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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第6部 碧空の覇者 
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聖女の答え 3

 小さな部屋だと思っていた地下室は思いの外広く、手探りで進むがなかなか壁にぶつからなかった。

 騎士たちは、お嬢様育ちのセレナ(だと勝手に思いこんでいる)の手が汚れるのはいけない、と主張して、ねばねばしたよく分からない物体がこべりついた壁に我慢して手を付けて、行き道を確保してくれていた。


 そんな彼らに助けられ手を貸され、おまけに魔法も使えないのだから、セレナはたまったものではない。元々世話を焼くのは好きだが、焼かれるのはどうも気恥ずかしく、申し訳ない気持ちになる。


「いいんですよ、魔道士さん。これが僕たちの役目ですから」


 少年騎士は済まなそうに断るセレナにそう言い、励ますようにわざと明るい声を上げた。


「僕、こういう場所でのサバイバルには慣れてますから! 見習時代からよく、こういうところに放り込まれたりしましたから」

「まあ……そうなの」


 セレナは少年に、笑顔で応える。今は彼の底抜けな明るさが心強かった。


「……ん? 扉だ」


 ふいに先頭を歩いていた中年騎士が声を上げ、コンコンと目の前の扉をノックした。ちょうど、「お邪魔します」の要領で。


 彼としては、扉の強度や材質を確認するために叩いたのだろう。だからこそ、いきなりその扉が内側に開き、眩しい光と共に見知らぬ男性がひょっこり顔を出したものだから、ぎょっと跳び上がったのも無理はなかった。

 それは他の者たちも同じで、「どちらさまですか?」とばかりの男性の表情に、皆唖然とするのみだった。


「……む? あなた方もここに突き落とされたのですか?」


 男性の方は特に驚いた様子もなく尋ねてから、そして一行の出で立ちを見て、はてとばかりに首を捻った。


「その格好は。ひょっとして、外から来られた方ですか……?」

「……おそらく貴殿の言う通りだが、一体ここは?」


 中年騎士がおっかなびっくり言うと、男性はふーむ、と唸った後、道を譲るように一歩体を引いた。


「立ち話も何ですし、中へどうぞ。食料もありますので、こちらでお話ししましょう」











 男性について扉をくぐると、網膜が焼けそうなほど眩しい光に包まれた。といっても、今までセレナたちがいた通路が暗すぎただけだが。

 目が光に慣れると、ようやくその場の状態が見て取れた。今セレナたちが通されたのは、セフィア城の講堂のような部屋だった。といっても広さはセフィア城の大広間くらいあり、地下なので天井が低い分、やけに圧迫感があった。


 そんな部屋のあちこちには、ローブ姿の人間がいた。男性が大半で、年齢はセレナと同世代ぐらいから、そろそろ八十代になるのではという高齢者まで幅広い。皆の多くは疲れた表情だが、セレナたちを見る目に敵意はなく、むしろ興味深そうにじろじろと見つめてくる。


「……ここは聖都の地下にある講堂です。数世代前には地下礼拝室としても使われていました」


 先ほどセレナたちを通した男性が言う。よく見ると彼もまた、少しだけ汚れたローブを羽織っていた。


「我々は、親大司教派――とでも言いましょうか。新しい大司教を立てようと反乱を起こした一派と対立した結果、大司教様を奪われてこのような地下に閉じこめられたのです」


 親大司教派、と聞いて騎士たちがざわめく。


「……では、今地上にいるのは反大司教派――つまり、レティシア様を新しい大司教に立てようとしている者たちなのか」

「そうなりますね――ということは、既にレティシア様は地上に?」


 中年騎士に応えた男性が声を上げると、周りの神官たちも一様に不穏な表情になった。


「……まさか、本当に来てしまわれたの?」

「では、奴らは儀式を行わせるつもりでは……」

「それは、どういうことですか?」


 セレナが問うと、男性神官が悔しそうに歯噛みする。


「……奴らはどのような手を使ってでも、レティシア様を大司教に据えるつもりなのです。奴らはマリーシャ様に表立って反旗を翻しており――年若く未熟なレティシア様を大司教に据え、自分たちで聖都を牛耳るつもりなのです」

