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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第4部 黒薔薇舞う
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アバディーン城のディレン隊 7

 夜会はその名の通り、夜行われる。

 となると、日中はフリーになる。


「今日は特に手伝ってもらうこともないから、二人でお散歩でもしてきなさいな」


 今日の予定は、と問うたレティシアに対し、ミランダはそのように返した。


「アバディーン城は入ってしまえば開放的だからね、基本的に城内を出歩いてもいいことになってるのよ。あなたたちの場合、エステス伯爵令嬢専属侍女ってことできちんと手形も取れてるから、身分的にも問題なし。社会勉強だと思って、見学してきたら?」


 ミランダの言葉に、レティシアはセレナと顔を見合わせた。


「いいの? あ、いや、嫌なわけじゃなくって……」

「もちろんよ。王城を自由に歩けるなんて、滅多にできることじゃないわ」

「……確かに、今回は仕事で来れたからよいものの、普通ならば王城なんて立ち入ることさえできませんからね」

「いいえ、そういう意味で言ったのではないわ」


 ミランダはセレナの言葉にやんわりと割って入り、「むしろ逆よ」と、自分で紅茶を入れながら続けた。


「あなたたちはこれから、今よりずっと昇格できる可能性を秘めているわ。でもそうなれば、王城に入ることはできても自由に歩き回るなんて許されなくなるわ。だって、どれほど変装しても結局身バレしちゃうもの。名無しの侍女である今だからこそ、そこらを歩いたって咎められないし、少々の粗相は見逃されるわ。例え失敗しようとも、私が『うちの侍女が失礼しました』と言えば基本、丸く収まるわ」


 ミランダは一息のうちにそう説明した後、ふうっと息をついて「世の中って世知辛いわね」と誰にともなく呟いた。










「……やっぱり、貴族には貴族なりの葛藤があるのかしらね」


 ミランダの薦めを受けて廊下に出たレティシアとセレナ。

 レティシアはセレナの漏らしたつぶやきに、小首を傾げた。


「どうだろうねぇ。少なくともミランダは私たちと近い考えを持ってるから、余計に考えることも多いのかもね」

「一理あるわね」


 二人が歩いている渡り廊下は「黒翼館」同士を繋ぐ開放廊下で、景観もばっちりだった。この時期に開放廊下に立つと、吹きすさぶ寒風と氷の礫を含んだ雪に参ってしまうところだが、どうやらこの渡り廊下にもある種の魔法が掛けられているらしい。


 通りすがった下級兵士に疑問をぶつけてみて教えてもらったことによると。

 この渡り廊下は、チューブ状の魔法の筒に覆われているのだという。透明で頑丈、内側からの景観を損ねることなく、なおかつ外界からの熱風や寒風、雨雪を防ぐ。おかげでどのような天候時も安全に渡り廊下を使用でき、季節や時間に応じた王城からの眺めをいつでも快適に臨めるようになっているのだ。


 この渡り廊下に立つと、王都城下町の風貌をぐるりと見渡すことができた。今レティシアたちは南に向いているため、南外区と南内区の全貌を眺めることができた。王都を中央に、ゆるやかなドーム型になっているため内区と外区がきれいな階段状に広がっているのが遥か彼方まで見て取れた。


