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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第1部 黄昏の魔女
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遠征 5

 レティシアは丸く削られた岩に後頭部を乗せ、軽く目を閉ざした。視角を遮られた世界は驚くほど静かで、遠征の疲れも何も吹っ飛んでしまう。


 村にいた頃も、暖かい日には近くの水場に行って水浴びをした。大抵は村の幼い少女たちを連れて一緒に入ったのだが、時には一人、農作業で疲れた体を癒しに行くこともあった。

 その時も、水場の縁に後頭部を預けて空を仰ぎ、目を閉じて水に浸かっていた。こうしているとすうっと体中の疲れや痛みが和らぎ、体の芯から不純物を溶かし出してくれるような気がしてくるのだ。


 ゆっくり目を開けた。濃紺の夜空と鬱蒼とした木々が目に入る。

 そう、ここはルフト村ではない。

 村から馬車で十数日の距離にある、見慣れない土地だ。


(村のみんなは元気かな)


 そんなことを思いながら指先で小さく水を弾き、森の奥で秋の虫が奏でる音楽に耳を傾け――


 ばしゃり


 水音が響き、レティシアははっとして体を起こした。この水場はひょうたん型になっており、今の水音はレティシアがいる側とは反対の方から響いてきた。

 ひょっとしたら猿か何かが入ってきたのかもしれない。レティシアは身を起こし、そうっと水をかき分けて水場の奥へと足を踏み入れた。人間が入ってきたならばさすがに気配で分かるが、動物が入ってきたなら致し方ない。

 むしろ、小さなお客様が湯浴みする姿を見てみたく、レティシアは好奇心に胸を膨らませてそっと、泉の反対側に顔を覗かせた。


 闇に浮かぶ白い肌。

 半分以上水に沈んだ髪は艶のある茶色。


 予想外のことに身を強ばらせ、小さく息をのんだレティシアに気付き、その白い影が振り返る。そして、ぱちくり瞬きしてレティシアにとって聞き覚えのある声を発した。


「……あら、あなたは確かレティシアさん」


 驚きで口が塞がらないレティシアとは対照的に、全裸で水浴びする女性――ディレン隊の侍従魔道士、セレナ・フィリーはおっとりと言い頬に手を当てて微笑む。


「いやだ、私ったらお客さんが来たのにも気付かないなんて。ごめんなさい、びっくりさせちゃった? それにしても偶然ね」

「……い、いえ……」


 確かに、人がいることにはびっくりした。とてもびっくりした。これが騎士団の男性であれば絶叫モノだし、ミシェルらであれば地獄絵図だった。

 思えば、見張りの騎士があっさり風呂行きを許可したのも、セレナがいるのを知っていたからなのだろう。そうでなければ誰か監視役の女性を付けたはずだ。先客が顔見知りのセレナであるだけよかったと思いたいが、レティシアが驚いたのはそちらだけではない。


「せっかくだから一緒に入りましょうか。女同士だし、いいわよね?」


 そう笑顔で言い、レティシアのためにと場所を空けるセレナ。レティシアの目はそんなセレナの体の一部分に釘付けだった。


 自分と同じ成分、同じ役割を持つはずなのに、全くサイズの違う「それ」。普段ローブ姿を見ているときは何とも思わなかったのに、いざ裸になるとすごい「それ」。


「……どうしたの? 来ないの?」


 裸のまま隠すべき所も隠さず棒立ちになるレティシアを不審に思い、セレナは小首を傾げる。それに合わせて、「その部分」も振動する。

「両手で収まりきらない」では足りない、豊満な胸。赤ん坊の頭くらいはありそうな、脂肪いっぱいの膨らみが、ふたつ。


「あ、え、そ、その……」

「……あのー、そんなにじっくり見られたら恥ずかしいんだけど」

「だ、だって……あまりに、いろいろと、予想外だったんで……すんません」


 恥じらうセレナに焦るレティシア。

 レティシアの言いたいことが伝わったのか、ふうっと息をついたセレナはレティシアの肩を押さえて水に肩まで沈めた。


「……これ、いつもみんなに驚かれるんだけど――普段は重いし邪魔だから、きつく縛っているの。押さえつけたら苦しいけれど、揺れるよりずっといいから。それに……ほら、騎士団は男性主体だから、そんなものぶら下げられると作業妨害になると言われて……」

