夏の朝食
「アルフリート様、起きてください」
心地良い感触に身を委ねていると、突然声をかけられて肩を揺すられる。
それにより俺の意識はゆっくりと浮かび上がり、瞼を微かに開ける。
目の前には長い黒髪をした美人メイドのサーラがいた。
「ん? サーラ、なに?」
「朝食の時間ですから起きてください」
頭の回らない中、反射的に尋ねるとサーラが淡々と告げた。
「えー、もうちょっと寝てたっていいじゃん。シルフォード領から旅して屋敷に戻ってきたばかりだよ?」
「そう言って、もう三日が経っていますよ。昨日と一昨日は多めに見ましたけど、今日からはいつも通りの規則正しい生活に戻ってもらいます」
俺が駄々を捏ねるもサーラは無情にも布団を剥ぎ取ってしまう。
相変わらずサーラは少し手厳しい。ミーナなら適当に喋っているだけで煙に撒けるというのに。
そう考えたところで徐々に脳が活性化していき、ふと気付く。
「あれ? 俺昨夜は部屋の鍵をかけたはずなのに……」
今日も思いっきり寝てやろうと、昨夜は部屋の扉にサイキックで鍵をかけて寝たはずだ。
それなのにどうしてサーラが俺の部屋に入ってきているんだ?
「アルフリート様の部屋に行く際は、常にマスターキーを持っていくようにしていますので」
「マスターキーって、緊急の時以外に使わないって言われていたよね?」
そんなにポンポン使われていては、俺のプライバシーがなくなってしまうではないか。そのうちちょっとしたことで、無理矢理開けられるようにならないか心配だ。
「アルフリート様が鍵を閉めて眠るからです」
それもそうだけど、諦めるという選択肢はないのだろうか。
こうなったらマスターキーをどうにかしてやる必要があるな。今度密かに盗って、偽物とすり替えてやろう。
「何を考えているかわかりませんが、皆さんがダイニングルームでお待ちなので起きてください」
「嫌だ。俺はまだここで寝ていたい」
俺がきっぱりと言って背中を向けて寝ると、サーラはこちらに歩み寄ってくる。
ま、まさか、お淑やかなサーラが、エリノラ姉さんみたいに暴力的な起こし方はしないよね?
ちょっと不安に思っていると、サーラは俺の傍を通り過ぎてカーテンを開ける。
それから木窓のロックを解除し、にっこりと笑みを浮かべながら。
「この部屋は随分と涼しいですよね」
「ま、まさか……っ!」
サーラの考えていることがわかってしまい、俺は慌てた声を上げる。
シルフォード家から帰ってきて三日目。八月の下旬であり、まだまだ季節は夏真っ盛りだ。
夏の気温は未だに衰えることを知らず、猛烈な日差しと気温が人々を苦しめている。
そんな中眠ることなど俺には不可能であって、毎日のように氷魔法を使って部屋の温度を下げている。
「部屋が暑くなれば眠るどころではないですよね?」
「や、やめ――」
俺が最後まで言い切ることなく、窓がガラリと開けられてしまう。
外からは虫の鳴き声が響くと共に、熱気を孕んだ空気が室内に侵入してくる。
うっ、開けてから五秒としないうちにムアッとした空気がやってきた。それは氷魔法でヒンヤリとさせた空気を瞬く間に追い払ってしまう。
「こ、これくらい氷魔法の力で……っ!」
俺は熱気に対抗するように氷魔法を発動。俺の周囲に冷気が広がり、窓から入ってくる熱気を押し返す。
「空気は温かくなっても日差しは防げませんよ」
そんな俺の努力を嘲笑うかのようにサーラが告げる。
そう俺のベッドは窓からの朝日が自然と当たるように配置されているのだ。氷魔法で気温を下げようとも、太陽から降り注ぐ日光はどうにもならない。
というか、太陽の日光による暑さにさらされながら、周りの空気だけが涼しいという状況が気持ち悪い。身体の体温調節機能がおかしくなってしまいそうだ。
「くっ! 何という日差しの威力! だけど、そんなものはベッドから降りれば防げる!」
