騎士の誓い 2
「今朝……そうだな。私が君たちの所にお邪魔した後しばらくして、意識が戻ったようだ」
冬の花が咲く小さな庭園にて。
心地よい風に髪を靡かせながら、エヴァンス王子は穏やかに語った。
「最初は少し意識がもうろうとしていたようだったが、昼過ぎにはすっかり落ち着いて食事も取るようになった。体の怪我もほぼ治っているので、心配はないだろう」
エヴァンス王子は言葉を切り、自分が語りかけていた相手を見つめた。
白や薄青、淡い紫色の花が咲き乱れる庭園で、ひときわ異彩を放つ赤髪の青年。彼はエヴァンス王子に背を向け、適当な花を見繕っては手に持つ剪定ばさみで切り、側に置いている籠に放り込んでいた。
青年は何も言わない。羽織っているマントが土に触れて汚れるのも構わず、黙々と手のみを動かしている。
手ぶらで来訪した青年に、エヴァンス王子の方から「庭で花でも摘んでいったらどうだい」と提案したのだ。彼は何も言わず頷き、その端正な顔には不似合いな錆びたはさみを持って、「彼女」のために冬の花を摘んでいた。
ふと、彼の動きが止まる。おや、と思ってエヴァンス王子が覗き込むと、彼は小さな花壇の前で座り込んだまま停止していた。その感情に薄い灰色の眼差しの先にあるのは、まだ蕾が多い白薔薇。
「ああ、それは魔道研究グループが開発した新種の薔薇でね。冬の寒さの中でも耐えられる耐寒性のついた白薔薇なんだ。まだ市場には出回っていないようだ」
「……もらっていいか」
ぽつり、と青年が言葉を漏らす。おそらく、「邪魔する」と言って屋敷に来て以来の彼の台詞だろう。
エヴァンス王子がゆっくり頷くと、青年は目線を反らして手頃な薔薇の枝に触れ、慣れた仕草でその茎を切り取り、はさみの刃の部分で棘をそぎ落とした。
「……あいつには白が似合う」
ほぼ独り言のような、青年のつぶやき。ともすれば微かな風にさえかき消されてしまいそうな、儚い彼の本音。
エヴァンス王子は悲しげに微笑み、白薔薇の蕾を憂いを帯びた眼差しで見つめる青年に、静かに声を掛けた。
「……セレナ嬢が求めていたのは、あなただったのだね」
青年が顔を上げる。アーモンド型の隻眼は、つい先ほどよりも若干大きく見開かれているように思われた。
「セレナ嬢は目覚めると一番に、私の手を握った。それから言ったのだよ。レイド様、と」
二者の間を冷たい風が吹き抜ける。
エヴァンス王子の黄金の髪が揺れ、レイドの深紅の髪も靡く。
「……俺は、あいつを傷つけた」
青年はわずかに視線を反らせて、そう言った。そして、助けを求めるように手持ちの薔薇に視線を注ぐ。
「……あいつには、赤は似合わない。血の色だから……」
「そうかもしれないね。けれど、君の色でもあるだろう」
灼熱の炎よりも濃い、ここらでは珍しい紅い髪。
青年はエヴァンス王子に指摘されて初めて気が付いたのだろうか。はっと目を丸くし、そして足元の籠を持って立ち上がった。
「……レイド殿」
「……花、感謝する」
それと、と青年はエヴァンス王子の脇を通り過ぎた後、一旦立ち止まった。
「……セレナを助けてくれて、助かった」
「……囚われの姫君を助けるのは、騎士の仕事だからね」
エヴァンス王子は微笑んで言い返した後、ふっと表情をあらためた。
「ただ……彼女の心を開くのは私では力不足のようだ」
青年の脇を、エヴァンス王子が通り過ぎる。
「……彼女が心から待っている騎士は、君だよ。レイド・ディレン」
確かめるような、言い聞かせるようなエヴァンス王子の言葉。
青年――レイドは微かに眉をひそめ、エヴァンス王子の背中に一礼するとまっすぐ、屋敷の方に向かっていった。
エヴァンス王子はセレナのために、一級の客間を与えてくれたようだ。
象牙色の壁を持つ部屋は息苦しくない程度に暖かく、南向きの窓からはさんさんと貴重な日光が降り注いできていた。
急いで作ったブーケ片手にレイドが寝室に入ると、部屋の主はベッドに腰掛け、窓の桟に腕を乗せてうとうととまどろんでいるところだった。
セレナはレイドが入ってくるとすぐさま目を覚まし、気だるげに体を起こした後、レイドの姿を認めて目を丸くさせた。
「まあ……レイド様。来てくださったのですか」
レイドは小さく頷き、ベッドサイドのテーブルにブーケを置くとじっとセレナを見つめた。
もぞもぞとベッドの上で回転してレイドに向き直ろうとするセレナは、以前より少々やつれており頬が青白かったが、至って元気そうだ。樹木色の目はキラキラと輝いているし、レイドを見つめる眼差しは以前のように優しい。
「……元気になれたか」
言葉少なにレイドが問うと、セレナはにっこりと笑って頷いてきた。
「ええ! しっかり寝ましたし、エヴァンス殿下がおいしい食事を用意してくださいました。レイド様にもご迷惑お掛けして、すみません」
「……いや」
セレナは明るい。だが、今はその明るさが怪しい。
にこにこ笑う顔を見ていると、今までならば心がふっと温かくなったというのに、今は妙なざらつきを覚え、言い様のない不安に胸が苦しくなる。
レイドはじっと、目の前の女性を見つめた。
かつて自分が傷つけた女性を。
見つめ合うことしばし。
最初に目を反らしたのはセレナの方だった。ふっと視線を横にずらし、セレナは徐に口を開いた。
「レイド様、折り入ってお願いがございます」
断る。
喉の奥まで出かけたその言葉を飲み込み、レイドは努めて冷静に問い返した。
「……何だ」
「レイド様……」
セレナは、微笑む。
今にも崩れてバラバラになってしまいそうな、儚い笑顔で。
「私を、ディレン隊から除籍させてください」




