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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第4部 黒薔薇舞う
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影で動く者たち 1

 夜会は、滞りなく進んでいた。

 初日こそは緊張しきっていたレティシアだったが、これが数日目にもなれば徐々に慣れが出てくる。慣れといっても、誰かのドレスの裾を踏む回数が二からゼロに減った程度だが、精神的な面でもずっと楽になったように感じられた。


 夜会は連日行われるため、毎夜立食パーティーだけではさすがに参加者も飽きてくる。

 そういうわけで、二日目には劇団を招き、三日目には楽団を呼んでダンスパーティーを開き、四日目にはチェス盤やビリヤード台が運び込まれ――と、王宮の方もあれこれ工夫を凝らしていた。


 五日目に当たる本日は、きれいに雪を取っ払った庭園でのガーデンパーティーが行われた。

 王宮魔道士がドーム型の膜を張り、外でも貴人の身が冷えないように冷気遮断魔法を張り巡らしていた。こういった高度な魔法は見るだけでも楽しく、勉強にもなるのでレティシアは好きだった。


 インディゴの夜空の下で、次々に会場に料理が運び込まれる。ガーデン用の若干裾の短いドレスを着込んだ貴婦人たちがお喋りに興じ、あちこちから調子の違う話し声が響いてきていた。


「……今日もティエラ様は出てきてないね」


 会場の端――中庭に面した渡り廊下に腰を下ろしていたレティシアはぼやいた。現在ミランダはエステス家の騎士を伴って挨拶回りに出ているらしく、侍女役の二人はしばし休憩を与えられていたのだ。


 かといって豪華な料理を取りに行くことはできないので、こうやって会場の隅、木立に隠れて周囲からは見えにくい箇所に二人並んで、ぼうっとパーティーのざわめきを遠巻きに眺めていた。

 侍女用の靴はかかとがきつく、爪先部分が狭い。レティシアは両脚の靴を脱ぎ、タイツの足をぷらぷらさせながら、はあっと息をついた。


「それにしても、クラート様はああおっしゃっていたけれど、今のところ何も起きてないよね。まあ、何もないってのも不気味だし、逆に心配になるような……」


 そこまで言い、レティシアは静かに口をつぐんだ。そして、そっと窺うように隣のセレナの顔を見る。


 セレナはしっかりと背筋を伸ばし、真っ直ぐ前を見ていた。レティシアのように靴を脱いだり、だらしなく足を揺すったりすることなく、両膝の上に手を乗せて行儀良く座っていた。

 だが、その眼差しは虚ろで、視線こそは正面を向いているが意識はどこか遠くへ飛んでいるかのような、そんな眼をしていた。


 現に、レティシアのつぶやきも耳に入っていないのだろう。規則正しく瞬きが為されるのみで、動きらしい動きが見受けられない。

 レティシアはそんなセレナに声を掛けようと口を開いて――やめた。


 ここしばらく、セレナはこんな感じだった。ぼうっとしていることが多く、考え事をしているのか、口数が少ない。さすがにミランダに話しかけられたらすぐ返事はしているが、用事が済むとまた、眼差しに霞が掛かったかのような表情になる。


(セレナも、いろいろ思うことがあるのかな)


 レティシアは自分の髪を指先で弄りながら、両膝の間に顎を埋めた。











 その日の夜、レティシアはベッドに寝転がり、枕と後頭部の間に両腕を挟んで天井を見上げていた。

 ここ数日のバタバタですっかり頭から抜け落ちていた、エルソーン王子のことが頭にしがみついていた。


 夜会初日、レティシアはエルソーン王子の姿を初めて見た。こちらは一階のフロアにおり、あちらは二階の貴賓席のバルコニーにいたため、二者の距離はそこそこあった。下手すればエルソーン王子の位置からは、レティシアの顔がうまく見えなかったかもしれない。


(でも、あの時王子は私と視線を合わせた……合わせて、笑った……)


 それも、好意的な笑みではなかった。華やかな場に不慣れな侍女を気遣うような温かい笑みではなく、欲望と執念に満ちた笑み。その場に立ちつくすレティシアを嘲笑うような笑顔。

 レティシアはごろんと寝返りを打ち、指先でシーツのたわみを弄んだ。


 先日のマックアルニー子爵館襲撃事件の黒幕は、世間では闇の中ということになっている。だが、エヴァンス王子の夜会欠席理由がある。

 公には「体調不良」ということになっているようだが、レティシアたちは彼が謹慎を受けたのだと知っている。そして、その謹慎を命じたのがエヴァンス王子の父であるエルソーン王子であるということも。


(エヴァンス王子が謹慎を受けた……っていうことはやっぱり、王子はエルソーン王子の命令に背く何かをしたってことね)


 そこで考えられるのは、やはりマックアルニー子爵館襲撃事件しかない。

 あの襲撃事件を企んだのがエルソーン王子だとしたら?

