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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第6部 碧空の覇者 
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ディレン隊解散 2

 それは、山の木々が秋色に葉を染めつつある時期のことだった。


 それまでずっと病がちで、ここ数年小康を保っていたオルドラント公国大公ギルバートの、突然の訃報が届いた。

 ギルバート大公の息子であるクラートは、すぐさまリデル王国首都アバディーンに呼ばれた。そして父の死に悲しむ暇も与えられず、あれよあれよといううちに大公の地位に据えられたのだ。


 クラートは学びの途中であり、大公として勉強する前に政界に放り込まれ、セフィア城卒業を余儀なくされた。今後は領地であるオルドラント公国に戻り、亡き父の跡を継がなければならないのだ。


 だがそれに付随して、ディレン隊員らの行く先を変える件が勃発した。彼女らの所属する騎士団の隊長も卒業届けを出したのだ。

 隊長であるレイド・ディレンは元々オルドラント南部遊牧民族出身で、オルドラント大公家に忠誠を誓った騎士である。彼の主君であるクラートも彼の騎士団に所属していたが、クラートが大公となってセフィア城を去るならば、彼も新大公についてオルドラントへ帰らなければならない。となると、彼を隊長とした騎士団は解体を余儀なくされるのだ。


 ディレン隊解散を悔いても、恨む者はいなかった。今回の事件で誰よりも心を痛めているのは新大公クラートであり、クラート本人が悲しみを堪えて前を向いているのだから、とやかく言うのはお門違いだ。

 また、リデル王国エステス伯爵家嫡子であるミランダも、クラートとレイドと同時進行で卒業届けを出した。彼女の父であるエステス伯爵も体調が芳しくなく、父の養生と今後のため、彼女も城を去る決意をしたのだ。


 そして、ギルバート大公の死とクラート新大公の就任にとりわけ胸を痛めているのが、もう一人。オレンジ色の髪の少女魔道士、レティシア・ルフトだ。


 リデル王国と隣り合う聖都クインエリア大司教の次女として生まれた彼女は、幼少期に家族の元から離され、オルドラント公国辺境の農村ルフト村で育てられた。十五歳になるまで自分の出自や魔道士としての才能に気付くことはなく、実姉の死によって次期大司教候補に引きずり出された。そして魔道士としての鍛練を積むべく、リデル王国セフィア城に編入したのだ。


 レティシアがセフィア城に編入して丸二年。今年の春の終わりには、彼女がずっと秘密にしてきた出自が世に知らされることになった。大司教の娘という巨大な看板を背負うことになったレティシアだが、その表情はミランダたちが危惧していた以上に明るく、彼女自身も堂々としていた。

 セフィア城には記者団体が押し寄せ、時には不法侵入した新聞記者に背後から襲われそうになったこともある。そんな時も彼女は毅然と取材を突っぱね、それでもしつこいならば遠慮なく魔法をぶっ放して撃退した。護身のための簡単な魔法の使用は、魔道士団長からお許しをもらっていた。

 同じようにあれこれ聞いてくるセフィア城の生徒に対しても、レティシアは真っ直ぐな態度を崩さなかった。夏よりも前からレティシアの正体を知っていた者に対してのみ心の内を明かし、それ以外の者に対しては笑顔でスルーする、という姿勢を貫いてきた。


 この元ディレン隊の中でも、レティシアの身分を知っている者と知らなかった者に分かれる。クラートやレイドは前者にあたり、ミランダたちは後者になる。それでも全員レティシアの人柄はよく知っていたし、聖なる家系の末裔といえ、普通の少女に変わりない。皆、レティシアの行動を見守り、外部の手から彼女を守っていた。


 そんなレティシアは、ここしばらくクラートと懇意にしていた。おそらく春に行われた三百五十年祭頃からだろう、それまで以上にクラートと親しくなり、図書館で二人で勉強する姿や、グラウンドで特訓するクラートの元にレティシアが見学に通う姿がよく見られるようになった。


 ミランダたちはそんな二人をほほえましく見守っていた。「もっとべったりすべきよ! 早くチューしろっての!」と声高く叫ぶ者も若干一名いたが、お互いが相手を支え合う二人の背中を見ていると、このまま「性別を超えた親友」である姿を見守るのもいいのではないか、と思えてきた。


