小次郎 やりたい事
「……一体何が起こった」
カグラ城の最上階である将軍の間に連れてこられた俺は、カグラを治める将軍、神楽剛毅様の前にいた。
その将軍である剛毅様が頭を抱えてうめき声を上げている。
簡単に言うと、絹笠から俺が辞めたいという旨の説明をすると、剛毅様がこうなった。
理由は紛れもなく俺であるが、今回はどうすることもできない。
ただ、俺は剛毅様が冷静になるのを待つばかりだ。
しばらくして、ようやく剛毅様の頭で整理がついたのか咳ばらいをして尋ねてくる。
「小次郎よ、絹笠が言っていることは本当なのだろうな?」
「ええ、間違いありません」
「いつもの口癖のように冗談で言っているわけではないのだな? 刀を返すということは、もう二度とこの城で働くことはできなくなるぞ?」
「はい、覚悟の上でございます」
俺がきっぱりと告げると、剛毅様は戸惑ったような表情をする。
「……あれだろ? 絹笠とちょっとした喧嘩の末に出てしまった言葉なのだろう? つい口から出て引っ込みがつかなくなっただけなのだろう? 俺も絹笠もそこまで鬼ではない。今なら撤回しても俺達は怒らな
い――」
「いいえ、そのような事ではありません。私が自らの意思で言ったのです。二言はありません」
「母上である桜花には言ったのか?」
「……言っておりません」
俺がそう答えると、剛毅様は酷く安心したような表情を浮かべた。
今ならば母上に説得してもらえれば間に合うとでも思っているのだろう。
「しかし、私はもう子供ではございません。母上の許可をとらずとも問題はありませんよ」
「いいや、稲葉家の長男が刀士を辞めると言っているのだ。桜花に話を通さずして進めていい問題ではない」
俺は母上など呼ばなくてもいいと言ったのだが、剛毅様は意地でも呼んで引き止めさせるつもりだ。
「おい、誰か。桜花を呼んできてくれ」
剛毅様が控えていた刀士に命じて、母上を呼ぶ。
ちっ、面倒な。
アルのアドバイスの通り、先に職を止めて母上には事後報告にしようと思っていたというのに。
まあ、いい。ここで母上から許可をもらった方が後の行動もスムーズになるというものだ。
将軍の間では誰も会話をすることもなく、剛毅様の貧乏揺すりによる衣擦れの音だけが響き渡る。
焦っておられるのだろうか。
それと比べれば俺の心というものはとても晴れやかだ。ああ、今からうな丼の研究をするのが楽しみで仕方がないな。
もっとウナギを捌くのを練習して、アルのように滑らかに包丁を扱いたい。
それに自分だけの秘伝のタレ作りに着手しなければ。確かウナギの骨を煮込むといい味が出ると教えてくれた。
一刻も早く真のうな丼を完成させなければ。そして、アルに食べさせて今度は俺が度肝を抜かせてやるのだ。
アルやルンバが驚く姿を想像するだけで、楽しい気分になれる。
そんな未来を想像していると、廊下から二つの気配がやってきた。
「剛毅様、桜花殿をお連れしました」
「うむ、入れ」
剛毅様が鷹揚に告げると、傍仕えの刀士がゆっくりと襖を開ける。
すると、そこから一人の女性が入ってきた。
まるで鴉の濡れ羽を想起させるような艶のある長い黒髪をしており、肌はまるで雪のように白い。だが、その眼差しは恐ろしい程に鋭く、抜身の刀のようだ。
稲葉桜花。平民の女性ながらも刀一本で成り上がり、稲葉家の当主である父と張り合った女性であり俺の母だ。
その性格は一見して落ち着いているものの、本性は苛烈。
自らに厳しいが故に他人にも厳しい。
小さな頃から剣を教わっている俺はそれをよく知っている。
母上は剛毅様の斜めに座り、一礼をすると丁寧な口調で尋ねた。
「剛毅様、小次郎が仕事を辞めるなどというバカなことを申したのは本当でございますか?」
「ああ、それも俺が授けた刀を返すとまで言われてしまってな」
剛毅様がそう答えた瞬間に、母上がびくりと肩を震わせた。
ああ、今のは怒ったな。表情を見なくても母上の心境がわかる。
「申し訳ございません、うちの愚息が。今、説得しますので……」
母上は剛毅様に詫びの言葉を述べると、俺の方へと向き直る。
母上の鋭い眼差しが怖い。しかし、ここで臆していてはまたいつものように意思もなく駄々をこねていると捉えかねない。
俺は弱気になっている自分の心を叱咤して、母上の目を見据える。
俺はアルから教わったうな丼を完成させるのだ。
「またですか小次郎。仕事を辞めたいなどと言って剛毅様を困らせるのではありません。ましてや冗談でも将軍の刀を返上するなど……どうやら今回は冗談ではないようですね」
すると、母上はなにかしら決意を感じ取ってくれたのか、とつとつとしようとしていた小言を切り上げた。
た。
