ラジェリカから王都へ
『異世界ではじめる二拠点生活』の書籍1巻が発売中です。現在売り上げが好調とのことで、もう少し数字が出れば重版も視野に入ります。最初の数字が続刊に関わってぎすのでお早いお買い求めをお願いします。
「それじゃあ、俺は帰るよ」
バグダッドの作ってくれたダリーを食べ終わると、俺は店を出た。
「おいおい、またしても帰るつもりか?」
すると、サルバやシャナリア、バグダッドもぞろぞろと店を出てくる。
「俺みたいな身分の低い者は宮殿なんて荷が重いよ。それに一度入ってしまったらなし崩し的に取り込まれそうだし」
「別に今さらそんなことをするつもりはないが、アルがそう言うのならばしょうがない」
「ちなみに尾行をつけたら撒くからね?」
「ボーっとした見た目とは違って警戒心が高いな」
妙にあっさりとした態度だったので釘を刺しておくと、サルバは舌打ちをした。
「前回は急に姿を消したが、一体どうやったんだ?」
「それは秘密」
「やれやれ、俺の新しい友人は随分と秘密が多いようだ」
言葉を弄して誤魔化す態度すら見せない俺にサルバは肩をすくめた。
「念のために聞いておくが、またここにくるんだな?」
「勿論。ダリーを作るためにはここの香辛料が必要だしね」
「それならいい。必ずまた遊びにこい」
「わかった」
俺の返答にサルバは納得したように頷いた。
俺に秘密があるとわかりつつも詮索はしないでいてくれるようだ。
それはとてもありがたい。
俺はともかくサルバはこの国の第二王子だ。
色々なしがらみもあるだろうし、互いにとっていい距離感を保っていた方が、楽しい関係を築けるだろう。
「小僧、次こそは上手く船を操ってみせるからな!」
「本当に頼むよ? あのままじゃ乗れたものじゃないから」
シャナリアの動かす船は揺れが酷過ぎる。並の者であれば、船酔いのような状態になってしまうだろう。
俺が快適な砂漠の船旅を送るためにも、彼女にはしっかりと操船技術を磨いてもらいたいものだ。
シャナリアの挨拶が終わると、次にバグダッドが前に出てくる。
改めて立った状態で目の前にやってこられると迫力が違うな。
バグダッドは厳めしい表情のままゆっくりと口を開けた。
「……またいつか魔法勝負を受けてはくれないだろうか?」
「あんまり気が進まないけど、俺が一方的に撃ち込むだけでいいなら」
スローライフをおくるのがモットーの俺は、バグダッドのような実戦向きの技術を鍛える必要はない。
今回のようなヒヤリとするような出来事も勘弁なのだが、彼にはカレーのレシピを教えてくれた恩がある。だから、これぐらいが俺にできる妥協ラインだ。
「それで十分だ」
そのように伝えると、バグダッドは満足そうに頷いた。
バグダッドが離れると、最後にラーシャが寄ってくる。
「え、えっと、お客さん。騙すような真似してごめんね?」
「気にしてないよ。むしろ、変な人と知り合いなせいで大変な目に遭わせてゴメンね?」
申し訳なさそうにしているラーシャであるが、今回の一番の被害者は彼女に違いない。
店を営業していたら王族が押しかけて泊まりにくるなんてあり得ないだろう。
破天荒なサルバだからこそやったのだと思うが、王族を住まわせるなんて肝が冷えたに違いない。
なにせ万が一のことがあれば、こちらの命など軽く捻り潰せる相手なのだから。
「それこそ、気にしてないよ。お金もたっぷり貰えたから、当分は贅沢な暮らしができるし、珍しい香辛料だって仕入れることができる!」
しかし、ラーシャはそれほど気にした様子はなく、そのようなことを言って笑った。
前向きでありながら随分と強いメンタルをしているものだ。
「それじゃあ、また買いにくるよ」
「ええ、また来てちょうだい」
ラーシャたちに見送られながら俺は去る。
香辛料を買いにきただけなのに今日は色々とあったものだな。
だけど、その労力に見合う成果は手に入れた。
美味しいカレーの調理法と、バグダッドの一族に伝わる秘伝のダリーのレシピ。
中々にハードな一日であったが、これらが手に入ったと思うと悪くないだろう。
適当な裏路地に入り、周囲の気配を探ってみる。
特に俺を尾行してくるような人の気配はなさそうだ。
これでコリアット村に帰って、思う存分にカレーを作ることができる。
しかし、いつまでも嗅覚の鋭いエリノラ姉さんを誤魔化し続けるのも苦しいな。
この前も屋敷に帰ったらいい匂いがするとか言って、怪しんできたし。
最近はエルナ母さんやミーナ、サーラと結託して探りを入れてきている気配を感じる。
隠れてカレーを作り続けるのも面倒だし、適当に香辛料を混ぜたらできたと食べさせてみるか?
