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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第1部 黄昏の魔女
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差し伸べられた手 2

 セレナの部屋の総面積は、レティシアの部屋のおおよそ三分の一。

 だがレティシアの部屋が無駄に広く、使わないスペースが多かったこともあり、小ぎれいにまとまったセレナの部屋の方が落ち着きがあって家具の配置具合もちょうどよいと感じられた。動物が好きなのか、壁には猫の絵画が掛けられ、整理棚には熊を始めとした様々な動物のぬいぐるみが鎮座している。


「魔法を生み出すときはどうするって教わった?」


 レティシアはセレナに促され、居間の中央に据えられた木製テーブルソファに腰掛ける。そしてセレナが淹れた紅茶を啜りながら、苦い思い出を回想しつつぼそぼそ答えた。


「……えっと、イメージを思い浮かべて、それから空気中? の魔法の力を集めて……」

「それで理解できた?」

「ちっとも」


 間髪入れず即答するとセレナはなぜか楽しそうに微笑み、自分のカップに茶を注いでレティシアに対座する。


「そうでしょうね。私もあの先生に教わったのだけれど、ちんぷんかんぷんで。あまりにも分かりにくいものだから、古代リデル語でも話しているのかと思ったわ」

「……でも、それでもセレナはきちんと魔法が使えるんでしょ?」


 セレナの魔法を見たことがあるわけではない。だがブロンズマージの称号を得、あの気難しそうなレイドに認められるくらいなのだから、相当の腕前を持っているはずだ。


 脳裏に、これ見よがしに火柱を巻き起こした少年マックスの、いびつににやけた笑顔が浮かんでくる。

 ぎゅっと目を閉ざしてその幻影を打ち払い、レティシアはわずかにセレナに詰め寄った。


「どうすればいいの? 私、いまだに炎ひとつ出せなくって……」

「そうねえ……」


 セレナは俯いて逡巡し、すぐに面を上げて思い出したようにぽんと手を打った。


「そういえばその先生、風の中の魔力とか、魔法の欠片とか言ってなかった?」

「……あー、確かそんなことも」

「あれ、抽象的すぎて分かりにくいのよ。いつもそう。どうしてあんなに捻って解説するのかしら」


 やれやれとばかりに肩をすくめ、セレナは空になった自分のカップを前に押し出した。


「それじゃ、レティシア。今日の課題はこれ。テーブルからカップを浮かせることね」

「うか……?」


 セレナのカップに沈むおりを何気なく眺めていたレティシアは、数秒の後、とんでもないとばかりにぎょっと目を見開いた。


「無理! そんなの無理! だって、炎さえ出せないのに!」

「そうね。でも、順番は関係ないわ。コツさえ掴めば何だってできるんだから」


 おおよそ根拠の感じられない、セレナの励まし。

 だが、なぜだろうか。


 いつぞやの教師が並べ立てた脅し文句よりずっと、セレナの言葉の方が胸に染みこみ、優しく背中を押してくれる。


(きっとセレナなら、私を見捨てない)


 レティシアの眼差しが変わったのを見たのか、セレナは満足そうに笑みを浮かべた。


「よしよし、その顔よ。まずは自信がないと、何だって無理よ」

「自信?」

「そう。要は『これをやりたいんだ!』っていう強い気持ち。例えばね……レイド様のあの長い前髪。あれをちょん切れと、先生に命令されたとします」

「ちょん……」

「でも、きっとどれほど頑張っても、私は風魔法でレイド様の髪を切ることはできない。どれほど念じても風は起きない。それはきっと、私が心の奥で『そんなことしたくない!』って叫んでいるから。私は決して、風魔法は苦手ではないわ。でも、絶対にレイド様の髪を切るなんて暴挙、できないの」


 いろいろと突っ込みたくてうずうずするレティシアを見つめ、セレナは穏やかな笑顔で続ける。


「でもね――もし、今この部屋に悪漢が現れたとする。侵入者はあの窓ガラスを破って剣を振りかざした。立ち向かわないとレティシアが殺されてしまう。もしそういう場面に遭遇したら私は――迷いなく、その侵入者を風刃で切り刻むわ」


 セレナの指が閃き、ひゅん、と風を切る音が耳に届いた。セレナが起こした魔法の風刃はセレナの前髪を微かに揺らせ、すぐに消滅する。

 レティシアは小さく息をのみ、冗談の色のないセレナの顔をまじまじと見返す。


「どうしてだか分かる? それは本気か、本気じゃないかの違い。人は窮地に立つと、誰かに助けを求めることが多い。たとえ、助けが来る見込みが全くなくてもね。それと同じ。本気になれば、魔法は強い力を持つ。助けてほしい、力を貸してほしいと願えば、魔法は力を与えてくれるの」


