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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第6部 碧空の覇者 
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聖女の答え 4

 ずん、と突き上げられるような衝撃に、地下講堂の者たちは身を震わせた。

 それはセレナたちも同じで、突然の出来事に周りの騎士たちや神官も悲鳴を上げる。


「な、何だ今の揺れは!」

「上で何かが起こったのか!?」

「上で――」


 セレナは顔を上げた。顔に降ってきた埃の固まりを振り払い、そして弾かれたように自分の手元を見つめた。

 周りの騎士たちが不思議そうにセレナを見る中、神官たちの間でもどよめきが走った。


「こ、これは」

「ひょっとして――」


 各々が手の平を見つめる中、セレナはすっと自分の両手を天井に掲げた。


「皆様。出発のご準備を」

「え?」

「ここから脱出します」


 言った直後、セレナの両手から放たれた衝撃波が天井を打ち砕いた。


 封魔体制の解かれた今、セレナの魔法の前に薄汚れた天井は何の意味も成さなかった。ビシビシと亀裂が入り、レンガの欠片が降り注ぐ。

 他の神官たちも、ある者はセレナに続いて天井に波動をぶつけ、別の者は降り注ぐ礫やレンガの固まりから身を守るべく、防護膜を張った。


 クインエリアの神官だけあって、魔力は相当なものだ。あっという間に天井には大穴が空き、どこかの部屋の天井が見えていた。シャンデリアの具合からして、小さめの客間辺りだろう。床がぼろぼろ崩れる中、破れたカーペットの残骸がちらと覗いていた。


 神官たちの浮遊魔法で一人ずつ穴の外へ運び出される中、セレナは腕を組んでその様子を見守っていた。


「魔道士さん」


 振り返ると、年若い騎士が歩み寄ってきていた。確か彼は、最初にセレナたちが穴に落とされたときに足を挫いたセレナを立たせてくれた者だった。


「魔道士さんは上がられないのですか」

「私は最後でいいです。先に外に出るべき方はたくさんいらっしゃいますし」


 セレナたちよりも先に穴に放り込まれた神官たちには、この清潔とは言えない環境で体調を崩した者も多い。中には初老の神官もおり、既に顔色が悪い者もいる。セレナは若くて健康な部類に入るのだから、急ぐ必要はない。


「それより――気になりません?」

「気になる、とは?」

「上層部で人の話し声が全くしないのです」


 セレナは先ほどから気になっていたことを口にした。若い騎士は天井の穴を見上げ、ああ、と納得の声を上げる。


「確かに。でも偶然、ここが空き部屋だったって可能性もあるんじゃないですか?」

「でも、あれだけ派手な音を立てて壊したんですもの。衛士が飛んできてもおかしくないでしょう」


 それに、先ほど急に封魔が解除されたのも疑問だ。

 おそらく聖都も王都アバディーンと同じく、どこかで封魔体制が管理できるようになっているのだろう。反大司教派の神官からすれば、自分たちに盾突く神官や、レティシアの気持ちを揺るがしかねない存在のセレナは非常に厄介であり、封魔完備の場所に閉じこめておくしかない。とすれば、こうも急に封魔を解除すればセレナたちの脱走は容易に想像できるだろう。


