鈍い身体
インフルエンザで1週間ほど死んでました。遅れてすいません。
木剣を持ってエリノラ姉さんと中庭で向き合う。
ただそれだけなのに、心臓が締め付けられるかのような圧迫感がある。
ドクドクと自分の心臓が脈打っているのが嫌でも聞こえる。
目の前には凛とした眼差しのエリノラ姉さん。、剣を中段で構えているのだが、その姿は実に自然体だ。こうして向き合っているだけでわかる隙のなさ。
以前も向かい合っているだけでプレッシャーはかかっていたのだが、王都から帰ってきて気迫が増したように思える。
……どこに打ち込んでも勝てるイメージが湧いてこない。
唯一自分の脳裏に浮かぶ勝利のイメージは、近付いて剣を振るとみせかけての足で砂を蹴り上げての目瞑し。その隙に死角から突きを繰り出して、サイキックによる無魔法でエリノラ姉さんの木剣を取り上げる。という魔法混合の必殺法だ。
しかし、剣だけの稽古にそんな薄汚い技を使えるはずも、魔法を使える訳もなく、したとしても後でどんな目に遭わされるかわからないのでできるはずもない。
王都で修業パートを終えた姉を相手に、こんな頼りない木剣一本でどう倒せというのだろうか。
俺は自分の手の中にある木剣を眺める。
せめて刃か棘か飛び出しギミックでもついていればやりようはあるというのに。
「じゃあ、始めるわよ!」
エリノラ姉さんがそう言って視線をシルヴィオ兄さんの方に向けた瞬間、俺は気配を極限まで薄めて足音も出さずに駆け出す。
地を這うように鋭く駆け込み、シルヴィオ兄さんに何かを叫ぼうとしているエリノラ姉さんに全力で切り上げを放つ。
「シルヴィオ! 合図をお願――って! くっ!?」
くそ! 殺気が漏れてしまったのか?
とにかく俺の一撃はエリノラ姉さんの胸に届く前に木剣で防がれた。
「合図はまだ出てないわよ!?」
「さっきエリノラ姉さんが始めるって言ったじゃん!」
始めるとエリノラ姉さんが言った時点で勝負の始まりだ。別に第三者による開始の言葉が必要なわけでもないのだ。
「……あんたは騎士団にいるチンピラみたいな事をするのね」
「なるほど、王都の騎士にも賢い人がいるんだね」
王都にいる騎士というのは型にはまった綺麗な戦い方をする人ばかりだと思っていたが見直した。
「そんな事はないわよ。混戦になると死角から突きを放ってきたり、目潰ししてくるような卑怯者よ」
う、うーん、それを卑怯と思えない俺はもはや同類なのだろうか?
これ以上何か反論すると、エリノラ姉さんから不興を買ってしまいそうなので何も言わないでおく。
俺はそのまま力で押し込んで、エリノラ姉さんの体勢を崩しに行くがビクともしない。
「うおおお、押し込めない! エリノラ姉さんが重い!」
「失礼ね。あたしの方が軸がしっかりしていてパワーがあるだけよ!」
エリノラ姉さんは強調しながらそう言うと、手に持った木剣を大きく押し込んできた。
俺はたたらを踏みながら倒れないように体勢を立て直す。
不意打ちが完璧に防がれた。俺としては今の攻防で完全に勝機がなくなったのだけど、どうしたらいのだろうか。
「参った」
「不意打ちが決まらなかっただけで参ったとかふざけてるの?」
参ったと言っているのにエリノラ姉さんが許してくれない。そんな横暴が許されていいのか。
「次はこっちから行くわよ!」
愕然としているとエリノラ姉さんが、今度は斬り込んできた。
シルヴィオ兄さんとの最後に見せた速い動きではないが、凡庸な俺からすれば十分に速い。
俺は剣を構えながらしっかりと軌道を観察。
数秒後には鋭い薙ぎ払いがくるのを感じて、俺は咄嗟にバックステップ。
あれ? 俺の心は反応ばっちりだけど身体が上手く反応しないぞ。今このタイミングで回避しないと間に合わないのだが!?
