足りないもの
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小説には書き下ろしが三万文字以上あります。何卒よろしくお願いします。
黒岩石を逸らすと遠くまで飛んでいって最早どうなったのか俺にはわからない。
まあ、こんな砂漠に誰にもいないだろうし、適当にどこかで止まるだろう。
黒岩石から意識を切り替えて、とりあえずバグダッドのところに寄っていく。
サルバやシャナリアが無事なのは確認済みだ。
「えっと、大丈夫ですか?」
「あ、ああ。すまない、俺が不甲斐ないせいで迷惑をかけた」
砂鎧の残骸らしきものが辺りに散らばっているが、バグダッド自身は無事なようだ。
多少のかすり傷などはあるものの、派手に怪我をした様子はない。
そのことにひとまずホッとする。
「バカ者! なんという魔法を放つのだ! 我々を殺す気か! サルバ様にもしもの事があったらどうする!」
「よせ、シャナリア。元より見たいと言って付いてきたのは俺だ。アルのお陰で結果的には無事だったんだ。責めるのはお門違いだ」
サルバがそのようにフォローしてくれると、シャナリアはそれ以上非難することはしなかった。
障壁を貫く程度だと思っていたが、まさかここまでになるなんて思いもしなかった。
色々と危険な目に遭わせてしまったので申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「それにしても、ラズールの守護神と謳われるバグダッドの防御魔法を撃ち破るとはな。バグダッドの後ろにいれば一番安全だと思っていたが肝が冷えた」
「えっ? バグダッドってそんなに凄い人だったの?」
魔力量が一番すごいとは聞いていたけど、そこまでとは聞いていない。
「この国でバグダッド以上の防御魔法の使い手はいないな」
「……そ、そうなんだ」
それを貫く俺の魔法って、ヤバいんじゃないだろうか?
今まで本気で魔法を使わなかったのは正解かもしれない。
「少年――いや、アル。教えて欲しいことが一つある」
寝そべっていたバグダッドが気だるそうに上体を起こしてこちらを向く。
高身長の彼が座り込むと、ちょうど立ったままの俺と視線が同じくらいだった。
「なにかな?」
「……今の魔法は本気だったか?」
正直、まったく本気ではなかったが、そんなことは言いづらい。
バグダッドは防御魔法に自信をもっている魔法使いだ。彼の心を傷つけないためにも謙遜しておくのがいい。
でも、真っすぐとこちらを見つめてくる彼の青い瞳を見ると、そんな気持ちは失せてしまった。
そこには純粋な魔法使いとしての疑問があるように見え、真実を求めているような気がした。
「いや、本気じゃないよ」
「……そうか。世界というのは広いものだ。俺ももっと修練を重ねなければいけないな。正直に伝えてくれて感謝する」
俺のそんな言葉にバグダッドは怒るでもなく、純粋な向上心と感謝を見せた。
実に真っすぐでいい男だ。
●
バグダッドの頼み事を終えた俺たちは、再びラーシャの家に戻ってきた。
「さて、約束通りダリーのレシピを教えるとしよう」
「おお、待ってました!」
そう、バグダッドからダリーならぬ、カレーのレシピを教えてもらうためだ。
クミン、ターメリック、コリアンダーといった香辛料なんかは店に豊富に置いてあるし、特別な香辛料はバグダッドが持ち歩いているために丁度いい調理場となった。
王族の遊び場と化しているラーシャ家が実に可哀想であるが、謝礼として膨大なお金が支払われているらしいので気にしないことにした。
ラーシャ家の基本的な厨房の造りは、コリアット村の民家とそれほど変わりがない様子。
ただ香辛料の加工や処理を頻繁にするために厨房は結構広めだ。
香辛料を使う料理が多いからか、たくさんの調味料や香辛料が置かれているくらい。
ちなみに厨房にいるのは俺とバグダッドだけだ。
ダリーのレシピは門外不出なので、サルバやシャナリアであっても教えることはできないためだ。
「では、一族秘伝のダリーのレシピを教えよう」
「お願いします!」
「まずはクミン、ターメリック、コリアンダーを使った基本的なものからだ」
つまづいていたので料理をしながら教えてくれるのは実に嬉しい。
薪に火をつけると簡易コンロの上にフライパン乗せて、そこに油を敷く。
「まずはホールスパイスだ。マスターシードを小さじ一杯、カシア、カルダモン、クミンを投入する」
「えっ、なにその工程。もうここで香辛料を入れるんですか?」
「これはテンパリングと方法で油に香辛料を馴染ませる料理法だ。絶対に必要とまでは言わないが、最初にこれをするのとしないのでは大きく味や香りに差が出る」
「な、なるほど」
