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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第6部 碧空の覇者 
179/188

オルドラントの若獅子 6

死亡注意

 レイドは勇ましく剣を抜いたクラートを見、手元の歯抜け状態のブレスレットを見、ふっと苦笑を漏らした。


「随分余裕がおありですね、騎士殿」


 ギャン! と耳元を風刃が駆け抜ける。

 レイドは耳鳴りのする耳にポンポンと手の平を当てつつ、キサを見る。


「……まあな。だが安心しろ。俺はおまえを許すつもりも、生きて帰すつもりもない」

「まあ、物騒なことをおっしゃるのですね」

「それはおまえも同じだろう」


 言い、レイドは脇を見やる。自分の主君は今、呪いによって暴走した元大公とミランダの猛攻をかいくぐり、細身の剣を危なっかしく振るって彼らの足を狙っている。どうやらクラートも、レイドと同じことを考えていたようだ。


 元大公は置いておいて、ミランダに斬りかかる時のクラートの目にも、動揺や躊躇いの色はない。

 レイドは視線をキサに戻し、剣先を彼女の喉に向けた。


「諦めろ。おまえの作戦は最初から穴だらけだ。加えて、おまえのお得意のあの呪いも、既に対処法が見切られている。やるだけ無駄だ」

「魔道士でもない方に言われるとは、さすがに癪ですわね」


 癪だ、と言いながらもどこ吹く風でキサは悠然と返す。


「呪いの対処法が分かったからって、何ですの? わたくしは聖都のためならば、いかなる手を使ってでも使命を遂行致しますわ」

「呪いでしか人を制することができぬとは、聖都の権限はその程度なのか。それでは、三百五十年祭の舞台でクラートを呪ったミシェル・ベルウッドと同類だろう」


 明らかに馬鹿にしきったようなレイドの嘲笑に、さしものキサの表情も揺れた。


「おまえも知っているだろうが、おまえがアバディーンでセレナを呪ったのは、あれは失敗だった。セレナはおまえの読み通り無差別殺戮を行ったが、あいつはレティシアにも斬りかかった。クラートに感謝するんだな。あいつがとっさに飛び出していなかったら、おまえは自分の呪いでレティシアを殺すところだったんだぞ」


 キサの瞳孔が見開かれる。図星だったのだろう、キサは化粧せずとも優美な顔を苦々しく歪めた。


「……本当に、腹立たしい男ですわ。わたくしを動揺させてから交戦するおつもり? クラート大公の騎士は、不意打ちをせねば女一人にも勝てないのでしょうか?」


 先ほどのレイドと全く同じ手法で攻めてくるキサ。だがレイドは鼻を鳴らせ、剣先を煌めかせた。


「ああ、その通りだ。俺もクラートも、箱入りな生活はしていないんでな。勝つためなら手段は選ばない。卑怯と言われようと、騎士の恥と言われようと、それが何だ。クラートが生きるためなら、俺はどんな手だって使う。騎士の名折れと言われようと、おまえを倒す」


 びしびしと溢れるレイドの殺気。それを肌で感じたのか、キサは唇を歪め、自分の背中に掛かっていたマントを鬱陶しそうに外して放り投げると、ゆっくり右手を持ち上げた。


「……どうやらわたくしたちは、似たもの同士らしいわね」

「心外だ。俺はおまえほど腐っていないと自負できる」

「わたくしも同じですわ」


 キサの右手が閃く。と同時にレイドも剣を構えて、大きく振りかぶった。











 浅く斬りつけては跳び、敵の猛攻を避ける。


 元大公が足元にあった木箱の残骸に躓いた瞬間を、クラートは見逃さなかった。ハッ、と短い息をつき、大柄な元大公の体が傾いだ瞬間に身を翻し、手に持つ細身の剣をレイピアのように真っ直ぐ、突き出した。

 クラートの剣先が元大公の喉笛を貫通した確かな手ごたえと、元大公の絶叫。そしてぬるりと手に伝う鮮血が生々しく、指先に感じられる。


 クラートは唇を引き結び、とどめとばかりに剣先を抉るように一回転させた後、元大公の腹部に蹴りを入れた。

 クラートよりも体格のいい元大公はびくびく痙攣しながらゆっくり、仰向けに倒れ込む。と同時に、クラートの前方から跳び上がってきたミランダは、すんでの所で元大公に押し潰されるのを免れた。「運動は嫌い」と言っていたミランダとはかけ離れた反射神経で後ろに跳び、ガラス玉のような目でじっと、クラートを見据えてきた。


 敵は一人は倒れた。残るは、ミランダとキサ。

 かつての同僚と対峙しているというのに、クラートの口元には微笑みが浮かんでいた。今、自分の足元に倒れるのは、祖国の侵略者。大本は断ったのだから、うまくいくはず。


 クラートはすうっと息をつくと表情を引き締め、ミランダの蹴りをかわして転がり込むように瓦礫の山に飛び込んだ。

 バキバキグシャと音を立てながら、木ぎれや天幕の残骸が舞い上がる。クラートは瓦礫の中に右手を突っ込み――腕に木ぎれが刺さり、顔をしかめた。きっと血が出ているだろうが――


「……よし!」


 指先に確かな感触を覚え、クラートはそれを握ると思いっきり引き上げた。と――


「っ……!」


 背中に強烈な激痛が走り、一瞬目の前が真っ白に弾ける。蹈鞴を踏みながらも、手に持った「それ」を手放すことはしない。


 ズキズキ痛む体に鞭打ち、クラートはさっと弓を構えた。限界まで弓弦を引き絞り、矢の先をミランダに向ける。


「……もうちょっとだけ、耐えてくれ!」


 クラートは瞬時に狙いを定め、流れるような動作で矢を放った。










 レイドは、目を細めた。そして、身を翻す。


 目の前のキサが、勝利の色を目に浮かべた。今レイドが立っているのは、不安定な瓦礫の上。キサは真っ直ぐ腕を伸ばし、轟音唸る風刃をレイドの手首目がけて放ったのだ。腕に着けたブレスレットが反応し、バチバチ音を立てながら魔石が弾け飛ぶ。


