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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第6部 碧空の覇者 
156/188

女王の運命 4

残酷な表現注意

 ドメティの兵が剣を抜いたのと同時に、とぐろを巻いていたカルティケーヤが跳ね起き、ティカの前に躍り出て牙をむき出しにして唸る。翼を広げて身を低くし、目をカッと見開いて咆哮する。


 竜騎士たちも剣の柄に手を掛け、ピューッと高い口笛を鳴らせた。瞬時に謁見の間の天井付近にぽっかり空いていた穴から、黒い影がいくつも飛び込んできた。

 牙を剥いて唸りながら降下する、ドラゴンたち。彼らは床すれすれを滑空し、ひらりと背に乗ってきた主を乗せて再び舞い上がる。

 謁見の間を二分割して対峙する、竜騎士とドメティの兵士。鍛え上げた騎士といえど、空中から見下ろしてくる竜騎士の威力に圧倒されているらしく、全員で大公を守るように立ち、天井に剣先を向けている。


「女王陛下に手を掛けるつもりか……愚かな!」


 ふわり、とティカの横にヴォミが舞い降りる。彼女はティカに護身用の剣を渡し、怒りに燃える緑の目で大公を睨め付けた。


「貴様らの目的は最初からそれだったのか!」

「物騒なことを……私は、女王陛下を傷つけるつもりはありませんよ」


 大公の物言いは、こんな場でも平然としており口調もゆったりしている。その安穏さが逆に、ティカの不安をかき立てた。


「私は女王陛下と縁を結び、ドメティとバルバラの同盟を結ぶことができればそれだけでいいのです。これ以上ない好機を自ら棒に振った、女王陛下の失態でしょう」

「陛下を愚弄するかっ!」


 ヴォミが叫び、その声と同時に一斉に竜騎士たちが動いた。


 それまでは女王を守るように上空で立ちふさがっていたドラゴンたちが一斉に翼を折りたたみ、ドメティ兵の群れに突っ込んでくる。

 竜騎士用の剣は、細くて長い。鋭く尖ったレイピアの先が、まっすぐ大公を捉えていた。

 剣を胸に抱き、カルティケーヤの背に身を預けていたティカは、ヴォミの後ろで固唾を呑んで見守っていたが――びくっと、身を震わせた。


 大公が、笑った。迫り来る竜騎士を前にして、物怖じすることなく――むしろ、好機とばかりに顔を歪めている。


「いけません! 引きなさい!」


 ティカが叫んだのと、大公が袖の内側から小さな丸いものを出し、地面にぶつけたのはほぼ同時だった。

 一瞬で、ドメティ軍を白い霧が包み込んだ。ノルテが菓子作りで厨房を粉まみれにしたときによく似ている白い粉がもうもうと舞い、先頭の竜騎士が霧の中に突入した。

 直後――


 耳を劈き、バルバラ王城を揺るがすような絶叫が上がる。カルティケーヤがカッと牙を剥き、さしものヴォミもびくっと身を震わせる。

 苦しげな咆哮の後、どさりと大きな物体が床に打ち付けられる音。それだけで何が起きたのか、竜騎士たちは悟った。彼らを乗せるドラゴンも大きく身を震わせ、そして――


 ギャアッ、とドラゴンが苦悶の声を上げる。驚愕する竜騎士を乗せたまま、ドラゴンは空中でのたうち回って身を捩り、そのまま床に落下した。


「何……!」


 ティカが立ちあがり、ヴォミも蒼白な顔で唇を震わせる。空中にいたドラゴンたちは次々に苦しみながら落下し、謁見の間にドラゴンの巨体が床に倒れ伏す音、落下の際に骨折した竜騎士の悲鳴の後、ドラゴンがゴボッと巨大な血の塊を吐く音が響いた。


「っ……! カルティケーヤ、シュエルイザ! 逃げなさい!」


 ティカのとっさの命令を受け、ティカのドラゴンとヴォミのドラゴンが翼を広げて舞い上がった。


 だが天井すれすれでヴォミのドラゴン――シュエルイザが動きを止め、低く唸った後、ガアッと叫んで苦しみだした。翼をばたつかせ、手足をがむしゃらに振り回す。口の端が裂けんばかりに絶叫し、首を捻らせながら落ちてくる。


