アバディーン城のディレン隊 5
リデル王国エステス伯爵家令嬢御一行。
御一行と言っても、派手に着飾った令嬢を先頭に、彼女の斜め後ろを二人の侍女がついて行くだけだ。
それでも廊下ですれ違う人々はミランダの顔を見ると、さっと道を開けて軽く会釈してきていた。
(さっすが、魔道理事会所属エステス伯爵家……)
ミランダに教わったよう、伏し目、控えめ、上品を心がけて歩いていたレティシアは、ミランダの振りまく色香と威厳に、ただただ閉口するしかできなかった。
道行く人々はミランダに対して敬意を払っているのだが、後ろを歩く自分たちまで崇められているようで、ずっと背中がむずむずと痒かった。
リデル貴族の爵位保持者はリデル王国諸侯と呼ばれ、男爵、子爵、伯爵と三段階になっている。現在は大公と公爵は実質、存在しない。オルドラント、フォルトゥナ、ドメティの三諸侯が「大公」の名を与えられ、公爵とほぼ同レベルの措置を取らされているのみだ。
つまり、伯爵家令嬢であるミランダは一般貴族の中では最高位に当たるのだ。
「……おお、そなたはフレデリック殿の令嬢ではないか」
会場へ向かう一行に声を掛けたのは、ちょうど廊下の十字路で鉢合わせした初老の男性。
黒地に金糸を縫い込んだ豪奢なコートと銀製の杖が目立ち、背後には護衛とおぼしき騎士数名を引き連れているので、彼もまた会場へ向かう招待客なのだろう。
ミランダは男性と向き直るとそれまでのような作った笑顔を引っ込め、後ろ手でレティシアたちを止めるとさっとその場でドレススカートの裾を持ち上げるお辞儀をした。
「お久しぶりですわ、フェビアノ子爵。お会いできて光栄に存じます」
「私もだよ、ミランダ嬢」
フェビアノ子爵は頬横の皺を寄らせて笑い、杖でトントンと床のカーペットを突いた。
「何でもフレデリック殿は未だ療養中だとか」
「ええ……子爵にもご迷惑をお掛けします。先日送ってくださった見舞いのお手紙とお心遣いの品、父が大変喜んでおりました」
「そうか……フレデリック殿とは、また魔具について語らいたいものだ」
そこでフェビアノ子爵は口を閉ざした。
(! まずっ……)
ぼうっと子爵を観察していたレティシアは、ばっちりと正面から子爵と目線を合わせてしまい、慌てて目を伏せた。「目立ってはいけない」とミランダに釘を刺されたばかりなのだ。
(どうしよ……無礼だと思われたかな)
冷や汗だらだらで畏まるレティシアは、自分のつむじ付近に子爵の視線がぐさぐさ突き刺さっているのを感じていた。ミランダの名に泥を塗るようになってはならない。
「そちらは……初めて見る侍女だな」
「ええ、最近うちに来たばかりの新人使用人ですの」
素早くミランダが答え、子爵の視線をレティシアたちから逸らせるかのように、やや声量を上げて言った。
「何分、わたくしも父の同伴ではなく代表として夜会に出席するのは今回が初めてで。手練の侍女を付けるべきだという意見もあったのですが、ここは是非、わたくしと年の近い若い侍女を付けて共に学び合おうかと思いましたの」
(ミランダ……すごい……)
侍女の話題が振られたのはミランダにとっても不意打ちだっただろうに、子爵に臆することなくミランダははきはきと答えている。
「もしわたくしの侍女が粗相をしましたら、お申し付けくださいませ。わたくしも彼女らも、学びの途中でして子爵がお気にされるかもしれませんゆえ……」
「構わない。ミランダ嬢が言う通り、何事も経験なりき、だ」
子爵は畏まるミランダを励ますように言い、もう一度杖を突いてにこやかに笑った。
「ミランダ嬢も、初めて単独で参加する夜会は何かと不安も多いことだろう。フレデリック殿には昔から世話になっている。もし何かあれば、遠慮なく声を掛けてくれ。力仕事などがあれば喜んで、うちの騎士を派遣しよう」
「感謝いたしますわ、フェビアノ子爵」
「では夜会会場で」と子爵一行が去ってからミランダが会釈のポーズを直すまで、レティシアは息も付けなかった。いまだ心臓はばくばく鳴っているし、手の平は嫌な汗でじっとりだった。
(よかった……ミランダのおかげだ……)
「……最初に会ったのがフェビアノ子爵でよかったわ。あの方と父は昔から親交があったから」
ミランダが振り返り、ふうっと艶やかな息をついた。