 そして、最後の一個が弾け、キサの風刃を弾き返したところで魔石の魔力は終わった。

 キサが空中で手を怪しく蠢かせる。同時に、レイドも動いた。


「……終わりよ!」


 キサの指先が印を結ぶ。レイドは瓦礫から跳び上がり、さっと左に体を動かした。それに反応し、キサも体の向きを変える。


 ちょうど、レイドとキサとミランダ、そしてクラートが一直線上に並ぶような形になり――


 ドスッと鈍い音が響く。キサの体が揺れ、彼女の指先に溢れていた光の粒子がぱっと飛び散った。

 何事かとキサが振り返るより早く、レイドは剣を振るった。銀の軌跡が舞い、振り返りかけたキサの体を薙ぎ払う。


 赤い血が飛ぶ。

 空中に円を描きながら鮮血が溢れ、キサはがくんと膝を折ると、瓦礫の山に頭から倒れ込んだ。


 レイドはゆっくり剣を振るって血糊を払い、木ぎれを踏みしめながらキサに近付いた。警戒する必要はなかった。背中にクラートの矢を受け、正面からレイドに切り捨てられたキサは既に事切れていた。カッと見開いた目は虚を見つめ、その右手はレイドの首をへし折ろうとしていたかのように強ばっている。


 レイドはふうっと息をつき、顔を上げた。そしていち早く駆けつけたクラートを追い、ミランダの方へ歩み寄った。










「ミランダ!」


 レイドがキサにとどめを刺したのを見届け、クラートは弓矢を放り出すと倒れるミランダに駆け寄った。キサが死ぬと同時に、ミランダを操っていた呪いも終わった。

 彼女は糸の切れた人形のように倒れ込み、駆けつけたクラートを見てぎこちなく微笑んだ。


「……クラ、ト――終わったの?」

「ああ、終わった。フォルトゥナ公とキサは倒れたんだ!」


 クラートはミランダを助け起こし、その体の冷たさにぞっとした。まだ息があるというのに、彼女の体は支えているこちらが凍えそうなほど、冷たかった。

 寒いわ、とミランダは呟く。


「体の奥が――冷たいの。すごく、寒い……」

「安心してくれ、もう終わったんだ。すぐに衛生兵を……」

「だめよ」


 ミランダははっきりと言い切り、歩み寄ってきたレイドを見、震える息を吐き出した。


「私は……ここで死ぬの。……それで、領民は、救われる……」

「違う! 君は生きるんだ!」

「クラート――いいの。私が、死ねば……諸侯も、あなたの傘下に入る……最初から、そのつもりなの……」

「ミランダ!」

「そこまでだ!」


 第三者の声に、クラートとレイドははっとした。ミランダだけは虚ろな目で、そちらを見やるだけだったが。


 丘の方から駆けてきた、魔道士たち。彼らは目の前の惨状に息を呑み、そして驚愕の眼差しでクラートたちを見下ろしてくる。


「貴様らが、フォルトゥナ公を……」

「そう……彼は負けたの」


 しっかりした声で言い返すのは、ミランダ。彼女はレイドの小さな叱咤の声に耳を貸さず、唇の端から血の筋を流しながら、まっすぐ魔道士たちを見据える。


「……全員降伏を。フォルトゥナ公と――キサ・ウェルキンスは、斃れました。民たちは……救われるのです。全ては――クラート大公が、よく取り計らってくださいます……」

「ミランダ」


 クラートの呟きをかき消す、諸侯たちの驚きの声。皆、魔力を込めていた両手を下ろし、呆然とクラートたちを見つめてきた。


「……終わり、なのですか?」

「はい」


 答えたのはクラート。彼はミランダの体をレイドに託し、立ち上がって胸に手を当てた。


「戦争は終了です。すぐさま、国境の魔道士隊に撤退命令を」


 クラートの言葉に、諸侯たちは安堵の表情を浮かべた。そして振り返ると、背後にいた部下たちにフォルトゥナ公とキサの戦死、戦争の終了と兵の撤退を声高く命じた。


「戦いは終わりだ! クラート大公の勝利! すぐさま終戦条約会議の準備、リデルへの連絡を!」


 彼らは敗戦者の立ち位置になる。だがどの表情も明るい。

 誰も、隣国との戦争を望んではいなかったのだ。


 それはフォルトゥナの魔道士たちも同じだった。

 彼らは主君の敗北に複雑そうな表情ではあるものの、黙って丘を降り、フォルトゥナ公の亡骸を担架で運び上げた。きっと彼らも、祖国の運命をある程度覚悟していたのだろう。

 クラートはほうっと息をつき、振り返って――瞬時に表情を引き締めた。


 レイドの腕に抱えられたミランダ。彼女は目を閉じ、口元には笑顔さえ浮かべて深い眠りに就いていた。今後、一生彼女が目を覚ますことはない。

 ふと、ミランダの顔と二年前の冬に見たロザリンドの顔が重なった。二人とも、静かに眠るように息を引き取った。


「ミランダ――これが、君の望んだ未来だったのか?」


 クラートは呟く。

 ミランダは答えることはなかったが、その口元には変わらない微笑みが、いつまでも残っていた。

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