それぞれの想いを胸に 1
冬の月の半ば。大陸南部の温暖地帯以外の地域が雪に包まれるこの季節、リデル王国首都アバディーンもまっさらな雪に覆われていた。
馬車道や大通りの隅には雪の中でも馬車や通行人が通れるよう、熱風を吹き出す魔具が据えられている。定期的に温かい風を吹き出す魔具の周囲は雪が解け、雪解け水は絶妙な角度で傾いたレンガ道を滑って側溝に流れてゆく。湿った路上もすぐに魔具が乾かしてくれるため、馬車が水たまりに足を取られることもなかった。
レティシアは窓の外に目をやって、移りゆく王都の景色を眺めていた。去年の今頃は、ディレン隊の仕事でアバディーンに来ていた。あの時にセレナやノルテと一緒に買いものして街を回ったのが、遠い思い出に感じられた。
少なくとも今は、思い出話に花を咲かせられるような状況ではなかった。レティシアと一緒に馬車に乗る三人は、皆貝のように口を閉ざしている。会話がないわけではなく、何となく気まずかったのだ。
――十数日前、ノルテの姉であるバルバラ女王崩御の知らせが届いた。そして悲しみに浸る間もなく、リデル国王エドモンドから招集が掛かった。呼ばれたのは、レティシアたち四人とオルドラントにいるクラートとレイド。今後について相談したいとのことだった。
クインエリア大司教の娘であるレティシア、バルバラ王国次期女王ノルテ、オルドラント大公クラートはともかく、後の者は遠慮しつつではあるがそれぞれ出発の準備をした。特にセレナは最後まで、自分も行っていいのかと戸惑っていた。
訪問二度目のアバディーン王城を懐かしむ間もなく、レティシアたちは謁見の間へ案内された。当然と言えば当然だが、城の者たちは皆、レティシアたち一行に敬意を払ってきた。もちろん、平民のセレナ二対しても例外ではなかった。
「オルドラント大公と専属騎士はすでにお待ちです」
侍従が言い、レティシアたちは謁見の前に通された。
見上げるほどの大扉が内側から開けられ、ノルテを先頭にして四人は扉をくぐった。真っ赤な絨毯と、ステンドグラスが張り巡らされた壁面。天井には楽園を描いたフレスコ画が広がっており、全て見るにはのどを反らせないといけない。
ブーツが埋まってしまいそうなくらいふかふかな絨毯を踏みしめ、ノルテについてレティシアは歩く。不思議と、緊張はしない。それは、周りに信頼できる仲間たちがいるからか。壇上で待っているエドモンド王が微笑んでいるからか。彼の隣でティエラ王女が力強く頷いてくれたからなのか。それとも――
一足先に入室していた金髪の青年が振り返る。しばらくぶりに見る彼は、レティシアの記憶の中の彼よりもずっと大人びていて、顔つきも精悍になっている。
その目元が緩み、手袋の嵌められた手が差し出される。
「……久しぶり、レティシア」
「クラート様」
声が掠れる。嬉しいからなのか、ようやっと訪れた緊張のためなのか。
レティシアはその手を取り、クラートの横に立った。ノルテは真顔で、クラートを挟んでレティシアと反対側に立つ。オリオンはノルテの後ろに控え、レイドとセレナは一瞬だけ互いに視線を合わせた後、それぞれクラートとレティシアの後ろに付いた。
玉座に座るエドモンド王は穏やかな眼差しで六人を見つめ、隣のティエラと視線を合わせる。王女は頷き、一歩前に出た。
「皆様、今日は遠路遙々来てくださってありがとうございます。固くならず、気を楽になさってください」
王太子として、ティエラ王女が今回の場を取り仕切るのだろう。
ティエラ王女と会うのも一年ぶりになるが、穏やかな眼差しはそのまま、黒い瞳には理知的な光を讃えている。艶やかな黒髪を結い上げ、シンプルなクリーム色のドレスを羽織っている。
だが彼女が纏うマントは赤地に金糸が縫い込まれており、胸元には王太子の証であるバッジが留められていた。この一年間で、ティエラ王女も王太子としての勉強を続けてきたのだろう。立ち居振る舞いも洗練されているようだ。
王女に言われた通り、六人は肩の力を抜いた。一行を代表して、クラートが前に出てティエラ王女の手を取る。
「国王陛下と王太子殿下におかれましては、ご健勝のことと存じます」
「こちらこそ、クラート大公」
ティエラは微笑み、クラートが手の甲に口付けることを許した。
レティシアはそんなクラートを、真っ直ぐ見つめていた。ティエラに口付けたからといって嫉妬心は芽生えない。手の甲へのキスが貴族の挨拶ということくらい、レティシアも知っていた。
「あなた方のおかげでわたくしたちも無事に日々過ごせています。夫と息子も、是非あなた方にお会いしたいと申しておりました」
そこまで言い、ティエラ王女はふっと表情を改めた。クラートが列に戻り、レティシアも固唾を呑んでティエラ王女の言葉を待つ。
「……この度はオルドラント大公ギルバート殿、並びにバルバラ王国女王ティカ陛下が志半ばでお亡くなりになったこと、心からお悔やみと哀悼を申し上げます。クラート殿とタニア殿のご心労を思うと、わたくしも胸が痛くなる思いです」
「……お言葉ありがとうございます」
ノルテが固い口調で言う。それを聞き、レティシアは少しだけほっとした。アバディーンへの旅の最中も始終無言だったノルテだが、今は眼差しもしっかりしている。
隣でクラートも頭を垂れた。
「殿下のご厚意に感謝致します」
「かまいません。今後一層の多忙に見舞われるのは、あなた方ですから」
ティエラ王女は祖父を見、一言二言言葉を交わしてから一行に向き直った。
「……あなた方に知っていただかなければならないことがあります。リデル三大諸侯のフォルトゥナ大公とドメティ大公が二日前をもちまして、正式に大公位を放棄致しました」
「何っ……!」
真っ先に声を上げたのは誰だったか。
誰も知り得ていなかった情報に、さしものレイドやノルテも動揺したように視線を彷徨わせる。
「……大公位放棄となると、彼らの身分はどうなるのですか」
冷静にクラートが問うが、その拳が震えてるのにレティシアは気付いた。
ここが国王と王太子の御前でなければ、その手を握ってあげるのだが――
「大公位返上とは例を見ない事件です。彼らの意図はともかく、今後私どもとの関わりが変化することとなるでしょう」
「クラート大公のおっしゃる通り。大公位を失った彼らは――我々リデル王国の範疇から外れることになります」
静かに告げられたティエラ王女の言葉に、レティシアははっとした。
今までフォルトゥナ公国とドメティ公国はリデル三大諸侯だからこそ、リデル王国には逆らえなかった。また、リデルと関わりと持つ諸国への介入も足踏みされ、結果として小国やリデル王国内の爵位保持者が守られてきたと言っていいのだ。
そんな二人が大公位を返上する。つまり彼らは独立して、リデル王国の戒律から逃れることができる。
(じゃあ、堂々とオルドラントに侵攻したりできてしまう……?)