 セレナの話の趣旨が掴め、レティシアは目を瞬かせる。


「それじゃあ……力を引き出すとか、欠片を掴むとか、そういうことよりも……魔法を使うための力を分けてほしいって願う方がいいんだ! それこそ、空気や大地に宿る魔力に対して……」

「そう、これが私の捻り出した自分なりの魔法理論。そもそも魔法の理論に正解も不正解もないんだけどね。人それぞれの解釈があるのよ」


 目を見開くレティシアを見つめ、セレナは言う。


「魔法は無感情な物質ではないわ。魔道士はその力に縋ることができ、非魔道士はその力が見えないだけ。初めのうちは謙虚な気持ちで、心を落ち着かせて、お願いする方針でいくといいわ。ゆっくりと呼吸をし、風の流れに身を任せる……支配するのではなく、友として隣に立つ。この世界の自然を味方に付けることが、一番の近道だと思うの。まあ、聞くより動け。習うより慣れろ、ね。早速やってみましょう、風の魔法。少しでもカップを浮かせられたら合格よ」


 レティシアはごくっと唾を飲み、先ほどからうずうずと出番を待っていたセレナのカップに視線を落とした。

 カップの底の澱屑は既に乾燥し、何かの糞のように固まりかけていた。


 目を閉じて、授業で習ったようにカップに向かって両手を突き出す。なぜかカップよりもその底に溜まった澱屑の方が印象に残り、暗い脳裏に茶滓ばかりが浮かび上がってくる。


 レティシアはものを浮かせたい。

 テーブルからカップを浮かせたい。


 不思議と、魔法の授業で感じたような焦燥感や苛立ちは掘り起こされなかった。

 それは、優しく指導してくれるセレナのおかげなのか、はたまた自分がちょっぴり大人になったからなのか。


 あの日に感じた屈辱感を二度と味わいたくない。

 両親から受け継いだという魔力を、花開かせたい。


(そのための力が、ほしい)


 ふと、体が軽くなったような感触を覚える。

 耳元を心地よい風が流れ、体が温かくなる。

 閉め切った部屋に、風が吹くはずがないのに。


「――あらら。これは……」


 調子外れなセレナの声がし、レティシアはわずかな期待を胸にはっとして目を開ける。

 ――だが。


(……やっぱり)


 目の前に相変わらず鎮座するカップを見て一気にレティシアの期待は一気に萎んだが、なぜかセレナは目を輝かせ、テーブルから身を乗り出して両手でレティシアの手を握った。


「すごいじゃない! まさかこうなるとは思わなかったけど……」

「な、何が?」


 セレナは「カップが少しでも浮けば合格」と言った。だがカップが浮いた形跡はないし、先ほどの位置から微動だにしていない。

 手を掴んで揺すぶられながら、レティシアはトーンの落ちた声で言う。


「失敗……したじゃない。ほら、ちっとも動いてない」

「ええ、カップはね」


 にこにこ笑顔のセレナ。

 彼女の言いたいことが分からず、レティシアはきょとんとして彼女の顔を見、そして手元のカップを覗き込み……。


「……あれ? 澱屑がなくなってるよ」


 先ほどから気になっていた紅茶の屑。糞のようだと思っていたそれがなくなっている。

 まさか、と恐る恐る目線を上げると、いまだ満面の笑みを浮かべてレティシアの頭上を指さすセレナ。上目遣いのまま、部屋の天井を見上げてみると――


 ぽてっ、と何かが鼻の先に落ちた。わずかに湿り気の残る、何か。

 自分の顔に落下したゴミ屑を拾うレティシアを見、セレナはぱちぱちと拍手した。


「おめでとう! あなたはカップじゃなくて澱屑を浮かしたのよ! それも、天井すれすれまで!」

「……あ、そうなの?」


 手の中で萎びた茶滓を見つめながらレティシアは呆然と言う。

 先ほどセレナに示されて天井を見上げると、ふよふよと空中に浮かぶ黒い物体が目に入ったのだ。その正体が分かったとたん、澱屑は支えの糸が切れたかのように重力に従って落下し、ちょうどレティシアの鼻先に着地した。


「……でも、これって成功になるの?」

「成功か失敗かと言われると、成功ね」


 セレナはレティシアが摘んでいた茶滓を摘み取り、右手の親指と人差し指で擦り潰しながら言う。


「あなたは目を閉ざしていたから分からなかったのでしょうけれど、さっき澱を浮かせたとき、あなたの体を金色の粒子が包み込んでいたわ。人それぞれで色の違う魔道の気配。あなたはきちんと、それを呼び起こしていたのよ」