 そもそもこの封魔解除が罠なのか、それとも聖都側も予期していなかった事故なのか。

 セレナが思案にふけっていると、にわかに階上が騒がしくなった。女性の甲高い悲鳴と、リデル騎士の怒声。どたんばたんと乱闘の音がし、女性がすすり泣く声が。


「隊長、どうかしましたか!」


 若い騎士が声を上げると、穴の方から中年騎士の声が返ってきた。


「神官が一人入ってきた――少し待て。事情を吐かせる」

「手荒な真似はなさらないでくださいね」


 セレナが念を押して言うと、しばらくの後、穴の縁から騎士が顔を覗かせた。


「……今の状況が分かった。現在、神殿奥の儀式の間で新しい大司教の就任式が行われているそうだ」

「何っ!」


 神官たちがざわめき、セレナもまた、苦々しく息を吐き出した。とうとう始まってしまった。


「既に儀式は終わったのか?」


 穴の中に残っていた神官の一人が問うと、騎士は再び女性神官に尋ね、そしてセレナたちに報告してくれる。


「この神官は儀式の準備だけして退出したそうだ。廊下を歩いていると封魔体制の解除を感じ、偵察をしていた際にこの部屋に入ってきたらしい」

「――となれば、まだ間に合う可能性は十分にありますね」


 その後、素早く全員が穴から脱出した。セレナの予想通り脱出先は小振りな客間で、セレナたちが床をぶち抜いためあちこちが埃まみれになっていた。


「さて、ではここからどう動くか……」


 中年騎士は皆を見回して言った直後、口を閉ざした。ふいに、廊下の奥が騒がしくなったのだ。


「……既にあちらでも起きたか。参るぞ!」


 中年騎士の掛け声に応じて、騎士も神官も勇ましい声を上げた。











 レティシアは、手の中でバチバチ弾ける杖を冷静な眼差しで見ていた。

 杖はレティシアの気持ちに応えるかのように、踊るように火花を散らせ、暴風を巻き起こしている。


 レティシアが風の中心にいるというのに、当の本人は全く気にした様子もない。それどころか、彼女以外の儀式の間にいる神官たちが悲鳴を上げた。

 窓のステンドグラスが粉々に吹っ飛び、豪奢な緞帳が引きちぎれて窓の外に飛んでいく。台座も最初こそは耐えていたがあっけなく吹き飛び、壁掛けの時計に命中して共々床に落下した。


 神官たちの制服がはためき、帽子が飛び交う。レティシアの場所にほど近かった神官たちはなすすべもなく壁際まで飛ばされ、後頭部を打ってそのまま動かなくなった。

 杖が望むまま魔力を放出していたレティシアは、続いてくるりと振り返った。目線の先にいるのは、扉の前で硬直するセレナ。


「……あんたは、セレナじゃない」


 言うが早い、レティシアが振り下ろした杖の先からうねる光の槍が飛び出し、セレナの顔面に命中した。


 セレナは呻き、その場に膝を突いた。彼女の体に目立った外傷はない。だが、彼女が目を瞠るうちにぼろぼろと「化けの皮」が剥がれていった。

 豊かなミルクココア色の髪は色が抜け落ちて白っぽい灰色になり、溶けるように顔立ちも変化していく。数秒の後にはレティシアの親友ではなく、見たことのない中年女性がうずくまっていた。


(よくもセレナに化けてたな――まあ、騙される私も私か)


 レティシアは杖を下ろし、ゆっくり女性に歩み寄った。慌てて他の神官が駆け寄ってくるが、レティシアが無意識に巻き起こした突風に跳ね返され、ごろごろと絨毯の道を転がり戻っていく。


 考えてみれば、最初から「セレナ」の言動はおかしかった。やんわりとではあるが大司教になることを勧めてきたし、普段のセレナならば絶対にやらないようなこともいろいろしていた。何よりも、とどめはあの言葉だ。


「……悪いけど、セレナになりきるにはちょっと足りてなかったから」


 びくっと女性の肩が震える。レティシアを見上げる顔には、優しいセレナの面影すらも残っていなかった。ただただ醜くて哀れな、女性の顔だった。


「セレナは私が大司教だから来てくれたんじゃない。友だちだから、付いてきてくれた。それすらも分からない人や、私を騙してまで大司教にさせようとする人に従う気はない」

「……愚かな」


 中年女性はレティシアを睨み上げて呟く。ガラガラにひび割れた、セレナとは似ても似つかない耳障りな声だった。


「高貴なる血筋でありながら――選定の杖を操る力を持ちながら、定めに逆らうつもりか!」

「うっさい」


 レティシアは唇の端を曲げて言い捨て、ひょいっと杖を持ち上げた。とたん、中年女性は目を剥き、ころりと後ろ向きに倒れた。白目を剥いているし口は開きっぱなしだが、まあいいだろう。


