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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第1部 黄昏の魔女
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遠征 3

「貴様ら、気を抜くんじゃないぞ! 生半可な気持ちで遠征に行く奴は途中の森で放り出すから、そのつもりでいろ!」


 遠征出発の日。

 朝からレイド隊長の檄は遠慮がない。


 その他にも彼は「首根っこ掴んで市街地を引きずり回す」だの「俺の剣の錆にする」だの、到底指揮官とは思えない脅し文句を並び立てた。これをレイド以外の者が言えばただの虚勢にしか見えないが、今にも抜刀しそうな彼が言うからこそ迫力があった。

 彼の横で同じように喝を聞いてる侍従魔道士や侍従騎士たちが平然としているので、別に今日の彼が特別不機嫌なのではなく、これがレイドの「通常」なのかもしれないが。


「ルートは把握しているな。まあ俺たちについてこればいい。遠征中は毎日野宿になる。おまえらがぐずぐずしなけりゃ、十日もあれば帰ってこれるだろう」


 句読点が入る度に筒状に丸めた資料を自分の手の平に打ち付けるため、既に彼の資料はズタズタだった。

 今にも紐綴じが外れそうなそれをもう一度叩きつけ、レイドは声を張り上げる。


「それじゃあ、隊列を組め! おまえらは全員徒歩だ。文句垂れるんじゃないぞ!」


 さすがにレイド隊長に献言するような勇者はおらず、全員あらかじめ決められていた隊列を組むべく、持ち場に移動した。


 まず、先頭には騎乗したレイド隊長。もたもた並ぶ見習たちを見下ろして、眉間の皺がさらに深くなっている。

 彼のすぐ後ろに薄茶の髪をした女性魔道士が続き、その後ろに騎士見習の少年たちが縦四、横二に並ぶ。彼らのさらに後ろに魔道士見習が同じように縦長に並び、その両脇を騎士と魔道士が二人ずつ固めている。


 魔道士見習も二人組で歩くので、隣は必然的に魔道士の誰かになる。

 レティシアの隣、魔道士列の最後尾に並ぶのは見慣れない顔の少女魔道士。レティシアよりふたつほど年下だろうが、彼女も既にミシェルと意気投合した質のようで、レティシアをちらっと見ただけで気弱そうな顔をしかめ、すぐに視線を逸らしてしまった。そして周りの騎士や魔道士に注意されない程度に、レティシアと距離を取る。


「隊は組めたか。では行くぞ、遠征実習開始だ!」


 威勢のいい声と共に、資料はとどめの一撃を見舞われた。

 レイドは空中分解したそれをしばし見つめ、すぐに興味を失ったように後ろの魔道士に押しつけて馬の横腹を蹴った。









 レイドが宣言したように、遠征はとにかく歩き、歩き、歩く。騎士だけでなく侍従魔道士たちも馬に乗っているので、歩くのは見習たちのみ。せめてもの情けかレイド隊長は馬を疾駆させることはなく、徒歩組が十分ついていける速度で馬を進める。隊長がその速さなので当然、彼に従う侍従魔道士や騎士も並足で行軍する。


 遠征、と銘打ってはいるが、畑仕事で足腰を鍛えているレティシアにとってはハイキングのようなものだ。天気は良好で、足元も歩きやすいように砂利を引いた馬車道なのがなおよい。

 背負う荷を揺らせ、故郷で教わった民謡を小声で歌いながら列についていったのだが。


「何が遠征ですの! このような砂利道を延々歩かせて!」


 周囲の監視役の耳に届かぬよう、草原を吹く風に隠れそうな声量でミシェルが愚痴をしている。彼女はレティシアの斜め右前にいるため、彼女の不満ははっきり耳に届いた。


「どう思いまして? これとブロンズマージ昇格試験に何の関係があるのでしょうか? 無駄きわまりません」

「まったくですね、ミシェル様」


 ミシェルの愚痴受付係に任命されたらしき少女は、仰々しく首を縦に振る。


「ミシェル様ほどの実力がおありなら、このような泥臭い試験を受けずとも、ブロンズマージに叙されるでしょうに」

「まあ。そう言っていただけて光栄です、マリエッタ・フィオーン様。実はわたくし、魔道の師からもセフィア城ではなく、カーマル帝国の魔道士養成機関への入学を勧められましたの。お父様もリデル陛下への面子があり、留学は叶わなかったのですが……」

