夕食前の団欒
「……もう少しすれば夕食だ。時間になればラルゴが呼びにいくから、それまでは部屋でゆっくりとしてるといい」
お風呂から上がると、エリックがどこかやつれた表情でそう告げる。
「エリックは?」
「……俺は少し自分の部屋で休む」
エリックは力のない声でそう言うと、トボトボと疲れの滲み出る足取りで廊下を歩いていった。
「……お風呂に入ったことで疲れが出たのかな?」
「いや、アルがトラウマを刺激しちゃったからだよ」
俺のしょうもないボケにも突っ込んでくれるなんてシルヴィオ兄さんは律儀だな。
でも、さっきの出来事のお陰でエリックの弱みを握ることができたな。これでエリックと勝負になった時、こちらが有利に動くことができるな。
「……アル、すごく悪い顔をしているよ?」
「そんなことはないよ、シルヴィオ兄さん。それよりもエリックの言う通り、俺達も休憩しに部屋に戻ろう」
「エリック君をあんまりいじめないようにね」
失礼な。俺はいじめっ子じゃないんだから。
◆
「「ただいまー」」
「「おかえりなさい」」
俺達に割り振られた大部屋に戻ると、エルナ母さん、ノルド父さん、エリノラ姉さんが揃って返事をする。
エルナ母さんは窓際に立って海を眺めており、ノルド父さんはソファーに座ってゆったりと読書。エリノラ姉さんは、カーペットの上に防具などを広げて手入れをしている。
皆が夕食までの時間を思い思いに過ごしているようだ。
いいなあ、このまったりとした空気感。
旅行をしている時というのは、仕事人であっても大抵が仕事をできない。
パソコンやネットなどが普及していた前世はともかく、この世界にはそのような通信手段がないために仕事場を離れると基本的に何もできないのだ。
お陰でいつも領主の仕事に追われているノルド父さんも完璧にオフモード。今は解放感に満ち溢れた表情をしている。
こういった俗世からの解放感というのは、前世では失われたものなのだろうな。例え休日であってもメール対応を強要されたり、電話がかかってきたり。果てしてそれは休日と呼べるのだろうか。便利な世界も考えものである。
まあ、そんな前世も転生した今では関係ない。
今は心のままに、このゆっくりとした時間を堪能するだけさ。
俺とシルヴィオ兄さんは、ひとまず休憩するためにソファーへと移動する。
「おや? アルとシルヴィオはすっかり肌が焼けたね」
「あら、本当ね。特にシルヴィオは肌が赤くなっているわ」
どうやら俺達の肌の変化は一目でわかるほどらしい。
窓際から海を眺めていたエルナ母さんも優しく微笑みながら言う。
そうやって窓際で微笑んでいると深窓の令嬢のようだ。窓から差し込む夕日と海風によって髪がたなびく姿はとても絵になる。
「肌が強いアルはともかく、シルヴィオは明日からクリームを塗って帽子を被らせた方がいいわね」
エルナ母さんは俺とシルヴィオ兄さんを見比べると、移動して自分のカバンを漁りだす。
「ん? クリームってなに?」
「日焼けを防止させるクリームよ」
「え? 何それ? そんなものがあるなら俺も使いたいんだけど」
そんな便利なクリームがあるのならば俺だって使いたい。
毎年使っていたのだろうか。存在自体初めて知った。
「アルは肌が強いから必要ないでしょ? いつも使っていないし。それにこのクリームは高級品で中々手に入らないんだから」
そう言ってエルナ母さんがポーチから琥珀色のクリームの入った瓶を取り出す。そして蓋を開けるとフルーティーな匂いが漂いだした。
とてもいい香りだ。薬効成分などが入っているのだとは思うが、使う人に配慮して香りづけもしているのだろう。
俺がそんな感想を抱いていると、エルナ母さんが蓋を閉めて瓶を直した。
どうやら俺に高級感を理解させるためだけに出したらしい。
「道理でエリノラ姉さんやエルナ母さんが毎年日焼けしない訳だよ」
「私はともかく、エリノラにはもう使わせていないわ」
「え? 何で?」
エルナ母さんなら、エリノラ姉さんの女子力を維持させるために絶対に塗らせるはずだ。
それを使わせていないなんておかしい。
「だって、あの子はあまり日焼けしないし、日焼け止めすら無駄になるほど外にいるんだもの」
「「ああー」」
エルナ母さんの言葉に俺とシルヴィオ兄さんは納得の声を上げる。
思わずエリノラ姉さんの方を見ると真剣な表情で革の防具を磨いていた。
その肌を凝視してみるとまったく日焼けてしていなかった。いつも通りに白いままである。
今日一日外に出て、海で銛突きなどをしていたのにおかしいと思う。
「我が娘ながら羨ましいくらいの肌の綺麗さね」
「まあ、エリノラ姉さんはまだ若いから――」
エルナ母さんの羨むような声に何気なく答えると、突然身体に悪寒が走った。
「……ということは、私はもう若くないのかしら?」
地獄の底から響くような声。
心臓を直接掴まれているような感覚に陥り、上手く空気を吸うことができない。