「……なかなかヤンチャねぇ、あんたも」


 老女を気絶させたレティシアが杖に向かって呟くと、杖は「悪いか?」とばかりに手の中でブンブン唸った。そして、もっと魔力を使わせてくれと、だだっ子のように拗ねて甘えてくる。


「分かったから、ちょっと黙ってて」


 ぴしゃりとはねつけられ、杖は振動をやめた。

 レティシアは大人しくなった杖を手に、聖堂の廊下を歩きだした。


 向かう先は、おのずと分かっていた。

 自分がすべきことも。










 

 嵐のごとくレティシアが儀式の間を破壊し、立ち去った数分後。

 ばたばたと足音が響き、吹っ飛ばされたドアをくぐって一群が現れた。


「これは――ひどい有様だ」


 先頭を切っていた中年騎士が呻き、神官たちもあまりの惨劇に顔を手で覆った。無理もないだろう。この間は、代々の大司教が聖女エリアの洗礼を受けていた、聖都の心臓部に当たる場所なのだから。

 皆は恐る恐る、足を踏み入れる。ブーツの先が粉々に砕けたステンドグラスを踏み、破壊された長いすの木屑が舞い上がる。


「死の気配はないが――何とまあ、派手にやったことだ」


 すぐさま騎士たちが駆け、あちこちに倒れている神官の救護に当たった。地下室組の神官たちは、自分たちを拉致し地下室に放り込んだ者を見て顔をしかめたが、いがみ合っている場ではないと察したのだろう。渋々ながら負傷者に治癒魔法を施していた。


 セレナは部屋の中央に立ち、天を仰ぐように頭上を見上げていた。この部屋に満ちる魔力の残滓。この破壊劇からさほど時間が経っていないせいか、まだ魔力の気配は濃厚に漂っていた。


「……レティシアの魔力です」

「レティシア様の?」


 中年騎士が不可解そうな顔をする。


「では、大司教就任の儀式を拒否したレティシア様がここまで破壊なさったということか?」

「そうでしょうけど――でも、レティシアにはこれほどの魔力はありません」


 部屋に満ちる魔力は、レティシアのものだけだった。長い間一緒にいたから、調べずとも分かる。だからこそ、疑問だった。


「何か、魔力を増長させる方法を取ったか、魔石の力を借りたか――何にしても、レティシアもあまり優良な状態ではないはずです」

「そうか……」


 中年騎士は頷き、そして踵を返したセレナを見て思わず声を掛ける。


「どちらへ行かれる、魔道士殿」

「レティシアを探しに行きます」


 ドアの手前で振り返って、セレナは真っ直ぐな眼差しで騎士を見る。


「まだ、あの子の魔力の軌跡が廊下に残っています。私なら追いかけられます。皆様はここで、負傷者の手当をなさってください」

「お一人で大丈夫なのですか」


 そう問うのは、例の若い騎士。彼はセレナが気に入ったのか、しきりに彼女を気にしている。今も壊れた柱の一部を抱えながら、じっとセレナを見つめていた。


「魔道士さんだけだと、何かあったときに対処できないのでは――」

「部外者が口を挟むな」


 すかさず中年騎士の鉄拳が飛んできて、少年騎士はうぐお、と呻いてその場に膝を突いた。その拍子に持っていた石柱を取り落とし、それが爪先に落下してさらに苦悶の声を上げている。


「――魔道士殿。この馬鹿は放っておいて、どうかお行きください」


 中年騎士は敬礼し、手で廊下の方を示した。


「この場のことは、我々にお任せください。どうか、レティシア様を頼みます」

「……はい。ありがとうございます」


 セレナは頷き、部屋から飛び出した。

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