「でも、レティシアは大司教になるつもりで来たのではありません」


 セレナははっきりと言い返す。これには、自信があった。


「レティシアはお母様が捕らわれており、さらに神官たちが対立していると聞いてセフィア城を発ったのです。あの子はとても意志の強い子です。何と言われようと、そう簡単に意見を翻しません」

「……確かにレティシア様の意志は固いのでしょうが、奴らは力尽くでマリーシャ様を捕らえるような輩です。おまけに神官だけあり、呪いや薬の知識に長けています」


 はっと、騎士たちも息を呑んだ。

 やはり、レティシアは神官たちに奪われたのだ。そして大司教に据えるべく、あの手この手を使ってレティシアを懐柔させようとしている。


「……我々は反大司教派の反乱を受けてここに放り込まれました。そして、食料だけは与えられて飼い殺し状態になっています」


 男性は辺りを見回し、深いため息をついた。


「……奴らも、我々を味方に付けたいのでしょう。自分たちの味方に付くならば地上に出してやる、と脅してくるのです」

「靡いてしまった人もいるのですか」

「もちろん。外界に出たいあまりに条件を呑んだ者もいれば、逆に上でのやり方に辛抱できずに異を唱え、その結果新たにここに突き落とされた者もおります」


 きっと日々、地上に出される神官と新しく地下に放り込まれる神官が出てくるのだ。だからこそ、最初セレナたちを見た男性神官もさして驚かなかったのだろう。

 男性神官は肩を落とし、低い天井を見上げた。


「封魔の施されたこの部屋で我々にできることはありません。後は、レティシア様が陥落して大司教に据えられるのを待つしか……」

「でも、そうなっても私たちが自由になれる保証は――」

「ないだろうな」


 言うのは中年騎士。彼は既に落ち着きを取り戻したらしく、周囲をゆったり見回している。


「じたばたしていても仕方がない――こうなったならば潔く、時が来るのを待つしかあるまい」

「時――」

「どのような時なのかは、誰にも分からぬ」


 だが、と中年騎士は静かになった講堂を見回した。


「……ここにいる我らの思いは同じ、そうだろう? となれば、来るべき時に皆で行動を起こし、レティシア様をお救いするのだ。もちろん、囚われの大司教様も」


 しっかりとした声を聞きながら、セレナは俯いた。飼い殺し状態の自分の身も、心配ではある。

 だが、それ以上に気がかりなのが、レティシアのことだ。


 自分の髪に触れると、ごっそり束で引っこ抜かれた場所があった。見たところ、他の皆は髪を引っこ抜かれてはいない。

 セレナだけ、抜かれた。抜いて、きっと使われている。

 レティシアを落とすための材料に。


 セレナはきゅっと唇を噛むしかできなかった。












 しゃきしゃき、と耳の後ろでハサミの音がする。その度にぱらぱらと髪の毛が落ち、レティシアの肩や床にたまっていく。


 鏡に映る自分の顔を、レティシアはぼうっと眺めていた。鏡の中の自分は、真っ赤な目でこちらを見返している。それもそのはずだ。聖都にある鏡は全て解呪の鏡なので、レティシアの本来の色である真っ赤な目が映り込んでいるのだ。

 レティシアの背後で手慣れた仕草で髪を切っているのは、名前も知らない女性神官。彼女は「大司教様に名乗るほどの者ではありません」と頑なに自己紹介を拒絶し、こうして黙ってレティシアの髪にハサミを入れていた。


 大司教就任の儀式を受けるに際し、レティシアはセレナの薦めを受けて髪を切ることにした。どちらかというと伸ばし放題で、枝毛も多いままでは大司教にふさわしくないらしく、解けば腰くらいあった髪をばっさり肩まで切ることになったのだ。

 レティシアは何も言わず、自分の髪が短く切りそろえられるのを見守っていた。髪を切ることに未練はない。何か特別な思いがあって伸ばしていたのではないし、短い方がまとめるのは楽かもしれない。


