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マージナイト・プリンセス  作者: 瀬尾優梨
第1部 黄昏の魔女
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侍従魔道士見習レティシア 5

 先ほどの授業で受けたショックを癒す間すら与えられず、レティシアは重い足を引きずって次の講義が行われる、礼儀作法の教室へと向かった。


 ここでまたもやレティシアはミシェルらと同じクラスになったのだが、ふらふらと幽霊のような足取りで教室に入るレティシアを見るなり、窓辺の出窓に腰掛けていたミシェルは目を見開き、思わず耳を塞ぎたくなるような甲高い笑い声を上げた。


「皆さんご覧くださいな! 魔法の炎さえ灯せないライトマージのお出ましですわ!」


 ミシェルのせせら笑いに触発され、教室にいた魔道士見習たちが一斉にレティシアの方に面を向ける。先ほどの授業での失態がもう、ここまで広まっていたようだ。

 彼らの眼差しはもう、新人を出迎えるときの暖かいものではなくなっていた。

「出来損ない魔道士」のレッテルがレティシアの背中にべったりと貼られていた。

 ライトマージとは名ばかりの、空っぽの魔道士。


 レティシアはくすくす笑いや嘲りの言葉を背中に受けながら、じっと俯いて耐えていた。


 言い返したい。

 うるさい黙れ馬鹿と、大声で罵りたい。

 このまま席を立って教室から飛び出したい。

 全てをなげうって、大暴れしたい。


 だが、どれも許されないことだ。

 やると決めたからには逃げだしたくない。

 人を見下すような人間に貶されたからといって、涙は見せたくない。


 チャイムの音が城内に響き渡り、生徒たちが各々の席に着くまでじっと、レティシアは膝に爪を立てて感情を押し殺していた。










 なんとなく、嫌な感じはしていた。

 なにせ、レティシアは宮廷作法なんてこれっぽっちも知らないのだから。


 最低限のマナーとして、故郷では「目上の人には敬語を使うこと」「様、を付ければ丁寧な呼びかけになる」程度は教わっていたが、小さな田舎村ではそんな知識を活用できる場面がない。養父母にでさえ、レティシアは普段の言葉で話しかけていた。ロザリンドに言葉遣いを直すよう命じられてようやく、様付けや敬語を使い始めたのだが、貴族の身の振る舞い方なんて初耳だ。


 貴人の部屋に呼ばれたとき、どう断りを入れて入室するのか。

 手紙を書くときに用いる、時候の挨拶を使いこなせるか。

 食事会で、ナイフとフォークをどの順番で使うのか。

 ドレスを着た際に、扇をどう持つのか。


 どこかロザリンドと同じ匂いを漂わせる四十代半ばの女性教師は、平民出でしかも常識に欠けるレティシアをこれでもかというほど吊るし上げ、ミシェルらの笑いのネタを提供してくれた。「……とは、どのようにするのですか」という質問にレティシアは何一つ、答えられなかったのだから。


「重傷ですね」


 きっぱりさっぱり、遠慮の「え」の字も見受けられない教師の一言に、レティシアはゆっくりと面を上げた。

 幸か不幸か、魔道の授業で抉られた大きな傷跡の後遺症のため、教壇前に立たされたレティシアは半分意識が飛んだ状態で教師の小言を聞いており、彼女の辛辣な一言にも大してダメージを受けなかったようにきょとんとしている。


 教師はそんな生意気なレティシアの態度が気に食なかったようだ。手に持っていた細身の鞭を教卓に打ち付け、苛立たしげにヒールの高い靴の音を鳴らせた。


「あなたは侍従としての心構えが粉微塵も見受けられません。粗暴でがさつ、物覚えも遅く化粧の一つも嗜まない――今まで数多くの平民出魔道士見習を指導してきたわたくしですが、これほどまで輝きの見込めない原石を見るのは初めてです。魔道も作法もてんで才能なし――なぜ魔道士団長があなたを推薦したのか、疑わしくなりますね。なけなしの金を叩いて裏取引でもしたのですか?」


 うるさい黙れ、とレティシアは心の中だけで暴言を吐く。本当は村の男たちが吐くような、下品かつ汚らしい罵言を並び立てたいのだが、さすがに理性がそれを押しとどめた。

 何も言わないレティシアを見、教師は興味が失せた、とばかりに鞭を振る。


「席にお戻りなさい。あなたには後で礼儀作法の本を渡します。そして、この成績については魔道士団長にもお話ししますので、覚悟なさいませ」


 勝手にしてくれ、とレティシアは肩をすくめて大人しく席に戻った。

 ロザリンドから説教を受けようと痛くも痒くもない。自分はやれるだけのことをした。できない者を貶める周囲の者たちが悪いのだ。


 レティシアはじっと教師をにらみつける。もし自分に魔力があれば、あの教師を消し炭にしてルフト村の夜空に光るお星様にしてやるのに、と思いながら。










 レティシアの受ける授業は次々にランクを落とされ、終いには授業開始三日目にしてロザリンドの呼び出しを食らうという名誉を授かった。


「様々な教師陣からお話を伺っておりますが。レティシア、あなたはやる気があるのですか?」


 いつも通り淡々と、ロザリンドは語る。その手には、各教師から受け取ったらしいレティシアの成績表――もとい、教師からの苦言書の束が。


「魔力の開花が遅いのは認めます。実技授業の教師であるベットマン殿からも、時間を掛けて指導するべきだとお優しい言葉をいただいておりますが――作法、ダンスなど、大半が落第点ですよ。幸い読み書き算術だけは見込みがあるそうですが、これほどとは思いませんでした」


