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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第6部 碧空の覇者 
158/188

揺れ動く大陸 1

 わああっと歓声が上がる。万歳三唱する者、胴上げする者。

 喜び浮かれる者がいれば、通知書を握りしめて涙を堪える者もいる。彼らは歓喜に浸る者たちを見ていられないようで、闇に紛れて速やかに去っていった。


 レティシアは、そっと自分の背中に手を回した。つるりとした滑らかな感触。真新しい絹のマントは手触りがよく、燃え立つ赤銅色がレティシアの胸にも炎を点してくれる。


 赤銅色のマントは、ブロンズ階級の証。

 本日、レティシアは冬の昇格試験に合格した。魔道士団長から手ずから授けられたブロンズのマントは、まだ体に馴染んでいない。通知書には「合格」の字が記されており、レティシアの身なりもブロンズマージのそれだが、心はまだ未熟なスティールマージのままふわふわと漂っているかのようだ。


「待ってたよ、レティ!」


 合格発表を受けたその足で、テラスへ向かう。受験生でごった返すテラスには、既に友人たちが席を取っていてくれた。緑色の髪の大男オリオンが非常に目立つので、レティシアは真っ直ぐそちらに向かってノルテの強烈な祝福を受けた。


「ぐっふ……ノルテ、胃の中身が出てくる……」


 腹部にタックルを受けてレティシアは一瞬よろめくが、ノルテは気にした様子もなく満面の笑みでレティシアの胸に頬ずりする。


「やったやった! レティならやると思ったよー!」

「そんな……みんなのおかげだって」

「ばーか、今日くらい謙遜せずに胸を張れよ」


 オリオンが陽気に言い、レティシアの腕を引いて席に座らせた。すぐさまセレナがポットに湯を入れ、熱い紅茶を淹れてくれる。


「オリオン様のおっしゃる通りよ。レティシアは本当によく頑張ったもの。十七歳でブロンズなら十分すぎるくらいだわ」

「レティ、試験の直後は結構落ち込んでたよね」


 ノルテが大きな目を瞬かせて聞いてきて、レティシアは苦笑を返した。


 ノルテの言う通り、二日前の試験直後はかなり精神的にも弱っていた。事前に教師陣からあれこれ注意は受けていたが、スティールマージ昇格の時よりもずっと難度が高く、採点基準も厳しい。礼儀作法でわずかに左足を引くのが遅かったとき、試験官が採点表にシャッと音を立てて線を引いたため、それだけでかなりプレッシャーを受けてしまったのだ。


(私って、結構あがり性なのかな)


 今年の春の「聖槍伝説」の劇では緊張を最小限にして役に挑むことができた。だが今回は「しくじった」と自分でも思う箇所が多く、一度集中力に綻びが生まれるとその後の試験でもずるずると引きずってしまった。スティールマージ昇格の時はわりと試験官もにこやかだったので、余計に今回あがってしまったのかもしれない。

 恐る恐る、手元の成績表を見てみる。


「……何だ、そう言いながら全部評価六以上じゃないか」


 横からオリオンが首を伸ばしてきて大声で言う。試験の評価は十段階で、合格基準は七、八割と言われている。


 レティシアの今回の結果は、魔道実技とダンス、乗馬はかなり高い評価をもらえている。実技はそもそも苦手ではなくなったし、体を動かす系は最初こそきつかったが、慣れてしまうとさほど練習せずともマスターできた。オリオンも、乗馬の練習には何度か付き合ってくれたのだ。


「悪かったのは……へえ、詩歌か」

「レイドと同じだな」

「レティ、詩歌苦手なの?」

「苦手というか……」


 レティシアは言葉を濁す。ブロンズマージ昇格試験では、詩歌の創作が課題だった。お題として提示された詩は中間部がぽっかり削られていて、歌の前後を見てふさわしいフレーズを創作して読み上げるというものだった。


 去年、レイドの詩歌の出来の悲惨さを聞いていたレティシアだったが、自分もレイドを馬鹿にできる立場ではないことを痛感した。

 しどろもどろにフレーズを入れ、読み上げる間試験官は始終無言だった。そして非常に複雑な顔をしてレティシアを送り出したのだ。


「私って詩歌の才能ないんだろうな」

「まあ、感性ってのは人それぞれだからな」


 慰めるようにオリオンが言う。ちなみにこの筋肉青年、頭の中まで筋肉が詰まっていそうだが、なかなか博識で詩歌の才能も高いのだ。さすがブルーレイン男爵家といったところだろうか。


「レティシアのセンスと試験官のセンスが合わなかったんだよ、きっと」

「私、せっかくジャガイモとタマネギの相性について心を込めて歌ったのに……」


 しばし、沈黙が流れる。

 レティシアはテーブルに突っ伏していたため、その他三人の何とも言えない、「かわいそうなものを見る目」に気付かずに済んだ。


「……それは……」

「セレナ、突っ込みは不要だとノルテさんは思うよ」

「……そうね」


 セレナは真顔で紅茶を啜り、オリオンは笑いを耐えるように顔を背け、肉厚な肩を震わせている。ノルテはそんなオリオンの脇に蹴りを入れ、ぽんぽんと慰めるようにその肩を叩く。

