そういう約束
『転生して田舎でスローライフをおくりたい』の書籍13巻が本日発売です。書き下ろし短編があります。店舗によっては特典ペーパーもあります。
よろしくお願いします。
頭の痛い事業計画書を提出した翌朝。
私室で朝食を摂り、身支度を整えると二階の客室には既にラーちゃんがいた。
これがエリノラ姉さんなら待ち伏せと判断し、迂回を選択するところだが今回はラーちゃんだ。天使を相手に怯える必要はまったくない。
客室に足を踏み入れると、こちらに気付いたラーちゃんがパッと顔をほころばせた。
ぴょんとソファーから降りると、パタパタとこちらにやってくる。
「アル! おはよう!」
「おはよう、ラーちゃん」
朝からラーちゃんと挨拶をする和むな。
「朝いちばんで来てくれたんだ」
「今日はラーちゃんと一日遊ぶって約束だからね」
今日一日遊ぶと約束したものの具体的な時間は指定していない。
だが、昨日不義理を働いてしまったので、誠意を見せるために非常識にならない範囲で早起きさせてもらった。
「何もない日に俺が早起きするなんてすごいんだよ」
「そうなの?」
「いつもは二度寝、三度寝くらいするからね」
などと語ると、ラーちゃんが傾げながら尋ねる。
「アル、二度寝ってなに……?」
その言葉を聞き、身体に電が落ちたような衝撃を錯覚した。
……まさか、ラーちゃん二度寝をしたことがない? そんなバカな。人間として生きている以上、二度寝は誰しもが経験しているはず。
でも、公爵家の令嬢ならば、専属に使用人によって規則正しい生活に縛られている可能性もあり得る。
「あ、あの、アルフリート様? 今日は天気も良いようですし、王都に出かけませんか? 私、お二人が楽しめる場所を色々と考えてきたんです!」
都合が悪いことを聞かせられると思ったのか、控えていたロレッタが口を挟む。
だけど、邪魔はさせない。
俺は今からラーちゃんに二度寝を素晴らしさを教えなければいけないんだ。
「黙って。今いいところだから」
「……すみません」
ロレッタを退けたところで、俺は改めてラーちゃんの方を向く。
「二度寝っていうのは、目覚めてすぐにもう一度寝ることだよ」
「え? 起きたのにすぐに寝ちゃうの? おかしくない?」
ああ、なんということだ。そのような固定観念に囚われて今まで生活をしていたなんてとても可哀想だ。
「おかしくないよ。ラーちゃんだって起きた時にもうちょっと寝ていたいなって時があるでしょ?」
「うん、ある!」
「その気持ちに身を任せて、もう一度寝ればいいんだよ」
「で、でも、ママや使用人がいつもちゃんとした時間に起きないと身体に良くないって――」
ああ、なんてことだ。ラーちゃんは洗脳を受けている。
二度寝が悪などと誰が決めたんだ。
「眠たいって身体の本能が告げているんだ。それに逆らう方が身体に悪いよ。二度寝をすることは悪いことじゃないよ。むしろ、心身共に充足を得られて健康的になるね」
「そうなの!?」
「うん、そうだよ。実際に俺だって健康的だし」
二度寝をほとんどできなかった社畜時代に比べて、二度寝三昧をしている今の俺はかなり健康的だった。
労働から解放されたというのもデカいが、思うように睡眠をとれるお陰で心の平穏が保たれているのがデカい。
病は気からっていうし、睡眠によって精神の安寧を保つのは健やかに生きていく上でとても大事な役割を果たしていると言えるだろう。
前世でも短時間による二度寝は健康的に良いという研究結果が出ている。だから、別に二度寝は悪いことじゃない。
「わかった! 明日は二度寝してみる!」
「うん、それがいいよ」
またひとつラーちゃんに良い事を教えてしまったな。
ラーちゃんのこれからの健やかな人生は約束されたといっていいだろう。
