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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第5部 紫紺の面影
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編入生はお嬢様 4

「グラスバーン男爵家? ああ、そういうのもあったわね」


 その日の夕食時間。

 レティシアが今朝会った転入生の話をすると、最初にミランダが反応した。


「カーマル帝国の南部穀物地帯を領土にしていてね。あそこで採れる小麦はなかなか上質だし、ケチらない男爵だから結構リデルにもいい値で出荷してくれるのよ」

「ミランダは、カーマル帝国にも行ったことがあるの?」


 サラダを取り分けて聞いてみると、ミランダはゆっくり頷いた。


「何度かね。といっても、父さんの仕事に随行してたから、自由行動は取れなかったけれど。グラスバーン穀物地帯はなかなか絵になるから、男爵領の風景画ってのは芸術家もよく題材にしているのよ」

「その穀物地帯のお嬢様が編入、ねぇ」


 冷やし鴨肉ソテーにぱく付いていたノルテも、しみじみ言う。口の端から、薄切りタマネギの一部が覗いている。


「てか、カトラキア城ってあの超有名エリート校でしょ。よくもまあ、こんな殺風景な味気ない城に編入しようと思ったわね」

「確かに……」


 昨年の冬に行った、リデル王太子ティエラ王女の護送作戦。その時に一緒にチームを組んだお嬢様魔道士たちは全員、カーマル帝国のカトラキア城出身だった。彼女らも相当セフィア城のことを扱き下ろしていたので、カトラキア城からの編入はあり得ないと思っていたのだが。


 ちなみにこの場にいるのはレティシア、ノルテ、ミランダの三人だけだった。男性陣は夜の特訓があるとかで先に食事をしたらしく、セレナについてはレイドの訓練を見るためにグラウンドに出ているらしい。そしてその後、二人でまったり夜の憩いのひとときを過ごす……というのは、ノルテの見解だ。


「まあ、人それぞれ事情があるでしょうね」


 ミランダがさっくりと結論を出し、レティシアとノルテも頷いてそれぞれフォークを握った――と。

 レティシアたちのテーブルのすぐ脇を女性騎士が通り、それを見たノルテが立ち上がった。


「あっ……お晩です、タリス姐さん!」

「ん、ノルテ?」


 食事のプレートを持って脇を通ろうとした女性騎士は立ち止まり、ブンブン手を振るノルテを振り返り見た。


「夜になっても元気だな……ああ、ごめん。仲間と食事中か。おっ、ミランダもいるじゃないか。悪いね、邪魔したよ」

「いえ、お気になさらずに」

「なんなら一緒にどう?」


 ミランダが椅子を引いて席を薦めたため、「タリス姐さん」と呼ばれた女性騎士は、「じゃあ失礼」と言ってミランダとノルテの間に自分のプレートを置いた。


「久しぶりね、タリス」


 席に着いた女性騎士に、ミランダが軽く微笑みかけた。


「まともに話をするのは、お互い見習の時の合同訓練以来かしら?」

「そうだな。私もミランダもそれぞれスティールになったら、めっきり会うことが少なくなったっけ」


 女性騎士はカラカラと笑った後、ふと思い出したようにレティシアの方を向き、上着のポケットから小さな名刺を出した。


「ああ、自己紹介が遅れたな。私はタリス・マージュという」


 レティシアたちが受け取った名刺には、「三百五十年祭実行委員会副実行委員長、シルバーナイト、タリス・マージュ」と書かれている。


「……あの実行委員会の方なのですね」

「まあな。へたれた実行委員長と一緒に運営を行っている」


 レティシアに返し、タリス・マージュは食前の祈りを捧げた後、フォークを手に取った。


 タリス・マージュは輝くプラチナヘアーを男性並みに短く切りそろえており、高い鼻と怜悧なストームグレーの目が涼しげで中性的な雰囲気を醸し出していた。女性騎士の身なりをしており、すらりと背も高い。ぴっちりした騎士団服を着こなし、カモシカのような脚を優雅に組む様は――本人が意識しているのかどうかは知らないが――まさに男装の麗人といったところだ。