「確か、ミシェル様は高名な魔道士に師事されたそうで。侍従魔道士団に入るまでには既に、ライトマージにふさわしい魔力を身につけてらっしゃったとか」

「あら、おっしゃるほどではありませんのよ」


 ミシェルの自慢話を小耳に挟みつつ、レティシアはブーツのつま先で馬車道の土をほじくりながら歩いていた。ここの土は硬すぎるので、農作業には向かないだろう。


「ですが、わたくしに魔道の知識を授けてくださったのは……ゲアリー・ベルツという方ですの。ご存じで?」

「ええ、ええ! ベルツ子爵ですね!」

「そう。そのゲアリー師匠に四つの頃から師事しましたの」


 と、ここで意味ありげにレティシアに視線を送るミシェル。「あなたとは十一年もスタートラインが違うのよ」と、そのアメジストのような目は訴えていた。レティシアは顔の横をふわふわ飛んでいくちょうちょを眺めていた。


「……。……我らがベルウッド伯爵家は、代々優秀な魔道士を輩出しております。わたくしの父もかつてはゴールドマージでセフィア城を卒業し、エドモンド陛下にお仕えしたこともある身。母も聖都クインエリアで女官として働いておりました。実力ならば十分、クインエリアの大司教一族に匹敵するだろうと、ゲアリー師匠からお褒めの言葉をいただいておりまして」


 そこでまた、ミシェルは斜め左後ろのレティシアに視線を遣った。

「クインエリア」なる単語が出てきたため耳をそばだてていたレティシアは冷たい視線を浴び、ぎくっと身を強ばらせる。

 だがミシェルはただ単に「あなたとは違うのよ」と自慢したかっただけなのだろう。すぐに視線が前に戻されたため、レティシアは胸をなで下ろした。


「ですからわたくし、フェリシア様に憧れておりましたの。大司教一族は類い希な魔力を持ったお方。特に――今は亡きフェリシア様はわたくしの永遠の目標なのです」


 ミシェルは薄いアメジスト目に光を宿し、口元に微かな笑みを浮かべた。


「フェリシア様の死を無駄には致しません。わたくし、フェリシア様と同じゴールドマージに昇格し、必ずやベルウッド伯爵家の誇りになります!」









 フェリシアを慕い、彼女のような魔道士になりたいと願うミシェル。

 きっとフェリシアを敬愛するのは、ミシェルのみではない。多くの魔道士たちが、クインエリアの次期大司教候補であったフェリシアを崇拝していたのだろう。


 だが、ミシェルの後頭部を見つめるレティシアの表情は晴れなかった。

 姉であるフェリシアが褒められた。

 もしレティシアが姉と共にまっとうに育っていたなら、手放しで喜んだことだろう。


 しかし「フェリシア様は偉大だ」と言われても、レティシアの胸には何の感情も起こらない。

 誇りでも怒りでもない、まっさらな無関心。

 実の姉が褒められたのではなく、自分には何の関係もない、赤の他人が讃えられただけ。


 美しい姉。

 優秀な姉。

 父と母に愛された姉、フェリシア。


 だからといって、嫉妬も感じない。羨ましいとも思えない。


 レティシアはレティシアだから。

 自分にはルフト村に居場所があり、養父母がおり、慕ってくれる子どもたちがいた。


(きっとこれでいいんだよね)


 顔も見たことがない「フェリシア」の影を追う必要なんてないだろう。ロザリンドに叱咤されようと、ミシェルに嘲られようと、レティシアはこれでいい。

 そう、信じたかった。











 日が沈むと、先に進めなくなる。魔道士たちは魔法が使えるし魔道カンテラもあるので歩けないことはないのだが、やはり効率が悪く、実際の遠征でも夜中に進軍することは滅多にないそうだ。

