カレーへの道
『転生貴族の万能開拓』の書籍1巻が本日発売です!
よろしくお願いします。
「そろそろ帰るね」
障害物滑り、流砂滑りを教えると、サンドボードのジャンプ技などを教えると、マヤは唐突にそう言った。
「あれ? もう帰るの?」
新しいサンドボードの遊び方を教えると、すごく喜んでいた彼女だ。
てっきり一日中は遊びたがるものだと思っていたのだが……。
「お父さん、あんまり宿の仕事が得意じゃないから……」
どこか苦笑いした様子で帰る理由をぶっちゃける。
娘であるマヤのために時間を作ったお父さんであるが、宿の戦力としては微妙らしい。
お父さんがああ言って時間を作ってくれたけど、やっぱり仕事の方が気になるんだろうな。
子供らしく気にせず遊ぶという選択肢もあるというのに、なんて健気な子なんだろう。
どこかのスノボにハマっている姉も、これくらいの引き際の良さを見習ってほしいものだな。
「わかった。じゃあ、今日はこれくらいにしとこうか」
「わざわざ時間を作ってくれたのにごめんね」
遊びを途中で切り上げることになったせいか、マヤが申し訳なさそうにする。
短い時間ではあったけど、俺の教えた遊びへの食いつきようからマヤがもっと遊びたかったのは明かだ。
それなのにこうして他人に気遣うことができるとはいい子だ。
「気にしなくてもいいよ。楽しければそれでいいから」
遊んだ時間が短い、長いは関係ない。俺にとって大事なのは、その時に過ごした時間が楽しかったかどうかだ。
マヤと一緒にサンドボードの新しい遊び方を探究する時間は、俺にとっても楽しいものだったから怒ったりはしない。
なんて言うと、マヤは嬉しそうな笑みを浮かべる。
「次に会うまでに教えてもらった遊び練習しておくから! また一緒に遊んでね!」
「うん、いつになるかわかんないけどまたね」
サンドボードを抱えてジャイサールへと走っていくマヤを見送って、俺は曖昧な言葉で返事した。
すぐにやってくるか、それとも当分先になるのかはわからないが、またマヤとサンドボードで遊びたいなと心から思った。
◆
マヤと別れた俺は、ジャイサールへ戻ってきていた。
なんだかんだと遊んでいたお陰であまり観光はできていないからな。
屋台で買ったナンのようなモッチリとしたパンを頬張りながら市場を練り歩く。
うん、このモチモチ感とした感触がたまらないな。小麦の香ばしさがありながら、しっかりとした甘みがある。
オリーブオイルやソースにかけても食べてもいいが、そのままでも十分に食べられる美味しさだ。
「あー、ナンみたいなのを食べているとカレーを食べたくなるなぁ」
ナンといえば、思い浮かぶのはカレーだ。個人的にはご飯と食べる方が好きであるが、ナンで食べるカレーも悪くない。
まさしくナンみたいなパンを食べているせいか、衝動的にカレーを思い出してしまう。
あのなんともいえないスパイシーな味。カレー味としか形容することのできないコクと甘さと辛さを兼ね備えた料理。
異世界に転生して年月を重ねれど、あの味を忘れたことはないな。
「やあ、少年」
記憶にあるカレーの味を思い出していると、不意に声をかけられた。
「あっ……この間ラッシージュースを売りつけてきた店主」
「無理矢理売りつけたかのような言い方はよしてもらいたいな」
俺の言葉に肩をすくめたのは、辛い香辛料を食べさせ、悶える俺にラッシージュースを買わせるというあくどい商売をしてきた香辛料屋のおじさんだ。
あの時の汚いやり口は忘れられない。
「ラッシージュースならいりませんよ?」
「そんな胡散臭そうな目を向けるなよ。今回声をかけたのは王都ラジェリカから珍しい香辛料が入ったからだ」
ラジェリカというのは、ラズール王国の首都のことだ。
ラズール王国一の人口を誇る場所から仕入れた香辛料か……どんなものか気になる。
「見せてください」
「ああ、いいとも」
そう言うと、店主は陳列した棚とは別にある小さな木箱を取り出した。
その中にある小さな瓶を取り出すと、蓋を開けて少量の香辛料を見せてくる。
長さ五ミリほどの小さな楕円形をしている黄色っぽい種子。そこからはどこか嗅いだことのある独特の匂いがする。
「……もしかして、これってクミン?」
「おお、知っているとは博識だな。ラジェリカの付近で採れる香辛料でクミンという。肉や野菜料理、煮込み料理に使える高級品だ」
クミンといえば、カレーに必要な代表的なスパイスの一種じゃないか。
「ちょっと食べてみても?」
「ああ、いいぞ」
クミンを口に含んで噛み砕いてみると、ペパーミントのようなスースーとする味と、ほろ苦さ、そして僅かな辛みのようなものが感じられる。