 エヴァンス王子は父に命じられて護衛隊に加わり、アバディーンまでの道中でティエラ王女を抹消するつもりだったとしたら?


(でも、館ではエヴァンス王子は私たちを守ってくれた……)


 エルソーン王子とエヴァンス王子。

 そして、襲撃事件の主犯と言われる大柄な謎の男。


(ミランダは、私たちが悩んでいても仕方ないって言ってたけど)


 ばっと片足を振り上げて、上掛けをはね除ける。気合いの鼻息と共に腹筋で上半身を起こし、レティシアはベッドから滑り降りた。

 レティシアとセレナの部屋は隣同士だが、レティシアが部屋を出てもセレナが起き出した様子はない。そっと音を立てないように両手でドアを閉め、レティシアは防寒用兼変装用のショールを頭から被った。


 人気のないリビングを横切り、特殊な鍵の掛かったドアを開けた。

 王宮のドアは侵入者防止の対策が掛けられており、外から無理矢理ドアを押し破ろうとしたり、合わない鍵を差し込んだりすると容赦なく警報が鳴り、数秒も経たず衛兵が押し寄せてくるのだとか。逆に内側から開けるのは比較的容易で、それぞれの部屋に備え付けている鍵をきちんと持っておけば開閉できるようになっていた。夜中でも出かけることの多い、貴族や騎士に配慮した結果なのだという。


 レティシアは合い鍵をガウンのポケットの奥に突っ込み、そっと廊下に出た。ここ数日で大体の王宮の造りは理解したつもりだ。加えて、夜の間はポイント毎に衛兵が立っていることも。

 王宮内は全室魔法が使えないようになっているが、足元の毛足の長い絨毯はレティシアの足音をもみ消してくれる。一足一足、猫のように忍ばせながらレティシアは廊下を歩き、角の所で柱に隠れて息を潜めた。


 数秒後、見回りの兵士が歩いていくのが影で分かった。そっと柱の影から頭だけ出すと、大柄な男性騎士が後頭部を掻きながら廊下の反対側へ歩いていくところだった。

 レティシアは身を低くし、濃い墨色のショールをきつく体に巻き付けて廊下のT字路に滑り込んだ。

 だが――


 レティシアの右肩をがっしり掴む大きな手。


(っ……! やばい……!)


 心臓が大きく跳ね、本能的に絶叫を上げようと、大きく息を吸い込んだ。

 だが背後の人物はそれさえ許さず、もう片方の手でレティシアの口元を塞いで自分の方へレティシアを引っぱるように押しつけてきた。


 体中からぶわっと冷たい汗が流れる。もがこうにも、太い腕が腰に巻きついて一切の行動を許されない。

 そのまま、体をくの字に折られながらレティシアはずるずると、先ほどまで自分が隠れていた柱まで引っぱられていき――


「……本当に、世話が焼けるな」


 耳元で囁かれた声に、はっと息を呑んだ。口元を覆っていた手の平が外れ、肩をきつく掴んでいた手も解ける。


「おまえな、何を思ってこんな夜中に出歩くわけ?」

「オリオン……」

「見つけたのが俺で感謝しろよ」


 オリオンはため息と共にそう言い、がしがしと緑色の剛毛をかきむしった。怒っているというより呆れているのだろう、窓から差し込む月光に照らされた彼の顔は、普段より数段老けて見えた。


「ブルーレイン公子?」


 男性の声。とたんにオリオンはさっと姿勢を正し、廊下の曲がり角からひょっこり顔を出した衛兵に向き直った。


「どうかなさいました? その人物は……」

「……どっかの侍女が水をもらいに行こうとして、道に迷ったんだってよ」


 オリオンの声に張りがない。衛兵はオリオンが萎れているのが、ドジな侍女に落胆したからだと思いこんだのだろう。さもありなんとばかりに頷いて敬礼をした。


「かしこまりました。……わたくしがその侍女を部屋まで連れて行きましょうか?」

「いや、いい。おまえは持ち場に戻っててくれ。心配掛けて済まなかった」


 オリオンはやや早口に言い募り、再び敬礼する衛兵に背を向け、片腕でひょいとレティシアを持ち上げた。


「ちょ、オリ……」

「黙ってぶら下がってな。まー、じたばたしたって部屋に放り込むけどな」

「私は、ちょっと……」

「だからー。朝になったら説教が待ってるんだから、今くらい大人しくしてろっての」


 やれやれとばかりにオリオンに言われ、レティシアはうっと閉口した。


 おそらくレイドやミランダによって行われるだろう、「説教」に怯えながら、レティシアは荷袋のごとくオリオンに担がれて連行されていった。

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