竜姫ノルテ 3
火の手が上がったのは一箇所だけではなかった。元大公は火の魔具を大量に持ち込んでいたようだ。
宿舎、倉庫、納屋――至る所から炎が吹き出し、黒い煙を上げていた。
砦から騎士たちが駆けだし、厩舎からは雄叫びを上げながらドラゴンたちが飛び出してくる。ドラゴンは炎や寒さに強い鱗を持っているが、さすがに動揺しているのか、乗り手たちになだめられても興奮冷めずイライラと尾を振ったり、意味もなく飛び上がったりしている。
ノルテは桐の箱を筋肉騎士の一人に預け、燃え上がる砦を唇を噛んで見つめていた。魔力を原動力とする炎は、水や砂では消火できない。魔道士のいないノルテたちは、負傷者を出さないよう全員で屋外に非難し、燃える砦をただただ見つめるしかできなかった。
ごおっと音を立てて、砦の尖塔が崩れる。厩舎が燃え落ち、熱風と火炎を受けてノルテの髪が揺れる。
「……いやはや、予想以上に燃えたな」
上空から降ってくる、調子外れに明るい声。ノルテは雪を踏みしめてゆっくり振り返り、空を見上げた。
ドメティ元大公一行は既にドラゴンに乗っており、バルバラの竜騎士たちののど元にナイフを当てて笑っていた。竜騎士たちは全員青い顔で、年若い少女竜騎士などは今にも泣きそうな顔で手綱を操っている。
バサバサと近付いてくる羽音。ノルテは唇を噛んで、さっと跳び上がった。
アンドロメダが地上すれすれを滑空し、ノルテを背に乗せてそのまま舞い上がる。ノルテとアンドロメダは空中を旋回し、元大公の前で停止した。
「……感想はどうかな、王女殿下?」
「むかつく。すっげーむかつくわ」
ペッと唾を吐いてノルテは言い捨て、静かに腰の剣を抜く。
「あんたの何もかもが許せない。姉さんの敵、取らせてもらうわ」
「実に威勢のよろしいことだ。だが――ご存じかな? 私はバルバラ王国では英雄と讃えられているのだよ」
元大公の言葉に、ノルテはドキッと胸を鳴らせた。
嫌な予感が、胸の奥で鎌首をもたげて唸っている。
「……あんたが英雄?」
「そうとも。原因不明の病に冒されたドラゴンが、私が持っていた薬で命拾いしたのだ。国中で同じ病気が発症し、ドラゴンたちは私のおかげで助かったと言われている」
「は? そんなの、あんたがそもそも原因なんでしょうが。毒薬と解毒剤を両方持ってきて、恩を売ろうとしたんじゃないの」
怒りを込めたノルテの言葉に、元大公は意外そうに眉を上げた。
「おや、王女殿下は聡明なようだな――だが、国外に出ることのないバルバラ国民は皆、私を英雄と讃え奉っている。下手すれば、放蕩王女よりもずっと、民の支持を得ていることだろう」
「今だけよ。民も、いずれあんたの企みに気付く。そもそも、わたしがあんたを叩きのめすのが先よ」
「それを、私が許すとでも?」
元大公は唇の端を吊り上げて笑い、懐に手を突っ込むとぽい、と手の中の物を地上に放り投げた。
「何……!」
ノルテがぎょっと目を見開いた直後、地上で元大公の放った玉が弾けた。白い煙がもうもうと立ち上がり、あちこちでドラゴンたちの悲鳴が上がる。
ノルテは恐怖で歯の根を震わせた。やはり、ノルテの予測は当たっていた。
元大公は、この方法でバルバラ王国を混乱に貶めたのだ。
「貴様ぁっ!」
ノルテの怒りを受けたアンドロメダが咆哮し、翼を折りたたんで突っ込んだ。狙いは、一行の先頭にいる元大公の首。
ノルテの銀刃が唸り、悠然と笑う元大公を射程に入れた。
だが――
それまで無表情でドラゴンを操っていた竜騎士が顔を上げ、さっと剣を抜いた。
ガキン、と音を立ててノルテの剣を打ち払い、竜騎士はドラゴンを操って滑空し、元大公を乗せたままノルテと距離を取った。
ノルテは取り落としそうになった剣を慌てて掴み直し、今自分の剣を払った竜騎士を呆然と見た。
「カーマイン……」
「タニア様……」
若い男性竜騎士は剣を収め、ヘルメットの下で苦々しく唇を噛んだ。
