エルナ母さんの実力
草原にてエリノラ姉さんとエルナ母さんが十メートルほど距離を空けて向かい合う。
それを俺達男性陣は心配げな面持ちで眺めていた。
エリノラ姉さんはいつもの稽古服に身を包み、木剣を手の平に握っている。
相対するエルナ母さんはワンピース姿で自分の身長ほどの長さのある杖を持っている。
魔物や鉱石の素材を使っているのだろうか? よくわからない材質であり、しなやかな線を描くような形をしており、先端部分には大きな水晶をつけていた。
恐らく魔物の魔石などを利用して、魔力効率のアップや魔力強化という恩恵が得られるのだろうな。だから世の中にいる魔法使いは杖を使っているのだ。
俺は早々魔法を連続して使うこともないし、魔力も多い方なので特に持っていない。
けれど、エルナ母さんがああして持っている姿を見ると、俺も一本くらいカッコいい杖が欲しいと思うな。
「母さんが杖を持っている姿を初めて見たね」
「本当だね」
シルヴィオ兄さんの言葉とまったく同じ思いを抱いていたので、俺はただただ肯定して頷くしかできなかった。
「ノルド父さんもエルナ母さんが杖を持つ姿を見るのは久し振りなの?」
「そうだね。最近はエルナが本気になって魔法を使うような事はなかったからね。とは言っても、今回は棒術のためだけに使うんだけどね」
俺が尋ねると、どこか遠いような目をして答えるノルド父さん。
昔の事を思い出しているのだろうか。
エルナ母さんの貴重な昔の話を聞けるチャンスだと思ったので、黙って待っていると期待に応えてかノルド父さんが苦笑しながら言う。
「冒険者を引退してもアルやシルヴィオが産まれる前までは結構杖を握っていたんだよ? ここの領地にやってきた時は、多くの凶暴な魔物がいたし盗賊もいくつか点在していたからね。エルナと共に住みやすくしようと頑張ったものだよ」
「ええっ!? この村にも凶暴な魔物がいたの!?」
「それに盗賊も!?」
ノルド父さんの言葉に俺とシルヴィオ兄さんが驚きの声を上げる。
「勿論いたさ。スロウレット領は王国の端っこで人も少なかったからね。魔物や盗賊が多かったさ」
俺達の反応が面白いのかノルド父さんがクスッと笑いながら言う。
今のコリアット村周辺の地域と言えば、凶暴な魔物などほとんど存在しない。元からそういう土地なんだと思っていたが、どうやら違ったようだ。
「昔は多くの魔物がいたんだ」
「今の平和な生活があるのは、父さんと母さんが頑張ったお陰なんだね」
俺とシルヴィオ兄さんが感心したように言うと、ノルド父さんは「あはは、ありがとう」と苦笑気味に笑った。
何だろう? 今のノルド父さんの表情は、王都で貴族達からドラゴンスレイヤーの武勇伝について褒められた時と同じ気がする。
褒められるのは嬉しいけど、実は恥ずかしい実際の事情や過去があったりして素直に喜べない。そんな事情があるような気がする。
「ねえ、ノルド父さん。今の話を改めて詳しく教えて――」
「ほら、もうすぐ稽古が始まるよ!」
俺がもっと詳しく聞き出そうとすると、ノルド父さんが言葉を被せるように大きな声で言った。
やっぱり何かあるな? 俺の勘がそこを突けば面白い情報があると告げている。
しかし、今尋ねても言ってくれないだろうな。ここは機会を改めて情報を集めよう。この村の成り立ちの書物とかが屋敷にあるかもしれないし、村長とか昔話を知っているかもしれないからな。
新たな楽しみが増えた俺は、敢えてノルド父さんの言うように意識を二人へと戻してあげる。
「……母さん、着替えなくていいの?」
「ええ、私はこれで大丈夫よ。というか私の稽古服なんてないもの」
エルナ母さんの今の姿は私服。さすがにカーディガンをかけてはいないが、これから稽古をするには不適切な格好だと言えるだろう。
「別にいいけど、服を汚したとか言って怒らないでよね」
「その心配はないから大丈夫よ」
「…………」
エリノラ姉さんの言葉に余裕の笑みを浮かべながら答えるエルナ母さん。
エリノラ姉さん程度が相手ならば、服を汚されることもない。そう言っているのだろう。
俺やトールの罵り合いが可愛く見えるな。相変わらず女性の罵り合いはしれっと毒を混ぜてくるので怖い。
「そ、それでは準備はいいですか!?」
張り詰めるような空気に堪えられなくなったのだろう。開始の合図を務めるミーナが上ずった声を上げる。
「ええ、いいわ」
「私も大丈夫よ」
エリノラ姉さんは正面で剣を構えるが、エルナ母さんは構えもしない。ただ右手に杖を持って立っているだけだ。
それを見てエリノラ姉さんは怪訝そうな表情を浮かべるも、気にしないことにしたのか表情を真剣なものへと変える。
「本当にエルナ母さんは大丈夫なの? 止めるなら今だと思うけど……」
普段からエリノラ姉さんの理不尽な実力を味わっている俺からするとやはり心配になる。いくらドラゴンスレイヤーと同じパーティーだからといって、ノルド父さんの教えを受けた純粋な剣士にエルナ母さんが勝つことは難しいのではないだろうか?
