湖畔で休憩
ロウさんが馬車の休憩場所に選んだのは、綺麗な湖とそれを囲うように木々が広がっている湖畔だ。
そこに馬車を停めた俺達は、そこで再びの休憩をとる。
足の痺れが治まったエルナ母さんと共に馬車を降りて、綺麗な湖へと歩いていく。
背の高い木々と生い茂った葉っぱのお陰で湖の近くは影が多い。そのお陰か平原よりもずっと涼やかだ。
辺りに響く鳥の鳴き声、微かに聞こえる水の音などを楽しみながら足を進める。
湖の傍にやって来ると、やはり遠目に見るよりもやはり大きく感じられる。
水面にはいくつもの木々が映り込み、風が凪ぐ度にスーッと波紋が広がっていく。
水はとても澄んでいて浅い場所だと底が見えるほど。そこには小さな川魚が泳いでおり、見ているだけで面白い。
辺りには虫がいるのかキーキーというような鳴き声が聞こえる。
倒木には大きな白い鳥が佇んでおり、生物がたくさん集まる場所だということが伺える。
「いい場所ね」
「そうだねー」
俺とエルナ母さんは多くを語らずに、じっと佇んで自然を満喫する。
平原で休憩をした時は稽古やら昼食の準備やらと、ゆっくりとした時間を過ごすことができなかったからな。今回の休憩ではこうやってのんびりとするのだ。
エルナ母さんが遠くの景色を眺める中、俺は水面近くでしゃがみ込む。
浅いところでは小さな魚がチョロチョロと動き回っている。
身体をくねらせ、ヒレを使って優雅に泳ぐその姿は見ているだけで惚れ惚れとする。
しばらく無心で小魚を見つめていると、転がっている石の下からザリガニみたいな甲殻を纏った生き物がゆっくりと這い出てきた。
ザリガニもどきは砂と石に同化するような砂色をしている。ぱっと見では俺も気付かない程の擬態力だ。
ザリガニもどきは何をするでもなくジーっと石の傍で佇む。ただ、頭から伸びている触覚だけは常に小魚の方だけを向いていた。
恐らくチョロチョロと泳ぐ小魚を待ち構えているのだろう。
それに気付かず小魚は動き回り、好奇心のままにザリガニもどきのいる石の方へと近付いていってしまう。
「……このままじゃ、シグルグに捕まりそうね」
いつの間にか隣でしゃがみ込んでいたらしいエルナ母さんがポツリと呟く。
どうやらこのザリガニもどきはシグルグというらしい。結構カッコいい名前だなと思っている間にも、小魚はゆっくりと石へと泳いでいく。
その悠々たる泳ぎっぷりからして、近くに天敵がいることなどまるで気付いていないのだろう。
「どうなるかしら?」
「小魚はシグルグに気付いてないけど、案外スルッと方向転換して逃げるかもよ?」
「確かにそれもあり得るわね。この魚の目はどこかアルと似ている感じがするし、行動が読めないわ」
「俺はこんなに間抜けそうな目をしていないよ」
こんな間抜けそうな目をしている魚と似ているとは心外だ。
「私はシグルグに捕まるに一票ね」
「じゃあ、俺は逃げるで」
俺とエルナ母さんはそう言い合うと、小魚の運命をじーっと見守る。
俺とエルナ母さんとシグルグの視線に特に気付いた様子のない小魚は、そのまま石の傍を通――
「母さん! もう一回稽古よ!」
通ろうとしたところで、エリノラ姉さんが後ろから大きな声をかけてきた。
エリノラ姉さんのよく通る声は水面に波紋を響かせ、石の傍を通ろうとした小魚が驚いて離れていった。
「「…………」」
おお、まさかこのような結果になるとは。
俺は目を丸くしつつも、ニヤリと笑みを浮かべる。
「俺の勝ちだね」
「今のは第三者からの妨害が入ったから無効よ。あのままいけば小魚はシグルグに捕まっていたんだから」
「仮定は意味がないよ。結果として小魚は逃げたんだから俺の予想の当たり」
「やり直しを要求するわ。こんなの認められな――」
「母さん! 稽古!」
俺とエルナ母さんの会話を遮るように、エリノラ姉さんが大きめの声を出す。
さすがにエルナ母さんもエリノラ姉さんを無視できないと感じたのか、億劫そうに振り返る。
「嫌よ。休憩の度に稽古ばかりしていたら身体が休まらないじゃない。ねえ、アル?」
「まったくです、母上」
やれやれといった風のエルナ母さんの言葉に、俺は心の底から同意する。
