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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第6部 碧空の覇者 
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竜姫ノルテ 4

 ぱちぱちと暖炉の火が爆ぜる。

 オリオンは顔を上げた。天井に張り巡らされた木の板は隙間が多く、室内にもちらちらと雪が舞い降りていた。


 ドメティ元大公の来襲から二日。焼けた砦は大半が再建不能となり、一番被害の小さかった倉庫に全員が集まっていた。といっても天井は半分抜け落ち、厩舎や他の建物の壁を剥ぎ取って作った屋根は決して丈夫とは言えない。壁も、煤まみれで焼けており炭の匂いが未だに強く残っていた。


 食料庫が無事だったのは奇跡と言ってよいだろう。この砦を作った先々代ランスター子爵は地下に食料庫を設計していた。頑丈な防火扉もあったので、しばらくの間は飢え死にする心配はなかった。


「オリオン殿」


 今にも外れそうなドアを開けて入ってきたのは、筋肉騎士の一人。修繕作業を終えた直後なのか、ほかほかと汗の蒸気を上げながらやって来た。


「ノルテ様はまだ目覚めないのか」

「……ああ」


 オリオンは手短に答え、ソファに横になる少女を見つめた。


 寝床すら失われた彼らだが、唯一無事だったソファにノルテを寝かせることに何の反論もなかった。目の前で愛竜アンドロメダの首を落とされたノルテは、あのまま失神した。そして丸二日、眠り続けているのだ。

 外は極寒なのに、リデル騎士も竜騎士も、残った毛布を惜しまずにノルテに与えた。そして欠かさず火を焚き、ノルテが目覚めるのを待っているのだ。


 オリオンは浅い呼吸で眠るノルテを見つめた。

 あの時――ノルテは、「姉さん」と呼んだ。実際に目の前で惨殺されたのはアンドロメダなのに、姉の名を。


 きっと、ずっと耐えてきたのだ。アバディーンでもこの砦でも、姉の死を耐えて、耐えて、耐え続けていた。リーダーが暗くなってはならないと、空元気までして。

 だが、彼女は姉の死を乗り切ったわけではない。だからこそ、幼少期からずっと一緒にいるアンドロメダを殺されて我を失ったのだ。


 アンドロメダが殺されたとき、感情の鍵が外れた。姉の死や祖国の危機が一気に溢れ出し、どうしようもならなくなった。


 オリオンは唇を噛む。やはり、無理にでも泣かせるべきだった。ここまで耐えさせるのではなく、姉が死んだ時点で泣いて全てを吐き出させてから元大公に挑ませるべきだった。

 オリオンは、暖炉の火に視線を移した。ぱちん、と木がはぜ、オリオンの顔を煌々と赤く染め上げていた。









 ノルテが目を覚ましたのは、その日の昼過ぎだった。

 ちょうどオリオンは外で片付けをしていたのだが、冬の空を震わせるような絶叫が上がったのだ。


「……お目覚めだな」


 筋肉騎士の一人が額の汗を拭って唸った。


「こりゃあ相当お怒りだろうな……オリオン殿、一人で大丈夫か?」

「任せとけ。むしろ、大勢で行くよりもこっちの方が安全だろうよ」


 オリオンは答え、ぐるぐる肩を回しながら絶叫の止まない砦に戻った。










 倉庫は既に戦争状態だった。

 ボロのドアは既に吹っ飛び、しかも真っ二つに割れている。がしゃんがしゃんと物が飛び交っては割れ、オリオンは自分目がけて飛んできた置物を目の前でキャッチした。


「……荒れてるな、やっぱり」


 ノルテの看病をしていた竜騎士は既に逃走済みだった。それが賢明な判断だっただろう。

 ノルテは今、部屋の中央で雄叫びを上げながら物を取っては投げ、引きちぎっては投げを繰り返していた。先ほどオリオンに向かって置物が飛んできたが、どうやら狙って投げたわけではないようだ。というよりも、ノルテは今、部屋に誰が入ってきたのかも分かっていない。


「……といっても、この部屋を壊されたら俺たちが凍死するし」


 オリオンはふーむと唸った後、飛んでくる物体をひょいひょいと避けてノルテに近付き、その腹に腕を回してひょいっと持ち上げる。


「ほれほれ、ちょっと大人しくしてろ。移動だ移動」


 そのまま、暴れるノルテをぶら下げたまま倉庫を出て、驚き戦く騎士たちの前を通り、廃屋となった離れに向かう。ここにも火炎魔具が置かれていたらしく、修復不能なほど焼けただれているため、騎士たちの姿もなかった。

