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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第1部 黄昏の魔女
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遠征 1

「遠征実習?」


 レティシアがセフィア城で過ごすようになって、数十日。

 通りすがりに聞こえた単語に興味を引かれてレティシアは一旦立ち止まったが、すぐに自分には関係ないと通り過ぎようとし――別の少女の声で、再び足を止めた。


「そうそう。侍従魔道士見習も全員強制参加なのよ」

「ふーん……そんな行事があったのね」


 レティシアより年下とおぼしき少女二人が話をしながら見上げているのは、廊下の壁にでかでかと飾られた連絡ボード。普段、このコルクボードには卒業後の求人情報や紛失物情報、世界各地の行事紹介文などが所狭しと貼り付けられているのだが、ほとんどが自分に無縁の話だったのでレティシアはすぐにこの掲示板をチェックしなくなっていた。


 数歩、今来た道を戻って少女たちの背後に立つ。

 いつ掲示されたのか分からないようなボロボロのチラシを押しのけるようにして、真新しい紙が堂々と貼られている。


 残念ながら掲示板の前にはレティシアの他にも多くの見習たちが集っており、歳の割には小柄なレティシアでは読めそうにない。だが例の少女二人のうち、背の高い方が低い友人のためにご丁寧に掲示板の情報を読み上げてくれた。


「えーっと……どれどれ。『本年度より遠征実習開始。対象は騎士見習、侍従魔道士見習全員。両者をグループに分け、指導役となる騎士団について野外遠征を行う。指導内容は責任者と指導役の指示に従うこと。グループの指定は不可だが、試験や実習による都合を考慮し、遠征不可期間を申し出ることは可能。遠征実習は単位の一つとして認められ、単位不可の者は合格するまで昇格試験や他の実習を受けられない。質問や申し出は各指導教官へ』……だって!」

「すごいじゃない! だって、私たち新米が一流騎士様や先輩魔道士と一緒に活動できるんでしょ?」


 背の低い方の少女がはしゃいだ声を上げるが、この新企画に興奮しているのは彼女だけではなかった。周囲の見習たちは一様に目を輝かせ、自分の手帳に要項を書き込むなり友人たちと馬鹿騒ぎするなりしている。


「でも、残念ねー。私とエリス、一緒のグループにはなれないかも」

「そうね。でも、素敵な騎士様に会えるのなら、身近なライバルは少ない方がいいしー」

「やだ、エリスったらそれ、どういう意味!」


 きゃっきゃとはしゃぎながら少女二人が立ち去っていく。二人分空きができた空間に素早く体をねじ込み、レティシアは連絡文に目を通した。


 遠征、と言われても正直ピンと来ない。ただ歩けばいいのか、それとも途中で夜盗に扮した騎士団と斬り合いしなければならないのか。はたまた、道中見捨てられて自力で城まで這い戻らなければならないのか。


 ひとまず手持ちのノートに遠征の内容を書き写し、レティシアは背後から迫ってくる見習生徒の波に押されないよう、早々に掲示板の前から退散した。


 ノートを脇に抱え、次の教室に向かいながらレティシアは考える。

 なるべく、ミシェル・ベルウッドらレティシアと反りの合わない魔道士とは一緒になりたくない。

 ミシェルは生意気な田舎者を徹底的をいびりたいのだろうか。最近は手に持っている扇子で通り過ぎ様に首筋を打たれたり、食事の際にトレイの角で突かれたり、階段から突き落とされそうになったりするのが日常茶飯事になりつつあった。

 彼女らの幼稚な嫌がらせに最初こそは惨めな気持ちになっていたレティシアだったが、それもほんの数日間のみ。


 ここ最近は嘆くことさえ諦め、一人で黙々と勉強し、お嬢様たちの嫌がらせも鼻で笑えるくらいには再起していた。令嬢たちも異常なほどタフなレティシアには参ってきたのか、ミシェルを筆頭とするごく数名を除いて嫌がらせをする者も減ってきていた。

 だがミシェルは、そんなレティシアの達観した顔がいっそう気にくわなかったのだろう。今日も、すれ違い様に扇子で二の腕を引っぱたかれた。


 そんなわけで珍しくも就寝前、レティシアは女神に遠征グループでの無難を願うようことにした。

 普段は女神信仰なんて我関せずなレティシアだが、教科書に書いていた祈祷法を真似てベッドの上で正座し、両手を握り合わせて胸の前に当てる。

 自分は一応大司教の娘なのだから、ひょっとしたら女神も慈悲を掛けてくれるかもしれない……と軽い気持ちで祈りを捧げるのが日課となった


 しかし。

 やはり、女神様は不真面目な教徒の願いを聞き届けてはくれなかった。










 数日後の掲示板。

 前回通りすがったときの倍以上ギャラリーが膨れ上がったそこに、レティシアは呆然と佇んでいた。


 グループ別に分けて表示された遠征割り振り表。

「第九番隊。秋の月三十四日から四十六日。指導者……レイド・ディレン(シルバーナイト)」のクラスの下に連なる名前。

 探していた名前と、見つけたくなかった名前が並んでいる。

 しかも、ご丁寧にふたつ仲よさそうに連続して。


 見習たちに押され引かれしながら、掲示板の前でレティシアは頭を抱えて低く唸った。心の中で薄情な女神を口汚く罵り、しぶしぶ遠征メンバーの名をノートに書き写す。「ミシェル・ベルウッド」の所だけ左手でペンを持ち、汚らしい字で記したのはレティシアのささやかな――ささやかすぎる反抗心の表れだった。


