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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第1部 黄昏の魔女
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遠征 4

 遠征は、毎日が似たようなものだった。

 日の出ているうちは隊列を組んで歩く。日が沈んだら見習はそれぞれの仕事をこなし、夕飯を食す。食事の仕度は魔道士の仕事だったが貴族出身の少女たちの中で炊事ができる者は少なく、仕方なくレティシアが押しつけられるように食事の準備をさせられた。


 騎士見習の少年たちは文句を言わず薪割りやテント張りを手伝っているが、お嬢様育ちの魔道士見習には耐え難いものがあるのだろう。

 彼女らは「野菜の皮むきをすると手が荒れる」と言ってレティシアに芋やにんじんを押しつけ、「馬具の手入れをすると臭いが取れなくなる」とレティシアに清掃道具を放り、「火起こしなんて魔法ですればいいのよ!」と言って勝手に魔法で火を付けて、隊長に叱責されていた。そしてディレン隊の監視の目を盗んでは仕事をサボり、暑いだるいと愚痴を零しあう。


 サボりが見つかった彼女らがレイドに怒鳴り散らされている傍ら、レティシアが一人、押しつけられた仕事を黙々とこなすのも日常茶飯事となった。時にはレティシアを哀れに思った魔道士の女性が手伝ってくれることもあった。


 雑用をすること自体は別に苦ではない。ルフト村にいた頃から掃除洗濯調理は慣れたものだったし、一人でぼうっと思案にふける時間ができるのは精神衛生上ありがたかった。ミシェルたちお嬢様がいなければ、休憩時間に野花を千切って観察したり地面を掘り起こしたりと、比較的自由に過ごせるのだ。


 夜は騎士見習が立てたテントで寝る。見習は年若い者が多いので少しでも多く寝ろ、とレイド隊長の仰せによって夜中の見張りはディレン隊の面々が担当していた。


 寝付けずに毛布にくるまっていると、テントの布越しに誰かが歩く音やこそこそ話をする声が漏れ聞こえる。相部屋になったミシェルらは「マメが固くなってしまった」「今日も歩き通しだった」「粗末なテントで寝ると背中が痒い」だの就寝時間ギリギリまで文句を垂れていたが、レティシアは見習たちの夜を少しでも長くしてくれるレイドの気遣いに感謝していた。

 あれでいて、根は優しい青年なのだろう。多分。










 日が経ってもレティシアが魔道士見習たちと馴れ合うことはなかった。というよりも、ミシェルらが徹底してレティシアをはじき飛ばしているのだ。


 用があって近寄っても、ふいと顔を背けて逃げられる。食事の場は必ず七人で輪になって食べる。レティシアが一人で食事することが多いので、哀れんだ騎士見習たちが声を掛けてくれることもあったが、レティシアはこれを丁寧に断っていた。

 騎士見習の方へ入れば入ったでミシェルの不興を買うのみだ。きっと、「男性に色目を使うなんて下劣な!」などと言いがかりを付けてくるだろう。


 今日もたき火用の薪を運んでいる最中、後ろから背骨の中央辺りをしたたかに殴られた。前につんのめりながら踏みとどまって振り返ると、大きな丸太を抱えて立ち去っていく魔道士の少女と、その隣を手ぶらで歩くミシェルの後ろ姿が。きっと通りすがりにあの丸太で背中を突いてきたのだろう。背中に青い痣ができているかもしれない。

 レティシアはミシェルの華奢な背中を睨むだけに留め、取り落とした木ぎれを拾い上げて野営地へと戻った。










「この森の奥に小さな湧き水がある。第八番隊以下もここで水浴びをしていった。おまえらも仕事が終わったら入ってもいい」


 五日目の夕食時。

 見習たちがたき火を囲んで夕食を取っていると、レイドが大変ありがたい許可を下した。


 この報告に甲高い歓声を上げたのは、魔道士の少女たち。涼しい季節とはいえども、五日間歩き通しで湯にも入らなかったのだから髪はごわごわ、服は汗を吸って肌触りが悪い。足の裏は見たくもないくらいなので、水浴びは嬉しい限りだった。


