小次郎 誇れる兄
コミカライズ19話は1月8日更新となります。
「ほれ、うな丼だ」
楓の私室にうな丼を持って入った俺は、静かに座る楓の前にそれを突き出す。
すると、楓は丼を胡乱げな視線を見つめる。
絹笠と同じような顔だ。どうせウナギを調理したところで美味しいはずがないと思っているのだろう。
しかし、それは大きな誤りだ。実際に食ってみれば、自ずとそれを理解するであろう。
「小次郎、早く私の分を……」
「はい」
楓を見ながらほくそ笑んでいると、ちゃっかりと隣に座っている母上にうな丼を催促された。
やはり、当然のように母上もうな丼を食べるつもりらしい。というか、初めから自分がうな丼を食べるために、楓に食べさせろとか言わせたのではないだろうか。
どこかソワソワしている母親を見ると、そう思えてならない。
そんな事を考えながら、俺は念のために用意していたうな丼を渡した。
しかし、肝心の楓は丼を睨みつけるだけで食べる素振りを全く見せない。
「さあ、うな丼を食べてみろ」
「……わかりましたよ」
俺が促すと楓は不承不承といった様子で箸を取り、丼を持ち上げた。
蓋を取ると湯気が立ち上り、香ばしいウナギと濃厚なタレの匂いが漂い出した。
綺麗な焼き色とタレのついたウナギが顔を出し、その下にはタレの染み込んだ米が見える。
ああ、やはり、うな丼の匂いは爆発的だ。この匂いを嗅ぐだけでお腹が空いてしまう。
そんじょそこらの料理とは違った、魔性の香りだ。
これには楓も逆らえなかったらしく、表情が驚きと好奇心に満ちている。
「こ、これがうな丼」
「そうだ。いい香りだろう?」
ニヤリと笑いながら言うと、楓は緩んでいた表情を引き締めた。
「……重要なのは味ですよ」
ふふふ、つまり香りは良いということだな。
妹のわかりやすい強がりについ頬が緩む。
さあ、次は味だ。
うな丼を食べて、その美味しさに屈服し、先程の言葉を撤回させてやる。
俺がそんな未来を予想しながら見守っていると、楓がウナギと米を口にする。
すると、楓が目を大きく見開いた。
「どうだ?」
確かな自信を抱きながら問いかけると楓は、ゆっくりと丼と箸を置いた。
「――い」
どうやら、うな丼の美味しさに声も出ないようだ。
「ん? 聞こえないぞ?」
「マズい」
改めて俺が問いかけると、楓は簡潔にそう答えた。
楓の発した言葉の意味がわからず、俺は声を掠れさせながら再度問いかける。
「今、なんと言った?」
「だから、マズいと言ったのです。こんなものとても食べられたものではありません!」
は? 俺の作ったうな丼がマズいだと? そんなバカな。
うな丼を作る時は味見もしたが、特別そのように感じられる味ではなかったはずだ。
勿論、アルに比べれば焼き加減といったものは甘いかもしれないが。きちんと火は通っていたし、表面もパリッと仕上がっているはず。
試しに楓の食べたうな丼を俺も食べてみる。
それは昨日と変わらぬうな丼の味。将軍である剛毅様や母上の舌を唸らせたもの。
現に傍にいる母上も、「うな丼がマズいって嘘でしょ?」みたいな呆けた顔をしている。
「これのどこがマズいと言うのだ! 確かに俺が未熟で拙いところはあるが、表面はパリッとしているし、身も柔らかい。タレと米の相性も抜群ではないか!」
「それでもマズいものはマズいのです! こんなものを作るくらいでしたら、兄上は刀士をやるべきなのです!」
自分がようやく心からやりたいと思った事。それをこんなものと言われた。
俺の料理をマズいと言うのはいい。それは俺の腕が未熟だったこともあるし、そもそも楓がウナギを好きでもない可能性もある。
だけど、友であるアルが教えてくれた料理をバカにするのは許せなかった。
「……楓、黙れ」
自分でも驚く程の低い声が出た。
それを聞いた楓はあからさまに怯えた表情を浮かべた。可愛い妹にこのような感情をぶつけるのは本意ではないが、今は自分の感情が抑えきれなかった。
しかし、楓は気丈にも言い放つ。
「だ、黙りません! 兄上は刀士であるべきなのです!」
「どちらにせよ剛毅様に刀を返上した以上、それは無理なことだ」