「……申し訳ありません、タニア様」
「暴行は止めた方がよろしいぞ、王女殿下。彼らにも守るべき家族がいるのだからな」
飄々と元大公が言い、ノルテは事の次第を悟った。
彼らは元大公に逆らえないのだ。元大公がノルテに討たれるのを傍観していたら、国にいる自分たちの家族に危害が及ぶ。だから彼らは黙って元大公に従い、嫌がる愛竜を操ってドメティの騎士たちを背に乗せているのだ。
剣を持つノルテの腕がだらりと下がる。地上では、ドラゴンたちの苦悶の声と、仲間たちの悲鳴が。愛竜の名を叫ぶ竜騎士たち。発狂するドラゴンを押さえつけようとする騎士たち。
手の平にねっとりとした汗が溢れる。ノルテを嘲笑う元大公と、悶え苦しむドラゴンたち。身動きの取れない竜騎士たち。
「タニア王女」
そっと、囁くように言う元大公。すい、とカーマインのドラゴンが滑空し、アンドロメダの直前で停止した。
「最後の忠告だ。バルバラ王国を救いたいならば、私に従え」
「っ……断る!」
ノルテが吠えると同時に、アンドロメダも威嚇するように唸った。カーマインのドラゴンが小さく唸り、わずかにアンドロメダと距離を置く。
ドラゴンの中にも序列がある。王家姉妹の愛竜であるカルティケーヤとアンドロメダは別格で、両方とも雌ドラゴンで小柄だが、国中のドラゴンは彼女らに逆らえないのだ。
元大公はドラゴンたちがアンドロメダの威嚇に威圧されたのを見て、チッと舌打ちした。そして、背後にいたドメティ騎士を振り返り見る。
「……王女のドラゴンを……」
皆まで言う前に、その騎士を乗せたドラゴンがさっと飛び上がる。ドラゴンがアンドロメダの斜め手前を滑空した直後、ドメティ騎士が立ちあがり、手に持っていた物体を持ち上げた。黒光りする筒のようなそれを、アンドロメダに向ける。
ノルテが息を呑んでアンドロメダに旋回を命じたが、遅かった。
バシュ、と音を立てて騎士の持つ筒から、紐状の物が噴出される。長い鎖のようなそれは過たず、アンドロメダの右側の翼に巻きついた。
とたん、がくんとアンドロメダの体が重心を失い、体の右側を下にしてずるずると落下しだした。
「アンドロメダ!」
アンドロメダは必死に翼をばたつかせるが、謎の黒い鎖が巻きついた右側の翼はぴくりとも動かない。それどころか、まるでその翼に鉛の重りが付いたかのように、体を傾けて落ちていく。
ノルテは剣を放り出し、ひっくり返った声を上げてアンドロメダにしがみつくしかできなかった。この高さで落下すれば、命はない。
「アンドロ……!」
アンドロメダが苦悶の声を上げる。必死に動かしていた左の翼がふっと力を失い、そのまま重力に従って落下する。
ぐしゃ、とバキ、の中間のような鈍い音と共に、アンドロメダの巨体が雪の上に落下した。
「うあっ……!」
地面に衝突直前でノルテの体が放り出され、アンドロメダの直後、ノルテの体もぼすっと雪の中に埋まった。
「ノルテ!」
さくさくと雪を踏みしめてオリオンが駆け寄り、腰から落下したノルテの腕を引いて雪の中から引き上げる。白い雪の粉を纏わせてノルテは立ちあがり、そして腰の痛みに呻いてまた、雪の中に膝を突いた。
「ってぇ……」
「ノルテ、無事か?」
「わ、わたしよりも……!」
ノルテは顔を上げ、そして愕然とした。
白い煙が晴れた地上には、ドラゴンたちが転がっていた。大半のドラゴンは死に絶え、かろうじて息があるものもゼイゼイ息をつき、竜騎士たちに介抱されていた。
ノルテたちから少し離れたところにアンドロメダが横たわっていた。両翼は妙な位置に折れ曲がり、太い尾もだらりと雪の上に伸びている。
「アンドロメダ!」
オリオンの肩に掴まってノルテが再び立ち上がった直後、すいっとドラゴンが舞い降り、元大公が優雅に着地した。そして虫の息のアンドロメダを見、泣き崩れる竜騎士たちを見、ひょいと首を傾げた。
「酷い有様ですな、王女殿下」
「っ……貴様がしたんだろうがっ!」
