それぞれの想いを胸に 4
「……オリオン様、レイド様。もう隠す必要もないでしょう。皆、気付いていることです」
静かな声で告げるのは、レイドの隣でじっとしていたセレナ。
すかさず隣のレイドが眉をひそめるが、セレナはそんな恋人には視線を寄越さず、まっすぐクラートを見ている。
「……ここで確認しておきましょう。フォルトゥナ公国に荷担すると思われる、もう一つの諸侯の名です」
「セレナ……」
「……腹を括るっきゃないな」
最初に白旗を挙げたのはノルテ。ソファにずりずりと座り込み、気だるそうに手を上げる。
「言いなよ、セレナ。これが最終確認だ」
セレナはこっくり頷き、他の男性陣も渋々頷いたのを見て、手を伸ばした。
彼女のほっそりした指が示すのは、王都アバディーンとフォルトゥナの中間部、セフィア城地区に隣接した場所。
「……エステス伯爵領。優秀な魔道士を代々輩出するここは、間違いなくフォルトゥナの手に落ちると見ていいでしょう」
最終宣告をするセレナ。それは、レティシアも気付いていたことだった。
(ミランダ……)
エステス伯爵家令嬢、ミランダ。病に伏せっている父のためにセフィア城を卒業した彼女は、「近いうちに爵位を継ぐかもしれない」と口にしていたではないか。
(私たちの敵になってしまうの……? フォルトゥナ大公の言葉に乗って、クラート様と敵対してしまうの……?)
豊かな黒髪を靡かせて笑うミランダの顔が思い出される。いつも背筋を伸ばして、真っ直ぐ前を見据えていたミランダ。
もう、一緒にお茶をして話に花を咲かせることはできないのだろうか。
互いの考えを整理させるようにしばらく沈黙が流れた後、「セレナの言う通りだな」とクラートは伏せていた瞼を開いた。
「エステス伯爵は、今後僕たちの敵と見て間違いではない。レティシア、君もそのことを覚えていてくれ」
「……はい」
「……各諸侯の動向も踏まえ、路程を確認しよう。先ほども言ったように、クインエリアまでの道のりは長く、しかも道中も油断することはできない。エドモンド王に護衛を頼んだ方がいいだろう」
「……そうですね」
前回のクインエリアの旅は馬車の御者を頼むだけだったが、今回は状況が状況なだけに、長旅初心者がふらりと王都から出て無事に目的地にたどり着けるのか知れたものではない。
しかも今、レティシアは身分が公にばれている。大司教の娘となると、ろくに護衛も付けず旅に出ろという方が鬼畜だ。
レティシアはソファの上で膝を抱え、クインエリアまでの道のりを想像してみた。
「やっぱり、夜盗に襲われた時用に騎士は付けたいですね。後は、魔道士でしょうか。……聖都の神官も魔道士ですし、何かあったときに頼りにしたいです」
「他には? 護衛の性格とか」
「……できるなら気軽に話ができる人がほしいですね。魔法の知識があって、年上の人とか」
「男性より女性がいいかな?」
「そうですね。女の人の方がこっちも安心できますし……」
そこまで言い、はたとレティシアは言葉を止めた。クラートが聞くままに答えていたのだが――
(……それって、当てはまる人が身近にいるような……)
たらり、と頬に冷や汗を感じつつ、努めて「そちら」を見ないようにする。見ないようにしているが、左頬にチクチクと視線を感じる。
案の定、なんだ、とノルテがにこにこ笑った。
「じゃあセレナがぴったりだね。ほら、魔道士で年上で女性で、魔法の知識もたっぷりだよ?」
「そうだね。リデル兵ばかりだとレティシアも気負うだろうし、親しい人が近くにいると安心だよね」
クラートまでにこやかに笑っている。そして、レティシアは事の次第を悟ってがっくり肩を落とした。
(嵌められたっ……!)