「私たちがこの前買いものをした店は、どの辺かな」

「あの尖塔、お昼過ぎに通った時計塔じゃない? だとしたら、あの時計塔よりももうちょっと東じゃないかしら」

「あの辺? ……あー、確かにあんな形のおっきな建物があったような気が……」


 渡り廊下の手すりに寄り掛かって、高みの見物よろしく下界を見下ろしていたレティシアたちだったが。


「……あ」


 二人の声が重なった。それは、二人の頭上を濃い影が一瞬のうちに通り過ぎたから。

 はっとして首を捻って後方を見れば、見覚えのある巨大な生物が城の中庭に着陸したところだった。


「ノルテ……こんな時期に偵察に出てたのかな?」

「そんな話は聞いていないけど……迎えに行きましょうか」

「そうだね。一度、中庭にも降りてみたかったし」










 ドラゴンが着陸したのは、以前クラートが説明した二種類の庭園のうち、王の庭と呼ばれる方だった。

 真っ白な雪と針葉樹に包まれる庭に佇むドラゴンは、その毒々しい緑色の鱗も相まって非常に目立っていた。


 二人は深い雪に足を取られながら、庭の中央付近に着陸したドラゴンに少しずつ歩み寄っていった。

 だが。


「……なんか、アンドロメダと違うような……」


 先に気付いたのは、レティシアの方だった。

 その指摘を受けてセレナも足を止め、ブーツの踝まで雪に埋まった状態でその場に立ち止まった。


「そう? 私には同じに見えるけど」

「でも、アンドロメダよりちょっとだけ大きいような……それに、ノルテってあんなに立派な鞍を持ってたっけ」


 レティシアが示したドラゴンの背には、木で作られた頑丈な鞍が取り付けられていた。レティシアが見たことのあるアンドロメダの鞍は、それこそ実用重視で飾り気のない一品だった。それに対し、今ここにいるドラゴンの鞍は縁に金粉が塗り付けられ、ドラゴンの背と鞍の間には赤を基調とした毛織物の鞍飾りが付いていた。絨毯のようなそれは、緩い襞を作り出しながらドラゴンの背中に垂れ、尾の根元まで覆い尽くしていた。


 ドラゴンは警戒しているのだろうか、雪に腹を押しつけ、首だけを起こしてこちらを向き、微動だにせずレティシアたちの動きを見守っていた。もしこれがアンドロメダだったら、「構ってくれ」「おやつをくれ」と二人に飛び付いてきただろう。事実、すっかりアンドロメダに懐かれた二人はしばしば、やんちゃな雌ドラゴンに追いかけ回される羽目になっているのだ。


 このドラゴンは蛇と同じ細い瞳孔を揺るがすことなく、じっと視線をレティシアたちに注いでくる。レティシアが足を進めても、襲いかかってくる気配はない。むしろ、ドラゴンの方が様子を見ているようで、警戒しつつも穏やかな眼差しでレティシアたちの動向を見つめてきていた。


「……やっぱり人違いかな」

「むしろドラゴン違いね」

「でも、本当にアンドロメダに似てるけどなー」

「そりゃそうだよ、だって姉妹だもん」


 二人の会話に割って入ってきた、陽気な少女の声。さくさくと深雪を踏みしめてやって来る、二人分の足音。


「ちなみにうちのアンドロメダが妹ね。まったく、いつまで経っても子どもっぽさが抜けなくて、ノルテさん困っちゃうわ」

「ノルテ」


 随所にダイヤモンドがちりばめられたかのように、きらきらと輝く雪の庭園。そんな白い世界を、見知らぬ黒髪の女性を伴ってやって来る小柄な竜騎士の少女。

 ノルテは腰に手を当て、ニカッと笑った。


「よっす、二人とも。さてはカルティケーヤをアンドロメダと間違えて、降りて来ちゃったのかね?」

「カルティ……ケーヤ?」

「この子の名前です」


 ノルテに代わって答えたのは、彼女の半歩後ろを歩いてきていた女性だった。


 艶やかな黒髪を背中まで真っ直ぐに垂らし、前髪を額の中央で分けて怜悧な眉の形とアーモンド型の両眼を露わにしていた。

 彼女が纏うのは濃いブルーのマーメイドドレス。真冬の景色の中でより一層寒気を増すような寒色だが、凛と澄んだ青空のような彼女のコバルトブルーの双眸によく似合っていると、レティシアは思った。


(この人は?)


