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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第4部 黒薔薇舞う
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剣の記憶 4

 再びざわめき始めた参列者は、国王の一言で鎮圧される。

 そしてエルソーン王子はゆっくりと、そして淡々とした口調で言葉を紡いだ。


「おそらく王宮内でも噂になっているであろう、先日の襲撃事件――夜会開催中に、罪なき近衛兵たちが無惨に惨殺されたという、痛ましい惨事。神聖なる王城であってはならない事件でした。ティエラ王女ももちろんご存じでしょう。そして、その首謀者である女性がティエラ王女の擁護者であり、かつて王女をアルストル地方からアバディーンまでお連れした護送隊の一員であったことも」


 「やはりな」という小さなつぶやきがどこからか響く。


「現在、襲撃犯とその一行は城内にて拘束しておりますが、その中にはオルドラント公国の公子や北のバルバラ王国の王女を始めとした各国の主要人物も多くおります。ティエラ王女は彼らを懐に収め、王太子候補であるわたくしを退けるために画策されたのだと……我々はそう判断しております」


 もちろん、とエルソーン王子は間髪入れずに続ける。


「王女殿下は、今回の一件を配下の者が勝手に行動したものとお考えやもしれませぬ。しかし王女の支持者にそのような殺戮者がいることは実に嘆かわしいことです。加えて……殿下の王太子就任こそ急な事例ではありましたが、殿下は……」


 痛々しいほどの沈黙と、緊張。そしてわずかに漂う、恐怖。


「……好きで王女に生まれたわけではないと、おっしゃったのですよ」


 その一言で、会場は蜂の巣を突いたかのようなざわめきに包まれた。


「なんと、軽率な!」

「王女殿下は本当にそのようなことを……?」

「いくら急ごしらえの王太子といえど、そのような失言をなさったとは……」

「いや、ひょっとしたら『急ごしらえ』だからかもしれない」

「では、配下の不祥事を生まれに擦り付けられたとおっしゃるのですか?」

「リデル王家の血筋という高貴な身にお生まれになりながら、なんというお言葉を!」


 飛び交う噂、不穏な言葉、そして王女への不信。

 既に近衛兵でも押さえつけられないほど高揚した参列者たちを、対してティエラ王女は静かな眼差しで見つめていた。

 罵られても、貶されても、冷たい眼差しで見られても、王女は決して目を反らすことはなかった。


 たまりかねて、夫セイルが歩み寄って妻の手を握る。息子レアンも着慣れない子ども用の貴族服に手惑いつつ、母の足元にすがりつく。

 ティエラ王女は夫の手を握り返し、足元の息子の頭を撫で、そしてゆっくりと祖父に向き直った。


「……ご指摘いただきましたが、ひとつ、申し上げてもよろしいでしょうか、国王陛下」


 エルソーン王子の片眉が上がる。ティエラ王女が動揺していないことが意外だったのか、不快の表情が浮かんでいる。


「もちろん。この件について何か言いたいことでも?」


 穏やかに国王に促され、ティエラ王女は頷くと、今度は群集の方に体を向けた。好き勝手言いたい放題していた者たちは慌てて口をつぐむ。


「はい。といいますのも、今回の出来事に関する証人がいるのです」


 エルソーン王子の顔が明らかに引きつった。だがすぐに社交辞令の笑顔を浮かべる。


「王女殿下、何か誤解されているようですが、今回の襲撃事件の犯人はこちらで捕縛済みでして……」


 ゆっくり開く会場の大扉。弾かれたように振り返る貴族たち。

 紅い絨毯を踏みしめてやって来る、若い女性。緊張に体を震わせ、頬を青白く染めながらも真っ直ぐ前を見つめ、エルソーン王子たちの射る壇上へ上がってくる、深紅のドレス姿の娘。


