アルと馬
「やっと身体を動かせるわ!」
馬車から元気よく飛び出したエリノラ姉さんが気持ちよさそうに声を上げる。
朝早くから馬車を走らせて、三、四時間くらい。俺達は馬の休憩に合わせて平原で一休みすることになった。
見晴らしのいい平原には柔らかそうな草が生えており、小さな川が流れている。周囲に森などの遮蔽物はなく、魔物や凶暴な動物が接近してきたとしても一目でわかる。綺麗な水も流れているし、休憩するにはうってつけの場所だな。
ゆっくりと馬車から降りた俺は、両腕をぐんと突き上げて伸びをする。
すると、背中の筋肉が伸び、関節がコキッと気持ちのいい音を鳴らした。
ずっと馬車の中で座っていたからだろうか。凝り固まっていた筋肉がほぐれたようだ。
手を下ろすと同時に息を吐き、そして大きく息を吸う。
新鮮な空気が肺へと入り、身体を循環するような感覚。空気も美味しいし、最高だな。
ここならゆっくりと過ごせそうだ。
「あら、いい場所ね」
「ああ、さすがはロウさんだね。良い場所に停めてくれたようだ」
冒険者として活動していたノルド父さんやエルナ母さんも褒めるほど。やはりロウさんは旅に慣れているから、こういう場所の選定や道選びが上手いんだろうな。
ロウさんの方を見ると、馬を連れたって小さな川の方へと歩いていた。
恐らく水分補給や軽食などを与えたりするのだろう。
何となく気になった俺は、そちらの方へとついて行く。
「ああ、アルフリート様。あんまり馬の後ろに近付いてはダメですよ。躾はしているつもりですが、蹴られてしまう可能性もあるので」
「うん、わかった」
馬の脚力は凄いもんな。大の大人でも蹴られて大怪我、場合によっては死に至る可能性もある。俺は馬と普段からコミュニケーションをとっているわけでもないのだ。十分に気をつけないと。
俺との位置に注意して、それとなく付き添う。
ロウさんが紐を引っ張って誘導すると、草むらに隠れるような小さな細い川があった。
川幅は三メートルもないくらいだろう。深さも俺の足首くらいで実に穏やかなものだ。
馬は喉が渇いていたのか、川に首を突っ込むとゴクゴクと水を飲んでいく。
それからフスッと鼻を鳴らし、霧状に水なのか鼻水なのかよくわからない物を噴き出した。
危ない。風上じゃなかったら俺にもかかっているところだった。
それにしても馬はデカいなー。七歳児の俺からすれば見上げるような大きさだ。
魔物のように凶暴じゃないことは知っているし、前世でも存在していた動物なのだが、やはり自分よりも遥かに大きい生き物というのは怖いものだ。
馬が追いかけてきたら俺は逃げてしまう自信があるな。
だけど、顔を見ると大きな二重があり、目つきもどこか穏やかだ。
目の前にある柔らかそうな毛並みと相まってとても撫でてみたくなる。
「撫でても大丈夫かな?」
「はい、斜め前から声をかけながら近付いてみてください」
ロウさんの言葉を信じて、俺は馬の斜め前の位置へと移動。
「撫でますよー、撫でますよー」
と言いながら徐々に近付くと、馬がこちらに興味を示してきたのか首を近づけてきた。
ふんすふんすと息を漏らしながら、俺の手の平の匂いを嗅ぐ馬。
匂いなどで判別もしていたりするのだろうか? 馬の生態には詳しくないからわからないけど、この馬が俺を酷く警戒している様子はなさそうだ。
ロウさんに確かめるように視線を送ると、穏やかな笑顔を浮かべながらしっかりと頷いてくれた。
それを確認して、俺は馬のおでこを軽く撫でてみる。
「温かい」
最初に感じたのは馬の温かな体温だった。生きている動物なのだから当たり前なのだろうが、俺が想像しているよりもずっと温かかった。
そして次に柔らかな馬の毛並みだった。
すっと指を走らせると柔らかな毛に指が沈んでいく。まるで柔らかい女性の髪を手で梳いているような感じだ。思わずずっと撫でていたくなる。
馬が特に怒っている様子がないので、俺はそのまま首筋や前髪を撫でたりする。
しっかりとした太い首筋だ。触ると筋肉の凹凸感がよくわかる。
前髪は少し癖があってゴワゴワとしているな。
「……何かちょっと俺の髪と似てるかも」
「ははは、髪の毛の跳ね具合が少し似ている部分がありますね」
何気なく呟くと、ロウさんが朗らかに笑う。
確かに前髪の跳ねとか外側の部分の跳ねとか似てるよね。でも、馬と似ているというのは嬉しくもなんともないな。
俺が複雑な気持ちで馬を見つめていると、馬が不意にこちらへと顔を近づけた。
一瞬嫌な予感がして一歩下がるも既に遅く、馬が口を開けて俺の髪の毛をぱっくりと咥えた。