俺は窓から差し込んでくる日光から逃れるようにベッドから降りて影に隠れる。
ふふふ、これで日光に当たらずに快適に過ごせる。
そうほくそ笑んだところで、サーラに腕を掴まれる。
「はい、これでベッドから降りましたね。眠らないのなら朝食にいたしましょう」
「あっ……」
そして、俺はサーラの作戦に嵌ったと理解したのだった。
◆
「おはよう」
「アル! 遅い! 早くいつもの!」
ダイニングルームに入るなり、エリノラ姉さんからの鋭い声が飛んでくる。
その意味を既に理解している俺は、速やかに氷魔法を発動してダイニングルームの温度を下げる。
「あー、涼しい」
「やっぱり夏にアルは必須ね」
ホッとするような表情をしながら呟くエリノラ姉さんとエルナ母さん。
きっと最初の言葉は暑さでイライラしていたのだろうな。人は余裕さえあれば、些細なことで怒ったりはしないもの。これで起きるのが遅いとかでとやかく言われることはなさそうだ。
「僕も風魔法で少しは涼しくできるけど、やっぱり氷魔法には敵わないね」
「なんだかシルヴィオの魔法の考え方がアルに似てきたわね」
「母さんやアルが日常的な部分で魔法を使ったほうが上手くなるって言っていたから」
そうだそうだ。魔法は日常生活を豊かにするためにあるんだ。よって、自分が心地よく過ごせるように努力できる日常場面で使うのは、とてもいい実戦練習だ。
「そうだけど……アルみたいにはならないでね?」
「あはは、さすがにそこまではならないと思うけど」
念を押すように言うエルナ母さんと、苦笑いするシルヴィオ兄さん。
ちょっと人を変な奴呼ばわりはやめて欲しい。
「はぁ……私もうここから出たくありません」
「残念ながら今日はあたしとサーラが給仕だよ。あんたは先に部屋の片づけをしてきな」
「そ、そんな!? メル先輩! 私にも給仕をさせて下さいよ!」
ミーナから仕事を願い出るなんてかなり貴重なシーンだ。しかし、それは冷気の恩恵を得るためであるのが明らかだ。
「給仕に三人もいらないよ。ほら、早く行ってきなさい」
「……はーい」
後ろの方で気持ちよさそうにしていたミーナだが、ワゴンを持って入ってくるメルにしっしと手で追い払われた。
そしてミーナが不貞腐れた様子で廊下に出ると「うわっ! やっぱり廊下は暑いです!」などという声が聞こえてきた。
氷魔法がなければ倒れるほどの暑さではないが、暑いものは暑い。真夏に働くメイドは大変そうだな。
心の中でミーナにエールを送っていると、メルとサーラがワゴンを押してテーブルに料理を並べていく。
テーブルに載ったのは豚しゃぶ、トマトスパゲッティ、コーンスープとパンだ。
ふむふむ、豚しゃぶとは暑い夏でも食べやすいな。
そう思っていると、エリノラ姉さんが不思議そうな声を上げる。
「あれ? 今日のスパゲッティとスープは温かくないわ」
「あら、冷たいわね」
トマトスパゲッティの皿と、コーンスープの皿を持ってみるとヒンヤリとしていた。
「ちょっとアル。なに勝手に冷やしてるのよ?」
「いや、俺じゃないよ」
エリノラ姉さんが見事に誤解しているので、俺はきちんと否定して首を振る。
すると、皿を並べているサーラがクスリと笑いながら、
「それはバルトロさんが氷の魔導具で冷やしたものですよ。夏ですから食べやすいように冷やしてみたそうです」
「そうなのかい?」
「冷たいスパゲッティを食べるのは初めてね。楽しみだわ」
これにはノルド父さんとエルナ母さんも興味津々な模様。
夏になると冷たいものが美味しく感じられるしな。トマトスパゲッティを作ってくれたバルトロはナイスだ。麺ということもあってか、きっとスルリと食べられるに違いない。
それはともかく、一番に俺を疑った姉だ。
俺がジットリとした視線を向けると、エリノラ姉さんはバツが悪そうに呟く。
