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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第4部 黒薔薇舞う
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影で動く者たち 2

 翌日。

 勤務の合間を縫ってミランダの部屋に集合したディレン隊の面々によって、レティシアは約束通り「説教」された。


「気持ちは……分からなくもないけど。なんでまた、夜中に抜け出したんだよ」

「おまえ、もう少し賢い奴かと思ったら阿呆だったんだな」

「いやぁ、ノルテさんもびっくりよ。レティの度胸、ちょっとわたしにも分けてほしいなぁ、なーんてね」


 「説教」とは名ばかりで、レティシアと向き合って座るディレン隊の仲間たちは一様に、哀れっぽい眼差しをぶつけてきた。

 かわいそうな子を見るような目で見つめられると、頭ごなしに説教されるよりもレティシアには堪えた。


 レティシアはソファに埋まる――否、沈み込んでしまうくらいどんより状態で、ぼそぼそと皆に答えた。


「それは……ちょっと、気になることがあって」

「気になることがあったからといって、夜の王城に繰り出す阿呆がいるか」


 本日二度目のレイドの「阿呆」を喰らい、ますますレティシアはソファに沈み込む。


 穴があったら入りたい。ソファの下でもクローゼットの中でもいい。とにかく、この仲間たちからの哀れみの籠もった生暖かい眼差しから逃げられるなら、どこにでも入り込みたい。穴がないならば、自力でもいいから掘りたい。


(こう見えて穴掘り得意だから……とにかく、何か掘るもの……身を隠せるもの……)


「……第一発見者が俺でよかったよ。いかにも不審な格好だったし、下手すりゃ一発で監獄行き……おい、聞いてるか、レティシア」

「……シャベルが欲しい……」

「何?」

「……なんでもない」


 反省モードに入って既に虚ろな眼差しのレティシア。そんなレティシアを諭そうとするレイドたち。


 ミランダは彼らとは少し離れた位置に座り、何か考え込むように顎に手を遣っていたがふと、顔を起こした。


「セレナ」

「あ、はい」


 セレナもまた、皆の分の茶を用意するためにぱたぱた歩き回っていたのだが、ミランダに呼び止められてぴたっとその場で停止した。


「何でしょうか」

「とても気になることがある。場所はアバディーン王城。さあ、いつ、どのように行動する?」


 尋ねるというよりは、試しているかのような、飄々とした口調。

 レティシアに「説教」していた者たちも口を閉ざしてミランダに注目し、レティシアもまた、のろのろと顔を上げる。


 セレナは手に持っていた茶器をテーブルに置き、じっとミランダを見返し、ゆっくりと口を開いた――










 その日の夜。夜会六日目。

 本日、レティシアはセレナとお揃いの鹿爪らしいグリーンの侍女服姿ではなかった。


 歩く度に、ハイヒールに詰め込まれた足がぎゅうぎゅう悲鳴を上げる。大きく息を吸おうとすると、コルセットで締め上げられた腹筋が軋む。鏡を見れば――豊かなオレンジ色の髪を靡かせ、パステルピンクのドレスに身を包ませたどこかの貴族の令嬢が、間抜け面でこちらを見返していた。


(これぞ、馬子にも衣装……父さん、母さん見てますか)


 あなたたちの娘は、王都で可愛いピンクのドレスを着ております。かしこ。


 さて、なぜレティシアがこのような出で立ちになったのかというと――










 今朝。ミランダに「どのように行動する?」と尋ねられたセレナはしばらくの沈黙の末、答えた。


「それならば……夜会開催中に行くのがいいかと思います」

「パーティー中に?」


 問い返したのは、レティシアだけだった。レイドたちは鷹揚に頷き返していたし、ミランダも、生徒が思い通りの解答をしてくれた時の教師のように満足げに微笑んでいた。


「それが一番無難でしょうね。真夜中に出歩くよりはずっと安全だわ。レティシアが女の子だから、余計にね」


 ミランダが説明するには。


 夜会開催中に城内を令嬢が歩いていても何も問題ない。たいていの場合は咎められることもないし、見逃してくれる。

 世間は令嬢に甘い。少々怪しげな場所をフラフラしていたとしても、「道に迷いました」で十分通じてしまうのだという。令嬢の振りをして潜入調査というのは昔からよくある手ではあるが、王城の方も「見て見ぬふりをする」のがある種の鉄則になっているのだという。