レティシアの推測は当たっていた。というよりも、この場にいる誰もが同じことを考えていた。
「皆様もお察しだと思いますが、事実フォルトゥナとドメティは独立したことになります。リデルの法律では、爵位付与や昇格には当然わたくしたちの承認が必要ですが、放棄に関しては我々が介入することはできません。そもそも歴史を鑑みても、爵位を自ら捨てるという例は見られませんから」
「……では、フォルトゥナとドメティはなぜ独立したのですか」
鋭くノルテが突っ込む。彼女の目に迷いはない。
「大公位を失うとなれば、リデル王国からの庇護や権利、全て捨てることになります。逆に言えば、両大公はリデルから手を切って失うものよりも、手を切ることで得られるものが多いからこそ大公位を放棄したとわたしは思うのですけれど」
物怖じしないノルテの言い方にレティシアやセレナはぎょっとしたが、エドモンド国王は気にした様子もなく――むしろ「よくぞ言ってくれました」とばかりに頷いた。
「タニア王女の推測は決して間違ってはいないだろう。というのも、フォルトゥナ公もドメティ公も、放棄理由は述べなかった。しかし私もティエラも、タニア王女と同じことを考えておる」
謁見の間にひやりとした空気が流れる。
「……今回の二大公の大公位返上について、引っかかる点は二つです」
ティエラ王女は言い、ほっそりした指を二本立てた。
「ひとつは先ほどもタニア様がおっしゃった、二大公が大公位放棄した理由――ひいては彼らの目的。三大諸侯から外れた以上、わたくしたちが直接手を下すことも可能です。そして二つ目は、二大公が同時に放棄したということです」
「……二人がグルってことですか」
思わずレティシアは言う。だが隣のクラートははっとして振り向き、玉座のエドモンド王は首を傾げた。
言ってしまってから、レティシアは自分の失言に気付いてさあっと青ざめた。
(しまった……国王陛下に「グル」なんか言っても、伝わるはずない……!)
後ろからツンツンとセレナに促され、レティシアは慌てて訂正を入れる。
「あ、あの、すみません。つまり、二人の大公が共――そう、共謀しているのではないか、ということです」
(セレナ、背中文字ありがとう……!)
こっそり言葉を教えてくれた友人に感謝していると、ティエラ王女は微かに顔をしかめた。
「……そう、レティシアと同じことをわたくしたちも予想しております。フォルトゥナ公とドメティ公の仲はそれほど親密だったわけではありません。しかし同時に大公位放棄するということは、二人が共謀しているということ。おそらく二者の行動は異なるでしょうが」
「ドメティ公は今、バルバラにいるのですよね」
ノルテが言う。以前姉が送ってきた暗号混じりの手紙のことを言っているのだろう。
ティエラ王女は頷く。
「そうです。長らく領地を空けており――しかしドメティ領にはドメティの兵はもちろん、フォルトゥナの魔道兵も駐屯しております」
「ドメティ公がバルバラを籠絡する間、自分の領地は手を組んだフォルトゥナ公に預けているということですね」
クラートの言葉に、「わたくしはそう考えています」とティエラは返した。
「今後の対策を練らねばなりません。とりわけ今は、新大公が立って間もないオルドラント、そして女王陛下が崩御なさり、ドメティ公が不審滞在しているバルバラ、さらに――」
そこでティエラ王女は真っ直ぐ、レティシアを見つめた。
「――揺らぎつつある聖都クインエリア。この三点を抑えねばなりません」
ティエラ王女の視線を受け止め、レティシアは唾を呑んだ。既に口の中はカラカラに乾いている。
だから、ティエラ王女はこの場にレティシアも呼んだのだ。いずれ、レティシアがクインエリアの動乱に巻き込まれることも予測して。
「両諸侯の行動には細心の注意を払わなければなりません。そしてもし、彼らの手がリデル王国に伸びるならば、躊躇うことなく応戦致します」
つまり、二人の元大公の動きによっては戦争が起こりかねないということ。
レティシアはちらと、隣の二人を見た。若くして国を背負う運命を辿った友人たちを。
(それに、私も……)
レティシアの運命を決める時も、静かに、だが確実に近付いているのだった。