「だったら、私も一緒に謝りに行きます」
楓の決意に満ちた表情と言葉で、妹として心の底から心配しているというのがヒシヒシと伝わってきた。
厳しいことを言いながらも人一倍面倒見がよく、思いやりのある妹だ。
その心が嬉しくないはずがない。
しかし、俺にも譲れないものがある。その程度のことで揺らぐ程のことであれば、初めから刀士を辞めたりなどしていない。
「……城に戻るつもりはない」
「でしたら、仕方がありません。決闘です」
そう言うと、楓が立ち上がって静かに言い放った。
それは決意に満ちた表情であり、一人の刀士としての覚悟だ。
「私が勝てば、兄上には城に戻ってもらいます」
「よかろう。ならば、俺が勝てば、先程の発言を撤回して謝罪しろ」
これは理屈ではない。互いの感情のぶつかり合いのようなもの。
楓は俺を城に戻して刀士を続けてほしい。
俺は楓にうな丼を認めてほしい。
ただそれだけの事だ。
別に決闘などともせずとも、すでに刀士を辞めた身。逃げてもいいのだが、それではアルに合わせる顔がないしな。
「決闘を認めましょう。使用するのは木刀、一本勝負です」
俺と楓が睨み合っていると、母上が厳かに言い放つ。
その頬には米粒がついており、ずっとうな丼を食べていたようだ。
うな丼を気に入ってくれたのは嬉しいが、もう少し空気を読んでもらいたい。
◆
楓と決闘をすることになった俺は、木刀を持って庭へと移動する。
ここは稲葉家の者が使う稽古場なので、庭園のような美しさはない。ただ柔らかい土が敷き詰められているだけだ。
俺が着替えを済ませてたどり着くと、既に楓が待っていた。
楓は静かに目を瞑って瞑想している。
これからの戦いをシミュレーションしているのだろうか。
俺と楓は小さな頃から、刀を握って稽古をこなしてきた。互いに打ち合って稽古した数は何千、何万と数えきれない。
お互いの癖や手の内は手に取るようにわかるので、駆け引きや読み合いといったものが重要となるだろう。
俺がやってきて十メートルほど離れた位置に着くと、楓はそこで目を開けた。
楓は静かに木刀を両手で構える。
きりっとした強い意思を持った眼差しがこちらに向けられる。いつになく本気の模様。
しかし、それはこちらも同じことだ。今回ばかりは負けてやらない。
「準備はよろしいですか?」
俺も木刀を構えると、見届人である母上が縁側から声を出す。
俺と楓はそれに静かに頷いた。
「では、始め!」
稽古場に緊張した空気が漂う中、母上の鋭い声が響き渡る。
「でやあああああああ!」
最初に動き出したのは楓。開いていた距離を瞬く間に詰めて、斬りかかってくる。
突き、袈裟斬り、右切り上げと小さな頃から叩き込まれた基本技。
誰もが当たり前に扱う基本的な動作であるが、熟練者ともなる楓が使うとそれはとてつもない速さと鋭さを兼ね備えた必殺のものとなる。
並の刀士であれば、これを受けることも避けることも敵わずに一本取られていたところだろう。
だが、俺は並の刀士ではない。それに楓がそのようにして攻めてくることもわかっていた。
何よりその連撃を教えてやったのは俺だ。
自分の技の利点と欠点を理解していないはずがない。
俺は木刀が振るわれるギリギリのところで身を反らし、次々と躱していく。
そして楓が空ぶって体勢を立て直そうとするところに足を伸ばす。
「うわっ!?」
すると、楓はそれに引っ掛かって前のめりに倒れた。
「くっ!」
しかし、楓は追撃されまいと即座に反応して立ち上がる。
鼻を強打したのか赤くなっており、頬には砂がついたままだ。
そのような妹の姿を見ると、心配の声をかけたくなってしまうが今は決闘中なのでかけられるはずもない。
頬についた砂を気にすることもなく、楓は再び斬りかかってくる。
それを全て見切った俺は、それらを紙一重で避けて最低限必要なところだけ木刀で受け流す。
こういう繊細な回避運動は神経を使うので面倒臭いのだが、今日ばかりはそんなことを言ってられないからな。
「ど、どうして? いつもはもっと打ち合えているのに……」
「悪いな、楓。今日は本気なんだ」