 豊かなミルクココア色の髪は結い上げられ、柔らかな茶色の目は強い光を放っている。

 取り立てて美人ではないが、穏やかで、知的な雰囲気のする女性。


 女性は参列者たちの注目を浴びながら登壇し、ティエラ王女の前で止まるとその場に跪いた。王女は女性の肩を軽く叩き、そしてエルソーン王子に向かって小さく微笑みかけた。


「こちらが、わたくしの大切な友人であり、重要な証人……紹介は必要ありませんね、殿下」


 試すように聞かれ、エルソーン王子は最初こそ鳩が豆鉄砲を喰らったような表情をしていたが、すぐにあらためるとツンと顎を逸らせた。


「……さて、何のことだろうか? 先ほども申し上げたように、殺戮者の身柄は確保しており……」

「確保したかったけれど、失敗したのでしょう?」


 王子の声を吹き飛ばす、鋭い指摘。決して高慢な雰囲気ではないが、有無を言わせない強い口調。

 女性は立ちあがり、赤薔薇を模したドレスの裾を持ち上げると貴族女性風の礼をし、王子に向き直った。


「先日の襲撃事件……多くの近衛兵の命が潰えたことは確かです。しかしどうかお考えください。手練の近衛兵多数に対して、対峙したのは剣の技術なんて微塵も持たない、一般市民の女魔道士……本当に、王子のおっしゃる殺戮ができるものなのでしょうか」

「……魔道士ならば、何か魔法でも使ったのだろう」


 エルソーン王子はフンと鼻を鳴らせてすぐさま言い返す。

 だがドレスの女性は小首を傾げ、大きな胸の前で腕を組んだ。


「それは奇怪ですね。王宮は常時封魔体勢が完備しております。いかなる魔法も呪いも、王城内では発動されない……殿下もご存じのはずですけれど、なぜ魔法を使えばいいと思い立ったのですか?」


 尊大な口ぶりではあるが、もっともな指摘。

 王城内が魔法禁止であることは周知の事実であり、あまりにも当然すぎるので誰もが話題にさえしないことであった。だから、普通にしていれば王城で魔法を使えばいいなぞ、口が裂けても言えないことなのだ。


 エルソーン王子の顔にさっと緊張が走る。群集も、「確かに……」とエルソーン王子に不穏な視線を向けた。


「いくら殿下が魔法に明るくないと言われても、さすがにその発言は……」

「しかし、聞いた話では封魔制御の方法はあるらしいのだが」

「そうでしたの? では、殿下は……」


 沸き上がるざわめきは、つい先ほどとはまた違った意味合いを持っていた。


「加えて殿下は、とある高貴な姫君に求婚を申し出たそうですね」


 女性の話はまだ続いていた。

 皆、耳慣れない新情報に目を丸くして聞き入り、エルソーン王子も額に深い皺を浮かべた。


「自分の後妻になって子どもを産めと。殿下が求婚した……いえ、結婚を脅迫した姫君は、魔力に富んだ家系の生まれ。魔力を持った子どもが産まれれば、自分の王太子就任の手がかりになるだろう。エヴァンス王子やティエラ王女を始めとする、王太子候補たちを始末し、自分が王位にのし上がろうとするつもりだと……そうおっしゃったそうですね」


 会場から鋭い悲鳴が上がる。


「何ということを!」

「エルソーン王子が王座を欲しているとは有名な話であったが、まさかエヴァンス王子まで手に掛けようとなさっていたとは……」

「エルソーン王子は才能豊かな方。まさか、力尽くで王族を排除しようとなさるなんて……」


 群衆たちの関心は、ティエラ王女の失言から謎の女性の登場に移り、そして今、エルソーン王子の思想に向いていた。

 エルソーン王子は誰にも気付かれることなく、ぎりりと歯ぎしりすると真っ直ぐ、目の前の女性を睨み――


 皆、はたと口をつぐんだ。壇上を見れば、今まさに自分の悪事を暴かれているはずのエルソーン王子が声高く笑い声を上げていたのだ。


「そうか、ティエラ王女。それがあなたの狙いか!」


 エルソーン王子はにこやかに微笑み、姪と女性を交互に見やった。


「この女を証人として引きずり出し、己の過失をなき物にしようとする……加えて、根も葉もない虚言をこの女に告げさせてわたくしを貶めようとする……なんとも卑怯、そして幼稚な手を思いつかれたようですね」


 やれやれとばかりに肩をすくめ、エルソーン王子はしんとなる会場を見回した。


「皆様もご覧になったでしょう。先ほどもわたくしが申し上げたように、襲撃犯は我々の手で厳重に拘束しているのです。よってこの女はティエラ王女が仕立てた偽者。そして、己の罪を暴かれた腹いせに有ること無いことを吹聴させる……これが、次期国王の為すべきことでしょうか? 国民である皆様のお心を煩わせ、混乱に陥れ、同じ王太子候補であるわたくしの失脚を狙うような女性がここにいて、果たしてよろしいのでしょうか」


