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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第6部 碧空の覇者 
174/188

オルドラントの若獅子 1

 草原の国オルドラントは国土の大半が平地の草原地帯であり、一年を通して安定した気候を保っていた。真夏になっても、豊かに流れる大河によって暑さは和らぎ、真冬でも通行不可能になるほどの大雪が降ることはない。

 ほどよく暖かい風と肥えた大地は、何世紀経っても変わることのない、オルドラントの宝であった。


 オルドラント公国の公都、ルーシュタイン。

 その中央に構えるオルドラント大公館大公執務室では、金髪の青年が難しい顔で地図を睨め付けていた。自国の地理を描いた地図の隅から隅までに目を滑らせ、ペンの先でコツコツと地図の一角を叩く。


「……やはり東端が、奴らにとっては格好の餌食になってしまうだろうな」


 クラートの呟きに、その場にいた者たちが固い顔で頷いて同意を示す。


「既に報告が入っております。フォルトゥナ軍はリデル王国諸侯を掻き集め、打倒オルドラント公国を掲げて集結していると」


 重い空気の中、口を切ったのはクラートの隣に座っている初老の男性騎士。

 彼は白いものが混じっている頭を振るい、元々厳つい顔をさらに険しく歪めた。


「残念ながら、リデル王国が直接諸侯に呼びかけることは叶いません。なにせ、リデル王国が交戦に応じるのは、領土内で闘争が起きた場合のみ。それ以外では、我々かフォルトゥナかが援軍要請するまで陛下方は動くことができないのです」


 同じリデル王国内の諸侯としては腹立たしい面もあるのだが、この戦争に関する条例は、「聖槍伝説」時代に既に定められていた。

 国王は無駄な争いを避け、一方への肩入れとなる介入をしてはならない。彼らが動いてくれるのは、真っ当に助力を請われた時のみ。加えて、たとえ援軍要請しても、それを受け入れるかどうかは王族の一任ということになる。


「……では、リデル王国の援助なしにフォルトゥナと戦えとおっしゃるのですか」


 そう抗議の声を上げるのは、若い騎士。クラートよりほんのわずか年上といった程度の彼は、苦虫を噛み潰したような表情で初老の騎士に詰め寄る。


「レイジェン子爵、確かにリデル王室の規則にはありますが、相手は魔道士国家。さらに奴らは、リデル王国内の魔道に優れた諸侯も呼び集めているのですよ。魔道士が皆無に等しい我々が、魔道士や魔具もなしにフォルトゥナと対峙するなど、身を捨てに行くようなものです!」


 オルドラントは昔から、魔道士が生まれにくい。詳しい統計は取られていないが、おそらくバルバラ王国に次ぐ魔道士出生率の低さだろう。

 他国から嫁いできた魔道士などがこの国で魔道士の素質を持つ子どもを産むことはあっても、なぜか魔道士の血は数代後には絶えてしまった。きっとオルドラントの気候と大地が、魔道士と波長が合わないのだろう。


 そのため、今この場に集まっている騎士たちの中に魔道士はいない。実を言うとクラートの母はリデル王家の血筋であり、多少ながら魔道の心得があったと言われている。だがオルドラントの運命通り、その子であるクラートには魔道士の素質が微塵も受け継がれなかった。

 クラートは、難しい顔で意見をぶつけ合う騎士たちを見回す。そしてコンコンとペンの先でテーブルを叩いた。


「無論、エドモンド陛下には既に話を通している。皆の考える通り、優秀な魔道士を掻き集めたフォルトゥナ軍と真っ向に戦って、勝てる見込みは限りなく低い。僕だって、不利と分かっている戦場に兵たちを放り込みたくはない。できる限りこちらに有利になるよう、エドモンド陛下にも取り計らっていただくつもりだ」


 ただし、とクラートはペン先を滑らせた。地図の南へ南へと下った先に広がる、草原地帯。


「……僕たちがフォルトゥナの脅威から守るべきなのは、むしろこちらだ。僕の予想では――十七年前と同じく、奴らはまず、ここから侵攻してくるだろう」


 それまで沈黙を守っていたレイドの肩がぴくりと揺れる。そしてゆっくりと面を上げ、整った顔にわずかな苦痛の色を浮かべた。


「……南部遊牧民族。十七年前の約束がある限り、僕たちは草原の牙一族を守らなくてはならない」


 クラートの言葉に若い騎士たちは不服そうな声を上げたが、レイジェン子爵と呼ばれた初老の騎士に睨まれ、彼らはうっと閉口した。


 彼らの言い分も、分からなくはなかった。

 オルドラント公国と草原の牙は、「和解」したことにはなっていた。十七年前、草原の指導者であった青年を前大公ギルバートが討ち取ったことで、草原の牙一族の保護をオルドラント公国が受け持つことになったのだ。


 だがこの変化は、あらゆる者たちの不満も生んだ。一方はオルドラント公国側。もう一方は、草原の牙側。

 公国民たちは、長らく不仲であり近代化を嫌う頭の固い遊牧民族たちを遠巻きにし、草原の牙たちは、何もかも文明の利器や魔道士、魔具に頼るオルドラント公国民を嫌悪していた。草原の牙たちの考えももっともだろう。そもそも、彼らを壊滅的状況に追い込んだのが他ならぬ魔道士であったのだから。