「その通りです母上。今回、私は確固たる意志を持って刀士を辞めると申しているのです。覚悟なしに将軍の刀を返すなど無礼が過ぎます」
将軍から賜った刀を返すなど冗談でも言える訳がない。仕事に対する意気込みは腐っている俺だが、そこまで性根は腐ってはいない。
「……一体なにがあったのです?」
「かけがえのない友と出会い、本当にやりたい事を見つけたのです」
「やりたいこと……」
仕事の苦しみを子供ながらに深く理解し、さらにはうな丼なるものを教えてくれたアル。
さらには俺が無謀にも仕事を辞めると言い出しても嘲笑することなく、背中を押してくれたルンバ。
そんな二人とうな丼の出会いが、俺の中の価値観を変えてくれ、生きる意味を見出してくれたのだ。
「小次郎のやりたい事とはなんなのだ?」
俺が二人との時間を思い出していると、剛毅様がおずおずと尋ねてくる。
母上も俺の言葉を聞こうと真面目な視線を向けている。
どこか緊張感の高まる室内で俺は息を吸い、はっきりと告げる。
「うな丼を作り、店を開くことです」
「「「うな丼?」」」
剛毅様、母上、絹笠が俺の言葉を聞いて首を傾げている。
ふっ、無理もない。うな丼というものを知っているのは、恐らくこの国では俺とアルとルンバだけだろうからな。
「うな丼というのはなんなのです?」
「ええ、ウナギを捌き焼いて、醤油ベースのタレを塗って飯と共に食べる丼料理です」
「フン、何を言うかと思えば、よりによって骨も多く臭くて食べられたものではないウナギか。それを飯の上に乗せたところで食い物になるはずがなかろう」
俺の言葉を聞いて、さっきまで置物のように座っていた絹笠がここぞとばかりに嫌味を言ってくる。
このハゲが言うと、普通の言葉であってもムカついてしまえるものだから不思議なものだ。
とはいえ、この絹笠の言葉がカグラでのウナギの認識だ。つい、さっきまでは俺もそっち側であっただろう。
だが、俺はそれが真実ではないことを知っている。
「そんなことはない。正しい料理法をもってすれば、あのウナギですらも美味な料理に変わる。俺はそれを知ったのだ!」
「世迷い言を。刀士であるお前にそのような知識と技術があるはずもない」
「だったら、今ここで俺が美味しいウナギ料理、うな丼を作ってみせよう!」
鼻で嗤う絹笠に、俺は勢いよく立ち上がって宣言する。
うな丼の魅力がわからないのであれば、実際に食べさせてやって理解させるまでだ。
「おい、今はウナギを美味しくできるかどうかではなく、小次郎が辞めるのを止める時であって――」
「では、こうしましょう。小次郎の言う、ウナギ料理で私を含めた三人を認めさせることができれば刀士を辞めることを認めましょう」
剛毅様が場を嗜める中、母上が唐突にそんな事を言った。
意外だ。母上の性格なら将軍の前であっても怒鳴り散らして説教をかましてくると思っていたのだが……これは一体どういう風の吹きまわしだ?
「おい、桜花!?」
「剛毅様、以前からわかっていた通り、うちの愚息には実力はあってもやる気というものがございません。そのような者が跡継ぎである修一様の護衛をし、刀士を束ねるなど相応しくないのです」
そう、本当にそうだ。
修一様の護衛や指導はともかく、部下を束ねるとか本当に無理だ。
どうして刀の実力があるからといって上の地位に押し上げられるのだ。刀士としての実力と、人を指揮し取りまとめる能力は別であろうな。
いっそのことただの刀士であれば、楽だったのだがな。
「……まあ、確かに一部の下の者からはそのような不満の声も上がっていますな」
絹笠の言う通り、そんな俺の態度を見抜いてか、不満を言う者もいる。とはいっても、そこには地位や実力によるやっかみというものも混じってはいるが事実だ。
俺としても惰性でやっている自分よりも、よりやる気があって正しく皆を導ける者が上にいるのがいいと思う。
「うぬぬ……そのウナギ料理とやらは、お前が刀士を辞めてまでやる価値のあるものなのか?」
「勿論。うな丼が完成すれば、カグラの食文化はまた一歩前に進むことができるでしょう」
数が多いのに調理の仕方がわからなかったが故に食べられなかったウナギを、美味しく食べられるとなれば市民も喜ぶに違いない。間違いなく食文化の前進だ。それに貢献できるとなれば、俺が今の職を辞める価値は十分にあるはず。
「言ったな。だとしたら、桜花の言う通り、それを証明できるうな丼とやらを作ってみせろ。小次郎が刀士を辞めてやるべき価値があると判断できれば辞職を許す」
「はっ」
こうして俺は自分の職を辞するために、うな丼を作ることになった。
いいなと思って頂ければ、感想、ブックマーク、評価してもらえると嬉しいです。励みになります。