自分で自分の身体の反応の悪さに驚く。
その間にエリノラ姉さんの木剣はドンドンと腹部へと迫り――そして華麗に俺のお腹を捉えた。
「うぐっ!?」
「はぁ?」
硬質な木剣が俺の腹部の防具を強かに叩く感触。それとエリノラ姉さんの当たるとは思っていなかった間の抜けた声。
革製の防具が衝撃をいくつか吸収してくれたが、全てを吸収することはできずにいくばくかの衝撃が腹部を襲った。
突発的な衝撃を食らって俺は思わずうずくまる。
「……何やってんのよ」
それを見てエリノラ姉さんは、ただただ呆れた声を出していた。
「アル! 大丈夫かい!?」
「……だ、大丈夫。だけど、ちょっとお腹痛い」
駆け寄って心配してくれるシルヴィオ兄さんに、何とか俺は無事だということを伝える。
鎧を脱いで確認してみると、お腹部分が僅かに赤くなっているだけで内出血しているわけでもなかった。
俺はその事に安心しながら、氷魔法で氷を作り出して当てておくことにする。
こういうのは最初の処置が大事だというしな。
そんな俺をエリノラ姉さんが不満そうな顔つきで見下ろす。
「いつもならあれぐらい躱せたわよね? もしかしてわざと当たったの?」
「わざとじゃないよ」
「じゃあ、何であの程度の攻撃も躱せないのよ!」
「…………」
どうしよう。きちんとした理由があるけど言ったら怒られそうなので言いたくない。
だけど、このまま黙っていると俺は稽古をサボりたいからわざと当たったことになって誤解を招いて怒られる。一体どうすればいいのか。
「黙り込むってことはサボりたいから、わざと当たったってこと?」
いかん、エリノラ姉さんの表情がドンドンと険しくなっている。
そのように誤解されると過去最大の怒りが降り注ぎそうな予感。
仕方なく俺は理由を告げることにする。
「違うよ!」
「じゃあ何よ!」
「……身体が思っていたよりも重くなっていて反応が鈍くなっていたんだ」
「つまり、バックステップで後ろに避けようとしたけど太っているから身体がついてこなかったってこと?」
「……ぐっ、そうだよ」
人が丁寧にオブラートに包んだというのに、それを爪でペリペリと剥がすように言ってくれちゃって。まったく持ってその通りですよ!
「……はあ、情けないわね」
弁解するとエリノラ姉さんは、俺のお腹を見てため息を溢した。
この身体になってから、エリノラ姉さんと稽古するような事態はなかったんだ。咄嗟に反応できなくても仕方がないだろう。
人間とは慣れる生き物だから、ゆっくりとした生活を送っていればゆっくりとしたペースに慣れるのも当然だ。
「ちなみにだけど、アルはカグラに行っている最中は稽古をしていたの?」
「……魔法の稽古なら」
「太るわけよ。やっぱりあたしと一緒に行く方が良かったじゃない」
冗談ではない。エリノラ姉さんとあのような旅に出れば、馬車でも休憩時間でも船の上でも剣の稽古になるじゃないか。
そんな観光なのだか、稽古合宿なのだがわからないような旅はごめんだ。
「少しはシルヴィオを見習いなさいよ。シルヴィオは全体的に剣の技量が上がっているわよ? まあ、攻めの方は相変わらず酷いけどね」
お褒めの言葉を聞いて喜んでいたシルヴィオ兄さんだったが、最後の付け足した言葉でガックリと肩を落とした。
「シルヴィオは盾の使い方も上手くなってるし、このまま経験を積んだらアルは勝てなくなるわよ?」
うーん、別に俺はそこまで剣に拘っているわけでもないし、魔法もあるから剣が劣ってようが問題ないのだが。
「アルもせっかく剣を習っているんだからもう少し頑張りなさいよ。あんたは多彩に攻めたりするのが上手なんだから勿体ないわよ」
俺の反応が鈍い事を察してか、エリノラ姉さんが切り口を変えて励ましてきた。
エリノラ姉さんが相手を励ますだなんて病気か何かか!? いや、違う。これはきっと王都の騎士による入れ知恵だろう。
エリノラ姉さんの言葉にしてはどこか薄っぺらいのですぐにわかる。
だけど、せっかくいい雰囲気になっているのだ。ここで邪険にして空気を悪くするのもいけないな。ここは適当に前向きな言葉を吐いて、いつも通りに濁しておこう。
「うん、もうちょっと頑張るよ」
「そう! じゃあ早速、体重を落とすために今日も走ることにしましょう!」
「ええっ!? 今日は打ち合いをするだけって言ったじゃん!」
「走り込みはしないとは言ってないわよ。それに今もうちょっと頑張るって言ったでしょ?」
こ、これは嵌められた。エリノラ姉さんがこんな言葉を巧みにして、稽古に誘うなんて……。
くそ! せめて今度頑張ると言っておくんだった。
「さあ、今日も走るわよアル! その重くなった体重を減らすために走り込みよ!」
しばらくの稽古は剣を握れない日々が続き、俺は延々とエリノラ姉さんとコリアット村の道を走った。




