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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第5部 紫紺の面影
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その想いの名は 3

 クラートはふと、手に持っているリンゴに気付き、急いでシャリシャリと食べ尽くすと芯を捨て、しっかり手を拭ってからレティシアの手を取った。

 温かい――少し熱いと思えるような、手。農作業で鍛えたため普通の少女よりずっと皮が厚くてごついレティシアの手だが、クラートの手はそれよりもずっと大きい。

 少しだけ大きな手だ、と思っていたのは一体いつのことだろうか。


「……君は、僕の友だちだ。性別も生まれも、持った能力も違うけれど、他の誰よりも腹を割って話ができる、よい友だちだと――ずっと思ってるんだ」


 友だち。

 ずきっと、胸が痛む。


(嬉しいのに……)


 友だちと認められてうれしい。それは嘘ではないのに、胸はしくしくと痛む。「友だち」だけじゃ足りないと、心が訴えていた。


(分かってる……私は、クラート様の「友だち」だけじゃ物足りないんだ)


 もっと、近くにいたい。触れあいたい。

 クラートのスカイブルーの目を見ていると、つきんと胸が痛む。呼吸が苦しくなって、指先が震えてくる。


(セレナ、ボーレ。二人の言った通りだよ)


 特別な感情を抱く異性に対してのみ、胸がドキドキする。他の誰にも感じない想いが、クラートに対してはあった。


(クラート様、私は……)


 我知らず、目頭がじわっと熱くなる。つ、と頬の丸みを伝って流れるのは、何十日ぶりに流すのか分からない、涙。

 クラートは静かに涙をこぼすレティシアを見てぎょっと目を瞠ったが、すぐに顔を引き締めて左手を差し出した。


 クラートの指先がレティシアの涙を掬う。そのままクラートは自分の指先に乗った涙の粒をじっと見つめ――徐に、唇を寄せた。


 ヒッ! とレティシアの喉が引きつった音を立てる。一気に涙が引っ込んだ。


(な、なに、今の何!)


 クラートと十分に距離を取ってあわあわするレティシアに構わず、クラートは憂いを帯びた眼差しでレティシアを見つめてくる。


「……でも、僕は誰それ構わず身を挺して守れるほど人として成っていないし、こうやって、女性の友人であれば誰とでも手を繋ぐわけでもない」


 クラートはベッドに座り直し、手を伸ばした。そっと、レティシアの左手が持ち上げられ、クラートの右手が手の甲に重なる。


「僕は、未熟だ。公子としても、騎士としても。君の方がずっと勇敢だし、賢い。僕が君のためにできることなんて……ないに等しい」


 それでも、とクラートは重々しく告げ、直後、ふわりと微笑んだ。


「……これからも、君を守らせてほしい。僕の剣や弓がどこまで通用するかは分からない。でも……君の笑顔を守りたいんだ。友だちとしてじゃない。一人の――騎士として、君と共に戦わせてくれ」


 共に戦う。


 いつぞや覗き見たセレナとレイドのシーンのような、甘さはない。世間の恋する乙女が望む場面とも、ちょっと違う。

 それでも――


(今は……それで十分だ)


 レティシアはぐいっと目元を拭い、微笑んだ。


「……もちろんです。私も、クラート様の側で戦わせてください」

「レティシア……」

「私も、クラート様だからこうやって手を繋ぎたいんです。クラート様以外の人ならちょっと嫌だし……あと、クラート様が私以外の女性と手を繋がれるのも、嫌です」


 たとえ演技とはいえ、ティーシェのように他の人と手を繋がないでほしい。


「クラート様の手は、私の専売特許です!」


 そう宣言すると、かあっと胸の奥が熱くなった。それは決して不快な熱ではない。胸の奥のもやもやを取っ払ってくれるような、清々しい温もりだった。

 レティシアは薄い胸を張り、晴れ渡った笑顔でクラートを見つめた。


「これからは、手の安売りしないでくださいね。もう、私が予約してるんですから!」

「……そうだな」


 クラートも破顔し、そっと労るようにレティシアの手を撫でた。


「……側にいてくれ、レティシア。これからも、僕を……支えてくれ」


 期待したものとは、ちょっと違うけれど。

 だがもう、迷うことはない。タリスはミランダに聞かれても、いつぞやのように戸惑ったり逃げたりすることもない。


(私は……この方が、好きなんだ……)


 それを口にするのは、まだ時期尚早だろう。

 けれども、この胸の奥から湧き上がる想いの名は、隠しようもない。


「……はい、あなたを支えます」


 レティシアは静かに、誓った。








「……ええっ! ここまで来て、お友だち止まりぃ?」

「ノルテ、声が大きいわよ」

「だってだって、やっとレティも自覚したのに!」

「クラートがあれだけ素直になったんだ。今日のところは褒めてやれ」

「むー……ノルテさん、不満だわっ」

「じわじわと間柄を詰めていく課程を見るのも、なかなか一興じゃない。まあ、あまりにも亀の歩みだったら背中を突き飛ばしたくなるけど」

「ミランダ……おまえ意外と、やるな」


 デバガメは、尽きることを知らない。












 ティーシェ・グラスバーンは事件の後、ベルウッド派残党に監禁されているのをすぐに保護した。残党を拷問してティーシェの母親の場所を吐かせ、母も無事保護されたそうだ。


 ティーシェは全てを知っていて、母のために行動した。母を盾に実姉に脅され、仕方なくレティシアに接近した。だが、大司教の娘を意図的に殺めようとしたことに変わりはない。本来ならば極刑に処されてもおかしくない。


