涼しい部屋で鍋を1
「くちゅん!」
「へくしょん!」
冷気に満たされた室内でダラダラと過ごしていると、シルヴィオ兄さんとエリノラ姉さんがくしゃみを漏らした。
敢えて言っておくがシルヴィオ兄さんが可愛らしい方で、エリノラ姉さんの方が豪快だ。
おかしいな。普通は逆だと思うのだが。
「大丈夫? ちょっと寒い?」
「そうだね。僕としてはもうちょっと気温を上げてくれると嬉しいかな」
「確かにちょっと寒いわね」
「段々と冷えてきました」
シルヴィオ兄さん、エリノラ姉さんだけでなくミーナも寒いという。
「寒がりのシルヴィオ兄さんはともかく、エリノラ姉さんとミーナまで寒いって言うとは……」
「いや、涼しさにも限度があるわよ。これじゃあ涼しいを越えて寒いわ」
「逆にアルフリート様は平気なのですか?」
ミーナに改めて言われて、俺は自分の身体に意識を向ける。
……別にこれといって寒いなんてことはないな。肌が冷えているとか、鳥肌が立っているとかそういうことも一切ない。
「うーん、別に何ともないよ? むしろ、ちょうどいいくらい」
「えー、あんたの身体おかしいわよ。冷蔵庫みたいな部屋に一日籠っているから身体がおかしくなってるんじゃない?」
冷蔵庫みたいな部屋は言い過ぎだと思う。
けれど、皆は俺と違って冷気に満ちた部屋に慣れていないだろうからな。逆に俺は知らない間に順応して他人より鈍感になっているのかもしれない。
「寒いから部屋の温度を上げて」
寒いならば出ていけと言いたいが、居座る三人を見れば外の暑い世界に出ていくつもりはないようだ。屋敷内に一応氷は配置しているんだけどな。
俺以外が寒いと言うのならば仕方がない。ここは部屋の空気を少し上げて……いや、ちょっと待て。部屋の温度はそのままに皆の体温を上げればいいのではないか?
冷気で満たしながら温かい布団に包まって寝るのはとても気持ちがいい。さすがに皆で布団を被るのは無理だし、文句を言われる。
となると、やることは決まっている。
「部屋の温度を上げるんじゃなくて、皆の体温を上げよう」
「あら、アルにしては殊勝な態度じゃない。それじゃあ、外で稽古をして身体を温めましょうか」
「バカじゃないの?」
「バカとは何よ!」
「こんなクソ暑い中、外で稽古なんてしたら死んじゃうよ」
ただでさえ、暑いのだ。そんな中で激しい運動なんて危険だ。
「じゃあ、体温を上げるって何するのよ?」
「鍋を食べよう」
「お鍋ですか!」
俺がきっぱりと告げると、食い意地が一番張っている駄メイドことミーナが食いついてきた。その瞳は既に期待と好奇心で輝いている。
「どうして鍋なんだい?」
しかし、シルヴィオ兄さんにはこの状況と鍋が上手く結びつかないらしく、疑問の声を上げる。
「寒い冬なんかは温かいスープ料理を食べると身体が温まるでしょ? それと同じ状況をここで再現するんだよ」
「ま、まさか、氷魔法で部屋を冷やしながら、温かい鍋料理を食べると言うんですか!?」
「そういうこと!」
さすがはミーナ理解が早い。
ある意味、屋敷の住人の中で一番思考が柔軟だと言えるだろう。
「な、なんて贅沢な!」
「え、ええ? 魔法で温度を調節すればいいだけなんじゃ……」
「それだとつまらないし、面白くもない。どうせならこの状況を至福にしたいじゃん」
シルヴィオ兄さんが無粋なことを言い出すので却下。
今は遥か遠くにある冬の鍋。それを夏に再現するからこそ価値があり、贅沢なのだ。
こんなの氷魔法使いがいないとできない貴重な体験なんだぞ?
「確かに寒い中で食べる鍋は美味しかったわね。もうすぐお昼になるし、そうしましょうか!」
「賛成です!」
「ま、まあ、身体が温まるならそれでいいかな?」
最も権力が高いエリノラ姉さんが鍋料理を食べたいと言い出した時点で勝負は決まりだ。
俺達は満場一致で鍋を食べることになった。
「ということでミーナ、厨房でパパっと鍋を作ってきて」
「「お願い」」
「そうなると思っていましたよ!」
メイドが一人いる以上、どうしてもこうなってしまう。
心と身体を癒す快適な場所? それ以前に主とメイドだからね!