 女性神官は肩の長さで髪を揃えるとブラシで余分な髪を落とし、トリートメント剤をまんべんなく塗りつけた。いつも飲んでいる紅茶と同じハーブの匂いのするそれは、既にレティシアの鼻に馴染んでいた。


「できましたよ、レティシア様。とてもよくお似合いです」


 女性神官が無表情で褒めてくる。レティシアは立ちあがり、鏡の中の自分をじっくり眺めた。


 頭がものすごく軽い。足元に溜まり、神官たちがせっせと掃除している髪の量を考えると当然なのかもしれないが、とてもすっきりする。首を振ると肩先で髪の先が揺れ、少しだけチクチクする。無節操だった前髪もきちんと整えられ、子どもっぽくない程度に眉の高さで切りそろえられていた。


「ありがとう、すごくすっきりしたよ」

「お褒めに与り光栄です」


 相変わらずの無表情で女性神官は言い、ハサミや櫛を片付けるとさっさと退出していった。掃除係の神官たちも手早く髪を片付け、鏡をしまうと恭しくお辞儀をして出ていく。


「……前々から思っていたけれど、聖都の人ってどうも、そっけないような」


 レティシアが言うと、傍らで豪華な布の束を抱えていたセレナは不思議そうに首を傾げた。


「そうかしら。だってここは聖都で、あなたは次期大司教だもの。畏まるのは当然じゃない」

「そりゃそうだけど……」


 セレナの奇行にも随分慣れた。言動もややセレナらしくないところがあるが、根が真面目だしクインエリアにいるということで緊張もしているのだろう、と自己完結させることにした。なんだか、考えるのも面倒だった。


 短い休憩の後、すぐさまレティシアの着替えが行われた。着付けや髪のセットの際に、セレナはいない。名前も知らない女官たちがやはり無言でレティシアに純白のローブを着せ、短く切りそろえた髪を宝石飾りの髪留めで押さえつけた。


「儀式の手順は分かっているわね」


 廊下を出るとセレナに念押しされる。レティシアはしっかり頷き、この一晩で練習した手順を言った。


「儀式の間に入ったら大神官に挨拶して、杖のある台座まで向かう。そうしたら杖を手に取って、何か――派手な魔法を披露する。できたら杖を戻して皆の前でお辞儀をする。大神官の祝福の言葉を受けたら終わり――だよね?」

「そうよ」

「……何か間違って、杖を持っても魔法が披露できなかったら?」

「そういう心配は無用よ」


 セレナはさっくりと返した。ちなみに彼女は儀式の間までは行かず、廊下で待機するらしく地味なローブ姿のままだった。


 セレナについて、聖堂の廊下を歩く。何度か角を曲がると、ひときわ豪華な扉の前に案内された。扉の脇に女官が控えているだけだが、人々のざわめきは分厚い扉を通してここまで響いてくる。


「……そういえば、伝えていなかったけれども」


 ふいにセレナは振り返り、しばらくぶりの笑顔を浮かべた。


「速報が入ったのよ。クラート様もノルテも、皆無事だって」

「えっ!」


 レティシアは弾かれたように顔を上げた。クラートたちが無事。それはつまり、公国からの脅威に両者とも堪え忍び勝利したということだ。


「……そっか、みんな無事だったんだね」


 ほっと安堵の息が漏れる。よい情報を聞けて、儀式への不安と緊張が少しだけ解れたようだ。

 セレナもそんなレティシアを見、ふっと微笑んだ。


「今後は、あなたは大司教として世を治めていかなければならないわ。大丈夫。私やユーディン様がいるし、クラート様たちもレティシアに従ってくださるわ」


(……ん?)