 だが、レティシアの嘆願によってティーシェは極刑を免れた。ただし、セフィア城を即刻退学して母親と共にカーマル帝国に帰ること、許可がない限り今後一生リデル王国に足を踏み入れないことがリデル王エドモンドから命じられた。











 ティーシェ退学。当然、レティシアとも別れることになる。エドモンド王の命があるため、此度リデル王国の国境を越えると、ほぼ二度と彼女はリデルの土を踏むことはできない。もちろん、レティシアたちと会うことも叶わない。


 既にティーシェのこともセフィア城中で噂になっていた。ティーシェの生まれについては彼女の今後のことを考慮して最後まで隠し通されたが、三百五十年祭での悶着と、急な退学処分は生徒たちの話題の種になっていた。黙って荷造りするティーシェを生徒たちは遠巻きに見つめ、彼女の見送りに出る者もいなかった。


 レティシアとクラートは騎士団長と魔道士団長に許しをもらい、ユーディンとキサの監視の元、ティーシェの見送りに出ることになった。最初はレティシアだけ行くつもりだったが、途中でクラートも話に乗ってきた。どうしても、尋ねたいことがあるそうだ。


「――ひとつだけ、聞きたいことがある」


 夕闇に沈みかけたセフィア城の城門前。質素な馬車に乗り込もうとしていたティーシェに、クラートが声を掛けた。


「僕は何度も、君の正体を暴こうとした。その時――君は一度、笑ったね」


 初耳の情報に、レティシアは何事かと隣のクラートの顔を見上げる。ティーシェも、馬車のタラップに乗った状態で真っ直ぐにクラートを見つめてきた。


「君の目的は何だと聞いたときだ。なぜ……君はあの時、笑ったんだ?」


 ティーシェはしばらく考えるそぶりをして、ああ、と手を打った。


「あの時ですね……わたくしがクラート様を取ったので、レティシア様が拗ねてらっしゃった時」

「はい? 何それ! ちょっと、いつのこと? てか、私拗ねた?」


 思わず声を上げるレティシアに構わず、ティーシェはクラートを見つめて微笑んだ。


「わたくし、クラート公子に問いつめられたときは、正直ほっとしましたもの」

「……なぜ?」

「だって、わたくしが企みを持っていることに気付いた人がいるんですもの。……おまけにクラート公子は、わたくしの素性を知っていた――だから信じていたのです。わたくしがどう動こうと――必ずクラート様がレティシア様を守ってくださると」


 言い、ティーシェはひらりと馬車に乗った。大国の貴族の令嬢が乗るとは思えないほど粗末な馬車の座席に座り、ドアを開けたままの状態でレティシアたちを見下ろす。


「たとえわたくしが暴挙に出ようと、姉が出てこようと――レティシア様には素敵な仲間がたくさんいる。それが分かって――とても、嬉しかったのです。わたくしに優しくしてくれた人は、やはりとても素晴らしい方だったのだと分かって――嬉しかったです」


 唇を引き結んで沈黙するクラートと、何が何だか分からなくてきょときょとと二人の顔を見比べるレティシア。

 ティーシェはどこか寂しそうに微笑み、御者に声を掛けて出発を命じた。ぴしりと馬に鞭をくれ、古びた馬車の車輪が軋み音を立てる。


「さようなら、レティシア様。お会いできてよかった」

「ティーシェ!」

「ありがとう、レティシア様。わたくし、あなたとお友だちになれてよかったです」


 そして、馬車が動き出す中、ティーシェはクラートに視線を送る。


「……クラート様。本音を言うと、わたくし、少しだけあなたに惹かれていたのです」

「ティーシェ嬢……」

「クラート様、どうかこれからもレティシア様の側にいて差し上げてください」


 そう言い、ティーシェは固く繋がれたクラートとレティシアの手を見、ふふっと微笑んだ。


 馬車が動く。ティーシェはパシンとドアを閉め、真っ直ぐ前を向いた。その目は強い意志を秘めていたが、同時にとても悲しそうで。


『わたくし、少しだけあなたに惹かれていたのです』


 悟りきったように、寂しそうに言うティーシェ。


「ティーシェ!」


 レティシアはクラートの手を離し、馬車を追う。轍に足を取られ、砂利に躓きそうになりながら馬車の窓に触れる。


「私も……あなたに会えてよかった!」


 さようなら、は言わない。

 ティーシェは視線だけ動かしてレティシアを見、ゆっくり、金の巻き毛を揺らして頷いた。


(ティーシェ……)


 立ち止まったレティシアにそっと、クラートが寄り添う。

 二人は夕焼けの太陽と共に西へ向かうティーシェの馬車を、いつまでも見送っていた。

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