「で、具材はどんなものにすれば?」
食が絡んでいるからかミーナはさほど文句を言うこともなく、立ち上がる。
「エリノラ姉さんとシルヴィオ兄さんは何食べたい?」
「僕は魚かな」
「あたしは肉」
正反対じゃないか。なら、肉と魚両方を入れてしまうか。
別に二人は両方入れたからといって文句を言うタイプでもないし。
「じゃあ、魚はタラみたいな白身魚で肉は鶏肉で。後は適当に昆布で出汁をとって最後には味噌を溶かすでいいかな?」
「えっと、具がいっぱい入っている味噌汁みたいな感じかな?」
首を傾げながら言うシルヴィオ兄さん。例えがちょっと可愛らしい。
「簡単に言うとそうだね」
「あたしは別にそれでいいわ。アルが言うんだし、不味くならないでしょ」
「うん、僕もそれでいいよ」
味噌汁を食べて美味しさを知っているからか味噌鍋をしようとも、特に反対意見も忌避感も出ていない模様。
「え、えっと鍋料理と味噌汁は作ったことがあるので問題ないんですが。タラっていうのはどんな魚です? バルトロさんに聞いたらわかりますか?」
「鍋料理に使えそうな海の魚って言ったらわかるよ」
何となくミーナがついてきて欲しそうにしているが、今は厨房まで降りて準備をする気分ではない。別に食材を切って鍋に入れるだけの料理だし、俺が教えながら準備をする必要もないだろう。
シルフォード家のメモ書きを貰ってバルトロが勉強しているみたいだし、タラとか白身魚の区別くらいつくはずだ。
「わかりました。それでは準備してきます!」
◆
「あっ、ミーナがきたわね」
「本当だね」
ミーナが厨房に降りてしばらく。俺がミーナの気配を察知するより数秒早くエリノラ姉さんが反応した。
「ええ? 他にも人はいるのにどうしてミーナって断定できるの?」
「どうしてってミーナの気配だからに決まってるじゃない」
シルヴィオ兄さんの疑問に当然のように答えるエリノラ姉さん。
でも、それはあまりにも感覚的過ぎやしないだろうか。感覚派ではなく、理論派のシルヴィオ兄さんは首を傾げちゃっているよ。
「まあ、足音の癖かな? 人によって歩く時の歩幅やリズムが違うから、それで区別がつくんだよ」
「そ、そうなんだ。でも、姉さんはともかく、普通の生活で足音を聞き分ける必要ってあるの?」
あるんですよ。特にうちでは一秒でも早く相手を察知することが重要だったりする。毎度稽古に連れ出そうとするエリノラ姉さんしかり、小言や雑事をさせようとするエルナ母さん、ノルド父さんから逃げることは必須の技能である。
俺がしみじみと思っていると、ミーナの気配が扉の前までやってきた。
「お待たせしました。お鍋を持ってきました! すいませんが両手が塞がっているので扉を――わっ、扉が勝手に開いて、ありがとうございます!」
ミーナが鍋で両手が塞がっていることは想像できたので、俺はサイキックで扉を開けてあげる。
すると、大きな鍋を持ったミーナが部屋に入ってきた。
俺は端っこにある丸テーブルを引っ張り出して部屋の中央に置き、その上にミーナが鍋敷きを敷いて鍋を置く。
「中の具材はどんなものかしら?」
すると、せっかちな食いしん坊さんが早速蓋を開けた。
鍋の中にはニンジン、ジャガイモ、長ネギ、シメジ、白菜といった野菜が敷き詰められており、その上にはタラの切り身や鶏肉が浮かんでいる。
既にある程度煮込んでいたのか昆布出汁や、タラと鶏から出た旨味の匂いが広がっていた。
「優しい香りだね。味噌を入れなくても美味しそうだね」
「いいえ、ここに味噌を入れた方が絶対に美味しいわよ」
「味噌を入れるだけで香ばしさが爆発ですね!」
シルヴィオ兄さんはどちらかというと薄味が好きだから、この状態の方が好きなのかもしれないね。今度鍋をやる時は昆布出汁だけの鍋にしようと思う。
「では、私は残りの食器を取ってきますので、アルフリート様はこの味噌を溶かしながら魔法で煮込んでくださいね!」
「わかったよ」
二階にワゴンを持ち込むのは難しいからミーナ一人だとどうしても往復するハメになるな。まあ、その代わりちゃんと美味しい味噌鍋を作っておくので許してもらおう。
ミーナが部屋から出ていくのを見送った俺は、サイキックで鍋を浮かしてその下に火球を浮かべる。
後は待機だな。昆布も取り除かれていることから一度沸騰はさせたのだろう。適当に三分くらい煮込んで味噌を溶かしてあげればいい。
「……鍋が宙に浮いて、火にかけられているって不思議な光景だね」
「そうかしら? あたしはもう見慣れた気がするわ」
これこそが便利で正しい魔法の運用方法だ。カセットコンロや魔導具などなくても、魔法さえ使えればどこでも鍋ができる。とても素晴らしいな。
しばらく三人で鍋を見上げながら待っていると、鍋の穴から蒸気が噴き出してくる。
それを頃合いと見た俺は、サイキックで鍋の蓋を開けて、そこに味噌を投入。
ゆっくりと溶かし込みながら煮ていくと、味噌の香ばしい匂いで部屋が満たされた。
もはや冷気など吹き飛ばされるほどの威力。
エリノラ姉さんや、シルヴィオ兄さんもこれには前傾姿勢だ。
さて、もう食べごろだ。後はミーナが食器類を持ってくれば……。
「ああ、凄いです。味噌の香りが廊下にまで漏れていましたよ。ここまで来るのに何度お腹が鳴ったことでしょう」
そう思っていると、ちょうどいいタイミングでミーナが戻ってきた。
ミーナは素早く部屋に入ってくると、人数分の茶碗やフォークをテーブルの上に乗せる。
「それじゃあ、取り分けて」
「任せてください!」




