脇役魔道士の奔走 3
「……言い訳は結構だ。俺ももう疲れた」
翌日。
朝食の席でレイドに昨日のことを報告すると、レイド疲れ顔で唸った。珍しくも、彼のストレートの赤髪にわずかな寝癖の跡がある。
「昨日の夕方、ボーレとタリスから話は聞いていた。……言いたいことは全て奴らにぶちまけたから、もういい」
ただし、とレイドは重たそうに目を開ける。
「クラートにも言ったことだが、劇の練習と勉強、騎士団の仕事は必ず両立させろ。それができそうにないならば、否応なしに役から引きずり降ろす。これに関しては実行委員会の奴らにも念押し済みだ」
「もちろんよ。我が儘言ってごめんなさい、レイド」
素直に謝罪すると、レイド若干不満そうに皿の上のスクランブルエッグをフォークで掻き回した。隣の席のセレナが心配そうにレイドを見つめ、恋人の機嫌を窺うように小首を傾げている。
レイドは不安そうなセレナに気付いたのか、若干表情を緩めてセレナを見つめ返した。セレナはそんなレイドに微笑みかけ、レイドも気が抜けたように口元を緩めた。
あれほど苛立っていたレイドを無言で制するとは、さすがセレナ。さすが愛の力。おかげで朝からレイドの説教を受けずに済んだ。
(……そうだ。この機会だ)
食事の後、レティシアは後片づけをしながらセレナにそっと近付いた。
「つかぬことを聞きたいんだけど……いい?」
「内容によるけど?」
セレナは珍しくも意地悪に返し、ぱちっとウインクした。最近、ちょっとだけセレナは意地悪になった気がする。きっと、大好きな恋人に似てきたのだろう。
レティシアは我知らずごくっと唾を呑み、布巾でテーブルを拭きながら逡巡し、ややあって口を開いた。
「セレナは……その……やっぱり、レイドに見つめられるとドキドキする?」
意を決して聞いてみる。気合いを入れるために、汚れた布巾をぎゅっと握りしめてまっすぐセレナを正面から見据えた。
昨夜から気になっていること。
クラートに見られると、どうしても胸が高鳴った落ち着かなくなってしまう理由。
ひょっとしたら……と思って、身近な人に遠回しに聞いてみることにしたのだ。
いきなりなレティシアの質問にも、セレナは怯まなかった。彼女は目を丸くさせ、皿を重ねる作業をしていた手を止めた。ここで赤面しない辺り、さすがレティシアより大人の女性といったところか。
「それは、もちろんドキドキするわよ」
「じゃあ、今はレイドと両想いだけど、付き合う前からそうだった?」
「そうね……私は結構前からレイド様のことが気になっていたけれど、その頃からは、レイド様と視線が合うとドキドキしたわ。よしんばレイド様にはそんなおつもりがなくっても、好きな男性から見つめられると緊張するのよ」
「それって、好きな人以外の男の人に見られても、そんなにドキドキしないんだよね」
「そりゃ、そうだけど……」
セレナはそろそろ不審そうな目になってくる。不審ならまだいい。セレナに限ってはなかろうが、根掘り葉掘り聞いてこられたらこちらが困る。ミランダやノルテほどではないが、セレナも弁が立つし何より頭の回転が速い。脳みその処理速度が平均的なレティシアの敗北は、目に見えていた。
レティシアは適当に言い逃れして、布巾をまとめて抱えてから逃げるように立ち去った。
食堂の入り口でセレナを待つレイドに会釈し、教室に向かう生徒の波に揉まれながら思案する。
(なるほど……セレナの言うことが正しいのなら)
少し、実験してみようか。
レティシアはまず、無難そうなのから調査することにした。
「……えーっと、レティシア? なんでじーっと俺を見るわけ?」
頃は一時間目が終わった後。
レティシアは城門付近でオリオンを見かけた。彼は軽鎧に着替え、次の授業のために準備しているようだ。レティシアは彼を呼び止め、そして――穴が空くほど凝視してみた。
頭二つ分ほど背の高いオリオンを見上げるのは首にダメージがあるが、実験実験。オリオンはいきなりのことにきょとんとしており、レティシアに何か言おうと口を開きかけたが、レティシアがあまりにも真面目に見つめてくるものだからからか、口を閉じてぼりぼり頭を掻いた。
案の定胸はドキドキしない。それどころか、大男を見上げすぎて首の裏が悲鳴を上げてくる。
(オリオンでは無反応……ということね)
「……なあ、おまえ熱でもあるのか……っておーい、何も言わず去らないでくれよー」
結果が分かれば、次、次。
次の休み時間。セレナに申し訳ないと思いつつ、レティシアは通りすがったレイドを捕まえた。
「……俺は、おまえの遊びに付き合っているほど暇ではないのだが」
レイド明らかに不機嫌だ。やはり朝のことが尾を引きずっているようだ。
だがレティシアがオリオンの時と同じように彼の顔を見上げていると、あれこれ言いつつ、しかめ面でレティシアを見てくれる。やはり文句は言いつつも彼は優しいようだ。
ただし。
(これもやっぱり違う。ドキドキしない)
レティシアは首を振り、踵を返した。