「だ、誰に?」

「えと……レイド様。あ、といっても最初の頃だけどね」


 あの無愛想美男子がそこまで言うのか。

 いろいろな意味で開いた口が塞がらないレティシアを見てセレナは顔を赤く染め、育ちすぎた胸を腕で隠しながら俯いてしまう。


「……縛ったらちょっと動きにくいけれど見た目はましになるし、魔法はちゃんと使えるし――レイド様のおっしゃることももっともだから」

「そ、そりゃそうだけど……」

「あの、だからあまり皆に言ったりしないでね。侍従魔道士仲間は知っているけれど、今でもすごい茶化されるから……」

「あ、う、うん……了解しました……」


 少し私にも分けてください、との本音は口が裂けても言えず、レティシアは鼻の下まで水に浸かってぶくぶくと泡を吐き出した。まな板に等しい自分の胸元をそっと、押さえながら。


 二人の間を沈黙が包む。セレナは時折水音を立てながら自分の長い髪を洗ったり肩に水を掛けたりするが、レティシアは微動することさえ躊躇われて両腕で膝を抱え込み、極力セレナの方を見ないよう努めながら水音に耳を傾けていた。


「――侍従魔道士団での生活はどう?」


 話題提供されたので、レティシアは首を捻ってセレナの方を見つめる。当のセレナは水面に漂う自分の髪を絞って水気を払いながら、軽く目を細めてレティシアを見返していた。


「レイド様から調査書を見せていただいたけれど――つい数十日前に来たばかりだそうね。オルドラントの郊外出身というし、セフィア城はまだ慣れないのでは?」

「……ええ。確かに、ちょっとまだ居心地悪いです」

「でしょうね。私もそうだったもの」


 正直に答えると、意外にもセレナはレティシアの意見に賛同してきた。


「私もあなたと同じ一般市民。リデル王国辺境の小さな町出身で――最初セフィア城の門をくぐったときはすぐに回れ右したくなったもの。あなたは……魔道は得意?」


 今一番コンプレックスになっていることをさらりと聞かれ、レティシアの顔が歪む。

 怒りではなく、劣等感ゆえの苦痛を顔に浮かべ、小さく肩をすくめた。


「……いや、あんまり」

「そうなの? でも、そんなに落ち込まなくていいのよ」


 セレナは、しょぼくれて再び水の中で丸くなったレティシアの肩を叩いた。

 セレナの体は全体的に丸っこくて脚にもしっかり肉が付いているが、手は少し節が固く、爪も短く切られている。


「私も知り合いに勧められて十三歳で編入したのだけれど――ボロボロだったの。貶されて、馬鹿にされて、いじめられて。でも四年間頑張ったらスティールマージにまでなれて、私の実力を見てくださる騎士様の侍従になることができたわ。そしてブロンズマージにも昇格できた。自分なりに努力して、周りに左右されないようにしたからうまくいったのよ。だからあなたも心配しないで。誰が何と言おうと、自分のやり方を貫けばいいの。気楽に、心を落ち着けてね。自分が正しいと思う選択をするのが一番の薬だと、私は思うの。もちろん、あなたもね」


 驚いてレティシアはセレナの目を見返した。

 馬鹿、愚図、出来損ない、と罵られることはあっても、「自分の好きなように」と言われたのは初めてだった。


(好きなようにすればいい……誰かに追い立てられたり、誰かを追いかける必要はない……)