 デスクを挟んでロザリンドと対峙するレティシアは何も言い返さない。

 ここ数日ですっかり拗ねモードに突入したレティシアはロザリンドの説教を受けながらも、左右の目が別の方向を向いている。


「聞いていますか、レティシア・ルフト」

「聞いてます」


 即答し、両目の視点をロザリンドに合わせてレティシアは顔をしかめた。ロザリンドの予想に反して、その口調ははきはきしている。


「でも、分からないものは分からないんです。言葉遣いも、魔法も――覚えようとしても、次の日になったら全部吹っ飛んでしまって」


 それに、と不満いっぱいの小声で付け加えられたのをロザリンドは聞き落とさなかった。


「――先生も、『おまえはダメだ』しか言わないんですもん」

「しかし教師陣はあなたの教育に心血注いでいると……」

「ああ、そうですか。先生がそう言うんなら、そうなんでしょうねぇ」


 ヤケになって言い返すレティシア。もう既に、ロザリンドの前でお利口にしようという気にすらなっていなかった。


 いくら教師が頑張っているとしても、彼らの方針はレティシアの身には合わない。馬鹿だ馬鹿だと罵られて成長するような趣向を、レティシアは備えていないのだから。


 それに、教師も教師だ。何を思ってか、彼らは基礎すらできないレティシアにあれもこれもと、無理難題ばかり押しつけるのだ。レティシアとしては、いきなりダンスをしろ、手紙の例文を書け、と言われるよりまずはダンス時の立ち方や給仕の基本についてじっくり教えてほしいのに。


 他の生徒もいるのだから、中途半端な時期に編入したレティシアの進度に合わせた授業をするのは不可能だろう。他の生徒たちならば十二歳の春に教わっていることを、レティシアは十五歳の秋から始めざるを得ない状況なのだ。


(それは、分かってるけど……)


 レティシアは恨みを込めた眼差しでロザリンドを見上げる。


「でも、私は自分なりに努力してます。それだけは、確かなんで」

「……なるほど。あなたは個別指導を取る必要があるのかもしれませんね」


 ロザリンドは成績表を脇に押しやって、組んだ手の甲に顎を乗せた。


「検討しておきましょう。ただし、不可能であろうと授業には出席すること。教室棟の三階には図書館があるので、時間があるならば本を借り、自主勉強をしなさい」


 ロザリンドのありがたいお言葉をいただき、レティシアはフラフラの足取りで魔道士団長室を後にした。

 そのまま、廊下の壁に寄り掛かって深い息をつく。大理石の壁は冷たく、冷や汗を流してぐっしょり湿ったレティシアの背中を震わせた。


 どうしようもないのだ。

 ロザリンドも、教師も頼りにできない。

 自分で行動しなければならない。


 レティシアは体を起こし、両手で自分の頬を勢いよく引っぱたいた。

 くよくよしていられない。


 そのままレティシアは踵を返し、廊下を歩いていった。

 図書館へ行き、自分の今の実力に合いそうな本を借りに行くために。











 『父さん、母さん、そしてルフト村のみんなへ。

 私が村を出てからしばらく経ちましたが、みんなは元気ですか。おいしい作物は採れましたか。お日さまはしっかり照って、雨の恵みも与えられているでしょうか。


 私は毎日、侍従魔道士としての勉強をしています。お城で生活する上で必要な作法や、字の読み書きやダンス、そして魔法の訓練と、休む暇もありません。

 正直、自分でもまだまだ足りないと思う部分はたくさんあります。でも、魔道士団の皆についていけるよう、一生懸命頑張りたいです。


 この手紙を敬語で書いているのは、練習のためです。私の礼儀作法はまだまだだと、先生にも言われました。私が敬語を使うなんておかしい話ですが、どうぞ温かく見守ってください。


 みんなに会える日を楽しみにしています。それでは。


 レティシア・ルフトより』









 涙は見せない。弱みも見せない。

 だから嘘を書いた――否、真実を書かなかった。


 事務室に手紙を持っていき、郵送の手続きをしながらレティシアは胸に誓った。


 負けない。

 どんなに貶められようと、泣き言を言わない。

 村の皆を不安にさせない。


 それが故郷を飛び出たレティシアにできる、最大の親孝行だった。

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