「……紛らわしいのよ」
「どうして真っ先に俺を疑うかね」
さっき氷魔法で空気を冷やしたとはいえ、いきなり料理を冷やしたりなんかしないぞ。
「それはアルがいつも魔法でズルをするからよ」
むっ、それは否定しきれないものがあるな。
「さてさて、朝食の準備も整ったし食べるとしようか」
ノルド父さんの言う通りだな。今は細かいことは別にいい。目の前にある美味しそうな料理を食べるとしよう。
まずはコーンスープをスプーンですくって口へと運ぶ。
冷たくも濃厚なコーンの味が口の中に染み渡り、喉の奥へとスルリと通っていく。温かい時よりもずっしりと重みがあるように感じられるが、冷たいお陰でそんなことは全然気にならず、むしろいつもよりも濃く味が感じるように思える。
コーンの甘みが凝縮されており、とても美味しい。勝手にスプーンが次から次へと動いてしまう。
「サーラ! コーンスープお代わり!」
「かしこまりました」
俺がコーンスープを夢中になってすくっていると、エリノラ姉さんはもう平らげてしまったらしい。
サーラがお皿を受け取って、ワゴンの中にある鍋からお代わりを注ぐ。
そうだ。別に急いで食べなくてお代わりもあるんだ。じっくりと味わって食べよう。
コーンスープだけじゃなくパンと一緒に食べないと勿体ない。俺はバスケットに入っている温かいパンを千切り、コーンスープに浸して食べる。
パンの柔らかな甘みとコーンスープの甘みが非常にマッチしている。暑いとモソモソしているパンは水分を吸って喉を通りにくいのだが、コーンスープの汁気と冷たさを吸っているお陰で呑み込みやすいな。
「やっぱり夏は冷たいものが食べやすいね」
「ええ、温かいスープもいいけど、冷たいスープもいいわよね」
うんうん、冬は温かい物を。夏には冷たい物を。それが正義だよね。
コーンスープとパンを少し食べると、次は豚しゃぶサラダに手を伸ばす。
こちらは各自で取って、近くにある好きなドレッシングで食べるという形式だ。自分の分を取り分けた俺は、手元にある胡麻ドレッシングに浸して食べる。
うん、胡麻ドレッシングの甘みと豚肉の味が合うな。朝からハンバーグなど持ってこられると重いが、さっぱりとした豚しゃぶであれば気楽に食べられる。
俺は豚しゃぶをキャベツに巻いて食べると、キャベツの甘みと瑞々しさも広がり、さらに食べやすいな。
口の中をサラダでさっぱりさせると、メインである冷製トマトスパゲッティだ。
トマトだけでなく、ナスやキュウリといった夏野菜が乗っており、その上に生ハムとチーズが乗っている。彩りはとても鮮やかで美味しそうだ。
俺はフォークで軽く混ぜてから麺を巻き取って食べる。
口の中に冷たさとトマトの酸味が広がる。噛めばシャキシャキとしたキュウリの感触とナスの甘みが漏れ出し、それが見事にトマトソースの酸味と混ざり合う。
ああ、これまた夏には堪らない一品だ。ただ冷たいだけじゃなくて村の新鮮な野菜が使われており栄養価も高い。夏にぴったりな食事だな。
それにトマトと野菜の相性だけでなく、この生ハムとチーズの相性もいい。
生ハムとチーズと食べるもよし、野菜と生ハムと食べるもよし、チーズと麺を絡めて食べるもよしとバリエーションも豊富だ。
「冷たいスパゲッティも美味しいんだね」
「あたし、冷たい方が好きかも!」
「そうね。冷たくても全然美味しいのね」
これにはシルヴィオ兄さんとエリノラ姉さん、エルナ母さんも大喜びの模様。
温かくしても冷たくしても美味しい食べ物というのは凄いものだ。
「冬になったら逆のことを言っているかもしれないね」
「その時はその時よ。冬は冬で温かいものを食べるだけよ」
エルナ母さんの言葉にノルド父さんが朗らかに笑う。
まあ、人間というのは調子のいい生き物なのでしょうがないよね。