 昇格試験合格発表の夜は、賑やかに更けていった。












「レティ、ちょっといい?」


 レティシアがブロンズマージ昇格試験に合格した数日後。冬の盛りが間近に迫ってきた今日この頃。

 廊下で背後から声を掛けられて、レティシアは慌てて目元を擦った。


 ここ数日、夜寝る時間を割いてクラートのための魔具を作っていた。そのため目が腫れぼったく、今朝は半刻かけて目の上を冷やす羽目になったのだ。友人たちは夜更かしをよしとしない主義の者が多いので、こそこそと夜中に作業していることは皆には内緒にしていたのだ。

 スタスタと歩み寄ってくるのは、何かと鋭いノルテ。彼女の顔つきが厳しいので、ひょっとしたら夜更かしに気付かれたかと身構えるレティシアだったが。


「……そんな固くならなくても、取って食ったりしないよ」


 ノルテはひょいっと片眉を上げて言い、それからふいに真剣な目になった。


「……時間もらっていい?」

「……今?」

「うん。少し……皆に相談したい案件が出てきたの」











 レティシアは、いつになく真剣な横顔のノルテについて、渡り廊下を歩いた。二人は女子棟に入り、数十日ぶり――秋の月の上旬にノルテが爆発寸前になった日以来ごぶさただった、ノルテの部屋に向かった。そこには既に、オリオンとセレナの姿もあった。


「ありがと、セレナ。木偶の坊を呼んでくれたね」

「俺のことかよ」


 「木偶の坊」扱いされて唇を尖らせるオリオンを無視し、レティシアに席を勧めるノルテ。

 レティシアは素直にノルテに従いつつ、こくりと固唾を呑んだ。何となく、このメンバーを見ただけでノルテの用事が分かる気がする。


(絶対、いい案件じゃないよね)


 セレナがお茶を淹れ、テーブルを囲む。しばらく続き部屋にいたノルテが出てきて、テーブルの中央に封筒を置いた。


「早速本題だけど――これね、うちの姉さんからの手紙。さっき届いたの」

「お姉さんから?」


 首を傾げるセレナ。慕っている姉からの手紙にしてはノルテの表情は晴れない。ノルテは硬い表情で便箋を取り出して、レティシアに渡す。


「悪いけど読んでみて。で、後で感想を聞くわ」


 詩歌の授業みたいだな、と思いつつレティシアは便箋を開く。バルバラ王国女王はさすがに達筆で、読みやすい。

 レティシアは目の高さに便箋を持ち上げ、後の二人にも聞こえるように読み上げた。


「ノルテ、元気にしていますか。姉さんは元気にしています。セフィア城の騎士団で日々頑張っていると、手紙を読みました。よいお友だちもできたようで、私も嬉しいです。バルバラの近況なのですが、冬の盛りはやはり厳しかったです。現在ドメティ公国の大公殿がおいでになっています。互いに学び合うことも多く、非常に有意義です」

「何、よりによってドメティの腹黒ジジイが?」


 オリオンが声を上げ、あからさまに不快そうな顔になる。


「……それって嫌な予感はするけどな、だってあの大公は――」


 隣のセレナがシッと制止したため、オリオンは慌てて居住まいを正して咳払いした。


「……悪い、続けてくれレティシア」

「―近頃は他国の勢力も強まっています。私はバルバラの慣習に則って今後もバルバラを治めていきたいのですが、是非あなたの意見も聞きたいのです。加えて、国民ももうしばらくあなたの姿を見ていないため恋しく思っていることでしょう。勉強で忙しいでしょうが、一度バルバラに戻ってきてください。たまには訓練も忘れ、姉妹水入らずの時間を過ごしませんか? 良い返事を待ってます。あなたの姉、ルルト・ユベルチャより」


 そう長くはない文面を読み上げて、乾いた唇を紅茶で湿してからレティシアは顔を上げる。


「……この手紙が問題?」

「まーね。ただこの字は間違いなく姉さんのものだし、言葉遣いも不自然じゃないよ」


 ふーん、とセレナが顎に手を当てる。


「……ドメティ大公、というのが匂いそうね。王国で何が起きたのか分からないけれど、女王陛下は大公に何か弱みを握られて、脅されて書いているとか……」

「だとしたら、真っ先に大公が内容を読むだろ」


 オリオンが鋭く突っ込んだ。


「あの手この手で、隠し暗号がないか確認するに決まってる。逆に言うと、よしんば大公が裏で手を引いていても、この手紙は無害だと判断されたんだろうよ」


 レティシアもオリオンの言うことに頷いてみせた。この手紙はティカ女王が書き、一度ノルテが読んだ。それにしては、紙がくたびれているのだ。きっと女王が書いた後、多数の人間が回し読みしてチェックしたのだろう。とすれば、セレナやオリオンの予想が当たっていることになる。