エルナ母さんと俺の言葉に、エリノラ姉さんは表情をひくつかせながらも言葉を呑み込む。
今は休憩をする時間であって、身体を動かす時間ではない。
ここでゆっくりと身も心も休め、気分転換を図り、過酷な馬車の旅を乗り切るのである。
休憩時間に激しい稽古などをして体力や精神を披露させては意味がない。
エルナ母さんも俺と同じような考えをしているのか、エリノラ姉さんの頼みを受ける素振りをまったく見せない。
「ねえ、一回でいいから」
「ダメよ。休憩時間なんだからエリノラも身体を休めておきなさい」
エリノラ姉さんが珍しく下手に出るが、エルナ母さんは素っ気なく答えて、視線を水面へと戻す。
エリノラ姉さんは自信満々でいながらエルナ母さんに格差を見せつけられる形で敗北した。
それも王都で騎士団の演習に混ざり、実力のアップを果たしながらもだ。
ノルド父さん以外にも身近な強者がいたとなっては放っておけないのが戦闘狂であるエリノラ姉さん。
その視線はいつもよりも遥かに尊敬の念が出ているように思える。
「……ねえ」
「ダメよ」
「稽古」
「ダメったらダメ」
「もう! これだから母さんとアルはダメなのよ!」
「ダメとは何よ」
「ダメとは何だ」
失礼じゃないか。エルナ母さんだけならまだしも、しれっと俺まで混ぜないで欲しい。
俺とエルナ母さんは気分を害しながらも、気をとり直して石の傍に佇むシグルグを眺める。
彼には俺達の様子がどのように見えているのか。どのような事を思っているのか気になるな。たまに虫や動物、魔物の声などを聞いてみたいなと思う最近だ。でも、聞こえたら聞こえたらでうるさそうだなぁ。
ボーっとそんな事を思っていると、エリノラ姉さんが表情を難しくしているのが見えた。
どうすればエルナ母さんに稽古をつけてもらえるのか考えている模様だ。
エリノラ姉さんがどのような言葉でエルナ母さんを動かそうとするか少し気になる。
チラリと様子を伺っていると、エリノラ姉さんは思いついたように言う。
「あたし、もっとカッコいい母さんが見たいわ!」
「ちょっとエリノラは普段の私をどう思っているわけ? さっきのダメという発言といい見逃せないわ」
エリノラ姉さんの言葉が見逃せなかったのかエルナ母さんが不満げな表情をしながら立ち上がる。
おや? エルナ母さんにしては素直に動いたな。エリノラ姉さんのあれしきの言葉で動くとは思っていなかったのだが。
やはりエルナ母さんにとって、母親の威厳というのは大事なのだろうか。
俺が疑問に思っていると、エルナ母さんが表情を引き締めながら言う。
「稽古よ」
「わかったわ! じゃあ、あっちの方に行こ――」
満面の笑顔を浮かべながらエルナ母さんの腕を引くエリノラ姉さんだが、次の言葉を聞いて表情が固まる。
「ただし、魔法のね」
「……えっ?」
「昼食の時も薪に火を点けるだけでどれだけ時間がかかっているのよ。いくつも薪を灰にしちゃって……」
「か、母さん? あたしがやりたいのは剣の稽古なんだけど……」
「そんなのだからエリノラはダメなのよ」
「だ、ダメって」
困惑しながら口答えをするエリノラ姉さんの様子を見て、エルナ母さんは大きくため息を吐く。
ここでエリノラ姉さんがさっき言った台詞で皮肉ってくる辺りが、性格の良さを表しているといってもいいだろう。
「いい加減エリノラはもう少し魔法に目を向けるべきだわ」
説教臭い台詞になったからだろうか。嫌な空気を察したエリノラ姉さんがこっそりと腕を解いて逃げようとするが、今度はエルナ母さんの方が捕まえてくる。
「どこに行くのよエリノラ?」
「ちょ、ちょっとあっちの方で休憩しようかなーって!」
「何を言ってるのよ、稽古をするんでしょ? ほら、ここにはちょうどよく水もたくさんあるから思う存分に火魔法が使えるわよ。それに私の本業は魔法使い。つまり魔法を使う時が一番カッコイイのよ? 母
親のカッコいい姿をエリノラは見たいんでしょ?」
エルナ母さんによる怒涛の言葉とプレッシャーにエリノラ姉さんはコクコクと頷くことしか出来なかった。
迂闊な言葉でエルナ母さんを動かそうとするからそうなるんだよ。
ぐいぐいとエルナ母さんに引っ張られていくエリノラ姉さんを俺は助けることなく見送った。




