いいお兄ちゃん?
「ただいまー」
「あら、お帰りなさい」
腕相撲大会を終えて屋敷に戻ってくると、エルナ母さんがお出迎えの声をかけてくれた。
そこには可愛い息子や娘を迎えること以外にも、確かめたい事実があるからだろう。
エルナ母さんはにっこりとした笑みを浮かべながら視線をラーちゃんに向けた。
「はい、ラーナ様。ゲコ太ですよ」
「ゲコ太、ただいまぁ!」
ロレッタの用意してくれたゲコ太スリッパに元気よく声をかけながら足を入れるラーちゃん。
その笑顔に今朝のような曇りはなく、ラーちゃんが元気を取り戻したことは一目瞭然だった。
「ラーナ様の元気は戻ったみたいね」
「まあね。村ではすっかり楽しく過ごせたみたいだから」
「ふふ、よくやったわね」
「えっ? エルナ母さんが俺を褒めた?」
エルナ母さんの口から漏れた優しい言葉に思わず、驚きの言葉を上げてしまう。
そして、すぐにしまったと慌てて口を押さえた。
気が付けばエルナ母さんの笑みが黒いものに変化している。
「……アルとは一度ゆっくりと話し合った方がよさそうね? 私をどんな風に思っているのかしら?」
「とても美しくて優しい誰もが羨む理想のお母様です」
「サラッと賛美の言葉が出てくるところが嘘くさいわね。ところで、右手が赤くなってるけどどうかしたの?」
さすがによく働いた息子を制裁する気はないのか、エルナ母さんにしては優しく話を変えてくれた。
「セリア食堂でやってる腕相撲大会でエリノラ姉さんと当たっちゃって……」
「あら、エリノラと当たったの? それは私も見てみたかったわね」
右手を押さえて苦い顔をする俺を見て、エルナ母さんがおかしそうに笑う。
結局、混合子供部門の優勝者は言うまでもなくエリノラ姉さんだ。
誰もがあの怪力の権化に勝つことができず、破れ去ってしまったのである。
「もう、エリノラ姉さんとやるのは二度とゴメンだよ」
「フン、これに懲りたらあたしを生贄にしようとしないことね」
俺とエルナ母さんの会話を聞いていたのか、スリッパを履いたエリノラ姉さんがそんなことを囁いて部屋に戻っていった。
ビックリするから急に会話に割り込んでくるのはやめてほしい。エリノラ姉さんの悪口を言っていたらしばかれるところだった。
エリノラ姉さんと腕相撲をやったせいか、まだちょっと右腕に違和感があるな。
指の跡もくっきりと残っているし。
「ねえ、アル。夕食までジェンガしよう!」
右腕を見て悲嘆に暮れていると、ラーちゃんが笑顔でこちらを見上げながら言ってくる。
もはや、昨日の件はすっかりと忘れたのか、それとも気持ちの整理がついたのだろうか。
わからないがラーちゃんはすっかりと元気を取り戻して、いつものいい笑顔になっている。
この笑顔を取り戻すためならば、ちょっとエリノラ姉さんに腕相撲でしばかれようと何のそのだな。
「いいよ。ちょっとだけやろうか」
「うん! エリックとアレイシアもしよーう!」
俺が了承すると、ラーちゃんは楽しそうに笑ってエリックやアレイシアにも声をかけていく。
「ふふ、アルに妹がいれば、意外と面倒見のいいお兄ちゃんになっていたのかしらね?」
そんな光景を眺めていると、隣にいるエルナ母さんが微笑ましそうに言った。
俺があと三年ほど若かったら、あるいはラーちゃんのような純粋な子であれば妹をおねだりしていたことだろうな。
■
翌日の収穫祭三日目。
朝食を食べ終わると、各々が今日をどう過ごすか話し合う時間になる。
「シルヴィオ殿、今日はリバーシをしないか?」
「いいですよ。でも、どうせなら村でリバーシ大会をやっているのでそちらに行ってみませんか?」
「ふむ、平民と一緒にリバーシか……強いのか?」
「中々油断のならない村人達がいますよ」
「ふむ、シルヴィオ殿がそこまで言うのならば行ってやろう」
どうやらブラムとシルヴィオ兄さんはセリア食堂でやるリバーシ大会に参加するようだ。
今日も二人で出かけるとは非常に仲がいいな。
このまま仲良くなって決闘もなあなあになって流れてくれると今後の面倒事がなくなるのでとても嬉しい。
リバーシ大会には毎年恒例のように呼ばれているが、今年はラーちゃん達がくるので参加は見送っている。
別に顔を出せば参加できるだろうと思うけど、ここ数日外出が続いているので今日くらいは屋敷に引きこもりたいところだな。
俺はふとリビングにいる面々に視線を送る。
アレイシアはエルナ母さんやナターシャさんと大人の女性に混ざっている。
ノルド父さんとエーガルさんも談笑をしているよう。
「ルーナ! 稽古行くわよ!」
「……わかった。エリックも行く?」
「ああ、そろそろ身体が鈍ってしまいそうだしな」
そして、エリックは脳筋達の誘いに乗ってしまった。
このまま行動を起こさずにボーっとしていたら、俺もあそこに混ぜられる可能性が非常に高い。
それだけは嫌だったので、俺は自ら行動を起こすべくラーちゃんに声をかける。
「ラーちゃん、今日は何をしたい?」
「昨日やった魔法の続きがいい!」
「魔法? せっかくこっちに来たのに、外で遊ばなくていいの?」
「いいの! アルと魔法で遊ぶのも貴重だから! それにアルも疲れてるでしょ?」
「ラーちゃん……」
普段は王都から出られず、このような所にくる機会などなかっただろうに、平然と俺とゆっくり遊ぶことを選んでくれた。
さらに俺が屋敷でゆっくりしたいだろうという気遣いまで見せてくれる。本当に四歳なの?