「大丈夫だよ。エルナがエリノラに負けることはないから」
二人を止めるなら今が最後。そういう意味を越えて尋ねたのだが、ノルド父さんはにっこりと笑うのみ。
それを見た俺は、もうどうにでもなれという気持ちで傍観することに決めた。
緊張感漂う重苦しい空気がこちらにまで流れてくる。
「では、始めです!」
ミーナが開始の声を上げると、エリノラ姉さんの姿が描き消えた。
そして次の瞬間。エリノラ姉さんがエルナ母さんの傍をゴロゴロと転がっていた。
エルナ母さんは少し位置を変えただけでこれといった動作はしていない。
「……えっ? 何で?」
草原の上を寝転がったままエリノラ姉さんが間の抜けた声を上げる。
何が起きたのかわからないといった表情だ。
「あら、もう終わりなの? これじゃあ身体を動かしたことにもならないわね」
「――っ!? もう一回!」
エルナ母さんの言葉を聞いて我に返ったのだろう。エリノラ姉さんが素早く立ち上がって剣を構える。
「さっきは何が起こったの?」
「んー、アルならわかるかい」
「何となく? もう一回見ればちゃんとわかると思う」
首を傾げるシルヴィオ兄さんと鷹揚に頷くノルド父さん。
次の動きをきちんと俺が見て、回答をしてみなさいということらしい。
先程より注意深く視線を向けると、エリノラ姉さんが体内で魔力を循環させている。
王都の騎士団との演習で身体強化を磨いたのか、以前に比べて魔力の流れはスムーズだ。
魔力が全身を包み込み、安定させた瞬間にエリノラ姉さんは魔力を爆発させるように疾駆。
それと同時にエルナ母さんは、道を歩くように一歩進み、長い杖を差し出すように伸ばす。
すると、そこへと吸い寄せられるようにエリノラ姉さんが突進。
杖に足をかけられたエリノラ姉さんは、先ほど同じように草原の上を転がった。
「魔力の流れで接近してくるタイミングが完璧に掴まれているね」
「その通り。やっぱりアルは魔力に対する感覚が鋭いね。普通の魔法使いだとまず気付かないようなことなんだけど」
そうなの? 普段から魔法を使い、身近に魔力を感じていれば、他人がどのように魔力を使っているかもわかると思うんだけど……。
「どういうこと?」
俺とノルド父さんが話していると、状況を理解できていないシルヴィオ兄さんが尋ねてくる。
「エリノラは魔力による身体強化でエルナに接近した。ここまではわかるかな?」
「えっ? そうなの? 道理でいつもより速いと思ったよ」
確かめるように言うノルド父さんの言葉にシルヴィオ兄さんが驚く。
ふざけているようにも思えるが、シルヴィオ兄さんは至って真面目だ。
エリノラ姉さんの動きが速すぎるのはいつものことだからな。普段から稽古で理不尽さを身に染みてわかっている俺達からすれば仕方のないこと。
魔力の知覚による身体強化がわからなければ「ああ、エリノラ姉さんは俺達の目には見えない速度で走ったんだな」と納得するだろうしな。
俺だって最初に見たときは消えたと思ったし、エリノラ姉さんなら消えたとしても当然だと思ったものだ。
シルヴィオ兄さんが身体強化を考えられなかったことは、エリノラ姉さんの規格外過ぎるスペックが原因の一つだな。
ノルド父さんもその考えに至ったのだろう。少し複雑そうな顔をしながら説明する。
「まあ、あれほどのスピードになると、魔力による身体強化によるものだと考える方が自然だよ」
「えっ? じゃあ、父さんが稽古の時に速くなって見えなくなるのも魔力による身体強化のお陰?」
「え? いや、僕は違うけど」
「…………」
ここにも要因の一つとなる存在がいた。
そうなんだよ。ノルド父さんは身体強化を使っていないのに、身体強化を使っているエリノラ姉さんよりも速いというおかしな人なんだ。
薄々感じていたことだけど俺とシルヴィオ兄さんは、身の回りにいる規格外達のせいで感覚が世間からズレているのだろうな。
「まあ、その話は置いとくとして、魔力の感覚が鋭い相手だと身体強化による移動は相手にタイミングを掴ませてしまうんだ。今回、エルナはエリノラの魔力の流れを読み取って走り出すタイミングを掴んだってわ
けさ」
「そうなんだ。僕には全然魔力の流れなんて見えないや」
「こればっかりは熟練した一部の魔法使いや経験者じゃないと感じることができないからね」
「じゃあ、それがわかる母さんと父さんとアルは凄いんだね」
ここで素直に他人を褒めることができるのがシルヴィオ兄さんの凄いところだと俺は思う。
なんとなく俺とノルド父さんは照れ臭くなった。
「ほら、エリノラ。いつまでボーっと寝転がっているの? 早く立ちなさい」
「わかってるわよ!」
エルナ母さんに言われて、エリノラ姉さんが立ち上がる。
しかし、その表情にはどうして動きが見切られているのか理解できない。そんな困惑の色がありありと表情に出ていた。
相手と対峙しているというのに、そんな表情を浮かべたら相手は増々強気になりそうだよ。ほーら、エルナ母さんってば笑ってる。
「いつでもかかってらっしゃい」
「行くわよ!」
原因を伝えずに挑発をするあたり、いい性格をしていると思う。
挑発されたエリノラ姉さんは根気強く接近する。フェイントを入れたり、コースを変更したりしながら。
しかし、エリノラ姉さんが拙い身体強化を使っている限り、その工夫は全て無駄となる。
エルナ母さんはエリノラ姉さんの魔力の流れを見て、待ち構え、時に踏み込んで杖を差し出すだけ。
それだけでエリノラ姉さんは何度も何度も草原の上を転がるはめになった。
そして、ついにはエリノラ姉さんも体力が尽きたのか、息を荒げて草原に転がった。
そこへエルナ母さんが悠然と歩き、エリノラ姉さんの顔へと杖を向ける。
「……ま、参りました」
「よろしい」
悔しそうに言うエリノラ姉さんの言葉に、エルナ母さんは満足げに頷いた。