 レティシアたちの疑問を察したのか、ノルテは「ああ」とひとりごち、隣に立つ美女を手の平で示した。


「まだ紹介してなかったわね。こっちはうちの姉さん」

「は?」


 頓狂な声を上げたのはレティシアだけだった。セレナはある程度のことは想定していたのか、レティシアのように調子外れな声を上げることはなかった。それでも、「ノルテの姉」を前にして緊張しているのか、樹木色の目は瞳孔が見開かれていた。


 ノルテの姉。それはつまり――


「……バルバラ王国の、女王陛下?」

「おっしゃる通りですわ、ノルテのご友人」


 乾燥植物のごとく掠れたレティシアの声を弾き飛ばすような、軽やかで愛らしい声。

 女性が口元が綻び、赤い三日月のような笑みを象る。


「あなた方のことは妹から伺っておりますわ。……わたくしはバルバラ王国女王のティカ。常日頃から妹がお世話になっております」

「はっ……」


 レティシアは緊張の吐息をつき、そしてセレナとほぼ同時にその場にひれ伏した。

 膝まで雪に埋まる。緩く編み込んでいた髪が雪面に垂れるが、気にしている暇はない。


「女王陛下! そ、その……陛下のドラゴンに近付いてしまい、申し訳ありませんでした!」

「お気になさらず。カルティケーヤはあなた方がノルテの友人だと分かっております」


 ティカ女王は「どうか体を起こして」と言って二人を立たせ、自分の脇腹に額をすり寄せてきた愛竜の鼻面をそっと撫でた。


「ドラゴンは賢い生き物。カルティケーヤも、あなた方に悪意がないことを察しております。だからこそ、あなた方が近付いてもこの子は吠えなかったのですよ」


 レティシアは歌うように語る女王の顔を、そっと伺い見た。


 卵形の顔に、すっと鼻梁の通った顔立ち。すらりと細身で優美な体。庭園に積もる雪をそのまま肌に溶かしたかのような、真っ白な手。

 彼女の隣の――いつの間にか雪遊びしている――ノルテとは全く似ていないのだが、彼女がドラゴンを見つめる眼差しや、優しい手つき。可憐ながらも強い意志を秘めた瞳の輝きなどは、さすが姉妹、さすが王族といったところか。


「レティシアさん、セレナさん。破天荒で無謀で無茶で無計画な妹の面倒を見てくださり、本当に感謝しております」

「言い過ぎよ姉さん」


 その隣で雪だるまを作っていたノルテが、ぷうっと頬を膨らませて抗議する。

 ティカ女王はそんな妹を静かに見つめ、再びレティシアたちに視線を戻した。


「……こんな子ですが、わたくしの唯一の家族、かけがえのない妹なのです。お二人を始めとした、ディレン隊の皆様にもご迷惑をお掛けします……いえ、きっと既に迷惑を掛けているでしょうが、どうか妹と仲よくしてくださいませ」


 言い、ティカ女王は二人の返事を待たずにさっと踵を返した。豪雪の王国育ちだからか、女王は踝まで包む雪に足を取られる様子もなく、静かに庭園を後にした。

 それまでずっと大人しく座っていた女王のドラゴンも体を起こし、ぶるりと体を振るって雪を払い落とすと、主人の後を追っていった。


「んもー、姉さんったら本当に素直じゃないんだから!」


 視線を下にずらせば、姉に置いて行かれたノルテが。それでも彼女は作品を完成させたいのか、ぶちぶち言いながら手際よく雪だるまを作っている。


「こんなに可愛くて愛らしくてあどけない妹に対して、破天荒なんてねぇ。素直になればいいのにぃ」


 そうして立ち上がると、完成した雪だるまを残して跳ねるように庭園を飛び出していった。


 レティシアはノルテの背を見送り、足元の雪だるまを見下ろした。ノルテの小さな手で作られた雪だるまは、ころころと太ったドラゴンの形をしていた。


 遠くで、ドラゴンのいななきが響く。顔を上げれば、「白翼館」の影から二頭のドラゴンが仲よく連れ立って、上空に舞い上がるところだった。

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