「今回は私が何とかごまかせたけど、相手はフェビアノ子爵のような方ばかりじゃないからね。フェビアノ子爵はおおらかで気さくな方だけれど、真逆なタイプの方がむしろ多いから」
「……はい、気を付けます、ミランダお嬢様」
きっちりかっちり答えると、ミランダは少し意外そうに目を瞬かせた後、「分かればよし」と笑うと、再び前を向いた。
一瞬見えたミランダの横顔は、セフィア城侍従魔道士ミランダではなく、これから「夜会会場」という戦いの場に臨もうとする、美しくも勇敢な伯爵令嬢のそれであった。
セフィア城での交流会の派手さ、明るさ、「無駄さ」を百とするなら、今回の夜会会場は千にも万にもなるだろう。
まさに「照明代の無駄」としか言えない、きらきらしいシャンデリアと魔道ランプ。「食材費が無駄」と思われる、一つ一つが宝石細工のような料理。「布代の無駄」な、やたら幅を取る装飾ごてごてのドレス。
農村育ちのレティシアにとっては九十九パーセントが「無駄」で片付けられる。それが貴族のパーティー会場だった。
ミランダには「下を向いて歩け」と言われているが、これは正直レティシアにとって非常に有難かった。上を向けば凄まじい光量のシャンデリアに目を焼かれそうになるし、前を向けば「無駄なもの」ばかりが目に入って、それが一個いくらなのかとか、あのマカロン一個でルフト村の村人が何日暮らせるのだろうかとか、俗な計算をしてしまう。しかも足元をひらひらと罠のように閃く貴婦人のドレスをふんずけてしまいそうになるのだ。
ミランダのドレスは本人の希望で、腰を絞って肩と背中をむき出しにしたマーメイド型のデコルテドレスであるため、裾が床に擦りにくいのだが今の流行は裾長タイプらしい。
あちこちの貴婦人が長く長くドレスの裾やレース飾り、ショールやパニエをずるずる引きずっているため、足元を疎かにしていると、そのお高いドレスに足形をつけてしまいかねなかった。
事実、レティシアはこの会場に入った直後に早速、近くにいた中年期婦人のパニエを右足で踏んづけてしまったのだ。
その時は持ち前の反射神経で飛び退き、事態に気付いていないミランダにさっさとついて行ったから助かった。どうも例の中年期婦人は別の男性が踏んだと思ったらしく、後方で何やら言い合いしていたが、無視。男性には悪いが、無視。
(すみません、以後気を付けます)
男性に小さく合掌してから、レティシアは下を向いてドレスやマントを踏まないよう、注意して進むことにした。おかげで周囲の余計なものに視線を奪われることも、これ以降は他人の衣服を踏むこともなかった。
会場に入った時から、ミランダは知り合いとの挨拶で忙しい。目下の者が目上の者に挨拶しに行くのがここでの礼儀らしく、ミランダがそこらを歩いているとあちこちからナントカ男爵だの、ナントカ子爵だのが寄ってくる。
ミランダが自ら挨拶しに行かなければならないのは、ここでは彼女と同位の伯爵だけだ。レティシアとセレナも金魚の糞のように、ミランダにちょこちょことついて行く。
侍女というのは肩身が狭くて融通の利かない役だと思っていたが、すぐにレティシアは、ミランダが自分たちを侍女に据えてくれて有難いと感じるようになった。
ミランダは会場中を歩いて、何とか伯爵だの何とか子爵だの、どこそこの男爵だの何とか地方の豪商だの、あらゆる人々と挨拶を交わしていた。最初の方こそ、レティシアも相手の名前を覚えようと試みたのだがすぐに断念した――断念せざるを得なかった。
とにかく、名前が膨大なのだ。家名がそのまま地方名になっている爵位保持者はともかく、商人や官吏、裕福な市民となれば身に覚えのない名前がポンポンと出てくる。
おまけに、「何とか男爵家当主」だけならばまだよいものの、「何とか子爵の姪」とか「エドモンド王の従姉の旦那の実家」だの、「何とか伯爵の末娘兼何とか男爵夫人」となればもう、覚えるのさえ億劫になる。
人間の脳みそには、それなりの容量があるのだ。レティシアは、自分の脳みそのキャパシティがそれほど大きくないことを自分でもよく分かっていた。
だから人名暗記は早々に諦め、「ランスター子爵」や「リスベル男爵」のような、どこかで聞いたことのある名前の貴族だけ、注目することにした。
