鍋のしめ
「はぁー、足の先まで暖かい」
テーブルでうつ伏せになりながら呟いていると、ノルド父さんが咳払いをした。
このわざとらしい仕草は、ノルド父さんが話を聞いてもらいたい時によくする。
察しのいい俺は何とか顔を上げて、ノルド父さんを窺う。
さっきまでコタツの暖かさに魅了されていたというのに真面目な表情だ。
おかしい。特に俺は今日悪いことはしていない。
バトル鉛筆の件も事態こそ大きなものになっているが、問題なく進んでいるために憂いなどないはずだが。
「……アル、これもまた売るつもりなのかい?」
何をそんなに真面目な顔をしているのかと思ったが、ノルド父さんは販売について心配していたらしい。
確かにバトル鉛筆に続いて、呑気にこんなものを出してこられれば不安になるね。
「いや、まったく考えてないよ。これは屋敷やマイホームで快適に過ごすために置くだけ」
「そうかい。それなら良かった」
俺の答えを聞いてホッとしたのか、ノルド父さんはそれ以上尋ねることなく身を楽にした。
別に何かを売りたくて作っているわけではないのだ。
あまり面倒ごとが起きるようであれば、自分と家族、友達だけで楽しめる範囲にしておくべきだからな。
「おー、本当に小さなテーブルに集まってるんだな」
そう言って入ってきたのは料理人であるバルトロだ。
赤い厚手のミトンに手を入れて、大きな鍋を両手で持っている。
鍋からはとてもいい匂いがしているのだが、妙に可愛らしいミトンが気になってしょうがなかった。誰かから貰ったのか、はたまた自分で買ったのか。謎だ。
ミーナがコタツの上に鍋敷きを置いて、その上にバルトロが大きな鍋を置く。
蓋を開けてもらうと、そこにはたくさんの具材がぐつぐつと揺れていた。
「今日の鍋は鶏出汁鍋だ。しっかりと出汁をとってあるから美味えぜ?」
「おお! 美味しそう!」
鍋の中にはたくさんの鶏手羽が浮いていた。
鶏の旨味が溶け込んでいるからか、湯気からはとてもいい匂いがしている。
嗅いでいるとすっかりと食欲が湧いてきた。
ミーナが食器類を配膳すると、エルナ母さんがお玉を手に取って具材をよそい始めた。
「ノルドは何を食べたい?」
「鶏手羽とキャベツとキノコを頼むよ」
ノルド父さんがそう言うと、エルナ母さんはそれらをよそってノルド父さんに渡した。
「ほら、アルの分もよそってあげるわ」
「えっ? 珍しいね?」
「……どうやらアルは。鍋を食べたくないみたいね」
しまった。珍しい光景についうっかりと口を滑らせてしまった。
「嘘です、冗談でしたごめんなさい」
流れるように謝罪すると、エルナ母さんはしょうがないとばかりに茶碗を取ってくれた。
「何が食べたい?」
「鶏手羽と白菜と白ネギ多めで」
「相変わらず渋いわね」
などと言われながら、たっぷりの具材を盛り付けられた茶碗が目の前に。
とても美味しそうだ。
「あたしのもお願い」
エルナ母さんはエリノラ姉さんの茶碗を受け取ると、無言で具材をよそいでいく。
「ちょっと待って。どうしてあたしには何も聞かないの?」
「エリノラに聞いても肉を多くしてとしか言わないでしょ?」
「そ、そんなことないし……」
などと言うエリノラ姉さんであるが、その目は完全に泳いでいた。
きっと「鶏手羽たくさん!」とか言うつもりだったに違いない。
「うわ、野菜が多い」
そうやってエリノラ姉さんに返された茶碗にはたくさんの野菜が盛られていた。
どうぜ二杯目以降は自分でよそうんだ。今のうちに多く野菜を食べさせておこうという母親の優しさだろうな。
「シルヴィオは何が食べたい?」
「白菜と椎茸、ニラ、白ネギ多めで」
「鶏手羽はいいの?」
「後で食べるよ」
肉を最初に食べようが、後に食べようがそれは自由だ。
ただ、後になればなるほど数は減っていくんだけど。
隣にいる獰猛な姉の顔を見れば、その未来は簡単に予測ができることだから。
「エルナの分は僕が入れてあげるよ」
「ありがとう」
最後になったエルナ母さんの分をよそうノルド父さん。
効率を考えればエルナ母さんが自分でよそう方が早いに決まっているが、こういう気遣いというのは嬉しいものだ。
ノルド父さんはお玉で鍋の具材をよそって、エルナ母さんに手渡した。
鶏手羽、白ネギ、椎茸、白菜、ニンジンなどと万遍なく入れられているように見えるが、白菜に隠れて鶏手羽が一本多く入れられている辺り、エルナ母さんのことをよくわかってらっしゃるようだ。
俺はそれに気付いたものの何も言わないでおいた。
「それじゃあ、食べようか」
全員の分が揃い、ノルド父さんの声が響くとエリノラ姉さんが一番に手をつけた。
「あつっ!」
「そりゃ、少し冷まさないとそうなるよ」
「うるさい」
エリノラ姉さんはそう返すと、鶏手羽をふーふーと息を吹きかけた。
なんとしてでも最初に肉を食べたいらしい。
俺も最初に白菜を食べたいが、しっかりと出汁がしゅんでいるこいつはかなりの熱量も蓄積しているに違いない。
なあに、今は暖かいコタツの中にいるのだ。焦る必要はない。
息を吹きかけて、ゆっくりと出汁をすする。