ラーちゃんの言葉と優しさに感動して涙が出てきそうだ。
「わかった。じゃあ、今日は屋敷で魔法の練習をしながらゆっくり過ごそう。俺が家でも使える便利な魔法をいっぱい教えてあげるよ」
「本当!? わーい!」
俺がそう言うと、ラーちゃんは嬉しそうに飛び跳ねた。
「これから何する?」
「部屋で魔法の練習をしながら読書でもしようか」
「魔法の練習をしながら本を読めるの!?」
「うん、ちょっと使い方を工夫すればできるよ」
日常のちょっとした不便も魔法があれば解決できる。
今日はラーちゃんにそういう便利な魔法を教えていきたいと思う。
俺はラーちゃんを伴ってリビングを出ようとする。
すると、傍にいるロレッタが扉を開けようとするので、俺は手で制した。
「うわっ、扉が勝手に開いた!」
代わりに扉をサイキックで開けるとラーちゃんは驚いた。
「扉を開けるためにサイキックを使っただけだよ」
「扉を開けるのに魔法を使うの?」
おおっと、まさかラーちゃんの家では扉を開けるのに魔法を使わないのか? ミスフィード家は魔法貴族だと聞いたので、扉をサイキックで開けるくらい普通だと思ったのだが。
「普通は私のような使用人が開けますので……」
思わず疑問に思っていると、ロレッタがおずおずと述べた。
おおっと、これは本格的な意識改革が必要かもしれない。魔法貴族と呼ばれているので、その辺は進んでいると思ったのだが意外だ。
「でも、扉を開けるためにわざわざ命令されて、出入りする度に開けるのって面倒でしょ?」
「はい、それはもう何度も行き来されると面倒で――いえっ! それが私達の仕事ですので!」
ぶっちゃけたことを問いかけると、ロレッタの口からぽろりと愚痴のようなものが漏れた。
「ロレッタ、扉開けるの面倒なの?」
「いえ、そんなことは……」
「本当の本当に?」
「…………ぶっちゃけ、ミスフィード家の屋敷の扉はかなり重いので面倒です」
ラーちゃんの純粋な瞳の前では嘘をつけなかったのか、ロレッタが懺悔するように言った。
うん、うちの屋敷の扉も結構重いので頻繁に開けたくないなと思う気持ちはよくわかる。
荘厳さを意識するが故の貴族の屋敷の欠点だ。
「ふんっ!」
「ラーナ様、なにを?」
ラーちゃんがダイニングの扉を閉めて、自らの細腕で開けようとする。
しかし、リビングに通じる扉は結構重いので四歳児の力では全体重を使ってようやく少し開く程度だった。
「おやめください、扉で手を挟んでしまいます」
ロレッタが慌てて手を貸すことによって、危なげなく扉を閉めることができた。
ラーちゃんは自分の手と扉を見つめて、ポツリと言葉を漏らす。
「……本当だ。扉って重いんだね」
恐らくラーちゃんは初めて自分の手で屋敷の扉を開けたのだろう。
でも、それは使用人に囲まれた貴族の令嬢であれば普通のこと。本当に箱入り娘や箸より重い物を持ったことがない子は存在するのである。
「ロレッタ、いつも扉を開けてくれてありがとうね」
「ラーナ様、そうおっしゃって頂けるだけで私も働いている甲斐があるというものです」
長年社畜をしていたが故に『甲斐』という言葉に反応しそうになるが、いいシーンっぽいので黙っておくことにする。
「これを自分で押したり引いたり、誰かに頼むのも面倒でしょ?」
「うん、確かに面倒くさいね!」
とても澄み切った表情で言うラーちゃん。
「そう、この面倒くさいを解決するのが魔法なのさ」
「…………その考えはなかった。でも、アルの言いたいことがちょっとわかった気がする!」
「本当? 嬉しいな」
今まで何人かの魔法使いと出会ってきたけど、この考えに賛同してくれたのはエルナ母さんだけだったんだよな。
何となくではあるが、ラーちゃんも賛同をしてくれてとても嬉しいや。