 表面上はギルバート大公の取りなしもあって「和解」しているのだが、公国民も草原の牙も、大半の者は互いを受け入れられていなかった。レイドのように少しずつ考えを改めた者や、元々考えが大らかだった者以外、心の底では異文化の者たちを毛嫌いしているのが現状だった。


 そのような状況下で、フォルトゥナが草原地帯に侵攻してきたら。草原の牙たちは十七年前と同じくプライドを捨てきれず、クラートからの援助をはねつけて今度こそ全滅してしまうかもしれない。公国側も公国側で、草原の牙たちへの援護を快く思わない者も多いことだろう。


「……しかし、草原の牙一族も守るとなると、余計にリデル王国への援軍要請は困難となるのでは?」


 別の若い騎士がしっかりした声で問う。


「我らがオルドラント公国は魔道士こそ生まれにくいものの、魔道士への理解は深く、魔具もあちらこちらで実用化されています。私としても、リデルの魔道士の援護は非常にありがたいのですが、魔道士を引き連れて草原に行くとなると、また悶着が起こるのではないでしょうか」

「……君の言う通り。ほぼ確実に草原の牙たちは反発するだろう」


 言って、クラートは渋面のレイドに視線を移した。


「……レイド、君はオルドラント公国内にいる唯一の草原の牙だ。君の方からも、民たちへ現在の状況と、魔道士の介入を伝えてもらってもいいだろうか」

「……伝えること自体は構わんが、期待はしないでくれ」


 レイドはぶっきらぼうに返した。

 この話し合いが円満に終わるわけがないと、誰もが悟っていた。









 数日後。

 南部草原地帯から帰ってきたレイドは、普段以上に不機嫌な表情でクラートの執務室にやって来た。


「……結果は、君の顔を見れば何となく分かるよ」


 リデル国王への書簡をしたためていたクラートは、ペンを置いてレイドを迎えた。対するレイドは無言でドアを閉め、上着を放り捨てるとどっかりとソファに沈み込んだ。


「……なら、報告は抜きにしても大丈夫か?」

「うーん、レイドは心苦しいだろうけど、一応事の顛末を教えてくれよ」


 レイドは心底嫌そうに顔をしかめたが、最初から報告義務は分かっていたはずだ。

 彼は使用人が淹れた紅茶を無表情で啜り、一口飲んだだけでカップを押しのけると大儀そうに脚を組んだ。


「……話し合いは非常に不毛な展開になった。民の言い分は――そもそも隣国が攻めてくるのは草原の牙ではなく公国側に原因があるはずだ。だから民以外の者が草原に立ち入ることは許さないし、ましてやリデルの魔道士を呼ぶなんてとんでもない。もし敵国が侵略してくるならば今度こそ返り討ちにする、だとさ」

「皆が予想していた通りの反応だったね」

「加えて――奴らは俺がいつまでもクラートの側にいることも気にくわないそうだ。易々と侵略を許してしまうような大公は捨てて、さっさと草原に戻ってこい、だと。で、俺が民の指導者になってフォルトゥナ軍を迎え撃つつもりだそうだ」


 へえ、とクラートは上目遣いにレイドの様子を窺う。


「それで、レイドは何て?」

「無論断った。ギルバート大公への恩義とか、そういうものを抜きにしても俺が草原に戻るメリットは、今は限りなくゼロに近い。そう説明したのだが、まあ酷い言われようだった。裏切り者、ってことだ」


 レイドは冷めきったため息をつき、静かに瞼を下ろした。


「……こうなれば、俺が草原の牙に対してできることはなくなった。あいつらは自力でなんとかするつもりだ。それがあいつらの決めたことなら、それ以上俺が言うことはない。俺はクラートの方に付くのみだ」


 そこまで言い、レイドはソファに深く座り、胸の前で腕を組んで頭を垂れた。


「……悪い。少しだけ休ませてくれ」

「いいけど、寝るなら隣の部屋を使いなよ。ベッドくらい貸すから」


 そう申し出たのだが、既にレイドは静かな寝息を立てていた。レイドの前髪は右側が非常に長いので、クラートの位置から彼の顔を窺うことはできなかった。


 クラートはしばらくペンを持った手をほおに当てて思案した後、ふうっと息をついた。

 レイドの報告はほぼ全て、クラートの予測した通りだった。クラートも最初から、草原の牙一族がこちらの申し出を諾と受け取ってくれるはずがないと分かり切っていた。レイドの旅は困難と不快感極まりなかっただろうが、民たちに今迫り来る脅威を伝えることはできたのだから、全くの無駄足というわけではないだろう。


 それでも――とクラートはペンをインク壺に入れて額に手を当てる。

 草原の牙たちの同意が得られない以上、クラートたちは草原に介入することはできない。魔道士の力を借りて公国のみをガチガチに固め、草原の牙たちが死にゆく姿をぬくぬくと見過ごすことしかできないのだろうか。


 ズキッと胸が痛む。

 こんなこと、父だったら許さないだろう。有能な大公だった父ならば、あの手この手を考え、公国も草原の牙をも守り通すだろう。


 そして――きっと今頃、クインエリアへの旅路に就いているだろうオレンジ色の髪の少女だって、いい顔はしないだろう。苦境に立たされる者たちを見捨てるようなことを、彼女は決して許さないだろう。


「……父上、僕はどうすれば……」


 返事は、レイドの微かな寝息のみだった。

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