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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第6部 碧空の覇者 
152/188

ディレン隊解散 6

 秋の落ち葉がグラウンドを赤や黄色に染める。あまりに落ち葉が多いので、騎士団は練習の前にグランドを掃除しなければならないのだとか。主に下級生の騎士たちがせっせと箒を動かし、先輩騎士が木陰でその様子を見守っている。

 そんな中庭を、レティシアは教室の窓からぼんやり見下ろしていた。日陰に積もっていた落ち葉が、先日降った雨で湿っていたのだろう。若い騎士が落ち葉で足を滑らせて、仲間からゲラゲラ笑われている。


「……今度の冬の昇格試験で、ブロンズマージになる人も多いでしょう」


 板書を終えた教師が言ったため、レティシアはそちらを向く。

 去年セフィア城を卒業したばかりだという若い女性魔道士は銅色の髪をきつく縛り、エメラルドの目でぐるりと生徒の顔を見回す。


「正直言いますと、スティールマージ昇格試験はある意味、誰もが通らなければならない門でした。しかし、卒業するにしても、ブロンズマージ以上でなければ箔は付きませんし、セフィア城で学んだという証拠も持つことができません。よって当然のこと、ブロンズ以上は昇格試験の内容も厳しくなります」


 皆、息を呑んで教師を凝視する。


「ブロンズマージとなれば、アバディーンで働くことも可能です。シルバーマージであれば、むしろ魔道研究グループからお誘いが掛かるかもしれません。とにかく、より上の階級を取っていて損はありません」


 教師の説明の後、本日の課題に移る。今日は防護壁で敵の攻撃を弾き、的確な位置に跳ね返すというもの。


「防護壁は二種類あります。敵の攻撃を打ち消すものと、跳ね返すもの」


 言い、教師は自分の前に防護壁を張り、助手役の若い魔道士に魔法を放たせた。一発目の衝撃波は防護壁に当たるとじゅわっと音を立てて魔力が四散し、二発目は鈍い音を立てて反射し、誰もいない教室の床に命中した。


「あなた方が今まで習ってきたのは、一つ目の防護壁です。相手が飛び道具や刃物を持っている場合はこちらの方が有利ですが、相手が魔道士の時、場合によっては反射させることが効率がいいこともあります」

 現在の戦争は、既に剣と剣が打ち合う形式のみではない。魔道士も軍に入っている今日、魔法を織り交ぜた戦いも十分想定されるのだ。

 レティシアたちは、三人組を作って防護壁の練習を開始した。


「うわっ!」


 少年魔道士の慌てた声。同じグループの彼は、仲間が放った衝撃波を反射させたのはいいものの、見当違いの方へ跳ね返してしまった。

 ゴッと音を立てて、見えない圧力が壁際の棚を吹っ飛ばす。


「ちっくしょー、難しいな」


 尻餅から起きあがって少年が毒づく。ちなみに教師が示した「跳ね返す場所」は、教室の隅に据えられた、魔石製の壺。魔法が命中しても壊れなくて、しかも勝手に起きあがるので教材に最適なのだとか。教室のあちこちから反射された衝撃波が飛び交うが、壺に命中させられる者は多くない。


 レティシアは、順番を待ちながらのど元のネックレスに触れる。今回のように危険な魔法実技中は、生徒全員このようなネックレスを与えられる。これも魔具の一種で、大方の魔法を吸収させるのだという。もし間違って衝撃波が生徒に当たっても、この魔具が全て吸収してくれる。


 ふと、レティシアは考える。こういった魔具をクラートに贈ってみてはどうだろうか。

 オルドラントは若干魔道士が生まれにくい傾向にある。当然クラートも非魔道士だし、魔法関連で往生することもあるだろう。いいことを思いついた。

 レティシアは一人笑ったのだが――


「危ない!」


 轟音を上げて、炎の固まりがレティシアの真横の壁に激突した。笑顔のまま硬直するレティシアのすぐ後ろで、ごうごうとレンガの壁に火の手が上がる。急いで助手魔道士が鎮火に当たったが、きな臭い匂いがする。


「……髪が焦げていますね」


 歩み寄ってきた教師が言い、チリチリに焦げたレティシアの髪の房を手に取り、そして首を傾げた。


「……どうやら魔具が発動しなかったようですね。すみません、レティシア。すぐに新しいものと取り替えます」

「……あ、はい」










 夕刻。レティシアは図書館にいた。集めた本は、ブロンズマージ昇格試験に関する資料と――


「あった」


 危なっかしく揺れる脚立の上で、レティシアは満面の笑みを浮かべる。


 書架から取り出したのは、やや古びた革表紙の本。題名は、「魔具制作の基本」。以前授業でも紹介されており、簡単な魔具の作り方が丁寧に記されているのだという。

 魔具の制作は何もミランダのような魔道研究グループのみの特権ではない。一般魔道士が作るのには何の問題もない。ただし、魔具を営利目的で制作した場合は罪に問われるため、作るならば個人的、あるいは贈答用目的のみ。魔具制作もいろいろで、市販のお守りに魔法反射の効果を付けて恋人に贈る、というのは古今東西からあることだ。


