編入生はお嬢様 6
クラートとティーシェが、三百五十年祭の劇の役者になった。
この二人が役に据えられたことによって全ての配役が決まったらしく、「聖槍伝説」劇の練習は本格的に始まったとのことだ。
クラートは本人が言ったように、劇の練習に行くからといって、彼が騎士団の仕事を疎かにすることはなかった。少なくともレティシアが見ている限りクラートは全ての仕事に参加しているし、騎士団の会合やお茶会にも欠かさず出席している。以前よりもやや窶れたように見えるが、レティシアたちが何と言おうと、本人は笑顔で「大丈夫だよ」としか言わなかった。
加えてクラートは、時間外にレイドに剣の手解きを受けているそうだ。どうやら今回の劇で彼が担当するのは剣術を得意とする騎士役らしく、今の彼の実力では物足りないのだという。タリスが指摘したのではなくクラート自身が己の力不足を自覚していて、レイドに特訓を申し出たそうだ。
今日も、他に人がいなくなったグラウンドでクラートとレイドが打ち合っている。本日最後の仕事は、ライトナイトの少年少女たちの指導。
彼らが全員はけた後、ディレン隊数名のみ残ってクラートの特訓に付き合っていた。
模造剣で斬りかかるクラートを軽くいなすレイド。レイドは自分の剣を振ろうとせず、ひらひらとクラートの猛攻をかわしていた。
「腰が高いぞ、クラート。そのような体勢では……」
レイドの右手が動き、鞘に収まったままの剣が突き出される。
レイドの剣はクラートの左脇に命中し、バランスを崩した彼は蹈鞴を踏んで危うく転びそうになる。だがクラートは体を捩って左手を地面に付き、素早く立ち上がると気合いの声と共に再びレイドに斬りかかっていった。
「……ご苦労なことよね」
艶のある声と共に、ミランダがレティシアの隣に腰掛けてきた。
レティシアはグラウンドを臨めるベンチに腰掛け、脚を組んでその上に肘を突くという格好でクラートの練習風景を眺めていた。レティシアは、隣にミランダが座ったので肘を外し、その美術品のように整った横顔を見上げた。
「……クラート様のことですか」
「もちろん彼もだけど……」
ミランダはウェーブの掛かった黒髪を掻き上げ、レティシアを見るとふっと微笑んだ。
「……あなたもよ、レティシア」
「……はい?」
「セレナたちはもう上がったし、そろそろ暗くなるのにクラートの練習を見学してるのね」
ミランダに指摘され、レティシアはどう言えばいいか分からず閉口した。
仕事が終わった後、セレナやカティアは食事のために戻ったし、オリオンやノルテは早く風呂に入りたいと言っていた。一緒に入らないかとノルテに誘われたのだが、レティシアはそれを丁重に断った。
(……指摘されると、なんだかやりにくくなるんだけど)
レティシアは何となく気まずくなり、ミランダから目を反らしてグラウンドを見やった。がらんとしたグラウンドで打ち合う二人を、必要以上に凝視する。
「……変でしょうか」
ミランダの方を見ずに呟くと、くくっと喉から絞り出したような声が上がった。
「いえ、別に。でも……そろそろ、気付いてもいい頃かと思ってね」
試すようなミランダの声に、ついレティシアは首を捻ってそちらを見てしまう。
ミランダは先ほどのレティシアと同じ格好で、挑戦的な眼差しでレティシアを見返していた。唇に浮かんでいるのは微笑みだが、何か、意地悪な悪魔の笑みのように思われる。
(気付いてもいい……?)