そうなると問題なのは香辛料の出処だ。
こんな香辛料はコリアット村では絶対に手に入らない。
王都にあるラズールの専門店であれば、ワンチャン置いてあるか? 多分、国をまたいでいるせいでバカ高くなっているかもしれないが、置いてある可能性はある。
以前、王都に行った時に少量だけ買い込んだと言えば、怪しまれないだろう。
しかし、念のために王都のお店を確かめておく必要がある。
香辛料が少量しか無いといえば、カレーをたくさん作り続ける必要もないしな。
「よし、念のために王都の店を確かめよう」
俺は転移で王都を経由して帰ることにした。
●
ラジェリカから王都へと転移してきた俺は、北区画にある貴族街にやってきていた。
ラズールの香辛料を取り扱っている店があるのは、以前エルナ母さんの実家に向かった時に確認済みだ。
相変わらずここには貴族や商人といった富裕層ばかりで、立ち並んでいる家々も豪華だ。
さすがに全てがうちの屋敷並に大きいわけではないけど、このような一等地にこれだけの大きさの家を用意できるのはすごい。
ここが本拠地ではなく、きっと他の場所に別邸を持っているのだろうな。
雑多なメインストリートとは違ったブルジョワな雰囲気を感じながら、俺は過去の記憶を頼りに歩いていく。
「おっ、あったあった」
漆黒のレンガで造られた二階建ての店舗。
看板には大きく『ラズール香辛料専門店』と書かれている。
貴族街の中でもちょっとした異色の空気を纏っていたので、以前通りかかった時にもかなり記憶に残っていた。
透明な窓から室内の様子を伺ってみると、大量の棚が並んでおり、そこには香辛料の入った瓶が丁寧に置かれている。
中心部分は三段になった陳列棚が置かれており、やはりそこも丁寧に瓶詰めにされた香辛料があった。
「……ラズールとは大違いだ」
ジャイサールやラジェリカの店ではもっと雑多に置いてあった。
ラズール人の適当な性格もあるのかもしれないが、文字通り腐るほど香辛料があり大して貴重でもないからなのだろう。
それに富裕層が相手なら雑多に並べるよりも、こうやって高級感を演出した方がいいんだろうな。
店主も国や客層に合わせて売り方を変えているようだ。中々にやり手だな。
ラズールから取り寄せた香辛料は人気が高いのか、店内はそれなりに賑わっている。
「とりあえず、中に入って――あっ!」
店内に入ろうと思った俺だが、それとなく視線を巡らせると見覚えのある顔が見えてしまった。
紅の髪に黒のドレスを身に纏った美少女、アレイシア。その後ろにはアレイシアの日傘を持って控えているメイドのリムもいる。
それを確認した瞬間、俺は即座に身を伏せて転移を発動。
店の屋根へと転移して身を隠す。
「――っ!」
恐る恐る屋根から下を確認してみると、リムがガラガラと窓を開けてわざわざ顔を出して下を覗き込んでいた。
危ない。ただ身を伏せているだけじゃバレているところだった。
こういう輩は念入りに屋根まで見てくるのが定番なので、顔を出すのも止めて完全に身を潜める。
「急にどうしたのリム?」
「……今、ここに誰かがいました」
「誰もいないわよ?」
「芝生が微かに凹んでいます。靴のサイズからして子供でしょうか? 形跡からしてほんの少し前までここにいたのは確かです」
屋敷に来た時も思ったけど、一目でそこまで見抜くなんてやっぱりリムは普通のメイドじゃないよね。護衛を兼ねているのは間違いない。
「リムでも姿を捉えることができないなんて何者かしら?」
「……お嬢様、今日のところは屋敷に戻りましょう。ここは危険です」
「もう少しお買い物をしたかったのだけどしょうがないわね。店主、ここの棚に陳列しているものを買うわ。後でリーングランデ家の屋敷に届けてくれる?」
「かしこまりました。すぐに届けさせていただきます」
正体不明の気配を警戒してかアレイシアとリムは買い物を切り上げることにしたようだ。
妙な心配をさせて申し訳ないが、ずっと店にいられては俺が店内に入ることができないので助かる。
買い物を手早く済ませると、リムが店を出てきた。
しきりに周囲を見渡し警戒しながら近くに停めてあった馬車を呼び寄せる。
最後に店から出てきたアレイシアを衆目に触れさせないように迅速に丁寧に馬車へ。
そして、すぐに馬車を走らせ彼方へ。
なんだか日ごろからこういったことに慣れているような動きだった。
公爵令嬢ともなると色々と狙う者もいて、それなりの苦労があるんだな。
転生する際には神様に公爵やら皇子やらが空いていると言われたが、気ままな田舎貴族を選んでおいて本当に良かった。