単純なレティシアはクラートの誘導尋問に華麗に引っかかり、見事セレナを釣り上げてしまったのだ。
当の本人であるセレナも、あらま、とわざとらしく口元に手を当てた。
「私でいいのだったら、喜んで同行するわよ?」
「いや、そんな必要ないから!」
思わずレティシアは反射的に大声を上げてしまった。
クインエリアへの道中は決して楽な旅ではないし、聖都に着いてからも、セレナの身の安全は確保できない。場合によっては、マリーシャのように捕縛されるかもしれないのだ。
見知らぬリデル兵だから雑に扱っていい、とは思わない。それでも、避けられるならば――親しい人が傷ついてほしくなかった。
その一心でレティシアは言ったのだが、とたんに静かな冷気がレティシアを包んだ。
「……不服なのか?」
ひやりとした声は、レイドから発せられていた。
彼はしょぼんとしたセレナを抱き寄せ、今にも噛みつかんばかりの勢いでレティシアを睨み付けていた。
「随分贅沢を言う口だな。おまえの望んだ結果だろう。それとも――何だ。こいつではまだ不満だと言うのか?」
「ふ、不満だなんて!」
慌てて弁解するが、口の中で舌がもつれる。
レイドが殺気を放つのは今に始まったことではないが、実は正面向かって敵意を向けられたのは今回が初めてだった。今までは、レイドに射殺さんばかりに睨まれる他人を、脇から見ている立場だったのだ。
静かな怒りに燃える灰色の目に睨まれると、まさに蛇に睨まれたカエル状態。
「セレナが嫌とか、そういうのじゃなくって――だって、相手は聖都の神官だよ! 無事に帰ってこれるか分からないのに……」
「今更ね。それはとっくに覚悟の上よ」
セレナは微笑む。そして、手を伸ばして縮こまるレティシアの右手を優しく撫でた。
「それに、ノルテもクラート様も皆、ご自分の目的のために困難に立ち向かわれる――それはあなたも同じよ、レティシア。目的が聖都破壊にしろ悪玉神官の駆逐にしろ、あなたが決めたことならどこまでもやり遂げればいい。そして私も、あなたに着いていくわ」
(いや、そこまでは言ってないけど……)
突っ込みは心の中だけに留めておき、レティシアは真っ直ぐなセレナの視線から逃れるように顔を背けた。
「……私は、セレナに守られるような立場じゃないよ」
「馬鹿ね。私は、あなたが次期大司教候補だから守るんじゃないのよ」
そしてセレナは、顔を上げたレティシアに微笑みかけた。
「……友だちだからでしょ?」
友だちだから。
だから守ってくれる。
レティシアが迷わないよう、手を引いてくれる。
こうして、冷えきった手を取って暖めてくれる。
「セレナ……」
「あなたが何と言おうと、着いていくわ。道中馬車から放り出されようと、這ってでも追いかけるわよ」
「そ、それは……いや、そうならないようにするよ」
「ありがとう」
セレナは笑う。彼女の隣のレイドも、拗ねたように視線を反らせていた。
(……ごめんなさい、レイド隊長。あなたの恋人、お借りします)
心の中で謝り、レティシアも自然とセレナに微笑み返した。
その後、クラートはレイドと共にオルドラントに帰ることが決まり、ノルテの旅には――なんと、オリオンが着いていくことになった。
意外なことに、オリオンの自薦である。
「おまえはいつ見ても危なっかしいからなぁ、リデルの兵に無理難題押しつけたり開口一番大公を殴り飛ばしたりしないよう、見といてやるよ」
いつも通りの口調で言うオリオンだが、ノルテはレティシアたちの予想を裏切って二つ返事で了解した。
「いいよ。ただしあまりにも働きが悪かったら、途中で空から投げ落とすから」
「そりゃあ、さすがの俺でも痛い目にあうからやめてくれ」
「まあ、せいぜいノルテさんの足を引っぱらないようにね」
ノルテは胸を張ってフンと鼻を鳴らし、偉そうに脚を組んだ。
「ただ、わたしたちは全員無事で再会しなくちゃならないんだから、あんたを無下にすることはできないのよ。つーわけで、ノルテさんが満足するような結果を出してよね」
「……はいはい」
ちなみに――
オリオンが「やっぱノルテはノルテだな」と頭をぼりぼり掻き、他の面々が今後の予定を確認し合う中、「ありがとう」とぽつりとノルテが呟いたのは、レティシアの中だけの秘密にしておくことにした。