 席に着いたレティシアは、真っ先に魔具の本を手に取ろうとして――考えを改め、昇格試験用の本を先に掴んだ。魔具の方が気になるが、まずはこちらから片付けるべきだ。以前の自分ならばやりたいことからして、結局本命を終わらせられずに苦悶したのだろうが、これでも少しは大人になったのだ。

 魔具のことは一旦置いておき、レティシアはブロンズマージ昇格試験に関する本をめくった。だが残念。図書館の蔵書だというのに、びっくりするほど書き込みが多い。


 レティシアげんなりしつつページをめくる。書き込みと言ってもいろいろだ。中には、本の間違いを正しく直しているものもある。

 昔と今では表記方法が違うことがあり、例えば遥か昔は「バルバラ」のことを「ヴァルバラ」と表記することも少なくなかったそうだが、今の試験で「ヴァルバラ」と書くと間違いなく失点する。そういったところをチェックしているのはありがたいのだが。


「愛してる、俺のミーナ」


 汚らしい字で書かれた落書きに、レティシアは顔を引きつらせた。書き込みの大半はそういった、落書きが占めている。しかもほとんどが恋人のノロケだったりするので見る方もなかなか堪える。まだクラートともそういった関係になれていないレティシアにとって、他人の恋愛話は薬にも毒にもなるのだ。


 恋だの愛だのにしても、セレナが恥じらいの表情で語るレイドとのやりとりは、ほほえましいものがある。二人寄り添うのが何よりも幸せ、と語るセレナを見ていると、頑張れと応援したくなるし、見ているだけでこちらも幸せのおすそ分けをされた気持ちになれた。

 だが、色惚けしまくったこの落書きのようなものは、レティシアのイライラを呼び起こさせるのに十分だった。


(ったく、色恋に溺れてるんじゃないっての!)


 レティシアは鼻に皺を寄せ、一体どれほどのノロケ軍団がいるのかと本をめくってみた。年代物らしく、既にインクが掠れた落書きや、所によってはつい最近書かれたとおぼしき真新しいものまで様々だ。


(とりあえず、年月日と個人名は書かない方が……)


 そっと指先で文字をなぞる。恋に溺れてお花畑状態だったのか、そこには「大聖暦千七百七十一年秋の月二十日。あたしの愛するエリオット」と媚びたような丸文字が。哀れ、エリオット。彼の名は永遠にセフィア城での語りぐさとなるだろう。

 後で司書にちくってやろう、とため息をついてレティシアはノートを広げた。










(さすがに疲れた……)


 ぱたん、と本を閉じてレティシアは大きく伸びをした。

 前半の昇格試験準備は正直苦痛だったが、一通り本を読み終えた後にようやく手に取った魔具の本は非常に興味深かった。

 基本編ということもあり、魔具制作のイロハはもちろん、そもそも魔具とは何か、から言及されていた。他にも魔具制作の歴史や推移も表付きで書かれており、レティシアはわくわく胸をときめかせながら文面を指で辿っていった。諸国の歴史についての本は見るだけで頭痛がするのに、この本はどっぷりのめり込めた。


 魔具といっても、歴史をさらうとその変化や推移が見て取れた。ランプの魔具ひとつでも、セフィア城にあるようなボウル型の魔具は最新型で、最古のものだといわゆる「ランプ」型だったり、単純な正方形の箱形だったりするそうだ。魔具に取り付ける魔石も改良が進み、当初はとてつもなく高価だったものが近頃ではお手軽に手に入る値段にまで下がっていた。


 ちなみにセフィア城を訪れる訪問販売の品物にも、魔石があった。つるつるとした表面のガラス玉のようなもので、一番小さいものでは小指の爪ほど。大きなものでは拳大のものがあった。商人は確か、訪問販売ではこのサイズしか置いていないが、街に行けばもっと幅広い大きさの魔石が買えると言っていた。

 訪問販売はだいたい一月に二回くらいやって来る。前に来たのが夏の月の終わりだったから、そろそろ来る頃だろう。


(よし、じゃあ次回は魔石を買おう!)