夏であるというのに部屋の空気はとても冷たく感じられ、漂う緊張感で肌がひりつく。
家族の誰もが無言になり、部屋にはエリノラ姉さんが革鎧を磨く音だけが聞こえていた。
どうしよう? 先程の言葉を覆せるような言葉が見つからない。捻り出せ、捻り出すんだ。あらゆる耳障りのいい言葉と世辞で、この絶体絶命のピンチを乗り越えるんだ。
脳みそを回転させろ。まずは俺が放ってしまった言葉の整理だ。
『我が娘ながら羨ましいくらいの肌の綺麗さね』
『まあ、エリノラ姉さんはまだ若いから――』
『……ということは、私はもう若くないのかしら?』
……無理なんじゃないかな? もう、どう取り繕ってもエルナ母さんが老けているという意味合いにしかとられない。
これには数多のおべっかで乗り越えてきた俺もどうしようもない。口から出してしまった言葉というのは、どうして戻せないものなのだろうか。
ヤバい。ヤバいぞ。このまま無言でいるのも肯定しているようなものだ。
な、何か喋らなくては。そうとわかっているのだが得体の知れない圧迫感と緊張感で喉が動かない。
そ、そうだ。ここはシルヴィオ兄さんにパスを振ってやろう。
「シ――」
「姉さん、防具の手入れをするのもいいけど、もうちょっとしっかり髪の毛を拭いた方がいいよ? まだ湿ってるから」
「こんなの拭いても拭いてもキリないわ。このままでいいわよ」
「ダメだよ。綺麗な髪なんだから。今、僕が拭いてあげるから」
この野郎! わざわざエリノラ姉さんに声をかけ、タオルで拭いてあげるという行動までして無関心を装うか! 弟のピンチだというのに酷いではないか。
「シ――何かしら?」
「…………」
エルナ母さんが話しかけてくるが何も答えられない。
俺、夕食を食べることができるのかな?
「もしかしてシワが増えたとか――」
「そんなことはないよ。エルナの肌はこんなにも綺麗じゃないか。それは毎日見ている僕が保証するよ」
俺が半ば諦めたように心の中で現実逃避していると、突然ノルド父さんが立ち上がりながら言った。
「まあ、そんなことを言われると照れるわ」
「ちょっとほっぺを触っていいかい?」
「もう、しょうがないわね」
さりげなくエルナ母さんの傍によって、俺をエルナ母さんの視界から隠すノルド父さん。
正直言って、今ほどノルド父さんを尊敬した瞬間はない。できる夫は、息子の粗相すらも打ち消してしまうのか。
俺はノルド父さんの勇気に戦慄を覚えながら、気配を消してそれとなく移動する。
また下手に目立って先程の話を蒸し返されたらどうしようもないからな。
そうやって息を潜めるように過ごすこと数分。扉がコンコンとノックされた。
ノルド父さんが返事をすると静かに扉が開いてラルゴが入り、一礼をする。
「皆様方、お待たせしました。夕食の用意が整いましたので、ご案内いたします」
「わかった。それじゃあ、夕食にしようか」
「そうね。私もお腹が空いたわ。海の幸の料理が楽しみだわ」
どうやら夕食の時間らしい。これには無言で防具を磨いていたエリノラ姉さんも我に返り、スッと立ち上
がった。
相変わらず都合のいい台詞だけは聞こえているようだ。
夕食のダイニングルームに移動する流れになったので、窓から海を眺めていたシルヴィオ兄さんと端っこでジッとしていた俺も部屋から移動する。
ラルゴが先頭を歩き、ノルド父さんとエルナ母さんが腕を組み合って歩き、俺達子供がそれに続く。
エルナ母さんとノルド父さん、仲が良さそうだなぁ。それにしても良かった。エルナ母さんが機嫌を直してくれて。ノルド父さんがフォローしなければどうなっていたか。
俺が胸を撫でおろすようにホッと息を吐くと、シルヴィオ兄さんが小声で言ってくる。
「良かったねアル。父さんに助けてもらえて」
「……エリノラ姉さんの方に逃げておいてよくそんな台詞が言えるね?」
「それはアルが悪い笑みを浮かべながらこっちを見るからだよ。さすがにアレには僕も巻き込まれたくないから」
「元はと言えば、アルが余計なことを言うから悪いのよ」
うぐっ、エリノラ姉さんの言葉が正しすぎて何も言い返せない。ちょっと屈辱だ。
「まあ、次は母さんも待ちに待った海鮮料理だし、それを食べれば忘れちゃうよ」
シルヴィオ兄さんが励ますようにそう言ってくるが、俺にはそれだけで女性が物事を忘れるようには思えない。
女性というのは都合の悪かったことをいつまでも覚えている傾向が強いからな。
俺がそんなことを考えながら歩いていると、不意にノルド父さんと腕を組んでいたエルナ母さんがチラリと振り返る。
『次はないわよ?』
小さく口の形を変えてそう言っていた気がいた。
ほら、やっぱり目先の料理だけじゃ許しちゃくれない。今回はノルド父さんに免じて許してやったってところか……。
明日の稽古はノルド父さんのために、ちょっとだけ頑張ってもいいかなって思った。