 自信たっぷり、堂々と告げられたエルソーンの言葉。


「……お言葉ですが。いつ、私がその『襲撃犯』だと名乗りました?」


 一歩前に出る紅いドレスの女性。さっと青ざめるエルソーン王子。

 女性はにっこりと微笑み、怯んだエルソーン王子に追い打ちを掛けるように詰め寄った。


「私はただ、事実を言ったのみです。ついでに言えば、あなたは勝手に私のことを『襲撃犯の女性魔道士』だと思ってらっしゃるようですけれど、いつそう言いましたっけ?」


 皆が見つめる中で、挑戦的に笑う女性の顔が光の粉に包まれた。


 頭のてっぺんからシャワーを浴びたかのように光が舞い落ち、柔らかいココア色の髪は燃えるようなオレンジ色に、おっとりとした顔立ちは目鼻立ちがくっきりした少女のそれに。膨らんだ胸はぺしゃんと潰れ、先ほどとは全く違った少女の姿が露わになった。


(……変化の魔法は気持ち悪いけれど)


 レティシアは皆が自分を凝視する中、急に寂しくなってしまった胸元にそっと手を宛った。


(……いきなり普通サイズに戻るのは、やっぱり寂しいかも)


「お、おまえは!」


 泡を食ったエルソーン王子の悲鳴。目の前で変化魔法が披露されて慌てふためく群集。


「おい、あの少女、どこかで見た気がするんだが……」

「この前の夜会ですよ! ほら、クラート公子にすぐにかっさらわれた……」

「お待ちになって。では、先ほどその令嬢が言っていた、エルソーン殿下の後妻の話は……」

「確かに……では、あの令嬢こそが……」


 レティシアは群集の疑問に満ちた声や噂話を、じっと黙って聞いていた。


 この会場に入った瞬間から――いや、この作戦が提示されたときから、レティシアは既に腹をくくっていた。自分の身分がばれることを。

 そもそもエルソーン王子にいつ暴露されるか分からない、不安定な立場だった。ばれるのが早くなったと思えばそれだけだ。


 それに、ここでレティシアが一肌脱いだことでティエラ王女が助かるのならば。

 セレナの無実が証明されるのならば。


(ティエラ様の心痛やセレナの苦しみに比べれば、これくらい安いものよ)


「エルソーン王子殿下」


 レティシアは気を奮い立たせ、精一杯の皮肉な笑みを浮かべてエルソーン王子を見据えた。


「結婚の件、改めてお断りしますね」


 そう告げた瞬間――


 会場の中程から甲高い悲鳴が上がり、その直後、大広間のドアが内側から廊下に向かって吹っ飛ばされた。

 二枚の扉のうち、片方が蝶番を破壊させて廊下まで吹っ飛び、かろうじて残ったもう片方の扉も半分ネジが外れ、ドアの隣接部分は半分えぐれている。


 すかさず群集から飛び出すのは、緑色の髪の大男と紅い髪の青年。「逃げたぞ!」「すぐに追え!」と矢のごとく会場を飛び出していく、武装した騎士たち。

 訳が分からず貴族たちが会場から飛び出そうと身構えると――


「あー、待った待った! ちょーっと通行禁止ですわよぉ!」


 会場の入り口に落ちた、大きな黒い影。貴婦人のドレスを風圧でめくらせ、紳士の帽子を跳ね飛ばしながら会場前に着地した、緑色の巨体が、ふたつ。


「はいはい、ここしばらく通行止めー! 皆さん大人しく待ってないと、アンドロメダとカルティケーヤのおやつにしちゃうわよぉ」

「ノルテ、もう少し言葉を選ぼうよ」


 若干小さい方のドラゴンに乗ってきゃらきゃら笑う少女竜騎士をなだめるのは、呆れた表情の金髪の少年。


「せっかく姉君にもドラゴンを借りたんだから、もうちょっと大切にしないと」

「……まあ、そういうことでもう少し皆様も付き合ってくださいな」


 驚き戦く群集にとどめの一言を放ったのは、波打つ黒髪を持った妙齢の美女。

 彼女は髪を掻き上げ、ドラゴンたちの間に立つと挑戦的に微笑んだ。


「さあ、皆様の目で確かめてくださいな。……このリデル王国にもっとも相応しい次期国王は誰なのか」

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