 それに、夜は夜で見習たちの仕事はある。


 初めての野営地は、開かれた平原の真ん中だった。近くに小川があるので新鮮な水が汲め、丈の長い草地もあって用を足すのにも困らない。レイド曰く、この辺りは王国の管理がしっかり行き届いているのでまず夜盗は出てこないのだという。


「それじゃあこの子たち、お願いするわね」


 騎士見習はレイドの叱咤を受けながらテント張りに勤しんでおり、自分たちは何をするのかと魔道士見習たちが待っていた矢先、現れたのは馬を引き連れた侍従魔道士たちだった。


 ミシェルら貴族の令嬢は、足にできたマメや汗臭い服に文句を垂れていたのだが、魔道士たちから馬の手綱を差し出され、一同青ざめた。


「あ、あの……お願いする、というのはその馬のことですか?」


 既に魔道士見習のリーダー格になっていたミシェルが可愛らしく尋ねると、背の高い金髪の侍従魔道士がこっくり頷いた。彼女は伯爵の娘であるミシェルを前にしても謙ることなく、堂々とした態度である。


「そうよ。私たちの馬四頭と、騎士の馬が四頭。合計八頭、これからよろしく頼むわ」


 痛いほどの沈黙が流れる。

 全員、まさか魔道士が馬の世話をさせられるとは思ってもいなかった。

 中には、馬独特の臭いを嗅いだだけで涙目になる少女も。


「し、しかし、馬の世話は騎士見習の方が長けているのでは……」

「そうかもしれませんが――魔道士見習も乗馬の訓練は受けているでしょう?」


 言うのは、一番端に立っている女性。緩くウェーブの掛かった長い茶色の髪を持つ、比較的年若い魔道士だ。

 ミルクココアのように甘い色合いの髪を指に巻き付け、彼女は申し訳なさそうに眉根を寄せる。


「ごめんなさい、レイド様が担当をお決めになったので……あなた方は馬の世話と、それが終わったら私たちと一緒に食事の準備をしてもらいます」


 困ったように説明する女性に他の侍従魔道士も同調し、それぞれ手綱を差し出した。


「魔道士見習の数と馬の数は一致します。では一人一頭、お願いしますね」


 レイドに言われるなら仕方がない。しぶしぶ魔道士見習たちは腰を上げ、先輩魔道士から手綱を引き取った。

 馬たちは自分よりずっと小柄で、しかも未熟な見習たちに手綱を取られたのが不満なのか、各々鼻を鳴らすなり蹄で砂を掻くなりして不快を訴えていた。


「ねえ、レイド様の馬はどこにいますの?」


 背後ではきはきしたミシェルの声が聞こえる。

 見れば、先ほどの若い女性魔道士が差し出す手綱を断り、ミシェルは胸を張って主張していた。


「わたくし、馬の手入れには慣れております。隊長の馬は一番立派なのでしょう?」

「それは……ええ、そうですね」


 困惑顔で頬に手を遣る女性。ミシェルはそんな女性を一瞥し、いらいらと靴を踏み鳴らした。そして足の裏にこさえたマメを踏ん付け、痛そうに顔をしかめながら言い募る。


「いいからお貸しなさい。わたくし、実家で高級な馬の扱いには慣れているのよ」

「……分かりました」


 女性はしぶしぶ承諾し、背後に控えていたひときわ立派で大柄な馬の手綱をミシェルに渡した。ミシェルは奪うように手綱を取り、レイドの馬を引いて別の魔道士見習と共にブラシを手に取る。