 だからこそ、ギルバート大公の死とクラートの大公就任はレティシアを苦しめた。


(私がここでしっかりしないと……)


 レティシアは仲間たちの視線にも気付かず、カーテンを巻き取る腕の速度を速める。ぼうっとすれば余計なことを考えてしまいそうで、ひたすら頭と手を動かす。

 今誰よりも傷ついているのは、クラートだ。今頃男性仲間の手を借りて荷造りをしているだろうが、一体どんな気持ちで出立の準備をしているのだろうか。


 父の死と自身の大公位就任を仲間たちに告げたときのクラートは、レティシアたちが驚くほどまっすぐな目をしていた。心の揺らぎや絶望を微塵にも感じさせない、堂々とした振る舞い。

 だが、後ほどレイドがこっそり教えてくれたのだ。クラートは前の夜に、一人で泣き腫らしたのだと。弱気な姿や打ちひしがれた表情を見せまいとして、腫れ上がった目に半日掛けて氷を当て、皆の前に立ったのだという。


(クラート様……)


 春の日差しを彷彿させる青年を想い、思わず腕に力が入る。


「うあああ! 待って待ってレティ! カーテンがっ」

「へ?」


 後ろからノルテにがしっと肩を掴まれてレティシアは我に返る。見ると、自分の両腕に眉のようにガチガチに絡みつくカーテンが。高貴なレースが苦しげにはためき、素材のよい生地がギチギチ唸る。


「力入れすぎっ! これじゃダンゴだよ!」

「むしろ、イモムシのようね」

「……本当だ。ありがとう、ノルテ」


 レティシアは慌てて腕を逆回転させ、カーテンのギプスを解いた。薄手のカーテンは深い皺を刻みながら、くたくたとレティシアの膝の上に垂れ下がる。


「皺になっちゃった……ご、ごめんなさいミランダ!」

「構わないわ。きちんと鏝をかければ何とでもなるわ」


 急ぎ振り返ると、部屋の主であるミランダが立ち上がってレティシアの膝のカーテンを目の高さに持ち上げて言った。そして、ちらと視線をレティシアに向ける。


「もう行きなさい。心労のあなたをこき使った私に非があるわ」

「そんな……」

「無理しちゃだめよー、レティ。後はノルテさんたちに任せときなさい」


 ノルテもぽんぽんと腕を叩いてくる。その大きな目はいつものように無邪気な光を宿しているが、有無を言わせない強さも持っていた。大抵はレティシアの味方をしてくれるセレナも、カティアと並んで目線を反らしている。


 そうしてレティシアは皆に背を押されるまま、ミランダの部屋からつまみ出された。










 その頃。セフィア城のとある一室では。


「……君たちには申し訳ないことをする」


 家具が取っ払われ、元々支給されていたクローゼットやベッドのみを残してがらんどうになった部屋の、窓辺。

 向き合う二人の青年。背が高い方は赤髪、もう片方は金髪。


 背の低い方の青年が蚊の鳴くような声で言うと、それまで窓の外を意味もなく見つめていたもう片方の青年が反応し、ゆっくり振り向く。左側だけ露わになった顔。不自然なほど長い右側の前髪の奥には、惨たらしく潰れた右目の痕がある。

 彼は正常に機能する左目を細めた。目を吊らせるのは彼の癖だが、今日の眼差しはひやりとするような緊張を孕んでいる。


「……何のことだ」

「今回の一件、全てひっくるめて」


 答え、彼は右手の指を折って数える。


「……父上の死によって、君はオルドラントの騎士として僕に仕えなくてはならなくなった。そのために君があれほど手塩に掛けて育ててきたディレン隊を解散させ、セフィア城から連れ出すことにも。それに……セ」