 彼女は全く気にせず上品に食事をしているが、周りのテーブルからは年少の騎士見習たちからの熱い視線が集中していた。下手な男性よりずっと凛々しいタリスは、皆の憧れなのだろう。少女騎士でさえ、うっとりした眼差しでタリスの後頭部を見つめている。


「実行委員会ということは、タリス様は三百五十年祭に興味があるんですね」

「それもある」


 タリスは頷き、自分の硬質な前髪を軽く掻き上げた。


「私の実家は、リデル王国内南端のカルティー子爵領で劇団を営んでいてね。私も昔から両親の手伝いで劇団にお邪魔していたし、衣装や舞台の立ち居振る舞い、発声練習なんかについては、そこらの三流指導者よりずっと得意だと自負している。今回、三百五十年祭の実行委員会の話が上がったときには、真っ先に手を挙げたよ。まあ、私には皆をまとめる力はないから、ボーレって奴を委員長に据えて私が補佐係になったんだけどね」


 言いながらタリスは肉汁たっぷりのステーキにナイフを入れていく。彼女の手は大きくて、ゴツゴツしている。劇団指導員としての能力はもちろん、騎士として普段の鍛錬も欠かしていないのだろう。


「ちなみに……タリス、劇の役者は全員埋まったの?」


 タリス用の紅茶を注いでいたミランダが問うと、タリスの眉間に薄い縦皺が刻まれた。そんな姿でさえ絵になるのだから、美形は罪作りだ。


「……それが、あと数人埋まっていなくて。皆も知ってるだろうけど、私もボーレも、役者は地の素材で選びたいんだ。我が儘になってしまうんだろうけど、あまり魔術に頼りたくない。……って我を通していると、どうしても適役が見つからなくなっちゃったんだけどね。特に、少女魔道士役に困窮していて」

「その役者ってどんなのですか」

「立ち位置としては、主人公の王女ルーシの親友であり、優秀な魔道士でもあった聖女だ」


 レティシアの質問に答え、タリスはレティシアの髪を見て小さく肩をすくめた。


「条件としては……そうだな。輝くような金髪に、アメジストのような紫色の目の少女魔道士だ。この際身長はどうだっていい。残念ながら、侍従魔道士のリストをさらって片っ端から声を掛けているが、断られまくっていて。こうなったら、髪と目だけ条件に合っている少年魔道士を出させるしか……」

「ちょ、姐さん。少女ってのが条件じゃなかったの」

「仕方ないだろう。十四歳クラスにいた彼は、なかなか可愛い顔立ちをしていた。いざとなれば、私の渾身のメイクで女装させるしかないかと……」


 タリスたちの話を聞きながら、レティシアは軽く瞬きした。


 金髪に紫色の目の少女魔道士。


(……あ)


 ぱっと、脳裏に浮かんだのは今朝会ったばかりの編入生の少女。無邪気なヴァイオレットの目に、ふわふわした金色の巻き毛。レティシアの頭の中で、その少女が振り返ってにっこりと微笑む。


 ――だが。

 レティシアはもう一度、瞬きした。にっこりと微笑む少女の顔が徐々に歪み、桜色の唇が残忍な笑みを形作り、紫の目が眦を吊り上げる。


 彼女が腕に抱えるのは、まっさらな教科書ではない。

 ――赤黒い血に染められた、殺人用のダガーだった。


「っ……!」

「レティ?」


 話の途中、いきなりレティシアが立ち上がったため、ノルテたちは会話を止めてぽかんとした眼差しでレティシアを見上げてきた。


「どうしたの、そんなに怖い顔をして……」

「あ……ううん。ごめん、大丈夫」


 ミランダに声を掛けられ、レティシアはいそいそと椅子に身を沈めた。

 ノルテたちの――とりわけタリスの、不可解そうな視線を受けつつ、レティシアは目線を落として自分のプレート上のキャロットスープを見つめた。


 二年前の事件は、いまだレティシアの脳裏に刻み込まれていた。そして今回のように、ふとした拍子にあの冷え切った聖堂の風景が、ロザリンドを刺殺したミシェル・ベルウッドの顔が、思い出されていた。


