アルのアリバイ
今日は稽古もないので自分の部屋でシルヴィオ兄さんと本を読む。
最近はエリノラ姉さんと稽古や、トールやアスモと遊んだりと結構外にいたからね。こうやって部屋にこもって過ごすのが新鮮に感じられる。
今は八月と夏の真っ盛りであるが、俺の氷魔法によって室内は適温に保たれている。夏とは無縁の心地よさに俺とシルヴィオ兄さん本の世界に没頭していた。
室内は俺とシルヴィオ兄さんの微かな息遣いのみ。時折、お互いにページを捲る音だけが聞こえるくらいでとても静かだ。それがとてもいい。
しかし、そんな静寂な空間を壊す気配が一つ、廊下の方から近寄ってくる。
「はぁー、やっぱりここが一番涼しいわね」
その気配の主は、当然のようにノックをすることもなく恍惚の表情を浮かべて部屋へと侵入してきた。
それは俺とシルヴィオ兄さんの姉である、エリノラ姉さんである。
俺がプレゼントした甚平が涼しくて気に入っているのか、今日も黒に近い灰色の甚平を身に纏っていた。
自分の部屋ではないというのに相変わらずノックをしてくれない。
もう幾年に渡ってノックしてと言い続けているのだが、エリノラ姉さんがノックをしてくれた試しがない。
「涼しいー」
この部屋にある冷気を堪能しているのか、入り口の前で心地よさそうな声を上げるエリノラ姉さん。
甚平の襟元を動かしてパタパタとあおいだり、裾部分をブンブンを振ることで服の下にまで冷気を浴びせようとしている。
最近はエリノラ姉さんの女子力の低下が甚だしい。ここはノックの件も含めて、ガツンと注意してやるべきだろう。
「……何よ、その目は?」
俺の視線に気付いたのか、エリノラ姉さんがこちらを睨んでくる。
俺がよっぱど文句を言いたそうな表情をしていたからだろうか。エリノラ姉さんの瞳にどこか剣呑な色が滲んでいる。
何か文句でもあるのか? そう視線で語っていた。
そんな視線を向けられた俺は、
「……エリノラ姉さん、冷気が逃げるから早く扉を閉めて」
「はいはい、わかってるわよ」
ノックやはしたなさを注意するでもなく、扉を閉めてとお願いするだけであった。だって、何か怖いんだもん。
俺が頼むと、エリノラ姉さんはぞんざいに返事をして、後ろ足で器用に扉を閉める。
そしてテクテクと歩いてくると、そこが自分の居場所であるかのように堂々とベッドに寝転んだ。
ノックや所作に関しては俺がこれ以上注意しようとも無駄だろう。
豚に空を飛べと言われても土台無理なこと。俺はそう思って諦めている。
諦観の気持ちを抱きながら文字の世界に没頭しようとするも、ベッドの上にいるエリノラ姉さんがゴロゴロと転がったり、枕を移動させたり、近くにあるジェンガを触ったりと非常に落ち着きがないせいで集中できない。
「ねえ、これ何?」
そして本を読んでいるというのに遠慮なく声をかけてくる。
「それはジェンガだよ」
エリノラ姉さんの問いに、シルヴィオ兄さんが本を閉じて答える。
シルヴィオ兄さんは特に嫌がる様子もなく笑顔だ。
まるで落ち着きのない年下の子供を構ってあげるような感じだ。どちらが姉で、どちらが弟かわからない。
「ふーん、これは玩具よね? どうやって遊ぶの?」
積み上げたジェンガのブロックを摘まみながら、興味深そうに聞いてくる。
「タワーからブロックを抜いていって積み上げていく遊びだよ。抜いた時や積んだ時にタワーを崩したらその人の負け」
「へー、面白そうね! ちょっとやってみましょ!」
「いいよ」
エリノラ姉さんが部屋に入り、ジェンガを触り出した時点でこのような展開になるのは読めていた。
俺とシルヴィオ兄さんは本を読むのを諦めて、それぞれ頷く。
読んでいた本をテーブルの上に乗せて、代わりに置いてあったジェンガへと手に取る。
「あっ、エリノラ姉さん、ジェンガの囲いを取ったでしょ。それにタワーも触ったせいか斜めになってるし」
エリノラ姉さんが暇つぶしに弄ったせいで、垂直になっていたタワーは見事にズレていた。
このまま斜めになった状態ではきちんと遊ぶことができないではないか。
「あはは、もう一回準備しないとダメだね」
「ちょっとくらい斜めになっていてもいいじゃない」
それでタワーが崩れたらエリノラ姉さんは文句を言うよね?
