母性
和やかに昼食を食べ終えると旅を再開だ。速やかに片付けを終わらせると俺達は馬車へと乗り込む。
最初と同じ窓際の定位置に座ると、思わずホッと息を吐いてしまう。
眺めのいい草原に家族皆でやってきて美味しいご飯を食べた。
……もうそれで十分ではないか。
「さあ、屋敷に帰ろうか」
「何を言っているんだいアル。ピクニックじゃないんだから帰らないよ」
俺が満足げな表情で言うと、ノルド父さんが呆れの表情を浮かべながら右隣に座ってきた。
「そうよ。これから海鮮料理を食べに行くのよ? 今帰ったら意味がないわ」
「いや、エルナ。それも微妙に違うから」
澄ました表情をしながら俺の左隣に座るエルナ母さんに突っ込むノルド父さん。
いつもなら嬉々としてエルナ母さんも俺に同意してくれたであろう。
しかし、今回は新鮮な海の幸が食べられるとあってか、目的は違えどノルド父さんの意見に同意らしい。
くそ、裏切り者め。
「シルフォード領で合同稽古をするんだから帰るなんて論外よ」
「それはエリノラ姉さんの目的だから」
俺は友好を深めに行くだけだ。
さも、合同稽古をしに行くのが目的などというものにすげ変えないでほしい。
「でも、アルも参加するのよ? だったら目的の一つじゃない」
「確かにそうでもあるけど、俺にはエリックと友好を深めるという優先すべき目的があるから」
「だったら尚更剣の稽古が手っ取り早いじゃない」
友好を深めるというのに、どうして剣を打ち合わせなければいけないのか。
あれかな? 戦うのが大好きな人だけが伝わり合うような感じかな? 残念ながら俺とエリックはそのような野蛮な関係ではない。
「剣を打ち合わせれば友好が深まるみたいな脳筋と一緒にしないでよ」
「それもそうね。アルとエリックはトングじゃないとダメだったもんね」
ため息を吐きながら否定すると、エリノラ姉さんが神妙な顔つきで言ってくる。
なんだその俺とエリックの事を理解してあげているみたいな顔は……。
「そういうわけじゃないから」
「でも、アルとエリック君はトングを交えたから仲良くなったのでしょ? 私はアルがそう言っていたのを聞いたわ」
「…………」
エリノラ姉さんの言葉を否定していると、エルナ母さんが横から口を挟み込んでくる。
まさかの俺自身が脳筋説。先程の言葉がブーメランとなって俺の心に突き刺さる。
これには俺も何も答えることができずに口を閉ざしてしまう。
過去の言葉を今さら持ち込むなんて質が悪い。
そしてそれが相手の心を的確に射貫くものだから余計にだ。
女性二人が相手となると厳しいな。ここは下手にもがかずに黙秘権を行使するか。
エリノラ姉さんとエルナ母さんから小馬鹿にするような視線を向けられるも、俺は気にせずにシルヴィオ兄さんの方に顔を向ける。
二人から「逃げた」などの言葉が漏れるが気にしない。これは傷を浅くするための戦略的撤退なのだ。
「シルヴィオ兄さんは何を目的にしてるの?」
俺が尋ねると、シルヴィオ兄さんは状況を理解しているのか苦笑いしながら律義に答えてくれる。
「僕は船に乗って海を見ることかな」
「いいねー、船から見る海の景色」
シルヴィオ兄さんのほっこりするような目的に、俺の心も思わず和む。
そうそう、こういうのんびりとした事が目的でいいんだよ。別に剣など交えなくても、普通に過ごしているだけで友好は深まるって。
「それじゃあ、出発しますよー!」
俺とシルヴィオ兄さんは、この先待ち受ける稽古があると理解しながらも現実逃避するように和やかな海の話をし続けた。
◆
ゴトゴトと揺れる一定の間隔が不意に途切れる。それにより底に沈んでいた意識が不意に浮上した。
ゆっくりと目を開けると、馬車の天井と丸みを帯びた謎の物体が見えた。それに妙に頭の下が柔らかいし、いい匂いがする。それは嗅ぎなれたもので安心できるものだ。
現在の状況はよくわからないが、とても居心地がいいので再び瞼を閉じよう。
そう思ってゆっくりと意識を沈めようとすると、身体を揺すぶられた。
「アル、休憩よ。起きなさい」
再び目を開けると、謎の物体の奥にエルナ母さんの顔があって、こちらを見下ろしていた。