「ええええ! これどうすんのロウさん!?」
多分、このまま暴れたりしたら髪の毛がブチブチって抜けるパターンだよね。
「すいません、少し動かないでください! こら、離しなさい!」
俺が焦っている間に、ロウさんは髪の毛を加えた馬に口を離すように命令。
それでも馬は俺の髪の毛を咥えたまま離さない。
今にもっしゃもっしゃと草をはむように食べださないか気が気でならないぞ。アルフリート=スロウレットとして生を受けて、一番の頭皮と髪の危機だ。
大丈夫なのだろうか? このまま髪の毛を食べられるなんて洒落にならないぞ。
「こら、離すんだ! それは口に入れてはいけないものだ! 離しなさい!」
俺がそう思っている間にもロウさんの説得は続く。
しかし、当の馬はどこ吹く風。まったく耳を貸しているようには見えない。俺の髪の毛を口に含みながらボケッと遠くを見ている。
この馬、一体に何を考えているのか見当がつかないな。こんなボーっとした馬に髪の毛の運命を握られると思うと少し腹が立つ。
ちょっとイラっとしていると、馬の口が突然もしゃもしゃと動き出した。それに合わせて、俺の髪の毛がグイグイと引っ張られる。
「ひいいいっ!? ロウさん、ロウさん! 俺の髪の毛がかつてない危機に!」
「ああ、もうしょうがない! これならどうだ!」
ロウさんが懐から取り出したのは小さな赤い木の実。それを馬の前にやると、馬は俺の髪の毛からあっさりと口を離して木の実へと顔を寄せていった。この馬の好物か何かなのだろう。
それはともかく、髪の毛が開放された俺は一目散に馬から離れる。
それから小川の水面を覗き込んで、そこに映り込む自分の姿を確認。
「うわー、馬の唾液でベトベトだ……」
思わず顔をしかめながら呟く俺。
いつもはふわりとして癖のある髪をしている俺の髪だが、馬に噛まれて唾液がべったりと付着したせいかしんなりとしていた。しかも、頭皮にまで唾液がかかっている。
髪の毛を触って匂いを確かめるまでもなく、全体的に獣臭さが漂っている。
こんな状態で家族の下に戻れば、嫌がられること間違いなしだな。
俺は目の前に流れている小川から水をすくって、髪の毛を洗う。
しかし、それではいかんせん時間がかかるし、しっかりと髪が洗えない。
「くそー、あのアホ馬やってくれたぜ」
自分で洗うのを面倒に感じた俺は、水魔法で水球を作り出して頭部だけを突っ込む。
そして緩やかに水流を動かして、一気に髪の毛を洗う。
自分で髪の毛を毎回洗うのが面倒で編み出した技だ。自分の頭皮や髪が傷付かないよう調節も完璧だ。
水球の水が頭皮や髪を包み込むように優しく流れる。
あー、まるで美容師の方に髪を洗ってもらっているかのような心地よさだ。
うん? 待てよ。水魔法で腕を象って、それを動かしてみてはどうだろうか? そうすれば、さらにあの感覚に近付くはず。
俺は水球を投げ飛ばして新たに水魔法を発動。
空中に水が生成されたので、自分の腕を見つめながらイメージを膨らませる。
すると、瞬く間に生成された水は形を変えて、二つの腕となった。
「おお、これならいけるかも!」
ワクワクしながら、両腕を象った水を自分の頭へと近付けていく。
そして指が頭皮に当たると、パシャリと音が鳴って指が崩壊した。
「うん? ちょっと魔力の圧縮が弱すぎたかな?」
魔力を多く流し込み、水魔法の強度を上げてやる。
水魔法は魔力を多く混めて圧縮するほど、その形を強く保つ性質があるからな。
魔力を圧縮して作り直したら、再チャレンジ。
水魔法で生成された手を頭に……。
すると、今度は指が崩壊することなく、しっかりと頭皮を撫でた。
それから自分で髪を洗うようにゆっくりと手を動かしていく。
「……おお」
冷たい水が手のように頭皮と髪を優しく撫でていく感触に、思わずため息のような声が出る。多少、手の動きを再現しきれていないせいか、ぎこちない部分はある。
だけどこれはまさしく美容師さんの手だ。素晴らしい。
また素晴らしい魔法を開発してしまったな。
理想の指の動かし方を追求しつつ洗っていると、いつの間にか汚れは落ちていた。
魔法を解除すると、とても髪の毛と頭皮がすっきりした。
爽やかな風が吹く度に、スーッと風が頭皮を撫でる感触がする。
「俺、ハゲになってないよね?」
慌ててしゃがみ込んで水面を覗き込むと、俺の髪の毛は健在。水面に映りきらない箇所を手で触ってみるも、どこもハゲている場所はない。
それに安堵しホッと息を吐く。
思わずハゲになっていないか心配するほどの頭の爽快感だったな。
これから髪の毛を洗う時は、水の手で洗うことにしよう。