実際に打ち合いでは俺の勝率が六割、楓が四割といったところ。ほぼ五分五分と一緒のようなものだ。
ただ、それは城の中での稽古に限っての話だ。
「今日は本気って……いつもは本気ではないと言うんですか!?」
「ああ」
いくら実力があろうとも、未だに女性への差別感が強いのは事実。
楓を稽古でコテンパンにし続ければ、女性刀士に対する疑問の声も上がりかねない。
剛毅様の後押しや、稲葉家の後ろ盾があろうとも女性刀士に対する風当たりは未だに強いのだ。
「だらしのない兄上ですが、刀に関してだけは誰よりも真面目だと思っていたのに!」
俺の言葉を聞いて、楓がどこか失望の混じった怒りをぶつけてくる。
楓はムキになればなるほど、剣筋が真っ直ぐに単純になっていく。
その癖を小さな頃から理解していた俺は、こちらから距離を詰めることでペースを攪乱。
楓が移動して斬りかかろうとしたところを同じように足をかけてやった。
地面を転がっていく楓であるが、それでも即座に立ち上がってくる。
そこまでして、自分が刀士でいてほしいのか。俺の事を刀士でいるべきだと肯定してくれるのか。そんな真っ直ぐな感情をぶつけてくる妹に、兄である俺も嬉しく思う。
だけど、俺にも譲れないものがあるのだ。刀士を辞めて、美味しいうな丼を作り、店を開いてカグラに広めてみせる。
そう友に誓ったのだ。こんなところで躓いている訳にはいかない。
楓が上段斬りをしようと腕を振り上げたところを狙って、俺は木刀を振るう。
握力が強くこもっていない瞬間を叩かれたせいか、楓の木刀は遠くへと飛んでいって地に落ちた。
呆然としながらこちらを見上げてくる楓の頭に、俺はこつんと木刀を当てる。
「これで一本だ」
確かな一本を当てると、楓が瞳からポロポロと涙を流す。
「う、うう……」
「どうした!? もしかして結構痛かったか? それとも転んだ時に打った顔が痛かったのか!?」
突然の妹の涙に、俺は思わず戸惑ってしまう。
やはり、決闘とはいえ何度も転がすのはやり過ぎだっただろうか? でも、ずっと躱したままじゃ強情で頑固な楓は納得してくれなかっただろうし、どうしてやればよかったんだ。
「ち、違う。別に痛くない」
「すまん、もうちょっと手加減してやればよかったな。つい、カッとなったお兄ちゃんが悪かった」
「ううっ、ぐすっ……じゃあ、私と一緒に城に戻ってくれる?」
「いや、さすがにそれは無理だ。決闘は俺の勝ちなのだし」
さすがに妹に弱い俺でも、そればかりは聞き入れることはできない。
というか決闘に勝ったのは俺なのだし。
「もういい、お兄ちゃんのアホー!」
俺がきっぱりと言い放つと、楓はそう怒鳴って走り去ってしまった。
その悲しそうな後ろ姿を見ると、追いかけたくなったが今の俺にそれができるはずもない。
俺が立ち尽くしていると、母上がこちらにやってくる。
「楓はずっとあなたの背中を追いかけてきた。そして、城の中で並びたてるようになって嬉しかったのでしょうね」
「ええ、それはわかっていました」
昔から楓は俺の背中ばかり追いかけてきて、俺と打ち合うのをとても楽しそうにしていた。
俺も楓と過ごした時間は楽しかった。
稲葉家や母上のプレッシャーで圧し潰されそうになった時、その無邪気な笑顔に何度も救われた。
兄妹で城のトップである刀士でいられたのは、とても誇らしかった。
だが、新しい道と信念を見つけた俺はそこに留まっていられない。
俺はアルより教わった、あのうな丼を完成させて、自分と同じような感動を誰かに伝えたい。人々を笑顔にさせたい。
だから、今度はうな丼を食べた楓を笑顔にさせたい。
しばらくは楓に幻滅された日々を送るかもしれないが、いずれはカグラ一美味しいうな丼を作ってみせる。
そして、その時に改めて楓にとって誇れる兄でありたいと俺は思う。
これにて小次郎外伝は終わりです。
次からはアルフリート、貴族収穫祭になります。
多分、明日か明後日に更新できるかなーと。
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