 レイドの馬は小柄な少女に手綱を取られて最初こそ不満げに鼻を鳴らしたが、慣れた手つきで体にブラシを掛けられると観念したように目を閉ざしていた。


 左手でブラシを掛けながら馬の鬣を撫でる。

 態度こそ高慢だが、事実馬の扱いには慣れているようだ。



「さすがですわ、ミシェル様。レイド隊長の馬の世話ができるなんて」

「当然です」


 友人に褒められ、ミシェルは背後のレティシアにも聞こえるよう、声の調子を高めた。


「だってあのブロンズマージ、とても扱いやすそうでして。さすが平民、ブロンズマージになっても平民臭さは抜けないものですね」


 平民、にレティシアの耳が反応する。

 彼女は少し話をしただけで、相手の生まれを見抜いたのだろうか。


「やはり平民出の魔道士だったのですね。随分野暮ったい顔をしているとは思いましたが」

「ミシェル様、わたくしあの魔道士を存じております」


 憤慨した口調で言うのは、「お姉様」ライトマージの片割れ。

 彼女はしっかりミシェルの隣に陣取り、馬にブラシを掛けつつ鼻息荒く言い募った。


「ミシェル様のお察しの通り、あの女は庶民出です。つい先日まで、ぼろのようなジュニアマージのマントを着ておりましたもの。それに、交流会で見たときも貧相なドレスを着ていて。なぜレイド様のような方に認められたのか、全く見当も付きません」

「先ほどの行軍中も、レイド様の背後におりましたよね? 隊長のすぐ後ろにいるとなると、さては媚びを売ったのでは?」

「もしくは体を売ったとか? それくらいしか価値はないでしょうに」

「まあ……クリス様ったら、はしたないですよ」


(……うわぁ)


 おほほ、と高らかに笑うお姉様たち。レティシアは自分のすべき事も忘れ、ミシェル軍団の無礼な噂話に現を抜かしていた。


 そのため、自分に向かって声が掛けられていることになかなか気づけなかった。


「――もしもし。あなた、まだ担当の馬が決まっていないのかしら?」


 とんとんと背中を叩かれ、ようやくレティシアはミシェルから視線を引き剥がしてそちらを見やった。

 困ったように微笑んで愛馬の手綱を取るのは、先ほどから「平民」とミシェルたちに嘲られているブロンズマージ。


「よかったら私の馬の手入れをしてくださらないかしら? とても大人しい子だから、手入れもしやすいと思うの」


 馬もまた主人に似ているのだろう、黒い目はおどおどと自信なさげに動き回り、体も他の馬より若干小さい。周りを見回してみても、ほとんどの見習は自分の担当する馬を決めたようで、各々ブラシや櫛を手に取っている。


「……分かりました。お手入れします」

「ありがとう、助かるわ」


 女性は心からほっとしたように言い、魔道士見習の群から離れた所に立つレティシアを見て微かに目を細めた。


「私はレイド様の隊に属する、セレナ・フィリーというの。もし、何か相談したいこととかがあったら、遠慮なく言ってね」


 セレナ・フィリーは微笑むと、踵を返して侍従魔道士仲間の元へ戻っていった。

 侍従魔道士四人が並んでいるのを見てもセレナが一番年下で、ブロンズ色のマントも一番ものが新しいように思える。だが四人の中に優劣関係はないのか、セレナはあっさりと三人の年上魔道士に迎えられ、何か談笑しながら隊長レイドの元へと歩み去っていく。


 レイドもレイドで、見習たちに対してはこれ以上ないほどの不機嫌菌を撒き散らしているのだが、侍従魔道士たちの報告には神妙な面持ちで耳を傾けているし、部下の騎士たちには軽く肩を叩いたりと気さくに接している。


(いいな……)


 レティシアは正直に思った。

「平民」と嘲られるような出自を持つセレナも、ディレン隊の中では皆と平等に和気あいあいと生活している。思えば行軍中、レイドのすぐ後ろに控えて時折彼に何か話しかけていた侍従魔道士がセレナだった。きっとレイドからの信頼も厚いのだろう。


 レティシアはセレナの馬に濡らしたブラシを掛けながら、ちらっと背後の魔道士見習たちの方を窺った。レティシア以外の七人は、片手で適当に馬にブラシを掛けつつお喋りに興じている。


「……気の合う仲間探しって、難しいのね」


 レティシアの独り言に、セレナの馬が慰めるように鼻先をすり寄せてきた。

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