 ふと、胸の奥に小さな疑問の芽が生えた。今のセレナの言葉に、妙な引っかかりを覚えたのだ。


「……セレナ、クラート様が従うって、それはないでしょ。クラート様は大公だし、私はあくまでも聖都の大司教なんだから」

「あくまでも、ではないわ。大司教は女神信仰を司る。つまり、女神信仰者は全てあなたに従わなければならないのよ」


 戸惑うレティシアを見、セレナの眼差しが厳しくなる。


「レティシア、あなたの気持ちもよく分かる。でも、揺らぎつつある聖都を支えるためには、あなたが確固とした意志を持っていないといけないの」

「それは――そう、それは分かってるよ。でも……」


 口ではセレナに絶対に勝てないことは、ずっと前から分かっていることだった。それでも、ここは引いてはいけないと本能が訴えている。

 靄の掛かる脳みその向こうで、もう一人の自分が叫んでいた。


「大司教になったからって私たちの関係が崩れるわけじゃないでしょ。それに大司教になったら一度、皆で会うって約束したんだし」

「それは、女王になったノルテやクラート様を交えた会談の場のことでしょう?」


(――違う!)


 レティシアの肝が冷えた。自分たちはそんな約束はしていない。

 皆が無事で会おうと。またいつものように友として語り合おうと。そうではなかったか。


 叩扉の音がする。儀式の準備ができたのだ。だがレティシアは一歩も動くことができず、セレナを呆然と見つめるのみだった。

 この半日間自分の脳内を占めていた靄が、すうっと晴れていく。


(そんなはずはない……でも……)


「セレナ……レイドのことはどうするの?」

「どうって、私はあなたついて行くと決めたのよ」


 困惑顔でセレナは言う。この顔はまさに、困ったときのセレナの表情だ。

 だが――


「セレナは――どうしてそこまでして私に付いてきてくれるの?」


 唇を湿して問う。これが、最後の質問だ。


 どうか、レティシアの願い通りに答えてほしい。レティシアは後ろ手に組んだ手に汗を浮かべ、じっとセレナの言葉を待っていた。

 だがセレナはきゅっと眉を寄せ、問答無用で扉を押し開けた。儀式の間にずらりと並ぶ神官たちが、廊下に立つレティシアに注目している。


「――時間がないわ。行きなさい、レティシア」

「セレナ! お願い、答えて!」

「早く!」


 セレナがレティシアの背中を押してくる。だがレティシアは唇を噛んで扉の取っ手にしがみついた。


 神官たちがざわめく。それもそうだろう。今まさに大司教の儀式を受けようとしている少女がドアにしがみつき、お付きの女性魔道士が必死になって彼女を引き剥がそうとしているのだから。


「レティシア!」

「答えて! 答えてくれないと行かない!」


 レティシアはだだっ子のように叫び、意を決して右脚を持ち上げた。


 神官たちの何人かが失望したように頭を抱え、セレナもまた、恥じらいと怒りで顔を赤く染めていた。

 レティシアはまるで猿の子のように、ドアにしがみついたのだ。大司教の威厳も何もない、見ている方が恥ずかしくなるような姿。

 だがレティシアは本気だった。間抜けな姿になりつつも、目の力を失うことなく、まっすぐセレナを睨み付ける。


「セレナ!」


 セレナはひくっと喉を引きつらせる。これ以上レティシアが無様な真似をすれば、セレナも居たたまれなくなる。下手すれば、神官たちの非難を浴びる目に遭うかもしれない。


「っ……そんなの、決まっているでしょう!」


 レティシアの腕を掴み、セレナは声を上げた。







「あなたが大司教だからよ!」







 セレナの声が聖堂をこだました、とたん。神官たちの間に、別のざわめきが生まれた。


 あれほど頑なに拒絶していたレティシアがするりとドアから離れ、ぎょっとするセレナを差し置いてさっさと儀式の間に入ってきた。そして杖が置かれた台座の前に立つ大神官の前まで来て、まっすぐに彼を見上げた。


「大神官殿」


 高齢の大神官は何も言わない。いや、言えないのだろう。

 彼は曲がりきった背筋を震わせ、怯えるようにレティシアを見返すのみだった。


 レティシアは笑う。きっと、このしわくちゃの老人を見下ろす自分の目は、ひどく邪悪に歪んでいただろう。


(あんたたちの言いなりには、ならない)


「私は」


 レティシアは息を吸い、台座に据えられた杖を乱暴に奪い取った。


「大司教には、なりません」


 レティシアが言うと同時に、凄まじい旋風が謁見の間に巻き起こった。

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