ヴァーシェルの授業
結局、ろうそくと剣振りを習得することのできなかったアレイシアは悔しそうにしながらもミスフィード家の屋敷を後にした。
「アレイシア、帰っちゃったね」
「うん、本当にけん玉をやりに来ただけなんだね」
帰ったら屋敷で猛特訓をして、ろうそくと剣振りを習得したら得意げな顔でやってくるんだろうな。
その時はより高度な技を提示して、また適当に相手してあげるとしよう。
掴みどころのないお嬢様だけど、玩具で遊んでいる時は非常にわかりやすいので対応が楽だ。
「アル、一緒に遊ぼう!」
アレイシアがいなくなると、ラーちゃんが嬉しそうに言ってくる。
屋敷の中で遊ぶのであれば問題はない。
「ダメよ。ラーナ、これからヴァーシェルの授業があるのですから」
二つ返事で頷こうとしたら遊戯室の扉が開いた。
振り向くと、ラーちゃんのお母さんであるフローリアがいた。
「やー! アルと遊ぶ!」
「ヴァーシェルは貴族の淑女としての嗜みですよ。いずれ貴女の通う魔法学園でも学ぶことになるのです。早めに学んでおかないと公爵家として恥をかくことになりますよ?」
「ヴァーシェルはいつでもできるもん!」
フローリアの言葉を拒絶するようにラーちゃんが俺の後ろに回った。
気持ちはわかるけど、俺をフローリアの前に差し出しても無力だよ。
公爵家当主の夫人に男爵家の次男では勝てるはずもない。
「ワガママを言ってアルフリート君を困らせるんじゃ――」
定番の言葉を続けようとしたフローリアが何故か止まる。
その視線は後ろに隠れているラーちゃんではなく、なぜかこちらに止まっていた。
……嫌な予感がする。頼むからそのまま定番の説教言葉を続けて欲しい。
「なら、アルフリート君と一緒にヴァーシェルの授業を受けてみるのはどう?」
俺のそんな祈りは届かず、フローリアが柔和な笑みを浮かべながら提案してきた。
両手を合わせて名案みたいに言っているけど、俺にとっては名案じゃない。迷案だ。
「え! アルも一緒に授業受けてくれるの!?」
チラリと振り返ると、ラーちゃんがキラキラとした視線を向けてくる。
……マズい。俺と一緒なら授業も楽しいかもとか思っちゃってるやつだ。
「いや、俺は魔法学園に行くつもりはないし、そもそもヴァーシェルを持っていないですから」
「先日、夫から譲り受けたそうですし、ちょうどいいじゃないですか」
俺がシューゲルから何の魔道具を貰ったかしっかりと把握しているらしい。
「当家にお呼びしているルーテシア先生は、国内だけでなく国外での演奏活動でも高く評価されている有名なヴァーシェル奏者です。学園に通わないにしろ、今後趣味として嗜むのであってもアルフリート君に損はないはずですよ?」
フローリアから怒涛の攻勢が放たれる。
相手が絶妙に不快にならない程度の押しの強さを発揮し、相手にとって利となる部分を提案してくる。
すごい。これが公爵家当主の夫人として生き抜いてきた強さか。
「とはいえ、急に生徒が増えるというのは。それに先日、王都で派手に買い物をしたせいか出費が……」
「ルーテシア先生の許可がとれました」
いつの間に退出していたのか。ロレッタが廊下から戻ってくるなり報告してくる。
「授業の費用はもちろん、当家が負担しますのでお気になさらず」
俺たちが会話している間に、ロレッタは主の意図をくみ取って先回りしていたようだ。
この屋敷にいる使用人は優秀過ぎる。
「ラーナもアルフリート君と一緒に授業を受けてみたいですよね?」
「うん! アルと一緒なら楽しそう!」
断ってという俺の内心の言葉も届かず、ラーちゃんは無邪気な笑みを浮かべる。
「ほら、ラーナ。ちゃんと自分でお誘いしなさい」
この母親は悪魔か!