敢えてバランスの悪い状態で遊ぶのも悪くないが、初心者であるエリノラ姉さんには少し荷が重いだろう。
とりあえず俺は真っ直ぐに立て直すべく、ジェンガを床に置く。
俺とシルヴィオ兄さんがそれを囲むように座り、エリノラ姉さんもそれを真似するように座り出した。
「シルヴィオはやったことあるわけ?」
「僕は何度かアルとやって遊んでいるからね」
「……ふーん」
シルヴィオ兄さんの言葉を聞いて、エリノラ姉さんがつまらなさそうに呟く。
自分が誘われていないことがいたくご不満の様子だ。
「遊んだ時はエリノラ姉さんが王都から帰っている時でいなかったからね」
もし、屋敷にいればきちんと誘っていたんですよ? そんなニュアンスを含ませるように俺は弁明した。
「あっ、帰り道と言えば気になっていたことがあるんだけど」
俺が囲いを使ってジェンガを組み立てる中、エリノラ姉さんがふと思い出したかのように呟いた。
俺はその言葉だけでエリノラ姉さんが、どのような話題を振ってくるか理解する。
「ねえ、アル」
「なに?」
「あんたあたしが帰ってくる二日前くらいにキッカにいなかった?」
エリノラ姉さんの言葉に心臓がビクリと跳ね上がるが、俺はそれをおくびにも出さない。
落ち着けアルフリート。俺はキッカでエリノラ姉さんに見つかってはいない。
確かにその日はスライムを探すために出かけていたが、きちんと屋敷で朝食を食べたし、夕方には帰還している。
俺の存在を示すアリバイも成立しているし、キッカからコリアット村まで半日と経たず帰って来るのは不可能。
もし、仮にエリノラ姉さんが俺をキッカで目撃していたとしても、疑われることはない。見間違いで処理されるであろう。
自分の潔白さを十分に確認した俺は、落ち着きを取り戻し、平然とした様子で言う。
「旅から帰ってきたばかりなのにキッカになんているわけないじゃん。その時はスライムを探しにトールやアスモと森に行っていたよ」
「そうだね。スライムクッションを作るために外にいたね。帰ってからは僕とジェンガもしたし」
俺のアリバイを証明するかのように言うシルヴィオ兄さん。
エリノラ姉さんは怪しみの表情で俺とシルヴィオ兄さんを交互に見る。
何故だか俺を見つめる時間が遥かに長いのは気のせいだと思いたい。
エリノラ姉さんは俺だけを舐めるように見た後、軽くシルヴィオ兄さんを確認する。
疑われる理由が皆目見当つかないシルヴィオ兄さんは、純粋そうに首を傾げていた。
エリノラ姉さんは俺達を交互に見て「……おかしい」と唸り声を漏らす。
「どうして急にそんな事を言ったの?」
俺は心当たりがあるのでわかるが、何も知らないシルヴィオ兄さんからすれば当然の疑問だ。
「帰りに寄ったキッカの街でアルの気配を感じたのよ」
「キッカでアルの気配を感じた?」
「はい?」
シルヴィオ兄さんが訝しむのに乗かって、俺もそれらしい反応をしておく。
「……アルに似た人を見たとかじゃなく?」
「ええ、違うわ。確かにあれは本物の気配だった」
「は、はぁ……」
突拍子もないエリノラ姉さんの言葉にシルヴィオ兄さんが困惑する。
傍から聞いていれば、エリノラ姉さんは何を言っているんだろうと失笑し、心配するところだが当事者である俺からすれば笑い事ではない。
「実際に確かめることはできなかったけど、あたしの勘が間違いなくあの場にアルがいたと言ってるの!」
「……でも、僕とアルは、その日普通に屋敷にいたよ?」
「うん」
「だから、おかしいのよねえ」
「おかしいのはエリノラ姉さんだよ。俺に似ていた気配の主がいただけだって。そんな事を考えるよりもジェンガでもしよう?」
「……ええ、それもそうね」
俺がそう促すも、エリノラ姉さんはどこか釈然としていない様子だった。
何でジェンガをするよりも先に、緊張感を味わっているのだろうか俺は……。