 レティシアは席を立った。今回借りるのはこの魔具の本だけで、後は一通り読んだので返却するつもりだ。

 本を返していると、ふと「詩集」のコーナーが目に入る。レティシアは特に芸術には興味がないので、今まで立ち入ったことのないエリアだ。詩なんて授業で触れるくらいで、今までも図書館に来ずともディレン隊の仲間に教えてもらっていた。

 何気なくレティシアは脚立から背伸びして背表紙をざっと見ていて――


「ん?」


 目が滑りそうなほど細かい題名がびっしりの本の中で、目を惹いた一冊。

 くすんだバーミリオンの革表紙で、茶色の文字で記された題名は「我が主君へ、秘められた想いの言葉を」。


 妙に心惹かれて手に取って中を見てみるが、全く読んだ覚えがない。甘くて切ない、身分違いの恋。やや時代を感じさせる文体で書かれたそれを見ていると、ぞわぞわと背筋が寒くなる。

 すぐさま本棚に詩集を戻し、レティシアは眉をひそめてその題名を睨み付けた。やはり、レティシアが読むような内容ではない。あまりにも甘すぎて悪寒が走った。


(でも、なんか見覚えあるなー……)


 なぜだろうか。レティシアは自分の記憶力に首を傾げつつ、脚立から降りて元の場所に戻した。

 気が付くと、外はもうすっかり暗くなっている。秋の月の前半ではあるが、そろそろ日の入りが早くなったことを感じる。


 レティシアは勉強用のノートと魔具についてメモした紙を鞄に入れ、司書に貸し出し用の本を渡し――ついでに落書きの件を報告し――図書館を出た。

 回廊を渡りつつ、レティシアは南の空に目をやった。今クラートは、あの夕暮れの草原の彼方にいるのだ。大公として。


 あの空の方向には、レティシアの故郷ルフト村もある。

 故郷のことを想って、レティシアは唇を噛んだ。


 春の終わり、レティシアは故郷に当てて最後の手紙を書いた。三百五十年祭の動乱があり、レティシアの身分が明らかになった後である。

 あの事件の後、レティシアの故郷を心配したリデル王エドモンドが、ルフト村の保護を申し出てくれた。レティシア・ルフトという名からすぐに、レティシアが育った村が割れてしまう。となると、クインエリア大司教の座を巡る闘争に村が巻き込まれてしまうかもしれない。


 レティシアは国王の申し出をありがたく受け入れ、ルフト村は徹底的に守られることになった。

 だが、その代わりに国王が条件を出した。次の手紙を最後に、村との接触を断つことだ。


 レティシアの存在は各国にとって両刃の剣となる。権力ほしさにレティシアを操ろうとする者や、逆にレティシアの存在を疎む者もいる。彼らに故郷がいいように扱われたら堪らない。

 国王の言うことは至極もっともで、しかもルフト村がリデル王国の庇護を受けられるのだからレティシアの方からこれ以上の注文はない。レティシアは国王の条件を呑み、故郷への「別れ」の手紙をしたためた。権力争いに村の皆を巻き込ませないため、一切の関係を切り捨てることを、宣言したのだ。


 ルフト村からの最後の返事は、大きな紙一枚だった。リビング用テーブルいっぱいに広がる紙に、ルフト村の仲間からのメッセージがしたためられていた。

 村民で字の読み書きができる者は多くない。養父母を始めとしたわずかの者は温かい言葉を書き記し、文字を書く力のない者は震えるペン先でニンジンやイモ、キノコなどの絵をいっぱいに描いてくれた。子どもが描いたのだろう、畑で微笑むレティシアを描いてくれたものもあった。


 その巨大な紙はきれいに伸して羊皮紙で裏打ちして強度を増し、レティシアの部屋にタペストリーのように飾っていた。故郷に残した村民たちの、胸が苦しくなるようなメッセージだった。


(遠いな……)


 自分の育った村が、とても遠く感じられる。裸足で踏んだ柔らかい土が、惜しみなく降り注ぐ日光が、いつも笑顔の村人が、既に自分の手の届かないところに行ってしまったようだ。


(違う……)


 すぐに考え直し、レティシアは微かに目を細めた。

 彼らがレティシアから離れていったのではない。レティシアが、彼らから距離を取ったのだ。


 自分を、そして村の皆を守るために、レティシアは全てを断った。だから文句の言い様はない。これ以上ない好条件を出してくれたエドモンド王も、レティシアの決断を受け入れてくれた村の皆も、皆レティシアに協力してくれた。その結果が、これなのだから。


(いけない……ホームシックになりそう)


 遠い目になりそうになって、レティシアは頬を両手で揉む。ぐりぐりと手の平でこねた後、ぱんと音を立てて頬を叩く。


 いつか、必ずオルドラントに戻る。クラートと一緒にあの山を越え、ルフト村の皆に会いに行く。

 全てを終わらせて、胸を張って故郷の土を踏む、その日まで。


 レティシアは顔を上げ、気合いの鼻息と共に荷物を抱え直すと歩きだした。

 今は、自分のすべきことをなすのみだ。

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