ノルテが吠え、そして目を剥くとごほっと噎せた。
「ノルテ!」
急ぎオリオンがノルテの体を抱き起こす。ノルテはごほごほ咳き込んだ後、自分の手の平が真っ赤になっていることに気付いた。先ほど落下した際に内臓もやられたのだ。
元大公はそんなノルテを遠目に見、そして同じように着陸したドメティ騎士を連れてゆっくり、歩きだした。翼を折って動けないアンドロメダの元へと。
「っ……やめろ……!」
元大公が何をしようとしているのか、ノルテは悟った。
そして、震える足に鞭を打って駆け寄ろうと前進する。
「やめて……その子は、わたしの……」
「だめだ、ノルテ!」
ふらふら歩きだすノルテ。
オリオンはそんな彼女の肩を掴むが、ノルテはその手を払いのけてアンドロメダに駆け寄った。
「やめて……!」
ドメティ騎士がアンドロメダを取り囲む。ぎらりと日光を浴びて輝く、幅広の大剣。
ノルテの悲鳴を受け、アンドロメダが瞼を開けた。そして自分に向かって剣を振り下ろそうとする騎士を蛇の目で睨み付け、いきなり立ち上がった。
剣を持っていた騎士はぎょっと目を見開き、アンドロメダはすかさず首を捻って咆哮すると、その騎士ののど元に噛みついた。
「うぐあっ!」
ゴリッと音がして、首の骨が砕かれる。血飛沫を巻き上げながら騎士の体が倒れ、牙を血で染めたアンドロメダが鎌首をもたげ、騎士の遺体を蹴り飛ばす。
そこから先は、ノルテの目にはスローモーションのように映った。
突然暴れたアンドロメダに驚き戦く騎士たち。血を吹き出して雪の上に落下するドメティ騎士の遺体。何事か叫ぶ元大公。オリオンの絶叫。
雪中に埋まっていた大剣を、誰かが持ち上げる。騎士たちがアンドロメダを拘束し、押さえつける。銀刃が、煌めく。
――ゴトン、と転がるアンドロメダの首。根元からすっぱり切られたドラゴンの首が雪に埋まり、青黒い血が噴き出す。
ドメティ騎士の歓声。虚ろに虚空を見つめるアンドロメダの双眸。これ見よがしにアンドロメダの体に剣を突き立てるドメティ騎士たち。
すっと、ノルテの目から光が消えた。オリオンが駆け寄り、ノルテの肩を抱く。
「ノルテ」
「う……あ……」
「しっかりしろ、ノルテ!」
「あ、ああ……あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
耳を劈くノルテの絶叫。
目を剥き、髪を逆立てて天に向かって咆哮する少女竜騎士。
「いや、いやぁ! あああっ、やああぁぁぁぁ!」
「ノルテっ!」
たまらず、オリオンはノルテの体を正面から抱きしめた。ノルテは自分を抱きしめる者が誰なのか気付かないのか、目を剥いて絶叫しながらオリオンの背に爪を立てた。ギギッと尖った爪がオリオンの肩に食い込んで、もう片方の手はオリオンの首の後ろに中指の爪を突き立てた。
首筋にちりりとした痛みを感じ、オリオンはわずかに眉を寄せた。きっと皮膚を裂かれて血が出ているだろうが、この少女の心の痛みに比べれば何てことない。
「あ、あああ……いや、やだ、やめて……!」
「ノルテ……」
「しな、ないで……やだあっ、ねえさ……」
ガクガクと泡を吹きながら叫ぶノルテ。ずきっとオリオンの胸が痛む。
いつの間にか、ドメティ一行は再びドラゴンの背に戻っていた。
元大公は自我を失ったノルテを見下ろし、ふっと鼻で笑う。
「勇ましいことだ……だが、ドラゴンを喪った竜姫に勝ち目はなかろう」
そして、ドラゴンたちはすいっと旋回した。絶望ばかりが広がる雪の大地にノルテたちを残し、元大公たちは北の空へと飛び去っていった。
オリオンはそんなドラゴンの姿を真っ直ぐ見、ノルテの頭を撫でていた。ノルテは、気絶していた。充血した目を見開き、オリオンの皮膚に爪を食い込ませたまま。
蹴散らかされた雪の砦付近には、毒薬を浴びて息絶えたドラゴンたちの骸と、首を切断されたアンドロメダ、そして嘆き悲しむ騎士たちが残されていた。




