーディンたちが調べる前に、神官たちの手によってさっさと火葬されてしまったのだ。


 後に残されたのは、まだセフィア城に入学する年にも満ちていないフェリシアと、未亡人となったマリーシャだけ。続く議論の末に叩き出されたのは、フェリシアが大人になるまで新しい大司教を立てること。その儀式を、マリーシャに受けさせるというものだった。

 これには様々な物議を醸した。マリーシャの無能っぷりは既に聖都でも評判になっていた。その日まで外部に漏れなかったのは、ロザリンドと――彼女の後を追って神官になったユーディンの働きと言っていいだろう。

 だが、儀式の間ではロザリンドたちが助言することはできない。マリーシャが一人で台座に歩み寄り、選定の杖を手にしてその杖から何らかの魔法を放たなければならないのだから。


 マリーシャは夫の死で部屋に籠もり、大司教の儀式も最後まで嫌がった。だがロザリンドはマリーシャを推し、必ずうまくいくとおだてて儀式に向かわせたのだ。









 杖が唸る。とても不快そうに。


「……それで、マリーシャ様は大司教になったのですよね」


 レティシアは暴走し始めた杖をなだめつつ、問うた。いくつか、釈然としない点があったのだ。


「こういう言い方は何ですけど、マリーシャ様が杖に認められたってことですよね?」

「……そうだな。儀式の間に集まった者たちの目には、そう映っただろう」


 含みのある言い方をするユーディン。


「だが、誰一人としてマリーシャが杖を使いこなせるとは思っていなかった。実は、いたのだよ。マリーシャ以上に大司教に相応しい者が。我々は――文字通り、その人物の『手を借りた』のだよ」


 ユーディンは、笑った。足元にうずくまる哀れな女性を嘲るように。

 杖がひときわ甲高く、悲鳴を上げた。


「正統なる大司教の名は、ロザリンド・カウマー。――この女じゃない。ロザリンドが、杖に選ばれたんだ」

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