姉弟で自主稽古
エリノラ姉さんに無理矢理起こされた俺とシルヴィオ兄さんは、朝早くから自主稽古として中庭に集合していた。
自主稽古と言えば聞こえはよく、各自の判断によるものかと思われるが実質は違う。エリノラ姉さんによって無理矢理連れ出されて強制稽古だ。
その質の悪さは前世の会社における自主出勤と同じものだろう。今回問われるのは会社への忠誠ではなく、姉への忠誠だろうか。
「それで何? また俺は走らされるの?」
早朝のお陰か朝の気温は涼しい方であるが、これから徐々に上がってすぐに暑くなるだろう。下半身は筋肉痛だし、できれば走り込みは勘弁してほしいところ。
「いいえ、今日は剣の打ち合いをするわ。あたしがいない一か月で二人がどれだけ成長したか見てあげる」
朝から木剣を握れて嬉しいのか、エリノラ姉さんが元気よく言う。
うーん、打ち合いか。エリノラ姉さんにもシルヴィオ兄さんにも負ける未来しか見えないが、走り込みよりは精神的にも楽だな。
「わかった」
「わかったよ」
「それじゃあ、軽く体操をしてランニングよ!」
俺とシルヴィオ兄さんが素直に頷くと、エリノラ姉さんが満足そうに頷いた。
俺達は各自で足を伸ばしたり、腕を伸ばしたりと身体をほぐしていく。
俺は昨日の走り込みのせいで座ったり、身体を動かす度に筋肉痛の痛みが走り、呻くような声を上げてしまう。
「あ、ああー」
「筋肉痛大変だね」
「おじさんみたいな変な声出さないでよ」
シルヴィオ兄さんは優しい言葉をかけてくれるが、張本人であるエリノラ姉さんの言葉は冷たいな。
俺の精神的年齢は三十四歳。前世も今世の基準でも立派におじさんだな。
若いエリノラ姉さんにおじさんみたいな声と言われてしまうのも無理はないな。
しみじみとそう思いながら、ストレッチをして中庭を軽く三周ほど走る。
そうやって身体が十分に温まると、俺達は木剣を持って再び集合した。
「じゃあ、最初はシルヴィオね!」
エリノラ姉さんの一声により、対戦相手による順番が決まる。
よかった、俺は次か。ちょっとはゆっくりできそうだ。
「盾もあるけどどうする?」
「最初は剣だけでいいわ」
シルヴィオ兄さんとエリノラ姉さんのやり取りを背中で聞きながら、俺は機嫌良くその場所から離れる。
俺が十分な距離まで離れると、シルヴィオ兄さんとエリノラ姉さんは適当な距離を開けて向かい合っていた。
両腕で剣を構えたシルヴィオ兄さんの表情は真剣だ。対するエリノラ姉さんも表情は真剣であるが、どこか余裕があるように思えるな。
そんな事を思いながら観察していると、エリノラ姉さんがチラリと視線を寄越してくる。
それは開始の合図を俺が出せと言う事だろう。
「始め」
意図をくみ取った俺がそう言うと、エリノラ姉さんが微妙な表情をしながらも動き出した。
いつも通りの真正面からの仕掛けであるが相変わらずその動きは速い。
身体強化を使わない自信の運動能力のみで、エリノラ姉さんは空いていた距離を一気に詰めていく。
対するシルヴィオ兄さんは慎重に観察しながら剣を構える。
エリノラ姉さんは防御の姿勢をとるシルヴィオ兄さんに構わず、正面から打ち込んだ。
エリノラ姉さんとシルヴィオ兄さんの木剣が乾いた音を鳴らす。
二人の木剣が交差したのは一瞬で、エリノラ姉さんは即座に剣を引いて次の振り下ろしを打ち込んだ。シルヴィオ兄さんは冷静にそれに対処して防いでいく。
ここまでの動きは二人にとっても準備運動みたいなものだろう。
エリノラ姉さんが仕掛けてはシルヴィオ兄さんが弾き返して。それをしばらく繰り返すと、徐々にエリノラ姉さんの動きが早くなっていく。
正面の振り下ろし、斜めの斬り下ろし、斬り払い、エリノラ姉さんは流れるようにそれらを繋げてシルヴィオ兄さんへと繰り出す。単純に流れるようにといっているが、その動きはかなり速くて鋭い。嵐を思わせるような怒涛の連撃だ。