「……あいつ、変な物でも食ったのか?」
レイド首を傾げ、妙にしっかりした足取りのレティシアの背中をうろんな眼差しで見送った。
その後。昼前の図書館にて。
「やあ、レティシア。台本読みは捗っているかい?」
レティシアは調べ物中のボーレと遭遇し、挨拶して彼のテーブルに近付いた。
彼がテーブルに広げている書物は、どれも「聖槍伝説」関連のものばかり。本も新しい物から背表紙が擦り切れた年代物まで、各種取りそろえていた。
興味を引かれて、レティシアは書籍のひとつを手に取った。
「『聖槍伝説』について調べていたのですか」
「うん。なかなか奥が深くてね。僕は子どもの頃から、伝説とか神話に興味があって。いつかリデル国立図書館で働くのが夢なんだ」
「魔道関連の仕事ではないのですね」
「まあね」
ボーレは羽ペンをくわえて頭の後ろで手を組み、小さく微笑んだ。
「僕の実家は商家なんだけど、非魔道士の両親にたまたま僕が生まれてね。セフィア城なら入学金とか要らないし、せっかくだし勉強してこいって送り出されたんだ。別に、魔道士が魔道関連の仕事に就かなきゃならないっていう法律はないし、僕はセフィア城卒業後も気ままにやりたいことをして過ごすつもりなんだよ。それに『聖槍伝説』関する書物は読むのも集めるのも楽しいんだ」
「へえ……」
ボーレの話を聞きつつ、レティシアは例の実験をしてみることにした。
レティシアはボーレの正面の席に座り、熱心に「聖槍伝説」について語るボーレを真ん前から見つめてみた。ボーレは細身で、騎士仲間に見慣れたレティシアからすれば痩せぎすにも思える。それでも顔立ちはなかなか精悍で、細いながらにも指先や顎のラインはがっしりとしていた。間接も太くてしっかりしているのは、彼が商家生まれで親の仕事を手伝っていたからだろうか。
ただしボーレを見ていてもやはり、胸はドキドキしてこない。さすがにボーレもレティシアの異常行動に気付いたようだ。「聖槍伝説」語りを止め、眉をきゅっと寄せる。
「……どうかした?」
「いえ……」
「そんなに熱っぽい眼差しで見ないでよー、僕、これでも彼女持ちなんだから」
(あ、そうなんだ。いやいや、それは置いといて……)
「いや……ちょっと実験中で」
「何の?」
「実験」と聞いてボーレの目がわずかに見開かれ、瞳に光が増したように思われた。
気さくに話しかけてくるボーレに、レティシアは少し悩んだ末、自分の考えを打ち明けてみることにした。最初は好奇心丸出しの表情だったボーレも、徐々に真面目な顔つきになる。
「つまり君は、クラート君と目が合うとドキドキして、他の男性でもそうなるのか、実験してみたのか」
しどろもどろなレティシアの説明を聞いたボーレは、ふむふむと頷いた。
「で、結果は?」
「全く……今のところボーレ様入れて三人に試してみましたが、誰に対してもドキドキしなくって」
「そうか……」
しばしボーレは黙り、顔を上げた。
「特定の異性にのみドキドキするってことは、やっぱりその人に特別な感情があるってことだろうね」
「特別な感情……」
「特別な感情と言っても、種類はいろいろさ。思慕だったり恋愛だったり尊敬だったり……僕の場合、優秀な魔道士だった女性の先輩と会ったときはドキドキしていたよ。もちろん、恋愛感情抜きでね」
ボーレに説明され、レティシアはそういうものなのかと首を捻る。そんなレティシアを見、ボーレははぐらかすように片手を振った。
「ただ、君の場合は自分自身でもクラート君に対する思いの正体が分かっていないようだ。もちろん、当の本人に分からないなら、僕が分かるはずがない」
そう言ってボーレは、ふっと微笑む。
「これから模索していくといいよ。君たちはまだ若いんだし、君がクラート君に抱く感情が何なのか……少しずつ、見極めていったらどうかな」
論理立てて優しく語られ、なるほど、とレティシアは納得した。なんだか、あれこれ一人で暴走していたことがばからしく思えてきた。と同時に、訳の分からない実験に付き合わせてしまったオリオンやレイドに対して、今更申し訳ない気持ちが湧いてくる。
(二人には後で謝っておこう……)
「ありがとうございました、ボーレ様。なんだかすっきりしたみたいです」
「うん、それと今後はもう、やたらめったら異性を見つめたりしないように」
勘違いされるからね、と言われ、レティシアは赤面して席を立ち、早口に挨拶してからまろぶように図書館を出ていった。
その場に残されたボーレは、閉じた本の上に肘を突いてレティシアの背中を見送った。
「とりあえず誤魔化しといたけど……ひょっとして僕、悪いことしちゃったかな」
レティシアを役者に抜擢したこと、レティシアの気持ちをミスリードさせるような助言をしたこと。二つの意味で、ボーレは顔をしかめた。
「……でも、これ以上は本人次第かな。僕が言ったって、何もおもしろくないしね」
そうひとりごち、ボーレはわずかに口元に笑みを浮かべると新しい本を手に取った。