「秋の月二十九日に第三講堂で事前打ち合わせを行う。午後二時に集合のこと」とあるため、遠征実習前にも必ず一度、ミシェルらと顔を合わせなくてはならない。


 どうしてこうなったんだろう、と掲示板から立ち去るレティシアの体には、今にも降りだしそうな真っ黒な雨雲がまとわりついていた。












 第九番隊の顔合わせは、実習開始五日前に行われた。既に七番隊までは出発しており、明後日くらいで第一番隊が帰還する予定だという。

 講堂に集められた見習はレティシアを含めて十八人で、そのうち騎士見習が十人で魔道士見習が八人。騎士見習の方は全員レティシアと同年代とおぼしき少年ばかりで、魔道士見習の方はレティシアより年下らしき者が二名、ミシェル含む同年代が三名、そして明らかに二十歳を超えていそうな女性が二名いた。


 リデル侍従魔道士団の階級規則では確か、十六歳以上のライトマージがスティールマージ昇格試験を受けられ、合格すれば見習を卒業し、晴れて侍従魔道士になれるはずだ。

 レティシアは改めて、二人の年かさの女性を見やった。どちらも気が強そうで、悪く言えば高慢ちきにも見える。


(じゃあ、この人たちはもう何回もスティールマージ昇格試験に落ちてるってことか)


 レティシアの視線を感じたのか、二人ともこちらに目を遣り、濃い化粧の施された顔を不快そうに歪めた。レティシアが無礼なことを考えていると本能で悟ったのか、ひそひそと二人、扇子の影に隠れて小声で何ごとか囁き合っていた。


「どうかなさいまして? お姉様方」


 そんな中、のど自慢の小鳥のような美声を響かせ、女性二人ににじり寄る金髪の少女。その腰ひもの長さは規則違反だろう、とレティシアは心の中で愚痴を飛ばすが、当の本人はしかめっ面の年長女性魔道士見習二人に優雅にお辞儀をした。


「お初にお目に掛かります、お姉様。わたくしミシェル・ベルウッドと申します。ベルウッド伯爵家の者です」


 ベルウッド、と聞いて二人の目の色が変わった。

 皺を寄せていた顔を綻ばせ、ミシェルに何か親しげに話しかける二人。平民もいいところ、田舎育ちのレティシアにはベルウッドの名の重みはよく分からないが、彼女らはすぐにピンと来たのだろう。「お姉様」二人が、自分より小柄で年下のミシェルにへいこら這いつくばるのは酷く滑稽な光景だ。


 だが、味方を作るにはプライドを投げ捨ててへりくだることも必要なのだと、レティシアはわずか数分で痛感した。

 まだ顔合わせ段階だというのに、早々にレティシアは仲間作りに失敗してしまったのだ。


 魔道士の方は全員女性のため気軽に話せる者がいないかと期待したのだが、甘かった。あっという間に自分以外の魔道士見習七人は円陣を組み、ミシェルを中心に談笑していた。七人でぎちぎちの輪になっており、レティシアの入る余地はない。もっとも、誘われたとしても入ろうとは思わないのだが。


(どうしてああやって固まろうとするのかな……どうせ、十数日の話なのに)


 姦しい彼女らから視線を反らすとふと、八人集まって何やら話し込んでいる騎士見習のうちの一人と目があった。

 騎士見習は全員、胸部と肩のみ覆うプレートメイルと籠手、脛当てなどを身につけているが、その少年が纏う鎧は他の七人のそれよりずっと質がよさそうで、部屋に差し込む西日を浴びてキラキラと眩しく輝いていた。きっと、彼自身もかなりいい身分なのだろう。


 いい身分、から連想されるのはレティシアにとっては負の感情しかない人物の顔ばかり。反射的に少年から顔を逸らそうとしたレティシアだが、当の少年はレティシアに興味を持ったのか、騎士団見習の輪から外れてじっとレティシアを見つめてきた。


 歳はレティシアと同じか、少し上くらいだろう。養母が作ってくれた卵焼きのような、優しい色合いの金髪。ミシェルのような赤みがかった強烈な金ではなく淡い金色で、晴れ渡った秋の空を彷彿させる薄いブルーの目は優しく細められていた。


(きれいな人)


 正直に、そう思った。街のおもちゃ屋に売られている人形のような、さっぱりと整った顔立ちだった。

 他の騎士見習よりも肌の色が白く、軍服に覆われた腕も男にしては細いため華奢な印象を与えている。きっと数年経てば、面食いなおばさまたちが大歓喜するような美青年になるだろう。


 だがそれ以上にレティシアの関心を引いたのは、少年から放たれる暖かな空気だった。

 彼は穏やかで優しげな雰囲気を醸し出している。レティシアを見下す貴族とは全く違う、人懐っこい子犬のような温かい眼差しをしていた。


 少年は、魔道士見習の群から外れて一人ぽつんと佇むレティシアをじっと見、きゃっきゃとはしゃぐお嬢様軍団を見、再びレティシアを見て小さく首を傾げた。「あっちには行かないのか?」とその目が語っている。


 レティシアは苦笑混じりで首を緩く横に振った。「あっちは居心地悪いから」との意味を込めて。


 少年は驚いたようにスカイブルーの目を丸くし、レティシアの方へブーツの先を向けて――


「打ち合わせを始める。全員、席に着け」


 木製のドアが勢いよく開けられる音と、男性の低い声が講堂に響き渡った。

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