「じゃあ、綺麗な服を着て会場に行けば溶け込めるし、城内を自由に歩けるってこと?」


 徐々に活力を取り戻したレティシアが聞くと、ミランダはゆっくりと頷いた。


「大雑把に言ってしまえばそういうことね。まあ、私はあなたたちに危害を与えまいと思ってこの案は出さなかったのだけれど、どうしても単独行動を取りたい、情報収集したいって言うのならば協力はするわ。要は、うちの侍女のレティシアだとばれないようにメイクすればいい話だし」


 そういうわけで。ミランダの承認も受け、本日の夜会にレティシアとセレナが令嬢に扮して潜入調査することになったのだ。

 ミランダやノルテと違い、レティシアたちはこの日までずっと、侍女として通っていた。侍女の顔をじっくり見る輩はそうそういないため、「昨日までエステス家の侍女だったはずなのに!」と突っ掛かってこられることもない。さらに――


(人生で一度くらいは、こういうドレスを着たいと、思ってたもんね)


 レティシアは鏡に映る自分をじっと見つめていた。

 解呪の鏡に映る自分の両眼は、ルビーの如く赤い。のど元までレースがあしらわれたシルクのドレスは肌触りがよく、胸や腹筋が締め付けられる以外は着心地が悪くもない。


 普段は思い思いの結び方をしているオレンジ色の髪も、今日はノルテにしっかり鏝をかけてもらい、さらさらと背中に流していた。頭部に何もないのは寂しいだろうと、ミランダが持ってきてくれたのは小さな丸い帽子。風船のように丸く膨らんでおり、裾の部分には太めのリボンが掛けられている。帽子、というにはあまりにも小綺麗で華奢だが、頭の斜め上部分に斜に被るとそれだけで愛らしさが増す、令嬢の必須アイテムなのだそうだ。


 両手を持ち上げる。自分の両手に填るのは、黒の絹糸を編み込んだレースの手袋。少し爪を立てれば弾けてしまいそうなくらい繊細で華奢な生地のそれは、両手を摺り合わせると潮騒のような微かな音を立てた。

 もう一度、鏡の中のレティシアを見る。


(……私も、変わるんだな)


 見た目こそは、リデルの名だたる貴族の令嬢にも劣らないだろう。メイクを手伝ってくれたミランダやノルテも、そう太鼓判を押してくれた。

 レティシア自身には全く自覚はないのだが、どうやらレティシアは生みの母であるマリーシャや、実姉の亡きフェリシアと似通っている面もあるのだそうだ。


 ミランダもレティシアの顔立ちを「はっきりしている」と言い、ノルテも「可愛い顔」と言う。

 つまり、自分の容姿は自分が思っている以上によいはずで。そう思ってしまうことが心苦しくて。


 鏡に映るレティシアの眼差しが険しくなる。

 自分の容姿なんて、生まれてこの方気にしたことがなかった。村にいた頃は容姿なんて関係ないし、セフィア城に来てからも、仲間たちは美醜に全く頓着しない者ばかりだったから。


 それでも。

 それでも。


(綺麗になりたい、綺麗って言われたいって思ってしまうんだな)