(……ティーシェに悪いな。ただ、髪と目の色が同じだっただけで)


 同じ金髪紫眼でも、ティーシェとミシェルは全く違う。

 レティシアはしばし、冷めたスープの水面に映る自分の顔を見、思い切って口を開いた。


「あの……タリス様。金髪に紫の目の少女魔道士なら、私、心当たりがあるのですが」

「そうなのか? 一応こちらでもチェックはしたはずだが……」

「あ、それってひょっとして、レティが今朝会ったっていう編入生のこと?」


 ノルテが身を乗り出し、レティシアが頷いたのを見てぽんと手を打つ。


「そっかー、昨日今日来たばかりなら姐さんもノーチェックってわけねぇ」

「何、編入生の魔道士がいるのか?」


 タリスが振り返る。その灰色の目に微かな炎が宿ったように見えた。どうやら、彼女の心に火が点いたようだ。


「ならば、是非とも紹介してくれないか。役になるかはもちろん、本人次第だが私も一言挨拶申し上げたい。名前は?」

「ティーシェ・グラスバーンです。カーマル帝国の男爵家のお嬢様だとか……」

「カーマルの貴族か……ふふ、私の腕が鳴るな」


 タリスは赤い唇を引いてニッと笑い、プレートに残っていた料理を勢いよくかっ込むと、すぐに席を立った。


「分かったならば即実行だ。夕日の髪のお嬢さん、情報提供ありがとう。早速打診に向かおう。……ふふ、こうなったら是が非でも、役者に引きずり込んでやろう!」

「あ……はい、どうも」


 タリスはすくっと席を立ち、まっすぐ食堂を出て行った。通り過ぎ様、数人の少女たちがうっとりした眼差しでタリスの後ろ姿を見つめていた。


 タリスを見送りつつ、レティシアは今更になって迂闊にティーシェの名を出したことに不安を覚えた。レティシアは思ったことを言ったのみだが、昨日今日やって来たばかりのティーシェの不安を煽るような真似をしてしまったのかもしれない。


「……レティさんや、そう根を詰めるなっての」


 隣で陽気な声を上げるのは、ノルテ。彼女は席を立ったかと思うとあっという間に戻ってきて、皿に盛られたフルーツゼリーをひょいひょいとレティシアの皿に移す。


「姐さんは見ての通り、劇になると直情型になるけど、最後まで相手の気持ちを優先させるからね。そのティッシュなんとかって子が嫌がるなら、絶対無理強いしないから」

「そう。それにタリスに例の彼女を紹介したことが、必ずしも彼女にとってマイナスになるとは限らないわ」


 ミランダも、静かな声でフォローを入れる。彼女はノルテのゼリーを横から掬い、赤く塗られた唇に流し込んだ。


「だって、編入生でしょう? あなたもそうだったから何となく分かるでしょうけど、こういった場では人間関係を作るのが先決。依るところのない彼女に人との繋がりを作る機会を与えることになるのだから、私はむしろ、タリスに彼女を紹介したあなたの発想を褒めたいところだわ」

「……そうでしょうか」

「ミランダが言うんなら、そうだって!」


 ノルテも元気よく言い、にっと笑った。


「気分転換も兼ねて、これを食べたらグラウンドに行こうよ。セレナもいるだろうし、レイドたちの練習風景を見てこようよ」


 今朝のレティシアだったら「無理!」と即答しただろうが、今は何となく気分がすっきりしていた。クラートも真っ直ぐ見ることができるだろう、多分。

 レティシアは曖昧に笑い、ノルテが持ってきた怪しい色のゼリーを勢いよくかっ込んだ。

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