 オリオンは焼け落ちた離れにぽんっとノルテを放った。


「ほれ、暴れるのを止めろとは言わないから、せめてここでやれ」


 ノルテはしばらくぽかんとしていたが、すぐにまた目を三角に吊り上げると勇ましく吠え、焼けた壁を殴ってテーブルを投げ、床を踏み抜いてを繰り返した。


 オリオンは少し離れたところでそれを眺めていた。止めない方がいいのは、誰だって分かっている。ノルテの気持ちも痛いほど分かるし、今は彼女の気が済み、落ち着くまで暴れさせた方がいいだろう。


「……オリオン殿」


 さくさくと雪を踏みしめる音。振り返ると、黒髪をひとつに束ねた女性竜騎士が歩み寄ってきていた。


「……ユエンか」

「はい。オリオン殿、タニア様のこと、ありがとうございます」

「気にするな。俺は元々嫌われ役だから、これくらいがちょうどいいんだよ」


 そう言ってオリオンは笑った。

 ユエンはそんな彼を意外そうに見つめ、何か言いたそうに口を開いた後、考え直して首を振った。


「……アンドロメダの埋葬が終わりました」

「そうか。ご苦労さん」

「……タニア様のご同意を得られなかったことが気がかりですが……」

「気にするな。あの状態なら無理だし、かといってアンドロメダの遺体を放置するわけにはいかないだろ」


 ひゅん、と二人の脇に焼けこげた柱が飛んできて雪に刺さった。

 オリオンはそれを引っこ抜いて手持ち無沙汰にひょいひょいと放り投げた後、ユエンに尋ねる。


「……無事なドラゴンは何体だ?」

「……それが、たったの二匹で――後の者は例の毒薬で死に絶えました」


 ユエンは唇を噛んで言う。彼女の愛竜も、苦しみ悶えながら死んでいったのだ。

 オリオンは頷き、ノルテに視線を戻した。


「……準備しておいてくれ。ノルテのことだ。何を言い出すか、だいたい予想は付く」


 ユエンはオリオンの言葉を聞き、はっと息を呑んだ後、頷いた。











 ノルテが暴走を止め、やや正気に戻ったのはその日の夕方前。よくもまあ、三時間近くも暴れ続けたものだと感心しつつ、オリオンはノルテに向き直っていた。

 先ほどよりはずっと安定しているらしきノルテだが、ブルーの目は血走っており焦点が定まっていない。ソファに座り、両膝の上に拳を乗せた状態でかれこれ三十分は経過している。


「……で、どうするつもりなんだ?」


 そろそろ聞いてもいいだろう、とオリオンは口を切った。

 この部屋に運ばれてから始終無言だったノルテはオリオンの声に顔を上げ、かさかさに乾いた唇を開いた。


「……あの下衆を殺す」

「うん、まあそう言うだろうとは思ってた」


 さもありなんとばかりにオリオンは頷く。


「で、作戦とかは? おまえも知っているだろうが、あの肉団子元大公の薬で大半のドラゴンは死んだ。かろうじて助かったのもたったの二匹だ。この砦にいる全員を連れて乗り込むことはできないぞ」

「分かってる」


 そう答えるノルテの声は、案外しゃきっとしていた。あれほど絶叫しながら暴れ回っていたのだから、さすがに声は掠れている。だが呂律ははっきりしており、発言に迷いもない。


「……奇襲をかける。少数精鋭で乗り込んで、あいつの首を――アンドロメダと同じ苦しみを味わわせてやるんだ」

「うん、おまえが言うならそれが正しいだろうよ」


 鷹揚に頷くオリオンを見、壁際に立っていたユエンが心配そうに二人の顔を交互に見た。彼女は捨て身としか言いようのないノルテの作戦に、同意しかねているのだろう。たまらず、口を挟んだ。


「……しかしノルテ様。さすがに多勢に無勢、我々の苦戦は目に見えているのではないですか」

「敵陣にいるのが敵ばかりだったらね」


 ノルテはユエンの方を見ようともせずに、淡々と答える。


「この前の、うちの竜騎士たち。見たでしょ? 彼らは不服ながら下衆に従っている――だったら彼らを味方に付ければいいだけの話。竜騎士を始めとしたバルバラ騎士を味方に付ければ、ドメティなんてクソよ。相手は空を飛べないんだから」


 言い切り、ノルテはブルーの目に危険な炎を点した。

 正気とは思えない――復讐の色濃く宿した、残虐な眼差しだった。


「……あいつに思い知らせてやる。わたしは最期まで竜姫。……姉さんの、アンドロメダの敵は、わたしが討つ」

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