ん? おかしな状況だと思ったが、軽く身動ぎをすると頭の下に太ももがあることに気付いた。
「……エルナ母さんが膝枕をしてくれたんだね」
ということは謎の物体はエルナ母さんの胸か。下から見ると視界を覆うほどにあるので一瞬何かわからなかった。エリノラ姉さんとの格差が酷い。
「私の膝枕は寝心地が良かったかしら?」
「うん、よかったよ」
柔和な笑みを浮かべながら聞いてくるエルナ母さんに素直に返事をする。
それくらいエルナ母さんの膝枕は居心地が良かった。スライムクッションも中々のものだけど、やはり母親の膝枕には敵わないな。膝枕に優しい笑顔。今日はエルナ母さんの母性が強く感じられる。
「そう。じゃあ、休憩が終わったら今度は私がしてもらおうかしら?」
「えっ? いや、エルナ母さんはデカいし、俺みたいに横になるのはキツイ――」
「デカいってどういう事かしら?」
笑顔で俺の頭にアイアンクローをしてくるエルナ母さん。
先程と同じくらい優しい表情のはずなのに凄みを感じてしまう。
「す、すいません! ちょ、ちょっと頭が痛いです! 中身が出そう!」
俺の頭からギリギリギリと締まるような音が聞こえてくる。
あまりの痛さに悲鳴を上げると、エルナ母さんは気が済んだのか手を緩めた。
だけど、決して頭から手を離さない辺りが用心深い。
「アルはもうちょっと女性に対する言葉を選ぶべきよ」
「……以後気をつけます」
前世の学校では、なぜ女性を怒らせないための言葉遣いや選び方を教えてくれなかったのであろう。敬語や謙譲語などを教えてくれるのであれば、そのような言葉も一緒に教えてくれれば良かったのに。そうすれば前世でも今でも苦労することはなかったのになぁ。
俺がぼんやりとそんな事を考えていると、エルナ母さんがポンポンと肩を叩く。
「ほら、そろそろ起きなさい。アルを膝枕するためにずっと座っていたから私も休憩がしたいわ」
ふと、周りを見ると馬車の中には誰もおらず、遠くからエリノラ姉さんの声がする。
どうやら俺がここでまどろんでいる間に全員外に出たようだ。
馬車は扉が開いており、そこからは新鮮な空気が流れ込んでくる。
遠くには綺麗な湖があり、エリノラ姉さんとシルヴィオ兄さんが仲良くそれを眺めているよう。
「……んー、もう少しここにいたらダメ?」
エルナ母さんの膝枕は居心地がいい。柔らかいし高さもちょうど良いので、ここから外の景色を眺めていたい。
俺が上目遣いに尋ねると、エルナ母さんが難しい顔をする。
「…………じっとしているならいいわよ」
俺の膝枕をするためにずっと座っていたので、エルナ母さんも休憩をしたいのはわかる。
わかるが、何故かその言葉と表情は苦渋の決断をしたような感じだ。
それほどまでにエルナ母さんは疲れていたのか?
俺はエルナ母さんの表情をよく見ようと、太ももの上で身体を動かす。
すると、エルナ母さんの身体がビクリと跳ね、「ひっ!」と悲鳴のような声を上げる。
エルナ母さんの奇行を疑問に思っていると、ガッとアイアンクローが飛んできて俺の頭が固定された。力は入っていないので痛くはないが、速さと勢いが凄くて驚く。
「え、エルナ母さん?」
「じっとしていてって言ったわよね?」
「えっ?」
おずおずと声をかけると、エルナ母さんから真剣味のある声が聞こえてくる。
微かに見える表情は何かに堪えているよう。
どこかで見たことがある表情だ。具体的にはカグラで。
試しにエルナ母さんの太ももをちょっと指で突くと、「いっ!」という苦悶の声が漏れた。
「ははん? エルナ母さんってば、足が痺れたんだ――いだだだだだだだ!?」
へらへらと笑いながら言うと、エルナ母さんの指の力が強まり頭にキリリとした痛みが走る。
さっきの二倍は痛い! これはヤバいやつだ!
痛みにしばらく悶えていると、不意に指の力が弱まる。
「少しジッとしていて。それからゆっくりと頭を上げるのよ? わかった?」
「……はい」
エルナ母さんの凄みのある声に俺は素直に返事をする。
もはや、母性に溢れるエルナ母さんはどこにもいなかった。