「シュエルイザ!」


 ヴォミが悲痛な叫びを挙げ、カルティケーヤが戸惑ったように空中で停止するが。


「止まるな! 行きなさい、カルティケーヤ!」


 喉も裂けんばかりのティカの絶叫を受け、カルティケーヤは長い尾を引いて天井の穴から外に飛び出した。


 直後、ヴォミのすぐ前にシュエルイザが落下する。天井間近の位置から落下したため、ドラゴンの巨体の墜落を受けてティカとヴォミの体が跳ねる。バキバキとタイル床が割れ、長い首を不気味な位置で曲げたシュエルイザがさらけ出された。


 シュエルイザだけではない。徐々に晴れてゆく白い霧の中から、床に横たわったドラゴンと竜騎士の姿が現れた。

 ティカの脚が震える。ティカはシュエルイザの亡骸に縋り付くヴォミの脇を通り、悲惨な謁見の間を歩きだす。


 ドラゴンは全て、死んでいた。びくびくと痙攣した後、人間の赤ん坊の頭ほどある血塊を吐き、床を青黒い血で染め上げている。

 ティカの纏うドレスが、濃い青色に染められていく。ドラゴンの血に染まるのも厭わず、ティカは唇を噛んで歩く。竜騎士は、何名かは呻き声を上げながら立ち上がろうとしているが、落下の際に首の骨を折った者もいる。


 ぐったりと横たわったまま動かないのは、真っ先に突撃した竜騎士。ヘルメットが外れ、艶やかな黒髪とまだ幼さ残る娘の顔が露わになっている。彼女は落下してドラゴンに押し潰されたようだ。愛竜の下敷きになっており、唇の端から血の泡が吹き出ている。

 血まみれのドラゴンと竜騎士で埋め尽くされた謁見の間。その中央に佇む大公は、小さな玉を目の高さに持ち上げ、ふーむと唸っていた。


「さすが、としか言い様のない出来だな。魔道士の力、やはりすさまじい」

「……なぜ、ドラゴンを……」


 しっかりしないといけないのに。味方が全員戦えない今、自分が大公に立ち向かわなければならないのに。

 ――震えが、止まらない。


「ご覧の通りですよ、女王陛下。リデルの魔道士制作の、ドラゴン専用毒薬。人間には無害だったでしょう?」


 けろりとして言う大公。確かに、苦しんで死んだのはドラゴンだけで、ドメティの兵も大公もピンピンしている。人体には影響がなく、ドラゴンだけ殺せる劇薬なのだろう。

 ティカの拳が震える。


「……なんという、残酷なことを!」

「それは違います。女王陛下、あなたご自身が選んだ結果です」


 先ほどと同じようなことを言う大公。前回は、冷静になれた。大切な相棒も側にいたし、ヴォミたちが守ってくれた。


 だが今は。

 大公の言葉がぐさりと心に刺さる。ティカが選んだ結果。バルバラの習慣を守り、ドメティ大公との縁談を断る。

 ――そしてその結果、魔道の前に敗れ去る。


「女王陛下、もうお気付きになってもよいでしょう」


 ドメティ大公は一歩前進し――爪先に、金属製のヘルメットが当たった。先ほど真っ先に命を散らしたドラゴンの乗り手の持ち物だ。大公は怪訝な顔でそれを蹴り飛ばした。ヘルメットはころころ転がり、絶命したドラゴンの腹に当たる。


「私はこれからバルバラに起こりうるだろう未来を、ほんの少しお見せしただけです。あの劇薬がひとつだけとは、まさかお思いではないでしょう」


 さて、と大公はもったいぶって首を捻るそぶりをする。


「……そろそろ頃合いでしょうか。ああ、申し忘れましたがこの毒薬、いろいろな形状のものがありまして。中には――そうですね、時限式で発動するものもあったのですよ」


 大公の言ったことを、ティカは頭の中で反芻する。彼が言わんとすることを察するまでに、時間は掛からなかった。


「……まさか、国中にその毒薬を蒔いたのですか……」

「ご名答。ここ数日、国のあちこちに足を運んだ甲斐があったというものです。早いものであれば、今日中に効果を発揮するでしょう」


 まるで明日の天気でも言っているかのような、大公の言葉。


 ――今日中に効果を発揮する。

 大公の蒔いた毒薬によって、国中のドラゴンが苦しみ、死に絶えてゆく。優雅に空を飛んでいたのに、突然もがき、咆哮を上げ、墜落する。

 ぞくっと、体中を悪寒が走る。気付けばティカは、跪いて大公に取りすがっていた。


「やめて……やめてください!」


 ドラゴンが死んでいく。自分の発言ひとつで、死ぬ。

 血を吐かんばかりに、ティカは絶叫した。


「ドラゴンを死なせないで……!」

「おや、先ほどとは随分態度が違うようですが」


 はてと、大公は首を捻る。


「確かあなたは、自国は自分で守り抜くと、そうおっしゃいましたよね? ならばご自分でドラゴンを救ってみればいかがでしょうか?」

「そんな……」


 ティカは絶望に目を暗くする。大公は相当な量の毒薬を蒔いたのだろう。ひょっとしたら今この瞬間にも、毒薬を浴びてもがき苦しむドラゴンがいて――その煽りを受けて死んでしまう国民もいるかもしれないのに。