ほんの僅かなミスをしてしまえば、たちまち呑み込まれてしまうほどだ。
だけど、シルヴィオ兄さんはミスをせずに必死の表情でひとつひとつの動きを読み取り、避け、弾き、いなして隙を伺っていく。
エリノラ姉さんの連撃をあれほどまでに防ぐ事ができるとは、さすがはシルヴィオ兄さんだ。
「シルヴィオってば、また防御が上手くなったのね」
「まあね」
「騎士団の人でもここまで綺麗にさばける人は中々いなかったわよ?」
エリノラ姉さんには余裕があるのか、攻撃を繰り出しながらも普通に喋っているけど、それを防いでいるシルヴィオ兄さんは必死だ。
この光景を見ているだけで、エリノラ姉さんはまだまだ本気じゃない事がわかってしまう。
「でも、防いでいるだけじゃねえ? いつもみたいなカウンターもいいけど、そっちから仕掛けたりできないの?」
「む、無理だよ! 防ぐので精一杯!」
エリノラ姉さんの挑発に、シルヴィオ兄さんが思わず切羽詰まった声で返事する。
防御の得意なシルヴィオ兄さんが言うくらいだ。本当にカウンターや攻撃を仕掛ける隙すらもないのだろう。
傍から見ると、エリノラ姉さんは普通に攻撃を繰り出しているように見えるが、実際はその一撃の一つが重く速く隙がないのだろうな。
「じゃあ、離れるから次はシルヴィオから仕掛けてきなさいよ」
自分だけが打ち込む状況に飽きてきたのか、エリノラ姉さんはわざと距離をとって剣を構える。
今度はシルヴィオ兄さんの方から仕掛けて来いという事だろう。
しかし、シルヴィオ兄さんは先程の攻防で息が上がっているのか、中々動き出すことができない。
「早くしなさいよー」
「はぁ、はぁ……ちょっと待って」
あれだけの連撃を受け続けていたのだ。呼吸が乱れてしまうのも仕方がない事だろう。
エリノラ姉さんがじれったそうに待つ中、シルヴィオ兄さんはゆっくりと呼吸をする。
そして息を整えると、シルヴィオ兄さんが駆け出しエリノラ姉さんへと接近していく。
最初に放ったのはコンパクトな振り下ろしだ。大振りになったところを狙われないように慎重に攻撃を放つ魂胆だろう。
真正面から振り下ろされた木剣をエリノラ姉さんが剣で受け止める。
そしてシルヴィオ兄さんが続けて剣を振るっていく。先程のエリノラ姉さんと似たような連撃だ。
しかし、流れるようなエリノラ姉さんのものを見たせいか。それは酷く稚拙に思えてしまう。
しばらくはシルヴィオ兄さんが攻撃を仕掛けてエリノラ姉さんがそれを捌いていく。
「やあっ!」
そして、シルヴィオ兄さんが気合のこもった声を上げて突きを放つが、エリノラ姉さんはそれが来るのがわかっていたようにギリギリで躱した。
そして自ら相手の懐に潜り込み、すれ違い様にシルヴィオ兄さんの銅部分を斬り払った。
シルヴィオ兄さんの皮鎧に木剣が当たって、パンと乾いた音が鳴る。
エリノラ姉さんの勝利だ。打ち込みとして区切りがついた二人は、緊張感を解いて一息入れる。
離れて見ていた俺はシルヴィオ兄さんが心配で近寄る。
「シルヴィオ兄さん、大丈夫?」
「うん。ちょっと衝撃はあったけど、当たったのは防具だし、姉さんが上手く手加減してくれたから痛くないよ」
皮鎧を擦りながら問題ないというシルヴィオ兄さん。
エリノラ姉さんの方を見ると、当たり前だと言わんばかりに澄ました表情をしていた。
まあ、ルンバはともかく、エリノラ姉さんは一応の手加減はできるからな。心配は無用だったようだ。
「少しはマシになったようだけど、相変わらず攻撃はてんでダメなのね」
「自分から仕掛けて攻め切る練習もしているんだけどなぁ」
シルヴィオ兄さんもエリノラ姉さんのような攻撃力が身に付いたら勝てる気がしない。シルヴィオ兄さんには悪いけど、そのままでいてほしいな。