「アル、一緒に行こ?」
ラーちゃんはこちらを見据えると、期待と喜びに満ちた表情で言ってくる。
そんな幼子の可愛いお誘いを断れるわけもなかった。
●
自分の部屋にあるヴァーシェルを手にすると、俺は一階の角部屋にある音楽室へとやってきた。
「お入りください」
扉をノックすると、中から涼やかな声で返事がきたので俺は入室する。
真っ白な壁と大きな窓が特徴的な部屋は開放感がたっぷり。窓の外は緑でいっぱいなので綺麗な息を吸えそうだ。
灰色の絨毯の上にはピアノをはじめとする様々な楽器が並んでおり、並んでいるイスにはヴァーシェルを手にしたラーちゃんと紺色の髪をした女性がいた。
赤いフレームをした眼鏡をかけており、切れ長な空色の瞳をしている。
体型はすらりとしており、淡い青色のドレスを身に纏っていた。
「アルフリート=スロウレットと申します。本日はよろしくお願いします」
「わたくしは、ルーテシア=クロノワインド。ヴァーシェルの奏者であり、ミスフィリト家に招かれ、定期的に指導を行っておりますわ」
気品のある佇まいから貴族に近しい立場じゃないかと思っていたが、やっぱり貴族だったようだ。
パーティーとは無縁の生活なのでクロノワインド家とやらがどれくらいの家格なのかわからない。
公爵家に招かれるような人だ。きっと家柄もいいに違いない。自分よりも爵位が上の人だと思っておこう。
「率直にお尋ねしますがアルフリートさんは、ヴァーシェルをどの程度嗜んでおられるのでしょう?」
「恥ずかしながら先日ヴァーシェルに触れたばかりの初心者です」
「でも、パパの前で知らない曲を弾いてたよ?」
弦の張り方、弾き方をシューゲルから教わった程度で基礎的なことは何も知らないのだが、前世で色々な曲や楽器に触れたせいでラーちゃんからはそうは見えなかったらしい。
初心者と言い張る本人と、そうじゃないほどに上手いと主張するラーちゃんの台詞にルーテシアは怪訝な表情になった。
「実力を知りたいので、シューゲル様に披露されたという曲を弾いてみてください」
「……わかりました」
まあ、手っ取り早く実力を確認するのであれば、そうなるよね。
俺はヴァーシェルを肩に立てかけるようにして構える。
「――ッ!? ちょっと待ってください!」
深呼吸して曲を披露しようと思ったら、ルーテアシアが待ったをかけてきた。
「な、なんです?」
「ヴァーシェルの裏側をよく見せてくださいますか!?」
「え? あ、はい」
「ば、ばばば、バリトン製!? ど、どど、どうしてこれを!?」
どうやらこの先生もヴァーシェルの特別製に気が付いたらしい。
突然、目の色を変えられると怖い。
「シューゲル様から頂きました」
「シューゲル様が!? まさか、そんなものまで持っていたなんて……ッ!」
なんだかとても有名な製作者らしいし、その道に通じている人であれば、目の色を変えるのも仕方がない。とはいえ、ちょっと視線が怖いな。
尋ねるまでもないそのヴァーシェルが欲しいと顔に書いてあるようだった。
「あ、あの、曲を演奏してもいいですか?」
「失礼。取り乱しました。どうぞ」
おずおずと尋ねると、ルーテアシアは深呼吸をして元の品のいい女性へと戻ってくれた。
俺は魔力で弦を生成し、猫を踏んでしまった曲を披露する。
演奏が終わると、ラーちゃんがパチパチと手を叩き、ルーテアシアが呆然とした顔になる。
「……聞いたことがない曲なのですが?」
「適当に鳴らした音ですから」
作ったなどというとシューゲルの時のように誤解されかねないので、持ち上げられないように返答に注意する。
「なるほど。フローリア様が突然授業にねじ込んできた理由を理解しました。これでしたら授業の質を下げる必要はなさそうですね」
しかし、俺のそんな返答は意味がなかったようでルーテシアもまた天才を見るような目をしていた。
「ええ!? 初心者なんですけど?」
「そもそも初心者には魔力で弦を張ることすらできません」
「そうなんですか!?」
「わたし、安定して弦を張るのに一か月かかった」
どうやらラーちゃんは魔力弦を生成するのに、かなりの時間がかかったらしい。
ヴァーシェルにおいて最初の壁は魔力弦を生成できるかどうかにあるようだ。
そういえば、魔力弦を一発で生成した時、シューゲルも驚いていたような気がする。
「魔力操作に慣れていればできますよ」
「そうであっても適当に鳴らした音で、ここまで精度の高い曲はできません。単純ですが非常にリズムが良く、耳に残りやすいですね。曲に厚みを加えるとしたらこんな感じでしょうか?」
知らない曲を聴いたことでインスピレーションが刺激されたのかルーテシアがヴァーシェルの魔力弦を紡ぎ、猫を踏んでしまった曲にアレンジを加えてくる。
「すごい!」
簡単な曲とはいえ、たった一回聴いただけで異世界の曲を正確に再現し、そこに自分なりのアレンジを即興で加えるだなんて……もしかして、この人はプロなんじゃないか? いや、もしかしなくてもプロだったな。
「俺としてはもっとテンポを上げて、軽快な音を増やしたいです!」
「こうでしょうか?」
なんとなくオーダーを加えてみせると、ルーテアシアが曲のテンポを上げてくれる。
「いいですね!」
歌詞の内容を想像すると、とんでもない勢いで猫の尻尾が踏まれていくが、聴いている分にはとても心地が良かった。
「いいなぁ! わたしも一緒に弾いてみたーい!」
一区切りがつくと大人しく聴いていたラーちゃんから羨む声が上がった。
つい、アレンジをしてもらうのが楽しくてラーちゃんをほったらかしにしてしまった。
ルーテアシアもそんな事実に気付いたのかハッとした顔になる。
「予定とは変わりますが、本日はこの曲を弾くことにしましょうか。幸いにも基礎の音は難易度も低いですから」
「やったー!」
え? 本当にこんな曲が課題曲でいいの? と思ったけど、ラーちゃんのレベルにピッタリなのであれば文句はなかった。