「え、そうなの?」


 言われてみれば十二歳クラス最初の日、マックスが炎を放つ際に彼の体も淡いオレンジ色に光っていた。あの粒子は、魔法を発動する際に生じるものだったのだ。


「そうよ。金色は珍しいけれど、色は体を表す。魔道士の誰もが自分の魔法の色を持っていて、魔法を発動させるときにはそれが空気中ににじみ出るのよ――ほら」


 澱を完全に粉に潰したセレナの指が閃く。と同時に彼女の体から溢れ出るように淡い黄色の光が舞い、その指先に小さな炎が灯った。

 拳一つ分くらいの小さな火炎玉だが、涙形の炎は静かに燃え、熱気を浴びたセレナの顔がゆらゆらと歪んで見える。


「私の魔法の色は薄い黄色。レティシアのより少し淡い色をしているわ」


 確かに、今もまだ微かに放たれるセレナの魔法はマックスのそれよりずっと量が多く、色鮮やかだった。ベールのような霧を纏うセレナの姿は、天上の女神か何かのようだ。


「この光を纏って魔法を放てたのだから、基本はばっちり。なんとなく、魔法を使ったときの感覚も分かってきたでしょう?」

「……そうだね。なんだか体が軽くなって、風が吹いたように思えて……」

「そう。――でも一発でうまくいくのなら、レティシアはきっとそもそも魔道の才能は高い方なのね。今まで能力を開花させる機会がなかっただけで」


 ロザリンドも、セフィア城へ来る前の馬車内でレティシアの潜在魔力について云々説明していた。出生時の検査では相当高い反応を示したとか。


 思い返せばそのとき、ロザリンドはレティシアの魔法能力について説明しながらも「よく分からない」と言葉を濁していた。それを思い出すとなんとなく、ロザリンドはレティシアの魔法成績が芳しくない理由を知っているように思われてきた。それを口にするのが憚られて言い澱んだのではないか。


 だがレティシアにロザリンドの真意を読み取る能力はなく、目の前で解説するセレナの言葉を聞いていると、その疑問もあっという間に霧消してしまった。


「レティシアに必要なのは――やる気と、時間と、制御力ね」

「制御って……どーいうこと?」


 前者ふたつはともかく、制御力、にレティシアは興味を引かれて問い返す。


「やっぱり、制御力が足らないと危険になったりするの?」

「そうよ。いくら魔力が豊富で魔道の気を察知する能力に長けていても、うまく操れなかったら使い物にならない。それどころか、危険にすらなりうるのよ」


 そこで一旦口を切り、どこか言いにくそうにセレナは声を潜める。


「……昇格試験でも、魔法制御力は採点基準になるの。いくら強力な魔法を操れても、定められた場所に炎を起こせなかったり、自分で起こした風を収められなかったり――そういう場合は問答無用で落とされるの。制御力については個人の性格や気性も関係するから、歳を取れば取るほど矯正は困難になるわ」


 セレナの説明を受け、脳裏をかすめたのは遠征で一緒になった年かさの女性魔道士たちの姿。

 二十歳を過ぎてもスティールマージになれないのは何か原因があるのだろうかと漠然とは思っていたのだが、おそらく彼女らは実力に対して制御力が伴っていなかったのだろう。

 高慢な性格の魔道士が放った炎もまた高慢になる。彼女らは侍従魔道士として誰かに仕えられる謙虚さがなく、ライトマージのまま足踏みしているということなのか。


「でも、レティシアの場合はただ単に初心者なだけ。きちんと魔法の原理は掴めたようだから、落ち着いて正確に魔法を放てるようにすればいいわ」


 レティシアを安心させるように微笑み、さて、とセレナはソファから腰を上げた。


「それじゃ、次の練習ね。魔法はまた次回にしましょう」

「もう? 今日はもう終わり?」


 レティシアとしては今し方注意を受けたところを改善させ、もう一度魔法に挑戦したいのだが。

 セレナは肩をすくめ、紅茶セットをテーブルの脇に押しのけた。


「残念ながらね。魔法は思ったよりも体力を使うから。レティシアみたいに出だしから走りすぎると、自分でも気付かないうちに体力を消耗するのよ。まだ大丈夫、まだいけると思って連発していると、立ち上がったときにばったり倒れてしまうの。場合によっては数日寝込むことにもなるわ」


 うっ、とレティシアは答えに詰まる。魔法をもっと使いたいのは山々だが、今の状態ではセレナの介助なしでは何もできない。それに、倒れてしまえば後が辛くなるだけだ。

 レティシアが了解したのを見、セレナはふっと表情を和らげた。


「……さあ、別の勉強をしましょう……ドレスを着た際のターンとステップの方法だったかしら?」

「あ、うん。野生の熊みたいな歩き方を直しなさいって言われてて……」

「よし、じゃあまずは立ち方からね。のんびりまったりやっていきましょ」


 言葉の通り、のんびりまったり言うセレナ。

 ソファから立ち、セレナに手を取られて直立不動の姿勢を取りながら、レティシアの胸は言い様のない満足感に満たされていた。


 大丈夫。必ずうまくいく。

 セレナの優しい手が、レティシアの背をしっかり押してくれていた。

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