すごく強烈いうわけでもないが、余韻が長く残る独特な味。
間違いない。これは前世と同じクミンだ。
「もしかして、この国にはカレーっていう料理があったります? 茶色いくてドロッとしたコクのあるスープなんですが……」
「うん? そんなスープは聞いたことがないが?」
クミンがあるのだから、もしかしたらと思ったがカレーが存在するわけではないようだ。
カグラに醤油や味噌があったので、もしやと思ったがそれらしい料理は存在しないらしい。
もしかしたら、この店主が知らないだけで、存在している可能性もあるけど。
とはいえ、カレーに必要不可欠なスパイスがあったのは事実だ。存在しているのかきちんと確かめる必要性があるな。
仮に存在しなかったとしても、カレーはいくつものスパイスを組み合わせて作る料理。
前世ではカレーに使える香辛料は六十にも迫ると言われていたが、簡単なものであればたった三種類で作れるという。
香り、色、混合の三種類。
クミンを見つけて香りの部分は達成しているので残りは二つだ。
香辛料の豊かなラズール王国ならば、カレーに最適な残りの二つを見つけられるかもしれない。
問題は見つけた後、揃えた香辛料からどうやってカレーを作り出すだが……それは帰ってからこっそり研究かな。
あるいは適当に王都で商いをしているラズール人から買ったとか、トリーがくれたとか言って、バルトロに任せてみるしかない。
時間がかかるかもしれないし、前世のような完璧な味は無理かもしれないが、それに近しい味を再現できる可能性は十分にある。
「これいくらです?」
「一瓶で金貨八枚だ」
「高っ!」
店主の言葉に思わず叫んでしまう。こんな小さな瓶一つでそんなにするのか。
「高級品だと言っただろ? ラジェリカに行って直接買えば、もう少し安くなるがな」
クミンを見つけた衝撃でうんちくのようなものは耳に入っていなかったが、そういえばそんな事を言っていたような気がする。
まあ、ロイヤルフィードだってそれなりの金額がするし、高級品なら仕方がないか。
ここはラジェリカからかなり離れたオアシスだし、輸送量や労力を考えると割高になるのは当然だ。
「そうですか。じゃあ、ここにあるクミンを全部ください」
カレーが食べられる可能性があるのだ。金貨八枚程度、余裕で払ってみせる。
「金払いがいいとは思っていたがここまでとはな。嬉しいことだが、クミンはこの一つしかない」
「ええー……じゃあ、大量に仕入れることはできますか?」
「俺も頻繁にラジェリカに行くわけじゃないんでな。あっちでの繋がりも薄いし、それは難しい」
なんてこった。こんな小さな瓶一つじゃ、ロクにカレーの開発もできやしない。
完璧に調理方法を知っているわけではないので、研究用としてそれなりの量は欲しい。
「わかりました。それじゃあ、一つください」
「おう、毎度あり」
金貨を八枚手渡すと、店主はにっこりとした笑顔でクミンを渡してくれた。
クミンを確保して店から離れた俺は、日陰に座り込んで考える。
だけど、それを成し遂げるためには残りの二つの香辛料を数多の中から探さなければならない。
現在手の中に一つがあるとはいえ、ラジェリカまで行かないと必要な量を手に入れることはできない。
そして、それらを無事に達成したとしても、カレーを作るための研究期間も必要だ。
カグラの時のように既に完成品があるという保証もないし、行けばいいというわけでもない。
それでも、やっぱり……
「カレーは食べたいよなー」
先ほどナンを食べて味を思い出したからだろうか。それとも香辛料のいい匂いに当てられてしまったのか。
俺の中では面倒くささよりも、カレーを食べたい欲望の方が勝っていた。
面倒くさがりの俺さえも、動かしてしまう魅惑の味。
カレーには抗うことができないんだな。
どうせ行くといっても転移を使えばすぐだ。
普通の人が命を張って砂漠を横断するような旅路ではない。
ジャイサールにやってきた時のように転移を使いながら気楽にいけばいい。
そして、クミンを大量に仕入れ、カレーに必要な残りの香辛料を探し出すんだ。
転移魔法でいつでも行ける範囲を増やしておくに越したことはないしな。
将来、水売りをするためにもラズールの王都を見ておいて損はないだろう。
「しょうがない。ラジェリカに行ってみるか」
でも、今はもうちょっとだけ日陰にいよう。
今は風が涼しいから。
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