「ああ、いい鶏の出汁が出てる」
「いくらでも飲めちゃいそうだよね」
鶏の出汁がしっかりと染み込んでいるスープに、シルヴィオ兄さんやノルド父さんも満足そうな様子。
鶏の旨味と野菜の甘みがしっかりとスープに出ていた。
スープをちびちびと飲みながら息で冷ますと、白菜を口に運ぶ。
うーん、スープの旨味をよく吸っている。
それでいてこのシャキシャキとした歯ごたえがとてもたまらない。野菜なのに満足感がとても強いので、俺は鍋の白菜が大好きだ。
白ネギも柔らかくなっており、しっかりとネギの甘みが出ていた。
鶏手羽はとても柔らかくなっており、皮がとてもプルンとしている。食べると旨味と塩っけがあって、薄味の鍋のアクセントになっていた。
「夏に食べた鍋よりも美味しい」
「ああ、そういえばアルと姉さんと三人で氷魔法で部屋を寒くして鍋を食べたね」
「そんなことをしていたのかい」
「そもそも夏に鍋を食べるものじゃないでしょ」
シルヴィオ兄さんが思い出すように言うと、ノルド父さんとエルナ母さんが呆れたように言った。
確かにバカなことかもしれないが、アレはアレでいいものなんだけどなぁ。
具材を食べてはスープを飲んでを繰り返す。
温かい鍋を食べて身体の内側から暖まり、コタツによって身体の外から暖められる。
この至福といえるコンボが素晴らしい。
鍋を食べてほっこり。コタツに入ってほっこりだ。
「エリノラ姉さん、とりすぎ」
「えー、そう?」
俺がお代わりをして二杯目に到達する頃、エリノラ姉さんは既に四杯目に突入していた。
まだ二杯目のシルヴィオ兄さんのことも考えるとセーブするべきだ。
それを察したのかエリノラ姉さんはひとまずお玉を置いた。
とはいえ、エリノラ姉さんは十三歳。食べ盛りな年齢な上に毎日運動をしているので、俺達より食べたくなるのは仕方がない。
「じゃーん、バルトロさんに言われて追加の具材を持ってきましたよー!」
バルトロに追加の具材でも頼もうかなと思っていると、タイミングよくミーナが入ってきた。
ミーナが持っているお皿には、たくさんの追加の具材が。そこには勿論、鶏手羽も含まれている。
「ちょうどいいわね!」
「さっすがバルトロ」
「煮込むのはアルフリート様にお任せするって言ってました!」
……おい。
まあ、ガスコンロではない以上、具材を煮込むには鍋を厨房に持っていく必要がある。
まだ残っている具材もあるために、この場で煮込む方が手っ取り早いのもわかるけど釈然としない。
「はいはい、煮込めばいいんでしょ。ミーナ、具材を入れて」
「はーい!」
ミーナがお皿から鍋に具材を入れ、俺は鍋にサイキックをかけて浮かし、その下に火球を設置した。
少し高い位置に鍋があるが、きちんと身を乗り出せば具材はよそえる。
「アルフリート様、しめはどうしますか?」
「エリノラ姉さんとシルヴィオ兄さんはなにがいい?」
「ご飯!」
「僕もそれでいいよ」
エリノラ姉さんの強い主張にシルヴィオ兄さんは苦笑いしながら言った。
「じゃあ、ご飯で」
「わかりました!」
「しめってなにかしら?」
ミーナが去っていくと、エルナ母さんとノルド父さんが不思議そうに首を傾げていた。
「具材だけはお腹いっぱいにならないから、最後に残ったスープの中にご飯かスパゲッティを入れるんだ」
「なるほど、よく考えるものだね」
「スパゲッティはともかくして、スープの中にご飯を入れるのはどうなのかしら?」
「じゃあ、エルナ母さんはなしかな」
「待ちなさい。食べないとは言ってないわ」
指摘しつつも自分も食べるようだ。
まあ、スープの中にご飯を入れるって、あまりいい印象はないだろうしな。
米粒がバラバラになって浮いてしまうし、見た目もよろしくない。
しかし、そんなものはしめの美味しさの前では無力だ。
鍋の具材に火が通るまでは、皆自分の茶碗にあるものを大事に食べる。
そして、追加で投入された具材に火が通ると、また皆で具材を食べる。
五人で食べるとあっという間になくなってしまい、鍋には具材の出汁が凝縮された琥珀色のスープだけが残った。
「では、ご飯を入れますねー」
そこにミーナがご飯を入れると軽く混ぜ、皆の分をよそってくれた。
しめの美味しさを既に体験して慣れている俺、エリノラ姉さん、シルヴィオ兄さんはすぐに手をつけた。
「うん、美味しい!」
「スープの旨味がご飯に染みているわね!」
シルヴィオ兄さんやエリノラ姉さんが美味しそうに食べているのを見ると、エルナ母さんとノルド父さんはおそるおそる食べ始めた。
「あら、美味しい」
「これはいけるね」
しかし、その美味しさに気付いたのか、エルナ母さんとノルド父さんもぱくぱくと食べ始めた。
そして、あっという間にしめもなくなり、皆がお腹いっぱいになった。
「ふう、美味しかったわね。少し食べ過ぎたかしら」
「最後にあんな食べ方があるとはね」
「しめに相応しい美味しさでしょ?」
これから鍋のしめはやめられないのだ。たとえ、お腹がいっぱいでも食べてしまう。
そして、満腹の時にコタツで寝転がるのはもっと最高なのだ。