 ノルテも、皆の意見を聞いてゆっくり頷く。


「だろうね。てかわたしは、この手紙の暗号読めたから」

「やっぱり暗号あったの?」


 三人が思わず身を乗り出すと、ノルテは頷いてもう一枚の紙を取り出した。それは姉からの手紙の複製版だった。ノルテは「印字魔具って便利よねー」と呟きながら、荒削りの鉛筆を出す。


「うちの王家だけが使うすっごい特殊な読み方だから、いろいろ端折って読み方だけ言うよ。まず、姉さんはこの手紙を青いペンで書いてるでしょ」


 三人は同時に頷く。手紙は公文書で使われるような黒でも深いコバルトでもなく、秋の空を彷彿させるような明るいブルーのインクで書かれていた。


「この時点で、暗号の読み方が明示されてるの。ペンのインクの色で読み方が決まるってこと。で、明るい青色の場合は……」


 シャッシャッと鉛筆を走らせるノルテ。姉の記した文字をいくつか丸で囲み、星座のようにそれらを繋げ合わせる。丸と線の形を見ても三人には全くピンと来ないが、ノルテには線の軌跡が読めているのだろう。ためらうことなく線を増やしていく。


 線と線の交差部分を塗りつぶし、さらに空白の部分を二分割し――最後の作業を終えたノルテは、ふうっと息をついて体を起こした。既に手紙は鉛筆の跡で黒っぽくなっているが、これほど線を引いても塗りつぶされなかった箇所がいくつか、浮き出ている。

 オリオンがおおっと野太い声を上げる。


「もしや、これがおまえの姉さんの残した暗号か?」

「わたしはそう思っている」


 鉛筆を置き、ノルテは固い声で手紙を読み上げた。鉛筆で潰されなかった場所だけを、拾い上げながら。


「……き、けん……大公……国……ね、らう……もど、る……な」


 危険。大公国狙う。戻るな。


(それって……)


 どくどくと心臓が脈打つ。冬だというのに汗で滑る手をローブで拭い、レティシアはノルテを見上げる。


「……ひょっとして、女王陛下は……」

「きっと、みんなが思ってる通りのことが起きたのよ」


 震えるレティシアの声とは対照的に、姉と祖国の危機というのにノルテは落ち着き払っている。


「姉さんは大公に捕まった――どんな手かは知らないけど、あの気丈な姉さんが陥落したんだ。えげつない方法に決まってる。で、大公はセフィア城にいるわたしをおびき出すつもりなんでしょうね。姉さんの言う通り、国を狙っているのならわたしの存在は相当邪魔でしょうから。これでも、王位継承権一位だから」

「……でも、ノルテは帰らないのね」


 ゆっくりセレナが問うと、ノルテはしばしの沈黙の後、頷いてとんとんと姉の手紙を指で叩く。


「……こっちが姉さんの本心だもの。帰るなと言われたなら帰らない。今の状態は――奇遇にもレティと同じよ。バルバラに帰らない方がいい。わたしの存在は、姉さんの意志を崩してしまう。バルバラ王族の生き残りが二人ともいれば、両方とも潰しに掛かるでしょうからね。でも、セフィア城にいたらドメティ大公も手出しはできない。だから戻るなって姉さんは言ってるのよ」


 セフィア城、リデル王国という守られた場所で、期を待たなければならない。

 だが、ノルテが待つべき「期」は――


「……無礼を承知で聞くが、ノルテ」


 腕を組んで渋面でソファに座るオリオンが言う。


「おまえはもう気付いているだろうが――おまえが動くべき時ってのは、つまり女王が追いつめられたとき。王女であるおまえがバルバラに戻ってこず、大公が痺れを切らしたときだろう」


 ノルテはゆっくりオリオンを見、目を伏せた。彼女も、今後の展開は重々理解しているのだろう。


「……そうよ。大公は何としてでも、バルバラ国内で決着を付けるつもりなの。だからわたしが動かないとなると――取る手はひとつ」


 女王の殺害。


 誰もが同じ答えに達していた。レティシアは唇を噛む。

 レティシアがティカ女王に会ったのは、アバディーンのティエラ王女王太子就任式の時のみだ。凛としており、大人の女性の美しさと聡明さを兼ね合わせた細身の女性。それでいて、強い光を目に湛えた女傑。


 ドメティ大公は、その女王を籠絡した。だがいつまでも女王の妹が帰ってこないとなると、どうしても王女が戻ってこなければならない理由を作るだろう。

 手っ取り早いのが、女王の死。


 君主を失ったバルバラは、ノルテを次の女王にと望むに決まっている。大公の魔の手は間違いなく、女王になるべく戻ってきたノルテに伸びるだろう。

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