国王主催の夜会だけあり、ほとんどの諸侯は参加しているようだ。先日別館を大破させられたマックアルニー子爵も息子と一緒にいるのを見かけたし、セフィア城に残っているディレン隊のディアス、カティア兄妹の父であるダールストン男爵も挨拶に来た。相変わらず仏頂面のゲアリー・ベルツ子爵にも声を掛けられたし、セフィア城侍従魔道士団長アデリーヌの養父であるクワイト伯爵とも会った。
(なるほど……意外な出会いもあるものなのね)
挨拶は全てミランダに任せているので、意外な出会いができたレティシアはこっそり、無表情の下で微笑んだのだが。
「……おや、あなたはエステス伯爵令嬢」
ゼイゼイと枯れたような音。
ミランダに声を掛けたのは、初老の貴族男性。意外なことに、この男性は顔色が悪くて服もよれかけている。おそらく身分は高い方なのだろうが、やけにみすぼらしく見えた。
それでもミランダは礼儀と気品を欠かすことなく、柔らかな微笑みを浮かべて男性に会釈した。
「お久しぶりです、ハティ伯爵。その後のお加減はいかがですか?」
「見ての通り、良いとは言えない」
ハティ伯爵、と呼ばれた男性は聞き取りにくい声の合間に咳を挟み、側にいた侍従からハンカチを受け取った。
「失礼……さすがにこの歳になると、夜会出席も楽ではなくなるな」
「夜会も大切ですが、どうぞご自愛なさってくださいね」
「うむ……嬢の言う通り、今回は早めに撤退しようと思うのだ。最終日までいられないのは残念だが、ぜんそくがなかなか止まなくてね……」
「レティシア」
蚊の鳴くような声に振り返れば、レティシアの脇に立つセレナが視線は正面に向けたまま、唇だけをわずかに動かしていた。
「今の人、ハティ伯爵。分かる?」
「……いや、初めて聞いた名前だと思うけど」
さて、どこかで噂になったことがあるだろうか。
レティシアが深く考えるより早く、セレナは口を開いた。
「……あなたの母君。マリーシャ様の結婚前の名前は、マリーシャ・ハティなのよ」
「え」
思わず大きな声が出る。だが幸運にも、背後で若い令嬢が姦しく噂話に興じていたところだったので、レティシアの声がミランダたちに届くことはなかった。
(そういえば……ロザリンドが見せてくれた本に、そんなことが書いていたような……)
レティシアは恐る恐る、ミランダと世間話をするハティ伯爵に視線を戻した。真っ白な頭髪の半分以上は失われ、禿頭がシャンデリアの明かりに眩しく照り返っている。彼の羽織る貴族服は、どう贔屓目に見てもくたびれており、病のためか足元もおぼつかないようだ。
(えーっと……世代的に、この人は結構年取ってそうだから……私の、おじいちゃん?)
レティシアの打ち立てた仮定の検証は、ハティ伯爵自身答えを出してくれた。
「ここ数年、私も衰えたものだ……あの子のせいにするのは間違いだろうが、娘がクインエリアに行ってから、ハティ家は傾く一方だ」
「とても聡明なお方だと伺いますからね、マリーシャ様は」
納得するように言うミランダ。
レティシアの予想通り、この男性は大司教マリーシャの実父であり、つまるところレティシアの母方の祖父に当たるのだ。
レティシアは、真横からの視線を痛いほど感じていた。
その突くような視線から逃れるように顔を逸らし、レティシアはこっそり息を吐いた。
(やっぱり、私のお祖父ちゃんなんだ……)
今、ここで暴露したらどうなるだろうか。「私はあなたの孫なのです」と。
無論、そんなこと打ち明けるつもりはさらさらなかった。場を混乱させるだけだし、レティシアにとって何一つ利点はない。
加えて――祖父不孝者と詰られそうだが――レティシアはこの萎びた老人に、全く興味が持てなかった。
実母のマリーシャでさえ、雲の上の人という感覚なのだ。その母の父親なんて、他人と言っていいくらいだ。レティシアにとっての両親はずっと、ルフト村にいる養父母なのだから。
会話を終えたらしいハティ伯爵が会釈し、去っていった。侍従の手を借りながら歩いていることからも、彼の衰弱ぶりが見て取れるようだ。腰の曲がった小さな背中は、優美な貴人たちの波に揉まれてあっという間に見えなくなった。
「レティシア……」
セレナが何か言いたげに視線を寄越した、が。
静かに、会場の明かりが落ちた。日没を早送りさせたかのように、穏やかに会場が闇に落ちていき、それと同時に頭上にある二階席に明かりが灯った。