スパイスカレーにそんな調理工程があるなんて知らなかった。
俺はバグダッドの言葉を聞いてしっかりとメモをとっておく。
「他にも入れられる香辛料はマスターシード、フェヌグリーク。コリアンダー、ニゲラと複数あるが三、四種類程度で十分だ。この時に重要なのは絶対に焦がさないことだ。焦げてしまうとダリー全体が台無しになる。そうなったら捨てた方がいい」
「そんなに……」
どうやら思っていた以上に重要なものらしく、バグダッドの言葉に俺は驚く。
油に香りがしっかりと移ると、大きいホールスパイスを軽く取り除く。
しかし、綺麗に全部をとる必要はなく、気になる部分だけらしい。
そして、刻んだタマネギやニンニク、ショウガを入れて炒めていく。
「うわあ、いい香り」
この時点で既にいい香りがしており、俺が作った時とはまったく違うのがよくわかった。
そこからの工程は俺がやっているのとほとんど同じだ。
タマネギがきつね色くらいになるまで炒めると、クミン、ターメリック、コリアンダーといった三種類の香辛料を加え、トマトソースや鶏肉などを混ぜていく。
香辛料の配合具合は小さじ一杯程度で、俺の作っているカレーと大きな違いはない。
一体、どこで大きな差がつくというのか。
「煮込む際には水の他にラッシーを入れると辛さが抑えられてマイルドになる」
「なるほど」
前世でもカレーにヨーグルトを入れるというのを聞いたことがある。あの工程にはそのような意味があったらしい。
もしかして、これか? これなのか? でも、これはあくまでマイルドな味にするための処置で無くても構わない部分だ。
きっとこれ以外に大きな要素があるはず。
バグダッドの調理工程を見逃さないように観察していると、彼はとある調味料を手にした。
「後は塩を加えて味を調え、好みで香辛料を足して煮込むだけだ」
「塩っ!?」
サッと塩を投入するバグダッドを見て、俺は驚愕の声を上げた。
「……作っていた時には塩を入れていなかったのか? 香辛料はあくまで香辛料であって旨みはない。塩を加えなければ味はしないぞ?」
「そ、そうですよね。ああ、俺の作ったものに足りないのは塩だったのか……」
俺の作ったカレーにどうして旨みがないのかわかった。
香辛料の配合具合、素材不足、調理工程が足りないのではなく、ただ単に旨みを出して味を纏めて塩が足りないだけであった。
衝撃の事実に愕然としていると、煮込み終わったのかバグダッドがルーを皿に盛り付ける。
「食べてみろ」
スプーンを手にして、バグダッドの作ったカレーを恐る恐る口に運ぶ。
「美味しい」
バグダッドが作ってくれたものは紛れもなくカレーだった。
これこそが俺の目指していたスパイスカレー。
市販のルーで作ったものとは違い、芳醇な香りと旨みが濃縮されている。
ラッシーが入っているお陰か、少しきついように思える香辛料も程よくマイルドになっており、とても食べやすい。
ああ、俺はこういうカレーが食べたかったのだ。
旨みとコクがきちんとあるこういう味を!
「基本的なダリーはこんな感じだ。そして、こっちに書いてあるのがそれらを応用して作った秘伝中の秘伝レシピだ」
そう言ってバグダッドがメモ用紙を渡してくる。
そこには工程こそあまり変わらないものの、数多の香辛料を組み合わせたカレーのレシピが書かれていた。
ラズール人が好むような激辛なものや、辛いものが抑えられたマイルドなものまで。
香辛料やそこに加える隠し味の作り方まで細かに書かれている。
「一族の秘伝だ。申し訳ないが不用意に他人へとレシピを広めるのは控えてほしい。まあ、勝手に真似される分には構わないがな」
「わかりました! こんな貴重なものをありがとうございます!」
「世界の広さ、己の未熟さを教えてくれた礼だ。これで俺は驕ることなく前に進める」
ぺこりと頭を下げると、バグダッドはどこか晴れやかな表情で笑った。
高い魔力量と技術を誇るバグダッドだが、彼には彼なりの悩みのようなものがあったらしい。
詳しいことはわからないが、彼が満足しているのならそれでいい。
俺も美味しいカレーを作る手がかりを得ることができて大満足だ。
「おい、アル! バグダッド! ダリー作りはまだ終わらないのか! こんなに暴力的な匂いを放ってもらっては堪らんぞ! 終わったのなら早く食べさせろ!」
「サルバ様、あまり急かすというのは……」
「うるさい、シャナリア。そう言いつつも口から涎が出ているぞ」
「こ、これは涎などではなく汗です!」
「フン、随分と局所的な汗が出るものだ」
バグダッドと共に感傷に浸っていると、奥の部屋の方からサルバとシャナリアの騒がしい声がする。
それを聞いた俺とバグダッドは顔を見合わせて苦笑した。