レティシアは唇を噛み、ミランダを見つめ返した。
ミランダは、レティシアの中の「何か」を擽っている。それはきっと、ここしばらくレティシアの心を悩ませていた、形容しがたい感情。
それもミランダは、レティシアの心の悩みを自ら掘り出そうとしているのではない。レティシアを擽り、誘導し、レティシアの手で掘り出させようとしている。言い方を変えれば、レティシア自身にプライベートな部分を吐き出させようとしている。
ミランダの瞳に映る自分の顔は、ひどく滑稽な表情をしている。自分では真面目な顔をしているつもりだろうが、心の動揺を隠しきれない、中途半端な顔だ。
(私が気付くべきこと……)
落ち着いて考えれば、分かること。
レティシアはそっと視線をずらし、グラウンドを見た。ちょうど、レイドの一撃でクラートが地面に尻餅付いたところだった。彼は顔をしかめつつも立ちあがり、今の攻撃の何がいけなかったのか、レイドから注意を受けていた。
(分かってる。そんなの……私が一番分かってる)
分かっているからこそ、擽ってくるミランダが憎らしかった。自分が今抱えている想いを簡単に他人に口外できるほど、レティシアは人間ができていなかったし大人でもなかった。
きっとミランダの言う「気付くべき」というのは、早く大人になって素直になるべきだということなのだろう。
それでも――
「……何のことでしょうか」
空惚け、レティシアはわざとらしく笑みを浮かべた。
嬉しいから笑うのではなく、隠したいから笑う。
「そりゃ、私が分かっていないことは山ほどあるでしょうけど、ミランダ様が特に何を言ってるのか、分からないです」
「……そう」
すっと、ミランダの目が細まる。彼女の口元から笑みは消え、残念そうな、失望したようなため息が漏れる。
「……まだあなたはそこまで逞しくなれていないようね」
「何のことでしょうか?」
こうなったら、白々しくてもいい。子ども染みた様でもいい。とことん惚けてやる。
なおも吐かないレティシアを見、ミランダは興ざめたように肩を落とすと、視線をずらした。
「……ここまで言ってダメなら諦めるわ。まあ、いずれあなたも素直になるべきでしょうけど。……そんな怖い顔しないで。今回は別に、あなたをからかうために来たのではないから」
再びレティシアを見つめるミランダの目は、ごく真剣だ。
レティシアは知らずうちに姿勢を正し、ミランダがバッグから出したものを受け取った。
手にしたそれを、上下ひっくり返して目の高さに合わせる。夕闇に染まりつつある日差しの中、それを読み上げる。
「『聖槍伝説台本、筆者タリス・マージュ』……」
「見ての通り、今度の三百五十年祭で実施する劇の台本よ。私の友人も裏方として参加するから、ちょっと借りたのよ」
ミランダは反対側から台本を持ち、数ページめくった。彼女の友人は熱心に台本を読み込んでいるらしく、台詞のあちこちに色つきの線が引かれていた。
「……別にこの台本を読めってわけじゃなくて。見てほしい――というか知ってほしいのは、これ」
ミランダが示したのは、舞台の第三幕登場人物一覧。
諸国を旅するルーシ王女がついに敵国セディン帝国首都に乗り込む、山場のシーンから始まる幕のようだ。
「レティシアが知っているかどうか分からないけど、クラートはここから登場するの。で、問題が彼の配役で……」
ミランダのほっそりした指が紙面を滑り、登場人物の名を順に追ってゆく。
そして指先が止まった場所。「セデス帝国所属の少年騎士」の箇所。
何気なくクラートの役目を目で追っていたレティシアは、はっと息を呑んだ。
ミランダの指の下部に書かれた内容、それは――
「『セディン帝国に仕える近衛兵であったが、聖女を救ったことがきっかけで彼女と恋に落ち、帝国滅亡後は聖女と共に駆け落ちする』……この『聖女』が誰を指すのか、知ってる?」
知っている。もちろん知っている。
なぜならその「聖女」役は、レティシア自らがタリスに提案したのだから。金髪に紫の目を持つという、その少女を。
「……ティーシェ」
ため息のようなレティシアの声に、ミランダは固く頷いた。
「そう。つまり、劇といえどクラートとティーシェ・グラスバーンが恋人になるということなのよ」
「……だから?」
強気で聞いたつもりなのに、声は情けなく震えている。台本を掴む手に力が入り、人の物だというのに引き裂いてしまいそうになる。
ミランダはレティシアの手から台本を引き抜いて没収し、震え上がるほど真っ直ぐな眼差しで見つめてきた。
「……あなたに、二人の恋愛場面を見る勇気があるかってことよ」
キン、と鋼が噛み合う音が夕暮れのセフィア城に響いた。