「黙れ」


 ぴしゃりと叩きつけられた制止の言葉。小柄な方の青年は一瞬怯んだようだが、瞬きすると緩く首を横に振って四本目の指を折った。


「……今回ばかりは最後まで言わせてくれ。殴りたいなら、後で殴ってくれて構わない」

「今殴るぞ、クラート」

「……君に殴られても仕方のないことをしたんだ。セレナから君を奪う真似をしたのだから」


 赤髪の青年は、きちんと主君の言葉を守った。

 最後まで耳を傾けてから、拳を唸らせて目の前の青年の左頬を殴り飛ばした。


「……ガキの頃から思っていた」


 赤髪の青年は床に尻餅をついた青年を見下ろして、冷ややかに言う。


「おまえはすぐに頭を下げる。おまえに本当に非があるのか、それは俺の知ったことではない」


 だが、と彼は今し方自分が殴り飛ばした人物に一歩詰め寄る。


「おまえはもう、見習期間中の公子ではない。すでに大公位を継いだおまえが、軽々しく頭を下げてはならん。特に、俺のような一般兵に対して謙るなんて言語道断」


 ゆっくり、金髪の青年が立ち上がる。


「諸国は、若くて未熟な新大公の立ったオルドラントを軽んじている。根の正直なおまえが愛想笑いして傲慢に振る舞うのは苦だろうが、我が儘を言うゆとりと時間と権利は、おまえにはない」

「……そうだな」


 金髪の青年は素直に頷く。そして、口の中を舌で探るように頬を膨らませた後、親指で口元を拭った。指先に掠れた血の跡が移ったのを見、わずかに唇を歪めて笑う


「……まさか、大公なってもレイドに殴られるとはね」

「俺が好きで殴っているんじゃない。おまえが、殴られるに値することをぽんぽん言うからだろう」

「そうだな」


 彼は指先でくすんだ血を擦り、力なく笑った。

 赤髪の青年――レイドはそんな主君をしばし見た後、「セレナのことだが」と切り出す。


「おまえも予想していただろうが、あいつは二つ返事で了解した。セフィア城に残り、勉強を続けるそうだ」

「オルドラントに呼ぼうと思わなかったのか」

「あいつを安心して呼べるほど、今のオルドラントは安定しているとは思えない」


 臣下とは思えないほど無礼な言い様だが、金髪の青年――クラートはうっすら笑った。


「確かにね……いつ他国が攻めてくるか分からない状況だから」


 でも、とクラートは問う。


「だからこそ、側に置こうとは思わないのか? 僕は全然構わないんだけれど」

「思わん。少なくとも、今はそれが最善の策とは思えない」


 レイドは壁に背を預けて、微かに目を伏せる。


「……今後、本当にセレナを必要とするのは、俺ではない」


 レイドの言わんとすることが分かり、クラートは真顔になる。

 オルドラント新大公の就任。それと同じくらい、世を騒がせている案件。


「……レティシアのためかい?」

「ああ。セレナもあいつの側にいることを望んだ。俺が何か言ったとか、レティシアに縋られたとかではない。セレナの、意志だ」


 加えて、とレイドは瞼を開ける。


「俺たちは自分の身分を把握しているし、少々距離を置いたから疎遠になるつもりもない。お子様の恋愛をするほど若くないのでな。だからおまえに突っ込まれるのは、正直癪だ」

「言ってくれるね」


 クラートは笑う。レイドは全部知っている。知っているというよりは、察している。

 クラートがレティシアに対して抱く想いを。


 そこへ、ドアが控えめにノックされる。


「レイド? クラート様はいらっしゃる?」


 木製ドアを通じてくぐもった声が響き、二人顔を見合わせる。噂をすれば何とか、だ。


「いるぞ」


 レイドの声を受け、ゆっくりドアが開く。オレンジ色の髪の少女は顔だけひょっこり覗かせ、私物皆無の部屋をきょろきょろ見回した後、窓辺に佇む二人の青年に視線を向けた。


「すみません。さっきクラート様のお部屋に行ったんですが、他の方がお片づけをしていて……レイドの部屋に行ったと聞いたので」

「僕に用かな」


 ちらと、隣のレイドを見る。レイドは心底迷惑そうに眉間に縦皺を刻み、しっしとばかりに手を振った。


「俺の方の用は済んだ。ちょうどいい、レティシア。このぼんくらを持って帰ってくれ」

「ぼんくらは酷いな、レイド」

「では木偶の坊に昇格してやろうか」

「却下。まだぼんくらの方がいいや」


 もう一発拳が飛んできそうで、クラートはさっさとレティシアの方へ向かった。


「お待たせ。ここは追い出されるみたいだし、行こうか」


 レティシアは、ゆっくり頷いた。クラートはごく自然な動作でレティシアの手を引いた。背後でレイドが「見せつけるな、馬鹿」と呟いたが、クラートの耳には届かなかったようだ。

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