 レティシアはこっそりと、ため息をついた。そして、この姿を仲間たちにも見せるのだと思うと、えも言えない恥ずかしさと緊張に身を蝕まれた。

 今日、レティシアたちが着飾ったのは潜入調査のため。侍女姿では入手不可能な情報を掴み取るため。

 エルソーン王子の真意を探るため。


 だが、レティシアたちが令嬢に扮装するとクラートにも伝えたところ、思わぬ返事が来たのだ。










「僕にもその姿を見せてほしいな――だとさ」


 小さな紙切れ片手にレイドはそう言って紙切れを暖炉に投げ捨てると、くくくっと堪えたような笑い声を上げた。


「あいつ、柄にもなく動揺していたぞ。よほど、おまえの着飾った姿が見たいそうだな」

「何よ、馬子にも衣装って言いたいの」


 わざと喧嘩腰にそう言い返すと、レイドはひょいと肩をすくめた。


「別に。むしろ芋にも衣装だろ……おい、そうむくれるな」


 レイドに両頬を押さえられ、ブフッと音を立ててレティシアの頬袋が破裂する。

 なおも声高く責め立てるレティシアを軽く流し、レイドはふと真剣な眼差しになった。


「……俺からすれば、おまえたちが潜入調査することに諸手を挙げて賛成とは言えない。だが確かに、この役はおまえたちでなければ無理だろうし、危険を冒してでも得られた情報は計り知れないと思っている。それが結果として、エドモンド陛下やティエラ王女の益になると思えば、なおさらな」


 レイドは立ちあがり、なおも頬を膨らませるレティシアに背を向けた。


「じゃあな。会場に行けばクラートの方から見つけるだろうから、せいぜい夜会を満喫するといい」

「それでもいいけど」

「まあ、ドレスに着られないようにはしろよ」

「一言余計だっての」


 そこでふと、レティシアは良い案を思いついて、部屋から出て行こうとしたレイドの上着の裾を掴んだ。


「ちょい待って、隊長」

「……俺も暇ではないんだが」

「こうしようよ。今日折角セレナも着飾るんだから、なんならレイド、セレナを部屋まで迎えに来なよ」


 ぐいぐいと袖を引っぱるレティシアを引きずるようにしていたレイドの動きが、ぴたりと止まる。


(むっ、いい反応)


 手ごたえを感じ、レティシアは綻びそうになる口元を抑えて言葉を重ねる。


「絶対、セレナ喜ぶよ。きっとセレナ、自分のドレス姿を一番に見せたいのはレイドだろうし」

「何か根拠があるのか?」


 レイドが振り返る。その表情には苛立っていたり焦っていたりする様子はなく、心底驚いたように片目を見開いていた。

 その反応には若干の落胆を覚えつつも、レティシアは気を奮い立たせて言い募った。


「そういうわけじゃないけど。ほら、レイドも知ってるように私は図太いけどさ、セレナは私よりずっと繊細じゃない」

「確かに」

「……。……で! そんなセレナだから、いきなり会場に放り込まれたらきっと、驚いたり尻込みしちゃうだろうからさ、セレナをよく知っているレイドが迎えに行ってあげると、セレナも安心すると思うよ」

「……別に俺じゃなくても、オリオンにでも任せればいいだろう」


 そう言うレイドは珍しくも当惑している。


 表情や声色に大きな変化は見られないが、凍てつく灰色の目は若干視線が彷徨い、普段より少しだけ早口になっている。「オリオンに任せればいい」というのも、嫌気ではなく戸惑いゆえに発した言葉なのだろう。


『レイドが一番頼りにしているのは、セレナなんだろうな』


 レティシアの脳裏に、いつぞやオリオンの言った言葉が蘇る。そして、普段セレナがレイドを見つめる優しい眼差しが。レイドがセレナを見る時の、穏やかな目つきが。胸の奥から浮かび上がってくる。


 もう一押しだ。レティシアはレイドに詰め寄り、掴んでいた服の裾をぐいぐい引っぱった。


「まさか! セレナだって、一番信頼している男の人は絶対レイドだもん! セレナが不安に思う気持ちを、レイドが拭ってあげなよ! 調査に出かけるセレナを励ませられるのは、レイドだけだよ!」


 どうやらそれが決め手となったらしい。

 レイドは何も言わずしばし俯いて考え込んでいたが、ややあって顔を上げると、「部屋で待っていろと伝えてくれ」と言い残してさっさと出ていったのだ。

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