 大公は、ぐっと唇を噛んで美しい顔を絶望と憎悪に染める女王を見、逆の袖口から丸い物体を出した。


「まあ、何とかならないことはないのですがね」


 ティカは暗い眼差しで、大公の手元の玉を見る。先ほどドラゴンを苦しめたものは、確か白色だった。こちらは形は似ているが、色は明るい青色をしている。妹ノルテの目と同じ色だ。


 ノルテ。

 愛する妹の顔が脳裏に浮かび、ティカは瞬きした。


「こちらは、ドラゴンの体から毒を抜く薬です。これを同じように蒔けば、ドラゴンは助かるでしょう。ただし――」

「ティカ様!」


 大公の言葉を遮る、叫び声。大公は閉口し、そちらを見る。ティカも、ゆるゆると首を捻る。


「女王陛下……なりません! この男の言いなりになっては……!」


 剣を抜いて駆けてくるのは、相棒を失って悲嘆に暮れていたヴォミ。彼女の目に浮かぶのは、紛れもない殺意。

 ティカはぎょっとして叫んだ。


「だめっ! やめて、ヴォミ……!」


 大公はつまらなさそうにヴォミを見、周りの兵士たちに命じた。


「――やれ」


 兵士が一斉に身構える。十数というドメティの兵士に立ち向かうのは、ドラゴンも持たないヴォミ一人。


「女王陛下に、バルバラ王国に栄光を――!」


 ヴォミを止めようと飛び出すティカ。ティカの腕を引く大公。


 ヴォミの剣と、兵士の剣がぶつかる。ヴォミは長剣を振りかぶって、剣を弾く。一度、二度。鋭く突き出した剣先は、ヴォミの腹部を狙った剣を打ち払い、兵士の顔を真一文字に切り裂く。

 ティカが叫ぶ。ヴォミは笑い、もう一撃、剣を受け流し――


 風を切って突き出されたレイピアが、ヴォミの喉を貫いた。長剣が落下し、ヴォミの体が傾ぐ。


 ゆっくり、ヴォミの体が倒れてゆく。ガフッと血を吐き、喉を押さえて、仰向けに床に倒れる。


 ティカは駆けだした。ドメティ兵士を押しのけ、ヴォミの側に膝をつく。気管をやられたのだろう、ヴォミはびくびく体を震わせながら、ゼエゼエ苦しそうに息をしている。


「ヴォミ! ごめんなさい、ヴォミ……わたくしが……」

「へ……か」


 ヴォミの息が詰まる。呼吸ができないのだろう、唇が真っ青になり、ぶるぶる指先が震えている。


 ヴォミの手を取る。既にティカの体は青と赤の血で濡れており、ヴォミの吐いた血がべたりと胸元に飛び散る。

 汚いとは思わない。青いドラゴンの血も、赤い竜騎士の血も。全て、ティカを守って戦った者たちが流した血なのだから。本来ならティカが流すべきだった血を、彼らが流したのだから。


「ヴォミ! 嫌、行かないで……!」

「……ルる……」


 ヴォミが囁く。

 酸素不足と失血で顔を青白く染めつつも、ヴォミは笑った。


「……わせ、に……」


 ――ルルト様、どうかお幸せに。


 はたり、とティカの目から一粒だけ涙がこぼれる。


 立派な女王になれ。国を守れ、ではない。


 幸せに。

 それが、ヴォミの最期の願いだった。


 すっと、ヴォミの目から輝きが消える。くたりと腕が力なく垂れ、痙攣していた体がすっと収まる。


「……お分かりいただけましたか、女王陛下」


 かつん、と鳴る長靴の音。


「陛下には時間も、選択肢もございません。お国のため、ご英断をなさってはどうかね、女王陛下?」


 ティカは振り返らない。無礼だと分かりつつも、できなかった。


 ティカはヴォミの瞼を閉じさせ、そっと床に横たえた。

 そして――こっくりと、頷いた。

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