「今日はなにして遊ぶ?」
「せっかくだから外に行こうか」
屋敷は案内してくれたことだし、今度は外に遊びに行ってみたい。
「わかった! 外に行こう!」
王都に向かうことになった俺たちは階段へと向かう。
すると、ちょうど上の階からシューゲルが降りてきた。
「おお、アルフリート殿! いいところに! 昨日提出してもらった事業計画案について改めて尋ねたいところがあるのだが――」
「パパこないで!」
事業計画書を手に近寄ってきたシューゲルだが、ラーちゃんの一言に階段から崩れ落ちた。
最愛の娘にいきなりこんな一言を叩きつけられてしまえば無理もない。
随分派手に転んだが大丈夫だろうか。
俺が心配する中、シューゲルがよろよろと立ち上がりながら口を開く。
「ら、ラーナ!? パパがなにか悪いことをしたかい!?」
シューゲルの口調が酷く乱れている。
つい昨日までは公爵家当主として相応しい佇まいと口調をしていたはずなのに。
フローリアやシェルカと話す時はこんな口調じゃなかったし、ラーちゃんと話すだけはこんな口調になるのだろう。
「とにかく、パパはきたらダメなの!」
「な、なぜ……」
ラーちゃんの強い拒否に絶望の表情をするシューゲル。
父親としてこれ以上に悲しいことはないじゃないだろうか。
ちゃんと説明してあげないと可哀想なので、俺から補足を入れる。
「すみません。シューゲル様、今日はラーナ様と遊ぶ約束をしておりましたので」
「そう! 今日はわたしがアルと一緒にいるの!」
ギュッと俺の腕を取って主張するラーちゃん。
シューゲルがやってくる=俺が持っていかれるという方程式が頭の中で繋がったのだろう。
ラーちゃんの頑な態度のワケを理解したシューゲルは安堵の表情を取り戻した。
「あ、ああ。なるほど。それは私が悪いな。アルフリート殿への質問はまた日を改めることにしよう」
「申し訳ありません」
俺が悪いわけじゃないけど、とりあえず軽く頭を下げておく。
これで今日はシューゲルから用事を持ち掛けられることはないだろう。
「ラーナ、ちょっと抱き着いてもいいかな?」
娘の愛を確かめたくなったのかシューゲルが唐突に言う。
「いいよ」
それを即答してくれる辺り、ラーちゃんは本当に優しい娘さんだと思う。
シューゲルがゆっくりと近づいてラーちゃんを抱きしめた。
ラーちゃんは特に嫌がる様子もなく、シューゲルの背中をポンポンと叩いてあげている。
四歳ながらも母性を獲得しているらしい。
シューゲルの顔からは公爵家当主としての威厳は消え去り、休日のおっさんの顔模様となっていた。
そんなシューゲルがこちらに顔を向けて、誇るような笑みを浮かべる。
……いや、別に俺はラーちゃんの寵愛を狙っているわけじゃないから。
まあ、シューゲルの父親としての気持ちも理解できなくもないので苦笑して流すことにした。
「それじゃあ、パパは――私は仕事に戻るよ」
抱擁を終えると、シューゲルが取り繕いながら言う。
今更、口調を戻されてもこちらも反応に困るので、どうせなら最後まで貫いてほしかったところだ。
「うん、頑張ってね!」
ラーちゃんが手を振って送り出すと、シューゲルは実に満足げな表情で去っていった。
「えへへ、パパよりわたしを優先してくれた」
「そういう約束だからね」
シューゲルより優先してもらえたことが嬉しかったのだろう。ラーちゃんが嬉しそうに笑う。
昨日はやむを得ない事情と権力に屈してしまったが、今日は屈することなく撃退することができた。
ラーちゃんと遊んでいれば面倒事に巻き込まれない気もするが、未来の健やかなスローライフをおくるためには、協同事業についても話し合わなければいけない。
異世界であっても、人生とはままならないものだ。
コミック九巻も発売中。