「ご厚意に感謝します、レイド隊長」


 真っ先にミシェルが立ち上がり、ご機嫌を取るように上目遣いでレイドに礼を言う。


「ちょうど、お水を浴びたいと思ってましたの」

「俺が掘ったわけじゃない。それにおまえたちが汗まみれになろうと糞まみれになろうと、俺の知ったことじゃない。水浴びが遠征の予定に入っているから言っただけだ」


 レイド隊長はミシェルの甘えた眼差しに怯むどころか、いっそう冷たい睨みを利かせてそう言い放ち、他の見習たちに告げる。


「まずは、やかましいサボり魔の魔道士見習。監視はうちの隊の女がする。それから騎士見習に俺たち騎士団。最後に侍従魔道士の順だ。ちんたらしていると次が来るから、無駄口叩かずにさっさと上がるように。いいな」


 有無を言わせぬ口調で言い、レイドは見習たちが頷くより早くマントを翻してディレン隊たちのもとへと戻っていった。

 ディレン隊の騎士たちは隊長とミシェルのやりとりを見て肩を震わせて笑い、侍従魔道士たちも「やれやれ」と言わんばかりの表情でミシェルを見つめている。


 ミシェルはしばらく毒気を抜かれたように呆けていたが、やがて自分が蔑ろにされたと理解したのか、憮然として座り込み隣の魔道士見習にグチグチと文句を垂れ始める。

 レティシアは少し離れたところから傍観しつつ、ほぼ自分のみで作ったと言ってもよい野菜シチューをのどに流し込んだ。とてもおいしかった。









 隊長の上腕二頭筋だの、騎士のたくましい胸板だの、声高く語り合っていたミシェルらはやがてそれぞれの毛布にくるまり、大人しく寝息を立て始めた。水浴びし、髪や体を洗えたことで満足したのだろう。彼女らの寝顔はひどく穏やかだった。


 普段からこの表情のまま、黙っていればいいのに。そう思いながらレティシアは荷袋からタオルを出してそっと、テントの垂れ幕をめくった。


 この時間にテントを出るのは初めてだった。ぱちぱちと音を立てながら燃えるたき火を中心にして、計六つのテントが正六角形状に並んでいる。

 たき火の前には見張り役らしきプレートメイルを纏った青年騎士がいたため、レティシアは彼に簡単に事情を説明して入浴の許可をもらった。彼は「そういうのは先に隊長に言っておけよ」と不満げだがレティシアに小型ランプを放って寄越し、「さっさと行ってきな」とぼそぼそ言った。


 森の奥の水場は意外と近かった。第八番隊までもこの水場を利用していたためか、足元には草を踏みしめられた道ができあがっている。

 見張りの騎士から借りた魔道ランプの明かりを頼りに歩くとまもなく、湧き水の匂いが鼻に届いてきた。ひと抱えほどの大きさの岩で縁取られた、天然の水場だ。


(……いい匂い。水の質がいいのかな)


 くんくんと鼻をひくつかせると、天然の水資源の清純な香りが鼻孔をくすぐる。レティシアは深呼吸して、脱衣所代わりに使えそうな茂みに潜り込んだ。


 念のため周囲を見渡してから服を脱ぐ。ランプが放つ魔法の光を受けて自分の影が背後の木に映し出され、それが影だと分かっていても不気味に思える。

 影から逃れようと、レティシアは服を手早く畳んで水場の縁にきちんと並べ、髪をまとめていたバレッタをその一番上に重しのように乗せる。そうして水場の縁になっている石枠に尻を乗せ、静かに片足を水の中に差し入れた。


 秋の月の水は少しばかり肌に厳しいが、しばらく浸けているとだんだんと冷たさは温かさに変わり、空気中に晒す素肌の方が寒さを訴えてきた。心臓を驚かせないよう、滑るように片足を全て突っ込み、もう片方も浸し、そして胸の上まで徐々に体を沈めていく。


 レティシアの体にはミシェルらから受けたいじめの傷が残っている。ほとんどは青痣だが、先日ブーツのかかとで脛を蹴られたときには軽く切り傷のようなものができていた。貴族のブーツは特注品で、つま先に何か仕込まれていたのかもしれない。

 とにかく、そのような体を当の本人らに晒したくはなくて、風呂の時間をずらすことにしたのだ。


(いつまで続けるつもりなのかな……)


 レティシアはそっと腕を持ち上げ、左上腕にくっきり浮かぶ青あざを静かに撫でた。

 これくらいの怪我は何てことない。打ち身や擦り傷はルフト村にいた頃から嫌というほど経験してきた。だから抓られたり引っかかれたりすること自体は苦にならないし、無視されることも既に慣れてしまった。

 このようなことに慣れてしまうなんて、情けない話ではあるが。

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