 自分と似たような境遇であり、焦らず優しくレティシアを励ましてくれる年上の魔道士。

 一気に彼女に対する好感度が増し、レティシアは今までずっと強ばっていた顔をほぐして笑顔を浮かべた。


「……ありがとう、ございます。何だかすごく、気が楽になりました」

「そう? ならよかった。お役に立てたようで何よりよ」


 セレナは陽気に笑う。それを見ていて、レティシアは先ほどから気になっていたことを聞きたくなってきた。


「……その、セレナさんはレイド隊長の侍従魔道士なんですよね?」

「ええ」

「えっと、もしよかったら、どうやって侍従になれたのか、聞きたいんですけど……」


 セレナは俯くレティシアを横目で見、ふっと微笑んだ。


「……やっぱり意外? 私のような平民が騎士仕えをするのって」

「いえ、そういうわけじゃ……」

「遠慮しなくていいわよ。……正直、私もよく分かっていないの。私以外のディレン隊は全員貴族で、優秀な人ばかり。確かに私は勉強して、スティールマージになった。とはいえ同級生の中にはもっと魔法が上手な人も、身分の高い人も、きれいな人もいた。でも、レイド様は私を選んでくださった」


 静かな森に、セレナの声が響く。

 おもむろにのどを反らしたセレナに倣って、レティシアも頭上を見上げた。

 今夜は満月だろうか。ぽっかりと丸い月が夜空に浮かび、控えめな光を放って輝いている。


「レイド様は、私のような人を探していたそうなの。貴族の子女でなくていい。魔術の腕もほどほどでいい。でも、他のディレン隊員にはない魅力を持った侍従が欲しかったのですって」

「他の魅力……」

「それ以上は教えてくださらなかったわ。でも……このような私でも、ちゃんと見てくれる人がいる。生まれや才能で劣っていても、自分の力を活かせられる場面は必ずあることが分かったの」


 レティシアは満月から目を離し、セレナの横顔を見つめた。セレナは視線を受けてレティシアの方を見、薄く微笑みかける。


「だから、大丈夫。私だって何とかやっていけたもの。レティシアさんも、自分の長所を生かしていけばいいわよ。自分を信じれば……必ず、成果は追いついてくる。いつか、そんなあなたを見つけてくれる人が現れるから」


 大丈夫。その言葉がしっくりと胸に吸い込まれ、体の芯から温めてくれる。

 ぎこちなく微笑み返したレティシアを見、セレナはゆっくり、笑顔で頷いてくれた。









 そろそろ上がりましょう、とセレナは言った。体の汚れも落ちたことだし、見張りの騎士のためにも用事が済めば早々にテントに戻るべきだ。

 服のある所まで水をかき分けて戻り、持ってきたタオルで体を拭いてから服を着る。しばらく経ってセレナも服を着てこちら側へ歩いてきた。自分で言ったように、普段は胸にさらしを巻いているのだろう。大きめのローブを羽織っていることもあり、昼間見慣れたように彼女の胸はだいぶ控えめになっている。


 魔道ランプを持つセレナの後に続いて野営地に戻りながら、レティシアは思う。

 間違いなく、セレナはレティシアの体の傷に気が付いただろう。ランプが灯っていたし、肩など見えやすい位置にも打ち身があった。

 しかし、セレナは何も言わなかった。明らかに人為的な傷が見えても、敢えてそれを口にしなかった。


 セレナの優しさが嬉しかった。

 優しく諭してくれたことが何よりも、ありがたかった。


 テントの場所へ戻り、見張りをしている騎士に声を掛けて簡単に礼を言う。「おやすみ」とセレナと挨拶を交わしてレティシアは自分のテントに滑り込んだ。足元で雑魚寝するミシェルらを踏まないよう、つま先立ちしながら自分の毛布の元まで忍び寄り、蓑虫のように頭まで毛布に潜り込む。


 ミシェルらに背を向けて横になるレティシアの目から一粒だけ、涙が零れた。

 ルフト村を発って初めて流す涙だった。

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